『 遠い約束 』


101
「まぁ・・・殿下。それはどういうことでございましょう・・・?」
リード夫人は上品なさりげなさで若者を牽制しようとしたが叶わなかった。
シーク・イズミルはキャロルを見やった。キャロルは立ちあがってそっと自分の手をシークの大きな手の中に滑り込ませた。
ライアンがはっと息を呑んだときはもう遅かった。
「リード夫人、どうかあなたのお嬢さんを私の妻とすることをお許し頂きたい。私はすでにキャロルに結婚を申し込んだし、キャロルも私の願いを聞き届けてくれた」
「ママ、ライアン兄さん、ロディ兄さん・・・。私、シークのお申し出をお受けしました・・・」
消え入りそうな声で、でも最後までしっかりとキャロルも言った。
居間にいるのはリード一家とばあや、それにシークの秘書官ルカだけだったが、まるで誰もいないかのように室内は静まり返った。
(何てまぁ、性急なこと!)
リード夫人はひそかに嘆息した。砂漠の王子は何とせっかちに事を運びたがるのだろう!あのおとなしいキャロルまでが引きずられるように大胆な告白をした。
(ライアンは何と言うかしら?きっとただではすまないわ。ライアンはキャロルを・・・)
金属音がしそうな緊張状態を緩めたのは、非常に穏やかに落ち着いたライアンの声だった。
「これはシーク・イズミル。ご冗談がお上手だ。キャロル、こちらへおいで。
・・・いや、お前は一度部屋に戻ったほうが良いな。ばあや、キャロルを連れていってくれ」
ライアンは何の躊躇もなく義妹の白い手をイズミルの手の中から引っぺがした。キャロルは何か言おうとしたがリード夫人に促され、兄の言うとおりにした。
ライアンは黙ってキャロルの後姿を見送った。
「さて、シーク。リード家の当主たる私からもキャロルを無事に帰してくださったことについてお礼を申し上げる。
これでお国とリード・コンツェルンのプロジェクトについては何の隔てもなくなった。すぐにでも契約書にサインして懸案事項を片付けられる。・・・・そうすれば早速ご帰国になれますよ、殿下!」
ライアンは少し言葉を切ってから相変わらず穏やかな口調で言った。
「キャロルは私の妻となる女性です。あなたになぞ渡せない」

102
ライアンの刺すような視線からさらりと目を逸らすとシーク・イズミルは再度、リード夫人に向き直った。
「私は今すぐにでもお嬢さんを妻とする用意があります。キャロル・リード嬢はアル・シャハルで私の妻として‘シェイハ’の称号を許され、相応の敬意を受けるでしょう。
決して打算や気まぐれからの申し出とは思っていただきたくないのです。
どうか私に結婚の許しを」
シーク・イズミルはキャロルの兄であり、許婚であるライアンを徹底的に無視して見せた。
自分の申し出があっさりと受け入れられるとは思ってもいなかったが、ライアンの態度は生まれてこの方、人々に仕えられ、命令することに慣れてきた若者には許しがたかった。
ライアンがぐい、とシークの肩を掴んだ。ルカやロディが止める間もなかった。
「シーク・イズミル!私の言葉が聞こえなかったのですか?
キャロルは私の妻となります。あなたが世間知らずのあの子に何を吹き込んで誑かしたかは聞きますまい。
・・・・・シーク、私が穏やかでいられる間にお引取りを。人の婚約者を盗ったなどと噂になっては御身の名折れですぞ?」
「ミスター・リード!シークに対して何という無礼!」
息巻くルカを軽く制するとイズミルは自分に掴みかかる無礼な手をぎりりと締め上げた。
「未来の義兄殿に気遣うは私の努めであり、キャロルへの心遣いかとも思っていたが・・・こうも言われてはな・・・」
シークは何が起こったか咄嗟に理解できないライアンの体を軽々と投げ飛ばした。
だがライアンも負けてはいなかった。すぐに立ちあがると拳を握り、シークに重い一撃を食らわせた。
後はもう怒り狂った男達のいつ終わるとも知れない殴り合いだった。食器類は無残に砕け、家具は踊った。すさまじい音の中、リード夫人の鋭い声が飛んだ。
「二人ともいい加減になさいっ!」

103
「もうこれ以上の乱暴狼藉は真っ平です。ライアン、おやめなさい。シークもです。ロディ、壊れたものを片寄せて頂戴。ばあや、救急箱を・・・」
リード夫人はてきぱきと指図した。
秘書官のルカは主君の負傷に狼狽え怒った。これは国交問題になると息巻くルカはイズミルが制止しなければ宣戦布告でもしかねない勢いであった。
やれ怪我の手当てよ、片付けよと室内が混乱しているうちにライアンはぷいと席を立ち、出ていった。行く先はキャロルの部屋である・・・。

「キャロル、入るぞ・・・」
ベッドの上に起き直り、怯えたように自分を見つめるキャロルにライアンは寂しげに微笑した。
「ライアン兄さん、私・・・」
「何も言わなくていい・・・。お前は長い間、アル・シャハルで閉じ込められていた。精神的に不安定になって・・・心にも無いことをさも自分の本当の望みのように勘違いしてしまったとしても責められはしない。
さっきの求婚話のことは・・・もういいから。僕だけのお前・・・」
ライアンはキャロルをぎゅっと抱きしめた。懐かしいキャロルの香り、抱き心地、誰よりも愛しい、誰よりも欲しい・・・。
だが。
キャロルは自分を抱くライアンの腕から身を離した。
「いいえ、兄さん。私・・・もう兄さんのお嫁さんにはなれません。
私・・・私・・・シーク・イズミルを愛しているんです。ごめんなさい・・・」
キャロルは顔を強張らせ自分を凝視する兄に語りかけた。自分の気持ちを。リード夫人にしたように。
「ごめんなさい、兄さん。私、兄さんが大好き。それは今も昔も同じなの。
でも気づいてしまった、大好きだということと愛しているということは・・・違うんだって。
許して・・・ください・・・」
長い沈黙。やがてキャロルは耐え兼ねて伏せていた目を上げた。彼女がそこに見たのは冷たい炎を宿した黒曜石の瞳。
「言いたいことは・・・それだけかい?」
ライアンは固い声で言うといきなりキャロルの服を引き裂いた。

104
キャロルの悲鳴はライアンの唇に吸い取られ、行き場を失った。
頑丈な体躯はキャロルを縛める鎖となり、欲望は直截な男の動作となって性急にキャロルを求める。
それはこれまでの愛と慈しみのもう一つの面。猛烈な独占欲と狂気じみた嫉妬心。

─ライアン兄さん、嫌っ!やめて!お願いよ、嫌なの。許してください、許して、やめて!
─私は兄さんのものにはなれません。許してもらうためなら何でもします。
でも、でも、これだけは嫌ぁ・・・。お願い、やめて・・・。

キャロルは必死に抗った。シーク・イズミルを愛し、かの人に開かれる日を待つ自分の身体を・・・奪われたくはなかった。

─死んでしまう、死んでしまう、無理に・・・されたなら。
─助けて、助けて・・・!これは罰なの?兄さんを・・・メンフィスを裏切った・・・。

「キャロル・・・お前を幸せにしてやるから・・・だからお前を・・・」
ライアンはキャロルの死に物狂いの抵抗をものともせずに囁いた。深い悲しみと喪失感を胸の奥に閉じ込めて、無垢の身体を我が物とするために・・・。
「愛している・・・愛している・・・お前を失いたくない。誰にも渡したくない。お前が誰を愛していてもいい。僕がお前を愛しているから・・・っ!僕を一人にしないでくれ」
ライアンの声音に滲む哀しみを敏感に感じ取ったキャロルは不意に身体の力を抜いた。

(兄さん・・・。この痛みは・・・この哀しみは・・・兄さんの本当の心?
呑み込まれてしまいそうな深い深い孤独・・・兄さんの・・・。
・・・兄さんは前世のことなど何も覚えていないはず。でも傲慢なまでの強さに隠されたこの孤独な心は・・・)
(・・・・・・メンフィス・・・・・なの・・・・ね・・・・・)

キャロルの双眸から新しい涙が流れた。
「ごめん・・・なさい・・・」

105
ライアンは不意に抵抗を止めたキャロルの言葉に一瞬、動きを止めた。
(何もかも失ってしまう・・・。手に入れた瞬間に・・・。だが・・・)
ライアンはそっとキャロルの頬を撫でた。
「謝る必要はない。きっとお前を幸せにしてやろう。お前を僕に呉れ。お前はただ僕の傍に居ればいい。
・・・・・・・許しておくれ・・・・・」
ライアンはそういうと動作を再開した。目の前で震える真っ白な肌。
胸のふくらみに、その先端にくちづけてもまるで大理石像の冷たさ。嫌がる股間に膝を入れ、無理やりに秘所を探れば蜜ではなく冷や汗に濡れるそこ。
ライアンは構うことなく膝を開かせ、そこに舌を這わせようとした。
(僕は何をやっている?してはいけない。止めなくては。だがそんなことはできない。どのみち失うしかないのならいっそ・・・!)
キャロルの唇から絶望の悲鳴が迸る。

その時。

扉が開けられ、あまりのことに絶句したリード夫人が現れた。
「あ・・・・ライアン・・・・キャロル・・・・何故・・・・?」
気丈な母親とはいえ、目の前の凄惨な光景には言葉を失い立ち尽くすしかなかった。
「いやーっ!見ないで、見ないで、見ないで・・・・」
キャロルの悲鳴にロディ達が廊下を走ってくる気配がした。
ライアンは倣岸に言い放った。
「お母さん、席をはずして下さい。後で二人で報告に伺います・・・」
「ママっ、助けて・・・助けて・・・見ないで・・・そんなふうに・・・」
互いに家族としてこの上なく愛し合っていたがゆえに突然の出来事は深い傷をもたらす。

「何事だ?」
出入り口をふさぐような形で立ち尽くしていたリード夫人を押しのけて現れたのはシーク・イズミルだった。ただならぬ気配を感じたシークは客人としての立場も忘れ、邸宅を走り抜けキャロルの部屋を探し当てたというわけ。
だが目にしたのはあまりに衝撃的な光景だった。
「貴・・・様っ・・・!」
シーク・イズミルは肉食獣のような俊敏な身のこなしでライアンに襲い掛かった。ライアンはベッドから引き摺り下ろされ、首を締め上げられるような形で後頭部を思いきり床に叩きつけられた。
鈍い音がしてライアンは動かなくなった。もしリード夫人がシークに抱き縋って止めなければ、彼は確実にライアンの息の根を止めていただろう。

106
はぁはぁと荒い息を吐きながらシーク・イズミルはベッドの上で震えている少女に目を止めた。
服は乱暴に引き裂かれ、白い肌には無理やりにつけられた薔薇色の口付けの跡。細い手首はむごたらしい色の痣が出来ていて、キャロルの受けた恐怖と苦痛を物語っている。
「キャロル・・・」
シーク・イズミルはそっとその白い頬に触れようとした。だがキャロルはびくっと震えてそれを拒否した。
「何故だ・・・?」
「やっ・・・!触らないで、見ないでっ!私は汚れてしまったの。あなたに相応しくないの・・・っ!許して、許してください。シーク、ライアン兄さん、ママ・・・・皆・・・。
ああ・・・あああ・・・・・・・いやーっ!!」
聞く人の胸を引き裂くような悲痛な悲鳴を上げて泣き伏したキャロルを、しかしイズミルは無理やりに抱きしめた。
「許してくれ・・・お前をこんな目に遭わせた私を・・・っ」
シーク・イズミルは自分の純白の長衣を脱ぐと、しっかりと裸身のキャロルをくるみこんだ。もう何物にも愛しい者が傷つけられないように。
キャロルを抱いて立ちあがったシークは犯しがたい威厳と、鬼気迫る静かな冥い怒りの炎をその身に帯び、余人を近づけぬ雰囲気だった。
「リード夫人、私の妃はもう二度と私の傍からは離さない。このままキャロルは連れて帰る、私の国へ!彼女が幸せに生きられる場所へ!」
「シーク・・・!」
「あなたが娘御を愛しておられるのは承知している。しかしあなたがキャロルを愛し、必要としている何倍も私のほうが彼女を愛し必要としてるのだ。
夫として生涯かけて妻を守り幸せにしてやることが私にはできる。何の心配もご無用。もし・・・会いたいと望まれるのならいつでもお知らせ頂きたい。
さぁ・・・リード夫人。我ら夫婦はアル・シャハルに帰還する。またいつか・・・キャロルが家族に会いたいと望む日が来るといいのだが・・・」

シーク・イズミルは自分の胸の中で固くなったままのキャロルを抱きかかえてアル・シャハルの領事館に帰っていたのだった。シーク・イズミルは今回の件を人々が話題にすることを厳禁した。
君主に忠実な砂漠の国の人々は固唾を飲んで突然シェイハを連れかえってきたシーク・イズミルの私室を見守るのだった・・・。

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シークは怯えきった雛鳥のようなキャロルを一度もその胸の中から離さなかった。緊張して小さく固まったままの身体、きめこまかな肌をじっとりと湿らせる冷や汗、浅い呼吸、伏せた瞳から無言のうちにただ零れ落ちる涙・・・。
(可哀想に、可哀想に・・・。どれほど恐ろしい思いをしたか!もう二度とお前を恐ろしい苦しい目には遭わせないと幾度も誓ったのに・・・!
どうしてお前をほんの短い間とはいえ私の目の届かぬところにやったのか!)

シークの胸の中を支配しているのは言い知れぬ悲しみであり、後悔であった。不思議なことに・・・ライアンへの─そしてもし彼が前世というものを覚えているのならメンフィスでもある─怒りや憎しみは感じなかった。
ルカの運転する自動車の中でキャロルを抱きしめていたとき、少女の心の葛藤が音となり映像となり直接、彼の中に流れ込んできたのだ。

昔から愛し合ってきた家族。一度は結婚まで誓い合った家族とも恋人同士ともつかない不思議な強い絆。
男の想いはあまりに強くて、その強さゆえに愛するものを失った。あるいは包み込むような愛に息苦しさを覚えた娘は自分から飛び去ってしまった。
男は飛び去ろうとする娘に無理やりに楔を打ち込もうとした。惨い所業。
それでも。
娘は男を憎みきることはできない。男の深い孤独を知ってしまったから。縋るように愛を求める孤独な魂が少女の心の奥深いところを打つ。
育んできた絆の強さ。娘はこんな目に遭っても男に自分こそ‘許して欲しい’と思っている・・・・。

(ああ・・・この深い悲しみは、絶望に満ちた空虚は・・・癒されることのない孤独は・・・私の知っているものだ。
キャロル、昔メンフィスのものだったお前を際限もなく求めた時に。目の前でお前を死なせてしまった時に私は嫌というほどこの感情を覚えた・・・。
では・・・今度はライアンが喪失の哀しみに沈むのか。私のキャロルに無体を仕掛けたのも・・・あるいは前世で私が犯した罪の深さを知らしめるための神の御心か・・・)
シーク・イズミルはそっとキャロルを覗き込んだ。
「もう・・・何も心配しなくていい。もう大丈夫だから。私を許して欲しい・・・」

108
キャロルの目から新たな涙が零れた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、シーク。
私はもう・・・あなたに相応しくない。だって私は・・・見たでしょう?」
「キャロル、何と言うことを!そのようなことを言ってはいけない!たとえ何があろうともお前は・・・」
言いかけたシークの言葉は強い調子で遮られた。
「そんな言い方しないで!何もなかったの、何も・・・いやらしいことはなかったの!本当よ、本当なの!
でも・・・でも・・・私、シーク以外の人に触られてしまった・・・」
キャロルはぶるっと震えた。
「汚い・・・触られて・・・気持ち悪かった・・怖かった・・・。大好きな兄さんに・・・。ごめんなさい、シーク。ごめんなさい・・・」
白い長衣に大切に包み込まれて泣きじゃくる少女の痛々しさにシークは顔をしかめた。
キャロルをこんな目に遭わせたのは、そして慈愛に満ちた優しく頼り甲斐のある男であったはずのライアンを暴走させた責任の一端は自分にあるのだと思った。
「泣くな・・・。お前は汚れてなどいない。私の大事なお前を誰が汚れているなどと言うものか。お前はこの世で私が愛するただ一人の娘だ。
それを忘れては・・・いけないな」
シークはひょいとキャロルを抱えあげると隣室の浴室に入った。キャロルを抱きかかえたままシークはバスタブに暖かな湯を満たし始めた。勢いよく流れ出る透明な湯はあっという間にバスタブを満たす。
「さぁ・・・」
シークはキャロルをそっと湯の中に入れた。そして自分も袖をめくり上げ石鹸とスポンジを使って器用にキャロルを洗ってやった。
「あ・・・あのっ!シーク・・・!」
「可哀想に身体が冷え切っている。それに汗もかいて。私がさっぱりとさせてやろう」

109
キャロルが抗って逃げようとする暇も与えず、イズミルは白い身体を清めあげていった。ライアンの乱暴なくちづけも跡も荒々しい力の跡も消えよ、と。
白い肌は石鹸の泡に包まれ、男の心を騒がせる胸のふくらみも、脚の間の羞恥の場所も見えなくなってしまった。
キャロルの身体からも緊張が去り、息遣いには陶然としたような色合いが添うてきた。白い肌も薄く色づいてくる・・・。
シークはなおも器用に指を使い、キャロルの身体を隅々まで確かめるようにして清めあげていくのだった。その巧みな指使いに何時の間にかキャロルも酔わされていく。
「このままでは・・・洗いにくいな。それにお前ばかりそんな格好では落ち着かないだろう・・・」
イズミルはキャロルの耳朶にそう囁きかけると、自分も衣装を脱ぎ捨てた。
逞しく鍛え上げられた男の体を、あんな目に遭ったばかりのキャロルに晒すのは少々躊躇われたが、白い肌の誘惑には勝てなかった。
「あ・・・」
キャロルは初めて目の当たりにする男性の体を驚いたように見上げた。彫刻のように美しい筋肉に被われた均整の取れた体つき。
(まるで作りものみたいにきれい・・・)
だが作りものなどでない証拠に、その逞しい腰のあたりには濃い色合いの体毛が纏わり、見る人の視線を自ずとある一箇所に導くのだった。
それは過日、キャロルが半ば以上無理やりに手の中に握らされたイズミル自身だった。キャロルが知っている威厳と自信に満ち、優しいイズミルとは違ってそれは荒々しく恐ろしいまでに大きく思えた。
シーク・イズミルは子供っぽい好奇心を剥き出しにしたキャロルの視線に苦笑するとバスタブに身を沈め、膝の中にキャロルを抱き寄せた。
「そんなに見られては決まり悪いではないか。男のものなどグロテスクで醜いと思ったのではないかな?」
キャロルは反射的に首を振った。イズミルはくすっと笑い、なおも優しく悩ましい手つきでキャロルの身体を洗ってやり、筋肉を優しくほぐしていってやった。
「私のシェイハ・・・私のキャロル。もうどこにもやらない。ずっと私のそばに居ると約束してくれ」

110
「さて、と。日常の暮らしに困らないだけのものはすぐに揃えてやろう。
今日はこの部屋で大人しく過ごしてもらおうかな。もっともその格好では外には出られないだろうが」
シークは素肌に自分が貸してやった大きなシャツを羽織っただけのキャロルに言った。自分は早々に服を着こんだが、欲望は抑えきれない。
さすがにそれを処女に見せるのは躊躇われたのでシークは急いで体を被うゆったりした長衣を着こんだ。
「シーク、あの・・・」
「それ以上は近寄ってくれるな。私は乙女のままのお前を娶るつもりだから。こんな無粋な部屋でお前を女にしては可哀想だ」
イズミルはわざと明るくおどけた口調でキャロルを押しとどめてから、手を伸ばして優しく頬に触れた。
「もう何も心配しなくていい。全て私に任せてお前は安心してすごせば良い。お前は私のところに来たのだ。お前を愛する私のところに。
何もかも、これから新しく始まるのだ。分かるな?」
それはごく短い言葉。だがそこにはこれまであった全ての哀しみ、苦しみを浄化し昇華する暖かな真心が溢れていた。
キャロルはこくんと頷いた。
「少し雑用を片付けてくる」
シークは照れ隠しなのかわざとそっけなく言った。
「ありがとう。・・・・行ってらっしゃい。待ってます」
その暖かい声音でシークは自分が世界一の幸せ者だと確信した。まるでキャロルとそう年頃の変わらないのぼせ上がった少年のように。

領事館の執務室では難しい顔をしたルカが領事とともに主君を待ち構えていた。一国の摂政王子が、まるで三文小説に出てくる酔狂な男のように女を連れかえってきた!何ということ!
「ふむ・・・。言いたいことは多々あるだろうが、アル・シャハルの国民としてシークの妃になる女性への敬意だけは忘れぬように。
多少、当初の計画とは違ってきたが私はシェイハ・キャロルを伴って帰国する。リード・コンツェルンとの折衝は商務大臣を責任者として交渉その他を一任する」
シークはそう宣言した。今となっては自分が直接、リード・コンツェルンと関わるわけにはいかないのだから。

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