運命を感じたとき

「お前も随分とクラスに溶け込んだよな」と弁当箱に詰められているポークに箸を突き刺し暦は言った。

 カナダからの転校生というもの珍しさもあって、最初は学校中の生徒からジロジロ見られていた。それに輪をかけランガの態度も態度だったおかげでひとり浮いていたらしい。らしいというのはそう暦が言ったからで、ランガは持ち前の鈍感さで気がつくことは決してない。

 そんなランガがクラスに受け入れられたのは、暦のさりげない気遣いのおかげだったのだろう。もっとも暦は無意識だったしランガだってそんなこと知るわけもなかった。

「転校してきたばかりのころさ、お前のことプリンスとか言って女どもがキャーキャー騒いで居心地悪かっただろう? 『かっこいい! 素敵! イケメン! スタイルいい!』とか言われて、そりゃ最初は少しばっか羨ましかったけどさ」

 暦は人差し指でボリボリ頬を掻きながら唇を尖らせた。

「そんなことなかったと思うんだけど、暦がそう言うのならそうだったのかな」

「ま、お前ボーッとしていて鈍いところあったから。でもそれがかえってよかったのかもな。日本だとお前の見た目は目立つんだよ」

「そんなに?」

「転校してきて初めてお前を見たクラスの連中『外人?』なんて言っていたんだぞ。ランガの母さん日本人といっても、お前は日本人に見えなかったからな」

 え? と首を傾げた。

「そうか。俺って日本人に見えないのか」

「悪い意味じゃないからな。カナダ人が転校してきたぞ!ってクラスの連中身構えていた。日本語普通に話せたから皆ホッとしたんだ」

「カナダといっても色々な人種がいるよ」

「女子が外人って言ったのは白人に見えたってことだろ」

 確かにカナダの人種別構成比はヨーロッパ系白人が七十パーセント超えていて、アジア系は十パーセントくらいだったと記憶している。カナダ人といえば白人というイメージがあるのは当然かもしれない。

「うーん」

 ランガは眉を寄せながら牛乳パックに口をつけた。

「そんな難しい顔すんなって!」

 バシッと勢いよく背中を叩かれ牛乳を吹きそうになった。

「ちょっと暦!」

「ははっ。そんなん、ちっせえことだからな。お前がカナダ人だろうが日本人だろうが関係ねぇ。どこの国の人間かなんてことよりスケーターかどうかって方が俺たちには重要なんだ。そうだろ?」

 胸をはって言い切る親友をランガはまじまじと見る。そしてくすりと笑った。まったく暦らしい。

「そうだね」

 俺たちはスケーターなんだとランガは同意する。

「なあ、俺、お前が沖縄に来てこの学校に転校してきてくれて本当に良かったと思っている。お前に出会えて、毎日一緒に滑れて本当に楽しいんだ。もしお前がいなかったら、今でも俺は……」

 珍しく真面目な表情で暦は目を伏せた。

 今ならわかる。暦はずっと孤独だったことが。明るくて誰とでもすぐに打ち解けることができる暦なのに、彼には同世代のスケート友達はいなかった。クラスメイトたちを熱心に誘ってみるものの誰も乗ってこなかったという。

 そこにたまたま転校してきたのがランガだった。

 少しだけスケートに興味を示したように見えた転校生に暦は食らいついた。絶対に離さないとばかりに。とにかく押して押して押しまくってきた。暦のスケート談義にランガがつまらなさそうな顔をしていても、諦めることなくひたすら熱く語り続けた。ヨーロッパでもアフリカでも東南アジアでも、どこから来た転校生であってもおそらく関係はなかったのだろう。一緒に楽しく滑ってくれる相手であれば。

 そのなり振り構わない情熱には呆れるが、それほど暦は渇望していた。仲間と一緒に滑るスケートに。ひとりで滑るスケートはつまらない。

 たくさんの親しい友人たちに囲まれ、笑顔の中、スケーターとしての暦はずっとひとりぼっちだったのだ。

 今ではそのしつこさにランガは感謝している。強引にスケートを推められなければスケートをはじめることはなかった。そうなればここまで暦と親密になれなかっただろう。そのスケートを通して、さらに多くのスケーターたちと仲間になれた。カナダにいたころからは考えられないほど交友範囲が広がった。

 だからスケートはすごい。年齢、学校、職業、肩書きなど関係のないフラットな世界。スケーターという大前提の上では皆対等だ。国籍も人種も社会的地位もあの世界では価値を持たない。だからSが、スケートが大好きなんだ。

 Sの外でも、スケートボードを抱えた人が困っていたら他人事じゃないと手助けしたくなるだろう。たとえ言葉が通じない国の人であっても仲良くなれそうな気がする。

 きっとそういうことだ。

「俺も暦に出会えなかったらと想像すると少し怖い。スケートも知らなくて今でもきっとひとりで、友達いないことが寂しいなんて知らなかった」

「俺だってそうさ。ランガでなければ実也やシャドウやチェリーやジョーたち実力者たちとは住む世界が違うと思い込んだまま交流するきっかけなんて持てなかっただろうし。俺のスケートの世界はきっと狭いままだった。みんなお前のスケートに引き寄せられたんだよ」

「そんなことないよ。暦がいなければ皆と親しくなんてなれなかった。暦のおかげだよ。俺ひとりじゃ何もできない」

 暦はランガの顔をまじまじとみて「そうか」と言った。

「俺たちは二人一緒ではじめて力を発揮できるんだな。お前は俺の最高の相棒だ。俺たちが出会えたことは運命なんだよ」

「運命って?」

「そこは追求するな、さらっと流せよ! 恥ずかしいこと何度も言わせるな」

 暦は顔を赤くしている。

「うん」

 なんとなくだけどわかった。ふたりとも不完全で足りないところだらけだ。でもだからこそ補い合い助け合うことができる。

「いいか? お前と俺はスケーターだ。スケートは無限に楽しいって知っているスケーターだ。それはぜってーに変わらない。そうだろ?」

 屋上の明るい陽光の下、丸い目から覗く瞳をキラキラと輝かせ暦は畳み掛けるように力説した。

 この親友はごちゃごちゃと言わない。結論はいつもシンプルで迷いがない。だから暦の言葉はすんなりとランガの胸に収まってくれる。

 暦と一緒なら可能性は無限大だ。俺たちはきっとどこまでも一緒に行ける最高のバディなんだ。

「あはは、ほんと暦はすごいよ」

 ふたりは目を見合わせ、いつまでも屈託なく笑い合っていた。


 満月の明るい夜だった。神道家のプールに二つのウィール音が響いていた。

 プールの外へ降りボードを蹴り上げ掴んで振り返れば、月明かりを逆光にふわりと宙高く浮いたランガの姿が目に飛び込んで来た。シャツがたなびき銀色に縁取られたシルエットに目を奪われる。

 ストンとプールの外へと着地したランガに声をかけた。

「少し休憩しよう」

「うん」

 ランガは素直に駆け寄りペットボトルの水をゴクゴクと喉に流し込んだ。キャップをくるりと締めて彼は、愛抱夢に顔を向ける。

「ねえ愛抱夢。俺ってどう見える?」

 唐突な質問だ。

「どうって君は綺麗だよ」

 彼の頬を指で撫でながら正直に、しかしあまり深く考えずに伝えた。

「そういうことじゃない」

 ランガは頬に触れる愛之介の指を掴み眉を上げムッと睨んできた。どうやら的外れな答えだったらしい。

「ん? 機嫌を損ねたかな」と顔を覗き込めば、ふいっと目を逸らした。

「ごめん……俺の言葉が足りなかった」

「何かあったの?」

「俺って日本人に見えなかったらしい。転校したときクラスで『外人』って言われていたんだって暦が教えてくれた」

 ああ、そういうことか。

「君は二重国籍だった?」

「にじゅうこくせき?」

「カナダと日本の二つの国籍を持っているかってこと」

「あ、うん。二十二歳になったときどちらを選ぶか自分で決めなさい、って母さんが言っていた」

「基本、日本国籍を持っていれば日本人だよ。でも皆見た目の先入観に惑わされる。クラスメイトは君みたいな外見の日本人にあまり馴染みがなかったんだろう」

「俺さ、カナダにいたころはアジア人で余所者だったんだ。父さんと同じカナダ人に見えなかったらしい。チャイニーズなんて言われたりもした。だからここでも俺は余所者なんだって少し引っ掛かった」

「アジア系アメリカ人も似た感じだったかな。ミックスルーツはこれから増えていくと思うよ。そうなれば皆の意識が変わる。今はまだ難しいかもね。気にしないことだよ、って慰めにもなっていない、ありきたりなことしか言えないけど」

「そうだよね」

「君はカナダにいたころ友達がいなかったって言っていたね。それが理由?」

「きっとそう。でも壁を作っていたのは俺の方だったんだ」

「幼かった君は敏感に周りの目を感じ取っていたのかもしれないね」

「父さんはそんな俺に無理をさせないようにしたんだと思う。俺も父さんと滑っていれば寂しくなかった」

「それでスノーボードに夢中になった?」

「本当に楽しかったんだ」彼は目を伏せる。「でも父さんが死んでスノーボードの楽しさがわからなくなって、滑る意味を失ってしまったんだ。だから沖縄に来た。どうでもよかった。どうせスノーボードやめちゃったんだから雪がなくても構わないと思っていた」

「でもスケートに出会った」

「うん。スケートをきっかけに暦と友達になって、それからSで仲間ができてクラスメイトとも仲良くなれた。カナダに暦がいたのなら、もしかすると違っていたのかなって最近思う」

 改めて、この子にとって赤毛がどれだけ大きな存在なのかを突きつけられた。ざわつく胸に己の未熟さを自覚させられる。

「暦はさ、そんなこと些細な問題だって言うんだ。どこの国の人間かってことよりスケーターかどうかの方が重要だって」

 赤毛は脳みそがシンプルだ。不本意だが肯定するしかない。

「赤毛くんの言う通りだよ。Sにだっていろいろな見た目の人がいるだろう? でもみんなスケーターとしてしか見ていない」

 ランガは晴れやかに笑った。

「ねえ愛抱夢の目には、はじめて会ったときの俺ってどう見えていた?」

「ランガくんを最初に見つけたのはSの中継をチェックしていたときだよ。シャドウとビーフで滑る君を見たんだ。ディスプレイ越しだったけどね。正直君の見た目は全く意識していなかった。スケートしか目に入っていなかったからね」

「はじめから俺をスケーターとして見てくれていたんだ」

 ランガは嬉しそうに目を輝かせた。

 忘れもしない。それは誰よりも美しく誰よりも攻撃的な滑りだった。ゴール直前高く宙を舞ったあの一瞬でこの少年に魅入られた。あれほど胸が高鳴ったことなんてもう何年もなかった。

 それは運命を感じた瞬間だった。そう〈運命〉だ。

「暦はさ、運命だって言うんだ。俺と暦が出会えたことが」

 え?

 思わず目を見開きランガの顔をまじまじと見た。彼はそんな愛之介と目が合うとニコッと笑った。その無邪気な笑顔に内心頭を抱える。鈍感すぎる。

 否定の言葉を一方的に捲し立てたくなる衝動にとらわれるが、流石にそんなみっともない真似はできない。深呼吸ひとつで心を沈めた。

「君も運命だと感じたの?」と返す。

「暦は俺のこと最高の相棒だって言ってくれた。俺もそうであればいいと思っていたから、すごく嬉しかった。運命ってよくわからないけど、暦に出会えなかったらスケートをすることなんてなかっただろうし、あなたとこうして滑ることもなかった」

 ランガの大切な友人を否定しないよう慎重に言葉を選んだ。

「それでも僕は思うんだ。君がたとえ赤毛くんと出会わなくてもスケートは君を見つけるよ。なぜなら君はスケートに愛されているからね」

 ランガは不思議そうな表情で首を傾げた。

「俺がスケートに?」

 彼の両肩を掴み正面で向かい合う。

「そうだよ。そしてランガくんが世界のどこにいたとしても僕は必ず君を探し出していた」

「え?」

 芝居がかった仕草で手のひらを上に持ち上げ、夜空の輝く月を指した。

「ランガくんが、たとえ月に住む輝夜姫であっても天上で遊ぶ天使であっても深海にあるマグ・メルの住人だったとしてもだ。断言しよう」

 ランガの目が見開かれ、ぱちぱちと何度も瞬いた。

「ちょっ、ちょっと待って。俺、あなたが何を言っているのか、まったくわからない」

「君がわかる必要はない。僕が納得しているんだから」

「あのさあ、俺のことおちょくっている?」

「心外だなぁ。そんなわけないだろう」

「前からこういうことがちょくちょくあって、ずっと俺が日本語わかっていないだけなのかと思っていたんだ。でもそれだけじゃなかった。愛抱夢は詩人なんだよね」

「は? 詩人って誰が言っていたの?」

「スネークだよ。『愛抱夢は詩人で言葉の使い方が独特で普通の人には理解できなくて当然だから、あまり考えなくていい』みたいに言われたことがあるんだ」

 なんてことを言ってくれるんだ。忠め。今度とっちめておこう。

「では簡単に言おうか。僕たちは必ず出会えていたんだ。どんな妨害が入ろうが誰が邪魔しようがね」

「俺が沖縄にいなくても?」

「もちろんだよ」

「どうやって? どう考えても無理でしょう?」

「無理なんてことあるものか。僕を誰だと思っているんだい?」

「愛抱夢でしょう? Sではない方の名前は神道……アイ……愛之介だったよね」

「わかっているじゃないか。だからだよ」

「答えになってない」

 それは……と言いかけた言葉を飲み込み、代わりに彼をグイッと抱き寄せた。

 その言葉を口にするのは癪に障る。まるで赤毛をパクったみたいで二番煎じのような印象になってしまうではないか。その言葉が陳腐なものに成り果ててしまう。だから意地でも言わない。

 それが僕たちの運命だから、とは。

「もう少しこうしていていいかな?」

 愛之介の肩の上で諦めたようなため息が聞こえた。

「仕方ないな」

 ランガの腕が背中に回され愛之介のシャツを掴む。布地越しに優しい体温が行き交った。

 僕たちの邂逅は偶然の幸運ではない。出会うべくして出会った。必然だったのだ。僕は君を探し君は僕の腕の中に落ちてきてくれた。

 だから、もうしばらく君をこうして感じていよう。

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