#3 賢者の悪夢、令嬢の画策

人はそれを狂気、と呼ぶのだろうか。
心の内から迫る、おおよそネガティブとしか形容できない衝動。形あるものへの破壊願望。
言い換えるならばそれは、あらゆる秩序に対しての、慟哭のようでもあった。
まだ幼い少年は、カイルは、自らに感じるその情念に、ただ恐怖していた。
しかし、そんな意思とは裏腹に、身体の感覚は次なる標的を捜し求めるように、動き回る。
その手に、鮮血で濡れ光る、一振りのナイフを握りしめながら。
すでに彼の思考は限界に達していた。目の前が真っ暗になり、何も見えなくなる。
そして次の瞬間、凶器は己の持つ能力を発揮する為に、挙動を開始する。
その対象は、他でもない。彼自身の―――

「うわああああぁぁぁぁっっ!!」
カイルはそこで飛び上がるようにして目を覚ます。心臓の激しい動悸が治まらない。全身が汗まみれだった。
夢だ、と気付くまでに幾ばくかの時を要する。それほどまでにリアルな感触だった。
「…また、ですか…」
彼はため息まじりに立ち上がる。枕元にある時計に目をやると、まだ始業までには2時間もあった。
浴室に向かい、シャワーで汗を洗い流す。そしてろくに身体も拭かずにズボンを履くと、半ば倒れるように椅子に腰掛ける。
(最近は、見なくなったと思ってたんだけどな…)
そう考えながら、普段は机の上で倒したままにしてある写真立てを手に取ると、それをじっと見る。
眼鏡をかけてないので、うっすらぼんやりとしか見えないが、そうでないと彼にはとても直視など出来なかっただろう。
「もしかして、僕は同じ事を繰り返そうとしているんだろうか…」
その写真には、まだ幼いカイル自身と、彼の家族が、みんな幸せそうに笑っている姿が写っていた。


シャアアアァァッ!
シャロンは勢いよく部屋のカーテンを開け放つ。
「今日も、良い天気ですわね」
一人満足げに頷くと、今度はクローゼットを開く。
そこには、アカデミー指定の制服がずらりと並んでいた。勿論、すべてオートクチュール(オーダーメイド)である。
彼女は鼻歌まじりに選別を始める。一見すべて同じように見えるが、実は一着毎に細かな装飾の違いが施されているのだ。
もっとも、その洗練された違いに、今まで気付いてくれた者は誰もいないのだが(そしてその事実に彼女は大変辟易している)
「やはり、これにいたしましょう」
そう言いながら手にしたのは、彼女の一番のお気に入り。服全体のバランスとボタンの配列が工夫されており、出る所は出ているように、細い所は細いように見えるデザインになっている。
果たしてその効果の程はと言うと…彼女の尊厳の為にも、ここでは語らない事にしよう。
「これで、完璧ですわね…」
彼女は、自らを美しく魅せる事に、早朝から万全とも言える体制で臨んでいた。
そうまでして情熱を燃やす目的はただ一つ。自分を蔑ろに扱ったあの男に、格の違いを見せ付ける為だ。
「この私に対して行った振る舞い…決して許しませんことよ」
そして、その愚かなる男が彼女の気高さに気付き、心奪われた時こそが、報復の瞬間だった。
「逃した魚がいかに美しく高貴で尊大だったか、己の無知による自責の念の中、のた打ち回りながら悔やませて差し上げますわっ!おーっほっほっほ…!!」
寮中に、シャロンの高笑いがこだましていた。


「…あ゛〜、またあのお嬢が、朝っぱらからはしゃいでるわ…」
シャロンの隣の部屋にて、彼女の同級生であるルキアが、ぼさぼさになった頭を押さえながら身を起こす。
「目覚まし代わりになるのは助かるんだけど、も〜ちっとおしとやかになんないモンかなぁ」

こうして、マジックアカデミーでの一日が、また始まる。


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