『 流転の姫君 』

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ヒッタイト王の帰国は凱旋のようで、城中がこの雄々しい王の帰国を祝っていた。
出迎えた王妃やイズミル王子と共に並んでいるキャロルの姿を見たときには王は以前見た時からの変貌振りに舌なめずりした。
以前はただの負けん気の強い、だが流されてしまいそうな儚さをもった姫だったのに華奢な身体には清浄でありながらも初々しい艶やかさが加わり、王子に愛された自信からかまるで女神のような神々しさに回りの者は自然と頭を垂れている。
一通り留守居の間の報告を聞くと、王は人払いをした私室にキャロルを呼び寄せた。
キャロルが剣を身に着け、王の待つ部屋へ入っていくと、王は無遠慮な視線をキャロルに向け、あからさまに「自分ものになれ!」と迫ったのであった。
キャロルは落ち着いた様で剣を鞘から抜き取り、刃を自分の首筋にあてがった。
「私はイズミル王子に見も心もお仕えすると誓った身です。
 国王陛下、王妃様には義理の両親として、またこの国を統べる方々としてお仕えさせていただきますがそれ以上のご無体をなさるおつもりでいらっしゃるならば、誇りを失う前に自害いたします。」
淡々と述べるキャロルの口調に覚悟の程を見た流石の王も驚愕した。
「そなたが死ねばイズミルはどうするのだ!婚儀の前ぞ!」
「その婚儀の前に私が汚されるような真似ひとつあれば、生きていくつもりなどございません。
 王子ならば私の心を理解してくれるはずですわ。」
キャロルの白く細い首にさらに刃が押し当てられる。
王は普段の冷静沈着なイズミル王子の隠された激情を思い出し、仮にこの姫がこのまま死んだ場合を考えると顔から血の気が引いた。

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「ほほほ、お戯れが過ぎましてよ、陛下。
 おふざけになるにしても度が過ぎます、姫、その光り物を直しなさい。」
何処にいたのか、穏やかな笑い声と共に王妃が姿を現し、王は知らぬ間に溜め息をついた。
「あなたの女道楽は存じてますが、お戯れは後宮の女達としてくださいな。
 この姫はそんな女と比べ物にならぬほど得がたい姫。
 このようなつまらぬ真似で失うなどすれば、イズミルがどれほど怒りましょう。
 さあ、陛下、明日は婚儀で御座います、国王の雄々しい姿を民に見せるのも王たる者の勤めですわ。
 今宵はごゆっくりお休みくださいまし。
 姫、そなたも明日の為に休んでおきなさい、もう下がってよいです。」
キャロルは暇を告げた。
王妃の機転に救われた形になった王は、王妃が自分が思う以上にキャロルのことを気に入っているのを感じ取った。
「そうそう、後宮の女を少々入れ替えましたのよ。ご覧になりまして?」
王妃の静かな声音を聞きながら、王はキャロルに手を出す事は容易ではないと改めて思った。
王の帰国と婚儀の準備で王宮内はざわめきながらも夜は更けていく。
皇太子妃として、未来の王妃としての風格は充分だと王も王妃に結局は同意せざるを得なかった。

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婚儀の後、キャロルとイズミル王子は忙しいながらも幸福な時間を過ごしていた。
名実共にキャロルを妃とした喜びは大きく、キャロルを貪欲に求め、キャロルも王子と共に過ごせる時間をどれほど待ち焦がれた事だろう。
だがヒッタイトを取り巻く状勢は刻一刻と変化しているらしく、国王や将軍を交えてイズミル王子も協議を欠かす事は出来なかった。
リビア王女を妃に据え、リビアの加勢もあり得るエジプトはこの先どうでるのか?
またアイシスを妃にしたバビロニアも侮るわけにはいかぬ。
秘密裏に運ばれてくる情報を元に流石の国王も難しい表情である。
王子は「姫を連れて状勢を調べて参りましょう」と自ら提案した。
新婚の姫に我がヒッタイトと同盟を結んでいる国々や治めている国を見せると言えばさほど奇異には思われないだろうと。
大げさにならぬ程度に兵を連れ、依然と同じように調査し、打つべき手があれば打ちましょう。
ヒッタイトに戻る直前にメンフィス王がキャロルを連れ去ろうとしたことやまたおぼろげではあるが、カーフラ妃との不仲も囁かれており、リビア国王の暗殺未遂事件などもあったと未確認であるが報告も入っている。
あの燃え盛る炎のような少年王は次にはどのような手ででてくるのだろう。
自らの婚儀で賑わっている最中、キャロルを拉致監禁し、妻となったアイシスにも明かさなかった何処となく得体の知れないラガシュ王も油断はならない。
キャロルの機転で城を破壊されたアルゴン王の怒りも相当なもので、反ってキャロルへの執着心も強まったとの話もある。
イズミル王子から出立の話を聞いてもキャロルは何も言わず頷いただけだった。
戦いがはじまる・・・と二人はお互いの瞳の中に確信した。

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イズミル王子とその妃となったキャロルは王族に相応しい豪華な衣装などは身に着けず、目立たぬ服装をし、各国の情報を隠密に収集する為に人目につかぬ旅に出た。
イズミル王子が厳選した屈強な兵達も庶民と変わらぬ服装をしているために、傍目には裕福な商人夫妻くらいにしか見えない。
王子の腹心の部下のルカも以前と変わらずキャロルを守る為に側に寄り添っている。
今はルカがキャロルを抱き馬に同乗し、指揮をとる王子の後を追う。
「ルカ!あれは・・・早く向こうへ行って!早く!」
ルカはキャロルの視線の先に目を止め、自分たちだけで列から離れ、雑踏の中へ入った。
「ハサン!ハサン!」キャロルの声が先を急ぐかに見えた商人の背中越しに掛けられた。
背の高い姿は確かにハサンだった。
「お姫・・・・!元気でいたかい?あれからどうしてるだろうと思ってたぜ!」
キャロルに会えた喜びに頬を綻ばせ、ハサンはキャロルの手を取った。
アッシリアの城が崩壊した後、キャロルはルカと共にイズミル王子に捉えられ、それ以降は商人仲間の情報からキャロルが皇太子妃として婚儀を上げたことは聞き及んでいたが少しの間一緒に過ごしたキャロルのことをまるで妹のよな面持ちで心配をしていたのであった。
だが今目の前にいるキャロルは目立たぬ布を頭からすっぽりかぶりともすれば顔の造作も見えにくいように用心していたが、表情は明るく、幸福そうに青い瞳も輝いているのを見て、ハサンも心も晴れたのである。
矢継ぎ早にハサンに話し掛けるキャロルの横にはルカもついていて、時折口を挟む様子にも以前のようにピリピリしたところもない。
そしてちらりとキャロルの後ろを見やるとそこには以前よりもますます威風堂々とした様子のイズミル王子が控えていてキャロルの結婚生活が幸福なものであることを覗わせていた。
「ねえ、ハサン、お願い、あなたの力が必要なの」
キャロルの言葉に、どんな頼みでもハサンは力を貸そうと即座に決断していた。
「なんだい?俺ぁあんたの願いならなんでもきくぜ、あんたの命令しか聞かない。
 黄金のお姫さんよ。」
ハサンの目は優しい眼差しでキャロルをみたが、口許はにやりと自信に満ちた笑みを浮かべた。

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キャロルが必要としたのはハサンの情報である。
商人ならではの情報は、王家の者が放つ密貞とは違った視点で見ていて庶民などの情勢にも詳しく、あちこち旅をするせいか土地土地の風土や文化、王宮と取引がある場合は王宮の内部などの情報にも通じている事もある。
また商人独自の情報網が存在していることも大きく影響した。
彼らは自由の身の上なのだ、自分の利益になる事は手を貸してはくれるだろうが王であっても不利益な相手ならさっさと姿を消してしまうだろう。
晴れて妃となったキャロルが自分以外の男に親しげに話す様子はイズミル王子には面白いものではなかったがキャロルがハサンをの必要性を話した事とルカがハサンのキャロルの可愛がり方をまるで自分の妹や娘のように思っている事などを進言すると王子も少なくとも表面上にはハサンの存在を不快に思っているような真似はしなかった。
エジプトについての情報よりも王子が重要ではないかと思ったのはリビア状勢の方だった。
カーフラ妃とリビア国王は野心的な点ではこれほど気性の合う者はいなかった。
ただその野心的な部分が重税を民に背負わせていること、またその政に注意をもたらすのがただ一人の皇太子なのだが、生来病弱な性質のせいか父や姉に疎まれ、半ば死ぬのを待たれているような状況らしい。
もしエジプトがヒッタイト相手に開戦しても、エジプトに恩を売るために喜んでリビアも参戦するであろうと思われる。
だが現国王の圧政に耐え切れず暗殺未遂なども起こり、今現在リビアも混沌としている、というのがハサンの話であった。

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キャロル可愛さに懇願されるまま、ハサンはキャロルやイズミル王子と共に暫くは行動をする事となった。
「ねえ、ハサン、あれから何処に行ってたの?」
キャロルがハサンに話を傾けると請われるままにハサンは商売で行ったあちこちの土地を話をした。
相変わらず好奇心旺盛で青い瞳を輝かせて聞くキャロルはやはりハサンにとっては可愛い妹のような存在であり、またより一層美しくなったことをキャロルとイズミル王子が仲睦まじく過ごしている事の成果だと心の中で祝福した。
その折ふとハサンはバビロニアのアイシスのことを口にした。
「そういやぁ、バビロニアのアイシス妃はなんでも懐妊したそうだぜ。
 まだ公布はしてないみたいだけどな。
 だがラガシュ王とはあんまりしっくりいっていないとかって聞いたなあ」
「そんな事までわかるの?」とキャロルが驚きのあまり大声を出した。
「当たり前だ、商人ていうのは客の必要品を売るんだぜ。
 王子であれ姫であれ、生まれるのが分かればいい商売だ。
 豪勢な布や宝石や他にもいろいろとな。そういう情報を必要とするからいろんなツテがあるもんだ。」とにやりとハサンは自信ありげに笑って見せた。
では身重の身体ではアイシスはエジプトにそう簡単に介入できないだろうとキャロルはそっと胸を撫で下ろした。
得体の知れないラガシュ王も恐ろしいが、アイシスの思い切った行動力も流石にあの炎のようなメンフィス王の姉だと言われるものだけはあるのだ。
殊にメンフィスが絡むとアイシスは恐ろしいくらいに冷徹になる。
キャロルはそれを知っている。
キャロルの青い瞳が不安のあまりいつも安心させてくれる琥珀色の瞳を探すと王子は眼差しで心配いらぬと伝えてきて、キャロルの口からは安堵の溜め息が一つこぼれ出た。
「そういえばメンフィス王は近々このあたりに視察に出るそうだぜ、
 なんでも建造したばかりの船を見に行くんだそうだ」
ハサンの言葉にその場にいたキャロルもルカも王子も一斉に表情が強張った。

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簡易に設えた寝台の中で、闇の中で目を見開きながらキャロルは知らず知らずのうちに溜め息を一つ吐いていた。
先ほどハサンやルカと交わしていた雑談の声が耳から離れない。
「・・・この辺りは今この時期は砂嵐が多いんだ、気をつけないとな・・・。」
キャロルの頭の中で様々な考えが浮かんでは消え、浮かんでは消える。
「どうした?なにやら寝付けぬようだが・・・。」
イズミル王子の腕がキャロルに回され、そのまま胸のうちに抱き寄せられた。
「眠っているとばかり思っていたわ・・・王子」
「横で溜め息ばかり吐かれていては、気になって眠れぬわ、ふふん」
王子が微笑みながらキャロルの額にかかった髪を払い、安心させるように軽く背中を叩く。
自分を気遣ってくれる行為にキャロルは嬉しくなり、自分も腕を王子の身体に回してみた。
「・・・何か気にかかることでもあろう、申してみよ・・・。」
昼間とは違う、自分にしか分からない優しい声音はキャロルを安心させ、問われるままにぽつりぽつりと、時折考え込みながらも静かに話した。
聞き終えると王子はキャロルにまわした腕に力を入れ強く抱きしめた。
「・・・やはりそなたの英知は素晴らしい、試してみるがよい。」
「うまくいくかどうか分からない、でも・・・メンフィスには・・・こうでもしないと・・・。
 お願い、私を抱いていて・・・。恐いけど・・・でも・・・しないわけには行かない・・・。」
キャロルは分からなかったが、王子がキャロルを見る眼差しはとても優しいものだった。
戦いはいや、でもメンフィスにこの幸福を壊されたくはない、とキャロルは王子の胸のうちに呟いた。
外の風の音がテントを揺らし、その存在をキャロルに印象付けた夜であった。

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決戦の場はシリア砂漠だった。
イズミル王子の率いる少数の兵は切り立った崖の下に集結し、広い砂地を開けてメンフィス率いるエイジプト勢とにらみ合っていた。
雲行きが少し怪しくなり、風邪のうねりがきつくなる。
はためく衣装の裾を押さえながらもキャロルはルカと共に馬上でこちらを異様にぎらつく眼でにらむメンフィスを見据えた。
偽の情報を流し、キャロルがイズミル王子と共にシリア砂漠を少数の護衛のみでいくと誘い出したのである。
キャロルに執着するメンフィスには千期万来と思えたのであろう、ヒッタイト勢がここの場所へ逃げ込んできたように思っているに違いない。
「キャロルを寄越せ!我がエジプトの聖なる娘だ!
 婚儀は中断しておるが我が妃であrることに変わりはない!」
メンフィスの声が、風の中に響きわたるが、イズミル王子は冷笑したに過ぎなかった。
「ナイルの姫は名実共にイシュタルの祝福を受けた我が妃だ!どうあっても渡さぬ!」
メンフィスの横にいるミヌーエ将軍も、天候が気になるのか幾度か空を見上げたりしつつ何事かメンフィスに話している。
二つの軍勢はいつ爆発するやもしれぬ、張り詰めた空気の中で互いの一挙一動を見つめながら、手に手に武器を握り締めている。
キャロルの後方にひっそり控えたハサンが、何事かに気付いたように顔を上げ、遥かに離れた空と砂漠の交わる地点を見てキャロルに囁いた。
「もう少しでくるぞ、お姫さん!」
キャロルはこっくりと頷いて、弓を手にとった。

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キャロルはルカから矢を受け取り弓を構えた。
「私はヒッタイトの皇太子妃です!これ以上私に構うなら攻撃します!」
狙いをメンフィスに定めるキャロルを見てもメンフィスはあざ笑っただけだった。
「そなたにできるわけなどないわ!戦というものをあれほど嫌っていたそなたに!」
キャロルの手から矢が次々に放たれ、メンフィスの肩や腕に突き刺さり騒然となっていく。
それがきっかけとなり、互いに攻撃が始まる。
矢が飛び交い、エジプト勢が突進してこようとしている。
「おのれぇぇ!キャロル!」
矢を抜きながらメンフィスが剣を握り締めて吼える。
メンフィスには信じたくない事実であった。まさかキャロルが自分に向けて矢を放つなどとは考えたこともなかったのだ。
が、先鋒に走ってきたエジプト兵が馬もろとも砂にのまれて行くのをみて、ミヌーエ将軍が止めさせる。
キャロルの横ではイズミル王子が指揮を冷静にとっている。
キャロルはまた矢を番えてメンフィスに向けて放ったが、その矢を受けたのは唐突に横からメンフィスを庇うように飛び出してきたカーフラ妃だった!
だんだんと自分がメンフィスの寵を失っていくのを引きとめようと、必死にメンフィスの後を追いやってきたのだ。
「メ、メンフィスさまぁ!」
「カーフラ!何故ここに!」
カーフラは腕に矢が突き刺さったに過ぎなかったが、大げさに泣き喚いている。
ほんの少しメンフィスがカーフラに注意をとられている合間にも風はどんどんときつさを増していき、空はには黒い雲が広がっている。
そしてキャロルの待ち焦がれたものが接近してくるのが目ではっきりと確認できた。
「姫!退却せよ!急げ!」
イズミル王子の声でキャロルと一緒に馬に乗っていたルカは手綱を引き、ヒッタイト勢は崖の下にある奥深い洞窟に姿を消した。
ここに至ってミヌーエ将軍も竜巻が接近してくるのを確認し、メンフィスに避難を促した。
キャロルは洞窟の奥でイズミル王子に抱き寄せられながらも、竜巻の通過していく轟音をただ祈りをしながら聞いていた。
長い時間が過ぎたように、キャロルには感じられていた。

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物憂げな表情をしたキャロルは気だるい身体を寝台の上で休ませ、窓の外から暖かい季節に移っていく庭の様を見ながら回想に耽っていた。
あの後竜巻が去り外に出てみると、幾人かのエジプト兵の死体があるだけでメンフィスの姿やミヌーエ将軍などの姿は見えなかったので助かったようだった。
だがその後もメンフィスは自分を諦めた様子ではないと折にふれ聞かされたがあの小競り合いのあとは直接キャロルを奪おうとすることはなくなった。
その時カーフラ妃が命を落としたのかどうかは知らない。
だが行方不明となっているのは確かだが、キャロルやイズミル王子が懸念していたリビアの参戦は同じ頃にリビア国王が急逝し、病弱と言われていた皇太子が即位したことでリビアの政の方針が変わり、無益な争いを由としない新国王がカーフラの行方も不問とすることでケリがついた。
バビロニアに嫁いだアイシスは女児を死産したことからかラガシュ王との仲も怪しくなっていた頃、ラガシュ王は、原因不明の奇妙な死を遂げた。
気性が合わず軟禁状態におかれていたラガシュ王の弟が即位し、アイシスは再びエジプトの女王となるべく帰国した。
血縁と結婚することをしきたりとしたエイジプト王家はアイシスの帰国を喜びアイシスは念願のメンフィスの妃として君臨した。
そしてアイシスが切望したメンフィスの和子を懐妊したのを確認するようにあの炎のような激しい気性を持つ若い少年王は急逝したのである。
キャロルはブラウン教授とともに見たメンフィスの棺の上に添えられた花束のことを思い出した。
あれは・・・アイシスがしたのかしら?

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