少しばかり傷ついた

 沖縄には四季がない。

 それは沖縄に移住し、ちょうど一年ほど経ってランガが実感したことだった。

 そのことを暦に言えば「ふつーにあるだろ? 世界的に見て四季がこれだけはっきりしているのは日本だけだって聞くぞ」と怪訝な顔をされた。いや、日本だけというのは流石に偏見だ。カナダだって他の国だってはっきりとした四季はある。

 それより日本全体はともかく沖縄のどこに四季がある? 少なくても冬は絶対にない。そう主張すれば「冬ちゃんとあるだろう。普通に寒くなるし冬があるから冬休みがあるんだよ。冬がなければ冬休みはねーんだよ!」と暦は大真面目な顔で屁理屈を捏ね出した。寒いといっても、あのくらいの温度は秋、せいぜい秋の終わりくらいの気温だ。その証拠に雪が降らないじゃないか。酔っ払いが冬野外でうっかり寝てしまっても凍死しないのがその証拠だ。

 ランガの感覚からすればカナダ、少なくてもランガが住んでいたところは四季がはっきりしている。冬、雪の中でのウィンタースポーツ、春の芽吹きと新緑、夏は確かに沖縄ほどの蒸し暑さはないけれど爽やかでそれなりに暑さは感じる。そして街も山も鮮やかな色に染まる、Autumn leaves……秋の紅葉だ。

 それぞれ季節を感じるポイントはある。なら沖縄はどうだ? 四月から十月まで海水浴が可能って、一年の半分くらいは夏ってことだろう? 海水浴ができる九月や十月のどこに秋がある? ランガに言わせれば、秋っぽさを肌で感じられるのは十一月末から一月くらいだ。紅葉もごく一部赤くなる木もあるけど真夏に赤くなったりもする。カナダでお馴染みのMaple……カエデなんて12月あたりで稀に赤くなる葉っぱがあるくらいだ。カナダみたいに山全体や街路樹が一斉に赤や黄色に染まることなんてない。

 そもそも一月には桜が咲き始め二月には満開って、それは春ってことではないか。秋から春になっている。一体全体どこに冬がある?

 今は秋ということになっている。でもとにかく暑い。観光客は半袖短パンでビーチサンダル。海で泳いで真っ黒に日焼けしている。それって秋ではなくて夏ではないのだろうか? と言ったら「夏休み終わったんなら秋だ」と暦は言い出す。

 一体沖縄の人たちはどうやって秋を感じるのだろう? と暦に質問したら「内地の修学旅行生が秋冬服の厚着で汗だくになっていれば秋なんだよ。あとだな柿とか葡萄とか梨とか栗を月日たちが食べたいって言って母さんが買ってくると秋だなって思う」と主張する。どうも色々と噛み合わない。

 それを母さんに言ったら、母さんまで「そうね、スーパーで柿とか葡萄とか梨とか栗が売っていると秋だわ、って感じるわ」などと言い出した。やはり母さんも暦と同じ根は沖縄県民だった。


「なるほどね」

 ティーカップをソーサーに置き、愛抱夢は楽しそうに笑った。

「クラスのみんなも俺の言うこと理解してくれないんだ。カナダは日本みたいに四季はないだろうとか言い出すやつまでいるし」

 唇を尖らせランガはストローを咥えた。

 ランガは暦たち生粋の沖縄県民に理解してもらえないようなことを、よく愛抱夢にこぼしている。愛抱夢はアメリカ留学の経験もあり日本語の難しい言葉は英語で説明してくれる。何よりも視野が広い。ランガの困惑を受け止め、宥めてくれた上で沖縄県民の感覚も教えてくれる。

「まず、日本以外四季がないと考える人まだいたのか。昔そういった日本は特別な国だと書かれたナショナリズムを煽る本があってね。そのデマがいまだに一部尾を引いているんだ」

「沖縄って、俺がメディアやアニメから知った日本と、なんか全然違うよね。日本はカナダと違って小さな国だから、全部似たようなものかと思っていた」

「小さな国だけど、南北に長いから寒いところから暑いところまでバラエティにとんでいる。それと沖縄は日本に併合されるまで、琉球王国という独立国家だったんだ。知っているよね?」

「うん、母さんからも聞いたし」

「赤毛くん代々沖縄一族で沖縄生まれ沖縄育ち、沖縄以外に住んだことないんだよね。それなら無理ないよ。地元以外知らない県民なら皆似たような感覚だよ。沖縄だけではなくて生まれ育った土地以外知らなければそうなってしまう。大人になって外へと出れば視野も広がるだろう。それと赤毛くんも君の故郷行ったら、夏がないから四季がない、と言うかもしれないね」

「む……」

「それでも君の感覚は間違っていないよ。君みたいな極端な例ではなくても、例えば内地からの移住者は、やはり口を揃えて沖縄は四季がないって言っているんだ。あるのは春夏夏秋だってね」

「やっぱり」

「僕だって、沖縄しか知らなかった子供時代は赤毛くんみたいな感覚だったよ。それでも学校が長期休みのときは東京近郊で開かれる塾の集中講座の合宿とかに入れられたり、早いうちから海外への短期留学放り込まれたりして、まあ他の子より早めに沖縄以外を知る機会があっただけかな。今は大体一週間の半分は東京で、沖縄と行ったり来たりだから、季節感覚の違いは身に染みているよ」

「今は九月だから秋だって暦たちは言うんだ。こんなに暑いのに」

「カナダだともう紅葉——Autumn leavesのシーズンかな?」

「そろそろそうだね。九月の終わりのころになるとカナダは街も山も黄色や赤に染まるよ。Autumn leavesで。それって秋の風景なんだ」

「綺麗なんだろうね」

「綺麗だよ。俺にとって当たり前の風景だったんだけど、それが見られない沖縄に来て、初めてあれはすごく綺麗なものだったんだって、気がついた」

「そんなものだよ。赤毛くんは沖縄サンゴ礁特有の白い砂浜とエメラルドグリーンの海を当たり前のように見て感動するようなものでないと思っているけれど、もしカナダで暮らすようなことになったら、それがどれほど美しい景色だったかを知ると思うんだ」

 そうかとランガは思う。失ってみて初めてそれがとても大切なものだったと気づくのと似ている。あって当たり前と思い込んでいるものはそれが特別であるなんて意識することもない。

 ランガは目を閉じた。

 カナダの紅葉は壮大で何百キロも連なる。鮮やかな色彩のグラデーションは本当に美しく観光客がそれを目的にカナダへとやってくるのだ。

 Autumn leavesは木の種類によって違う色を見せてくれる。黄色、オレンジ色、赤、紫がかった深い赤。中でも、レッドメープル。鮮やかで深い赤だ。そうだ、この色は……。

 ランガの記憶にあるレッドメープルの赤と、愛抱夢の深紅の瞳が重なった。

 ランガは目を開き、サングラス越しに愛抱夢の瞳をじっと見た。この暗い色のレンズに隠され深紅があるのだ。

「あなたと一緒に見たいな。Autumn leaves——いつか」

「カナダの紅葉を?」

「うん」

「僕と?」

 色のついたレンズを通して愛抱夢の目が大きく見開かれているのがわかった。

「そうだよ? 俺と一緒に見たくないの?」

「そんなことはない。君と一緒に見られるなんて、最高だよ」

「じゃあ、どうしてそんな顔をしているの?」

「少し驚いた」

「何に驚くの?」

「君は、カナダの話をするときは、いつも『いつか暦に見せたい』が最初に来て、そのあと『仲間にも見せたい』で僕はその仲間に入っている、くらいだったからね。赤毛くんを抜きに一緒に見たいなんて言ってくれたの初めてのような気がするから」

 あ……。

 ランガは困惑した。言われてみればそうだったかもしれない。でも、それは愛抱夢が暦以外のその他大勢という意味とは考えていなかったのだが、そう思われても仕方ないのか。暦の指摘通り自分は言葉が少なすぎるんだ。

「あ、あの……あなたは暦の次とか、そんな意味じゃなくて。暦は沖縄から出たことほとんどないから見せてあげたいって思うんだ。愛抱夢は色々な国行っているしアメリカに留学もしていたから、俺が見せたいというのも違うと思って」

 頑張って説明してみたけれど、言い訳がましかっただろうか。

「ああ、そういうことね。僕も考え過ぎてしまったようだ。いや、でも嬉しい気づきだよ」

「もしかして傷ついていた?」

「少しばかりね。それでも僕は大人だから。そんな素振りは見せないようにしていたけれど、実はそこそこ嫉妬していた」

「ごめんなさい。暦にももちろんカナダのAutumn leavesを見せたいよ。でも、あなたには見せたいじゃないんだ。一緒に見たい、って思った。あの色Red Mapleはあなたの色だから」

「本当にいいのかな? そんなこと言って。僕は本気にするよ」

「俺も本気で言っているよ。何年も先かもしれないけれどふたりの都合が合えば必ず」

「わかった。情報集めておくよ。君と旅行ができることを今から考えるとワクワクするな。人生の楽しみが一つ増えたよ」

 愛抱夢は心から嬉しそうに笑った。

 そうか、この人はこんな幸せそうな顔で笑うんだ。

 自分の唇からも小さな笑みが零れ落ちていることに気づくこともなく、ランガはしばしその笑顔に見惚れていた。