『 遠い約束 』 61 「どうしたの?しっかりして!夢なのよ、大丈夫!・・・王子!」 どうして夜中の自分の寝台にシークが居るのか、どうして自分はシークのことを王子などと呼んだのかなどキャロルは気付かないほどだった。 シーク・イズミルは脂汗を流し、苦痛に顔を歪めてなおも悪夢の中で藻掻いていた。 「しっかりして!夢なのよ、何も怖いことなんてないのよ」 キャロルは母親のようにしっかりと男の体を抱きしめて耳元に囁いた。 「大丈夫なのよ・・・!」(一体、このうなされようは何?普通じゃないわ・・・。どこか痛いのかしら?まさか病気?) 「う・・・うう・・・」 悪夢とはいえ、眠りの淵の中から急激に引き上げられるのは不快なもの。 シーク・イズミルは顔をしかめて目を開けた。しばらくは焦点が合わないのか、キャロルのことも分からないようだった。 「キャ・・・ロル・・・?」 「ええ、そうよ。ひどく苦しそうだったわ。誰か呼びましょう?」 「いや・・・それには及ばない。夢・・・いつもの夢だ・・・」 「夢・・・?」(夢・・・。私も見ていたわ。哀しい夢。後悔と自己嫌悪で狂いそうになる夢・・・) イズミルはしばらく迷うように片手を宙に遊ばせていたが唐突にその手でキャロルを引き寄せ、抱きしめて横たわらせた。 汗と肌の匂いの混ざり合った男の胸の中で、キャロルは身を固くした。今更ながら何故、シークと同じ寝台にいるのだろうと疑問が萌してくる。 「お前に言ってもおそらくは理解できぬだろう。だが聞いて欲しいのだ、最後まで。私を苦しめる悪夢のことを。今まで誰にも夢の内容を話し聞かせたことはない。父上にもだ・・・」 62 常夜灯のオレンジ色の光の元でイズミルは訥々と語った。 自分が見た恐ろしい夢のことを。いつとも知れない時代、彼はキャロルを愛していて、でも死なせてしまったということを。 生々しく恐ろしい最後の場面のことも隠さず話した。炎と血に彩られた暗赤色の悪夢のことを。 キャロルはじっとシークの声に耳を傾けた。 「・・・はは、信じられぬか? だがな、この国にはちょくちょく前世の記憶を持ったまま生まれ変わってくる人間がいるのだよ。私もそうだな。 それは神が与えたもうた贖罪の機会だ。機会を生かして無事、前世の償いをする幸せ者もいれば、再び後悔と共に逝く者もいる。 ・・・キャロル・リード、お前が私を知るより遙か前から私はお前を知っていたのだ。お前を捜して・・・悪夢から逃れて・・・何よりも今度こそお前を幸せにしてやりたい」 イズミルは祈りと恐れの混じった色の瞳でキャロルを見つめた。前世からの定めなどアメリカ生まれの少女には突飛すぎるだろうか?薄気味悪がられるだろうか? 「私はお前が必要だ・・・。守って愛して幸せにしてやれる存在のぬくもりが欲しいのだ」 イズミルの傲岸な求愛にキャロルは少し震えた。声を上げて人を呼んで助けて貰うべきだと思った。ライアンの面影が一瞬、浮かんだ。 だがキャロルは。 「夢・・・は私も見たの」 キャロルもまた言葉を選んで、飛行機事故の時に見た映像やつい先ほどまで見ていた哀しい夢のことを話した。 「おかしいの。あなたに会ってから変な映像や音を感じるの。生々しくてとても夢や空耳とは思えないくらい。全部・・・あなたと会ってからよ」 イズミルの顔色が変わった。 (ああ、では!私に出会ったことでキャロルもまた前世を思い出しているのだろうか?私と子をなしたこと・・・そして・・・私と会う前のことも・・?) 62 「ずっと泣きながら歩いていたのか?」 イズミルはキャロルの心細さが我がことのように感じられ胸を締め付けられた。 「ええ。いつもいつも・・・夢・・・シークの言い方を借りるなら‘いつとも知れない時代’のことを見るときは哀しくて泣いているの。 自分に腹を立てながら。取り返しのつかない大失敗をした自分が許せなくて」 キャロルはそう言って口を噤んだ。シーク・イズミルの視線と次の言葉への期待を痛いほどに感じるけれど、火照った顔を見られるのは恥ずかしかった。 (シーク・イズミルの側にいるといつもどきどきして怖いくらいだった。でも側に居られるのは嫌じゃなかった。キスされたときだって・・・。 もう死ぬんだと思ったときもシークの顔が浮かんだわ。確かに馬鹿げているとは思うけれど、シークの言う‘前世の記憶’が私をここまで惹きつけたの? シークがいう償いのチャンスが・・・今、目の前にあるっていうこと?) シーク・イズミルは少し震えて黙り込んでいる小さな身体をおそるおそる抱きしめた。力を入れれば砕け散ってしまうかのように。 「私が苦しみ、叶えられぬと思いながらも許しを請うたように、そなたも泣いていてくれたのか?一人で・・・一人で・・・」 シーク・イズミルは今こそ、自分の中にいる重すぎる罪の痛みに苦しみ、永遠の罪人である‘前世の自分’が赦されるのではないかと思った。 「・・・私が見た夢は・・・本当にあったことなの?私はあなたに謝ることばかり考えていたの。私はアメリカ人よ。この国の伝説を知らないの。 ・・・私はどうしたらいいの?」 イズミルは少女の顔を上げさせ、まっすぐに目を覗き込んだ。 「私たちは互いの気持ちを伝えるために引かれ合って出会えたのだ。先の世での過ちを償い、互いに再び共に幸せになるために。 先の世でのことなどに引きずられるのは愚かなことだと私は思っていた。そうかもしれない。お前を夢などに縛るのはよくないな」 63 キャロルは黙ってシークの次の言葉を待った。 (私が・・・シーク・イズミルに惹かれたことを前世のせいだけにしたくない。私は初めて自分から人を好きになるとはどういうことかをこの人から教わったのだもの) 「・・・キャロル、たとえ前世の記憶などなくても私はお前に惹かれただろう。小さなお前は私の心にしっかり自分の姿を焼き付け、私の心を翻弄する。 私の側にいてくれないか?ずっとずっと私の側にいてくれないか?私は・・・お前を愛している。お前がお前であるが故に」 イズミルはそっと自分の唇をキャロルのそれに重ねた。キャロルはびくり!とひきつるように身を震わせたが、琥珀色の瞳の持ち主の誘惑からは逃れられなかった。 「でも・・・私はライアン兄さんと・・・」 (あなたを好きになっていいのかしら?私は兄さんを裏切るのよ?私は・・・怖い。家族とも連絡が取れていないのに、こんな・・・) シークは唇を付けたまま囁く。男の吐息が、微妙な舌と唇の動きがキャロルを動けなくする。 「言ってくれ、私の愛に応えると。私を救ってくれ。幾度となく言い聞かせただろう?好き、と愛するは違うのだと。 お前にも分かっているはずだ。ライアンと私に抱く感情の違いは。どうかその唇から言って欲しい、私を愛すると」 キャロルはぶるぶると震えだした。全てはまるで濁流のようにものすごい勢いで自分を押し流す・・・。 「分からない、急にそんなこと言われても。ライアン兄さん、ライアン兄さん・・・」 腕の中で恋敵の名前を呼ぶ少女の幼さが、砂漠の王国の君主の逆鱗に触れた。 「お前のことはお前が決めるのだ。お前の心はお前にしか分からない。 余計なことは考えなくても良い。ただ自分の心にだけ耳を傾けよ。本当にお前を幸せにしてやれるのは私だ。愛してやれるのは私だ・・・」 64 キャロルは小さく吐息をついた。 「何を恐れる?お前が下した決断で、お前が苦しむことはない。全ては私が引き受けてやろう。さぁ・・・」 キャロルはじっとシーク・イズミルを見つめた。 切羽詰まったような渇望と、激しく何かに恋い焦がれる子供のような色の瞳。 前世で犯した罪の重さにおののき苦しむ罪人にして、傲岸な命令者。 (私はこの人に惹かれている・・・。全てを捨ててもこの人を望むほどに。 私だけがこの人を悪夢から救ってあげられる。私は・・・もう後悔はしたくない。あんな夢は見たくない) 「私・・・」 「うん?」 「私、私、あなたにそう言われるのが嫌じゃない。嬉しいの。 でも分からない。これが愛なの?出会ってからいくらも経っていない。年も離れている。怖いの。闇雲に求められるのが。分からないの、怖いの」 シーク・イズミルは苦笑した。 「そうだ、愛だ」 男は幼い子供をしっかりと抱きなおした。 「互いに惹かれ合い、もっと相手をよく知りたいと思い、相手のことが何よりも大切に愛しく思われる。 長いことかけて育つ愛もあれば、出会ってすぐに育まれてしまう愛もある。 ・・・俗に言えば一目惚れというやつだな」 キャロルはこくんと頷いた。 「お前を怖がらせるつもりはない。だがお前が私の言葉を嬉しく思ってくれたなら、もう何も難しいことは考えるな。ただ私の言葉にだけ耳を傾け・・・私のものになってくれ」 シークの強引さは、異郷の地で心細く何かに縋りたい気持ちで一杯だったキャロルにとっては待ちわびていた救いにも似ていた。 「・・・キャロル・リード。イズミル・ハールーン・スレイマンの妻となって欲しい」 キャロルはこくんと頷いた・・・。 65 「お前は私の妻になる・・・」 イズミルはキャロルの頭を撫でながら優しく深い声で呟いた。 「お前が承諾してくれたことを、どれだけ嬉しいと思っているか分かるか・・・。いや、お前にはまだ分からないかもしれないな。 ・・・・長かった、長かった、お前を再び得るまでは・・・」 シークの言葉がキャロルの心に染みわたる。初めて出会ったときから不思議なほど心惹かれて、恐ろしいほどだった。 シークに呼び起こされるようにして、自分の深い深い場所から湧き出でてくる夢・・・あるいは前世の記憶。 初めて自覚した初恋。恋にときめく心と、ライアンを裏切っているという後ろめたさ。 (でも本当にこれでいいのかしら?家族とも連絡が取れていないのに・・・誰にも相談せずに自分一人で決めてしまった。この私が、け、結婚だなんて。 しかも相手は一国の摂政・・・) 「怖い・・・」 キャロルの呟きを聞き咎めたシークは、たった今、結婚の承諾を取りつけた少女の顔を覗き込んだ。 「何?」 「怖いの、何もかも。・・・嬉しいはずなの、だってす、好きな人からプロポーズされたんですものね。嫌じゃないわ、嬉しいの。本当よ。 でも・・・何だか怖い。不安なの。家族にも・・・ライアン兄さんにも連絡が取れていないのに。怖い・・・」 「お前は何も心配することはない。未だ家族に連絡が取れていないのが不安なのか?大丈夫だ、私がお前を守ってやる。外国人の入国が再び許可されたのならば、一番にお前の家族を連れてきてやろう。 お前は私の妻なのだよ? そんな子供じみたことを言って私を困らせないでくれ」 66 言葉とは裏腹に、シークは幼妻に困らせられるのが嬉しくてたまらないといった風にキャロルを優しく寝台に横たえた。 そして自分の重みを華奢な身体にかけないように注意しながら、接吻を与える。最初は軽く啄むように。でもじきに深く激しく。 シークの体の下で陶然と呼吸を早めるキャロル。頭の中では相変わらず警報が響いている。このままでは取り返しのつかないことになる、と。それでも身体は動かず、シークの意のままだ。 (本当にこのままでいいの?この不安は何?このまま流されてしまったら私、ライアン兄さんを裏切ってしまう。嫌よ、大好きな人を裏切って悲しませてまで結婚するのは・・・!) 「いや・・・っ!」 シークは存外、素直にキャロルを解放した。頬に刻まれている苦笑。 (やれやれ・・・抗うことをしないままでいたならば、私はこの場でキャロルを散らせていただろう。一国のシークの妻の初夜がそれではまずいな・・・) 怒張した自身を宥めるように深く息をつきながら、シークはそっとキャロルのひきつった顔に触れた。 「済まなかったな。お前を怖がらせるつもりはなかったのだ。大丈夫だ、私は無粋で野蛮な獣ではない。シークの妃となる娘は最高の格式を持って迎えられる。さぁ、そのように怖い顔をしてくれるな」 「ごめんなさい・・・。あの何て言うか・・・ライアン兄さんに・・・家族にちゃんと連絡を取りたいの。兄さんに赦して貰って・・・あなたのつ、妻に」 「・・・分かった。家族とは出来るだけ早く連絡が取れるよう努力しよう」 シークは嘘をついた。だが家族に知らせればキャロルは行ってしまうだろう。 67 (二度と私の側から離さない。家族に会わせれば・・・きっとライアンが奪っていってしまう。どうしてそんなことに耐えられる? 早く早く私の妻にしてしまおう。私にしっかりと繋ぎ止めて・・・優しい気性故に流されやすくも思えるキャロルの身も心も、揺るぎなく繋ぎ止めてしまおう) 時空を遡ったはるかな世で・・・愛しい娘を騙して娶り、互いの心を傷つけた男は、また同じ過ちを繰り返そうとしていた。 ただ違うのは、腕の中に抱きしめたキャロルが未だ清らかな身であり、恐れ迷いながらも自分からイズミルへの気持ちに気づき始めたこと・・・。 「キャロル、何故そんな心細そうな顔をする?大丈夫だ、家族には出来るだけ早く会えるように私も骨折ってやる。お前の家族は私の家族も同然なのだからな。お前はもう一人ではない。私がお前の夫であり、私の国がお前の国になるのだ」 イズミルの笑顔はどこまでも優しく慈しむに溢れていた。 「もうそんな顔はしてくれるな。私もお前も長い長い約束をようやく果たせたのだ。・・・私のことが好きだろう?」 キャロルは初々しい羞じらいに頬を染めて小さく答えた。 「いいえ・・・」 「何っ?」 「・・・私はシークのことを愛しているの・・・だと思います」 シーク・イズミルは破顔一笑し、もう一度キャロルを接吻で覆った。 そして。日もだいぶ高く上がってからキャロルの寝室から出てきたシーク・イズミルを待っていたのは、一睡もしていないムーラであった。 「シーク・・・!お、おはようございます。昨夜、は、あの昨夜はお嬢様と・・・」 狼狽えて真っ赤になった乳母にシークは魅力的な笑みを送った。幼い頃から幾度となく彼の乳母を籠絡してきた微笑だ。 「キャロルは今、眠ったところだ。今まで以上に大切に扱うように。婚儀のその日まで、何人たりとも彼女に触れることがないように、な」 「あ、あの・・・」 「婚儀のその日まで、私を含め無垢の乙女を汚す者がないように大切に守ってくれ。彼女はシークの花嫁になる身だ」 68 殆ど徹夜でシークと語り合ったキャロルが目覚めたのは午後も半ばを過ぎた頃だった。 「お目覚めでございますか?お嬢様、いいえシェイハ」 キャロルが起きあがった気配を察して、ムーラが滑るように室内に入ってきた。 すばやく彼女の育て子が妻にと熱望する少女を見れば、着衣も髪も妙に乱れた様子はなく、全く「お姫様の寝起き姿」である。 (まぁ・・・シークは本当にこの方に指一本お触れにならなかったのだ! 最高の格式で妻にとおっしゃっていたけれど・・・ああ、下世話な想像をしていたのが今となっては恥ずかしい) 「ムーラ・・・あのシークは・・・」 言ってしまってからキャロルは、はっと口を押さえた。何も無かったとはいえ、シークと彼女は同衾している。他人はどう思うだろう? 「あ・・・あのっ・・・つまり私が言いたいのは・・・」 ムーラは微笑んで、取り乱す初な少女の肩を優しく叩いた。 「ほほ・・・。シークは先ほど執務室に。シェイハ、お身仕舞いをいたしましょう。シークはあなた様があまりよくお休みになられなかったようだから、ゆっくりさせよとお命じでしたよ」 「そうですか・・・。あの、シェイハって・・・シーク(シェイク)の女性形?どうしてそんな呼び方を?」 「あなた様はシークの選ばれた方です。そのようにお呼びするのが当然でございましょう?」 キャロルは真っ赤になった。それと同時に不安が蘇ってくる。 (私はシーク・イズミルの妻になる。でも何もかもが私を置いて流れていくようで怖い。本当にこれでいいの?) 「あ・・・ムーラ。どうかそんなふうに呼ばないで下さい。私はキャロル、シークの保護を受けている外国人に過ぎませんもの」 戸惑い、羞じらうキャロルの様子がまたムーラを喜ばせた。 そしてその夜。当然のようにキャロルの居室を訪れたシークは、彼女に真珠を連ねた首飾りを贈った。 「お前の誕生祝いを贈るのが延び延びになってしまったな。これを。清らかな真珠はお前に相応しい」 アラブの言葉でルゥルゥと呼ばれる宝石を、男は手慣れた仕草で少女の白いうなじに飾ってやった。 69 (まぁ、どこでこんなことをお覚えになったのやら!) 驚き呆れる乳母の目も憚らず、シークはキャロルの額髪をそっと掻き上げてやった。 「綺麗・・・。何て綺麗・・・」 シークが国一番の宝石商を呼びつけて手に入れた真珠の首飾りはオーソドックスなフォルムでありながら、その品質の桁外れの高さ故にこの上なく美しく見えた。 「まるで真珠自身が光っているみたい」 「気に入ったか?」 シークは少女に接吻をねだるように顔を近づけたが・・・。 「こんな高価なもの頂けないわ、シーク。私みたいな子供には分不相応だわ」 「キャロル様!せっかくのお心遣いに何ということを!」 「はは、良い。だが確か欧米では16歳になったときに初めて宝石を身につけることが多く、それ用には真珠が選ばれることがよくある、と聞いた覚えがあるぞ。 受け取ってくれ、キャロル。お前の恋人が選んだ品を突き返すような真似はしてくれるな。お前が私の妻ではなく、恋人であるのは短い間だ・・・」 キャロルは耳まで赤くなった。シークの優男ぶった口説は気恥ずかしかったが、彼女をこの上なくときめかす。 (こんなことを言う人だとは思わなかったわ・・・。恥ずかしい、でも嬉しいわよね、やっぱり・・・) 「お待ち下さいませ、大臣!そちらはシークのお許しがなくては入れませぬ!」 「五月蠅い!シーク、おられるか?シーク?イズミル!火急の用だ!」 けたたましい騒ぎと共に恰幅のいい男性がキャロルとイズミルの居る部屋に入ってきた。アル・シャハルの石油大臣カリム、イズミルの叔父にあたる男性である。 「イズミル!無礼は赦されよ。先ほどアメリカ政府から連絡が!リード・コンツェルンがプロジェクト起工を無期延期にす・・・・誰だっ!お前は!」 (まずいな・・・) イズミルはキャロルを後ろ手で隠すようにして立ち上がり、豪放磊落で知られる叔父に対峙した。 「これは叔父上。何という無礼です。こちらは私の婚約者、キャロル・リード嬢です。さぁ、キャロル。挨拶を」 70 シーク・イズミルは小柄な少女を前に押し出した。大きな手が松葉杖をつく、異国の少女を守るように肩に添えられている。 「ご機嫌よう。初めてお目にかかります。私はキャロル・リードと申します。 ・・・今はアル・シャハルのシーク・イズミルの保護下にある身です」 キャロルは自分を花嫁として見知らぬ要人に紹介したシークのやり方に仰天したが、何憚ることのない身である証拠に堂々たる挨拶の言葉を先に述べた方が得策だということは分かった。 (この人、パーティで会ったことがあるわ。確か外務大臣だったか石油担当大臣。どうしよう、今はアメリカと国交断絶状態だってシークは言っていた。 アメリカ人の私がここにいて、よりによってシークの婚約者だと紹介されるなんて!) カリム大臣は、アラブ風の高価な衣装を身につけてシークに守られるようにして立つ少女を見てこれまた仰天した。 「シーク・・・これは・・・。婚約者だって・・・?馬鹿な、これはキャロル・リードではないか!ライアン・リードが血眼になって探し回っている・・・あの娘だっ! 何故、こんな場所に居る?外務省が、政府が行方不明扱いの大財閥の一人娘一人のために、どれだけ苦労しているか知らぬお前ではないだろうっ!そうだ、お前自身が対応に忙殺されて居るではないかっ! それが、行方不明だなどとしゃあしゃあと・・・。誑かされたお前はハーレムにお気に入りの異教徒の淫婦を囲い込んだ・・・ぐわっ!」 カリム大臣は、甥でありこの国の摂政でもあるイズミルに襟首を掴まれた。カリムも恰幅の良い筋骨隆々たる大男であったが、イズミルの方が頭一つ分は背が高い。 しなやかに鍛え上げられた体躯を持つイズミルはカリム大臣を腕一本で床から持ち上げていた。金茶色の瞳に危険な色が宿る。 「カリム大臣、口を慎むように。シークへの無礼、シークの妻たるシェイハへの侮辱は許し難い・・・」 |