『 流転の姫君 』

51
キャロルの努力の甲斐あて弓矢の扱いは上達の兆しを見せた。
王子はキャロルの手に合う細身の剣を作らせキャロルに与え、接近戦の際の防御の術なども教えた。
キャロルの日々は多忙を極めた。
武術の鍛錬だけでなく、ヒッタイトでの王宮でのしきたり等を覚え、政の相談なども王子と交わした。
面白くないのはヒッタイト王宮にて媚びを売ることを生業とした女たちであった。
国王不在の折、身体を磨く事のみしかすることのない、暇を持て余した女達。
その昔イズミル王子が情けをかけたこともあったが、今の王子はキャロルしか目に入らない。
表面上は和やかに交流を持とうとキャロルのところまで出向いたが、実際は女同士の陰湿な争いを目論んでいる。
ムーラは一目見てその目論見を見抜き、キャロルに会わそうとはさせないが食い下がる女達の声にキャロルがムーラを諌め、ほんの少しならと招きいれた。
其々に容貌に自信のある者ばかりだったが、キャロルを見て言葉を失った。
美しく輝く黄金の髪とナイル川を思わせる青い瞳、白く透き通るような輝きの肌を持った華奢な少女。
だがキャロルを取り巻く雰囲気は以前ちらりと垣間見た時のものとは全く違っていた。
滋味深い優しさを以前から持っていたが、その優しさにはまわりに流されそうなどこか脆いものを含んだものだった。
だが今のキャロルには芯の強さを感じさせる、誰もが敬服するような威厳と気品を併せ持ったものに変化していた。
そしてキャロルの弓矢や剣を身に着けた姿に驚愕した女がやっとのことで
「なんですの?そのお姿は。戦でも始められるのですか?」と嘲りを含んで言うのが精一杯。
「そうですわね、王子が望んで下されば何処へなりともお供いたしますわ」
にっこりと微笑むキャロルに勝てるものなど居らず、女達は始めの意気込みはどこへやら、ムーラに追い出されてしまったのである。

52
憤りを感じた女達はそのまま王妃の下へと馳せ参じた。
国王に甘やかされて増長していた女達は、王妃が自分達の味方をすると信じて疑わなかった。
姫と呼ばれながら、あのように武術をするだなんて一体何を考えているのでしょう。
この王宮で私達を蔑ろにするだなんて、私共は和やかにひとときをご一緒させていただきたかっただけですのに・・・。
王子様はご存知なのでしょうか?
困ったものだと表情に出しながら呆れて口許に笑みの浮かんだ王妃が、王子の名前を出した途端にすっと立ち上がり、女達を睨み付けたのである。
「ナイルの姫は王子と共にこのヒッタイトのために戦うと申しているのです。
 姫の携わるは政じゃ、そなたらと格が違う!控えなさい!
 ナイルの姫はイズミルが選んだ妃、その姫を愚弄するは我がイズミルを愚弄するも同じこと!
 そなたらはこのヒッタイト王家を愚弄したのです。
 そのような女を置いておく謂れなどありませぬ、衛兵!この者達を処分なさい。」
王妃の穏やかな口調でありながら、その眼は恐ろしく冷たい。
女達が必死に取り繕うとするのを傍目に王妃は続ける。
「そなたらが居らぬでも困る事はなかろう、代わりはいくらでも居るゆえ。
 陛下には謀反人ゆえ処分したと伝えておきましょう。」
やはりあの冷静沈着な王子の母、侮る事なかれ、と女たちが思い知った時には既に遅かった。
衛兵に取り押さえられ連れ去られる女たちを尻目に王妃はふっと溜め息をついた。
「私ももう少し強ければ戦にお供したやもしれませんわ・・・。」

53
ヒッタイト王妃の怒りを後宮の女達が買い、粛清された話は瞬く間に王宮中に知れ渡り性や官位を問わず、あちこちで噂話に花が咲いた。
普段は穏やかで王宮を取り仕切り、国王の補佐をする王妃の怒りを買った原因がナイルの姫君にあり、王妃が高い評価を下し後押ししていることも、結局王妃の揺ぎ無い地位の再確認とキャロルの皇太子妃としての地位を確実なものとした。
以前は王妃に後押しされイズミル王子の妻となる事だけを望んでいるミラにも容赦なく噂話は耳に入ってきた。
か弱いお体なのに敢えて武術の鍛錬をし、傷だらけになっていらっしゃる姫君に王子様は毎晩のようにお手ずから手当てをなさるのだそうよ。
将軍や大臣達も姫君の英知には一目おき、ご意見を伺おうとされるのだけれど決してでしゃばった真似はなさらず、民のためにならと今までにない策を出してくださるとか。
王子様はご多忙の中、武術の手解きもなさり、お体があくとすぐ姫君の元へお帰りになられるそうよ。
女官や召使にもそれはそれはお優しいお言葉をおかけになるとか。
お仕えしてる者は皆率先してお世話をしたがるそうよ。
王子への恋慕とキャロルへの嫉妬でミラは気が狂いそうだった。
キャロルが現れるまではミラが王妃の後押しもあり、時期皇太子妃候補として王宮でそれなりの待遇を受け、ミラ自身そう思って王妃や王子に仕えてきたのに肝心の王子はミラの存在すら気にもかけないで、キャロルばかりを離さない。
この思いを何処へ向ければよいのか、ミラはあてもなく歩き回り、いつしか王子の部屋の方へ足を向けていた。
静かな様子に誰もいないのかと中を覗うと、暖かく設えた部屋の中でムーラやルカに休養を取るようにさせられて、うとうとと眠り込んでいるキャロルの姿があった。

54
長い黄金の髪は少し乱れて波をうち、花のような顔は見るものの心を惹き付けた。
ムーラが細心の注意を払ったのであろう、ヒッタイトの衣装の紅色もキャロルの透き通るような白い肌を強調し、ますます美しく見えた。
袖が少しずれた細い腕には怪我でもしたのか手当ての後が見て取れ、噂どおりなら王子がしているはずと、ミラの胸に嫉妬の熱い炎が一気に燃え盛った。
もうミラにはその手当てされた腕が憎らしくて堪らなくなり、いつしか持っていた短剣をキャロルに向け振り下ろそうとした。
「何をするの!」
キャロルの声と自分の右手が痛むのにミラは目を見張った。
細い剣を手に刃先を自分に向けて、キャロルの青い瞳が真っ直ぐに自分を射ている。
「・・あなた・・ミラ、何の真似なの?」
ミラがキャロルに向けた短剣は床の上に転がり、持っていた右手からは血が滴り落ちた。
「・・何故私が皇太子妃でないの?私はもう何年も待ったのに!
 以前私はあなたを逃がしてあげたでしょう?王子様が嫌いだって、いやだって・・・。
 なのにどうしてあなたが王子様の側にいるの!」
それはミラの叫びだった。
「王子様の為なら何でもするのに、どうして私じゃいけないの!」
ミラの鬼気迫る形相にキャロルの顔も青ざめ、足は少しづつ後ずさりをしている。
落ちていた短剣をゆっくりと拾い上げ、ミラはまた持ち直した。
「あたさえいなければよかったのに!」
刃先が肉に食い込む嫌な感触をキャロルは味わった。
「・・王子・・王子・・・どうしよう・・・。ああ・神様!」

55
キャロルの細身の剣は深々とミラの鳩尾に突き刺さっている。
キャロルの目にはまるでスローモーションで見るようにゆっくりとミラが膝をつき倒れていくように映っていった。
「姫君?何事かございましたか?」
流石に異変を感じたのであろう、ルカがイズミル王子と共に現れ部屋の惨状に目を見張る。
「何があった?姫。」
未だに何をしたのか理解したのかわからないような呆然としたキャロルを引き寄せ王子は青い瞳と視線を合わせた。
「ミ・・・ミラが・・私が休んでいたら・・急に短剣で・・襲ってきたの・・。
 一度振り払ったから諦めると思ったのに・・・なのに・・・。」
何事かとムーラや女官たちも集まりだし、あまりの事に声も出せない横でルカがミラの傷を調べ、目配せで王子にミラが助からない事を告げる。
「誰か医師を!」とムーラが指示しようとするのを王子は押し留めミラを見た。
既に虫の息となりつつあるミラは苦痛にうめきながらも王子にすがろうとする。
「・・王子・・さ・ま・・・・私・・・王子様だけ・・・を・・お慕って・・・・」
王子に手を伸ばそうとしているミラに王子は言い放つ。
「姫を襲うとはな、この謀反者をさっさと切り捨てるがよい。」
その言葉にミラの目が哀しい色合いで見返してくる。
傷口からはとめどなく血が流れ、床には真紅の血溜りが見る間に大きくなっていく。
「・・姫さえいな・・けれ・・・・私・・妃に・・・なれた・・・は・・・ず・・」
キャロルはミラの言葉を聞き、王子を思うのは自分も同じと感じると涙が溢れて止まらない。
だが王子は剣を抜くと無常にも「ではこの私が引導を渡してやる!」とミラの胸に剣をつきたてたのである。

56
キャロルは一人寝台の上で蹲っていた。
自分がとどめを刺したわけではないが、ミラに剣を突き立てたのは紛れもない自分である。
剣が突き刺さった嫌な感触がいつまでも手に残る。
自分がイズミル王子を愛しているのと同じように、ミラも王子を愛していたのだ。
同じ人を愛してしまったのに、どうしてそれがこんな事になったのだろう?
自分はラガシュ王やアルゴン王、メンフィスに翻弄されない為に武術を習ったのだ。
なのに何故ミラを殺すような真似を、いや殺したのだ。
「・・姫・・・少しは落ち着いたか?」
イズミル王子が静かに近寄って、そっと寝台に腰を下ろした。
ふと王子を見やるとそこにはミラを刺したキャロルの剣が、きちんと鞘に収められて王子の手に握られていた。
「もう・・その剣は見たくない!・・ミラを・・殺してしまった剣なんて・・・。」
キャロルは小さな子がするように、首を左右に振って拒絶を示した。
「まだ助かったかもしれないのに・・どうして?どうして王子は・・・。」
「あの傷では助からぬ。とどめを刺したは我が情けよ。
 仮に助かったとしても、ミラも王宮に仕えた女だ、死に勝る屈辱に身を任すよりは死を選んだだろうよ。」
王子の声は淡々と何の感情も入っていないような静かな声音だ。
「何故?何が死に勝る屈辱なのよ!」
王子の言葉にキャロルは涙を溜めた青い瞳でにらみ返した。
王子は一つ息を吐くと、琥珀色の目で見つめながら答えた。
「皇太子妃であるそなたを殺害しようとしたのだ、これが反逆でなくてどうするのだ。
 残る生涯を牢に繋がれ罵られて過ごすことになろう、私がとどめを刺したのはただ情けをかけたに過ぎぬ」

57
「そんなのってあんまりだわ!ただミラはあなたを愛しただけ!私と同じように!」
キャロルは思い余って叫んだ。
どうして同じように王子を愛したのに、どうしてこんなことを言われなければならないの?
「そなたの優しい心根は知っている、だが殺そうとした者までに情けはいらぬ。
 それに私はそなたを我が妃選んだのだ、ミラではない。
 そなたこそが我が妃、イシュタルに祝福され共に国を統治する者だ。
 今はまだ分からぬかも知れぬ、だが賢きそなたのことだ、必ずわかるであろう。」
王子の瞳には何故だか哀しい色合いを帯びているようにキャロルは見えた。
王子はそっと手を伸ばしキャロルの頬に触れようとしたが
「ミラの血に汚れた我が手は疎ましいか?」と敢えて触れないように手を止めた。
「今宵はまだ目を通す書類がある、そなたは休むがよい」
王子はキャロルの剣を寝台に置くと静かに行ってしまった。
王子の眼にある哀しげな光を自分は知っている・・・・としばらく経ってからキャロルは気がついた。
先ほど王子の話した事は全てが事実であろう。
もしミラが生きていたとしても、自分を殺そうとした咎の為に、やはり処刑されてもおかしくないのである。
分かってはいても感情が許さないのだ。
王子の哀しげな眼は一体何を意味するのか?
ミラを殺したことを悔いているのではないだろう、あの光は自分に関係あるのだ。
どこかで見た事がある、自分は知っている、身近にいた誰かと同じ光・・・。
そうだ、ライアン兄さんだ、とキャロルは思い当たった。
仕事の事を考えている時のライアンの眼と同じ。
パパが亡くなってリードコンツェルンを引き継いで指揮をとるライアン兄さんと同じだ。
ではあれは・・・王の眼なのかしら?

58
キャロルは現代にいた頃を思い返してみた。
ライアンはよく一人で、眉間にしわを寄せて難しい顔をして考え事をしていた。
自分が声を掛けると、その時は優しい兄の顔になり笑みを浮かべ、先ほどの王子と同じ眼の光は薄らいだ。
キャロルが懸命にライアンを気遣い、手伝おうとした時に、困ったような笑みを浮かべて
「こればかりはね、いくら可愛いお前にもどうにできないんだよ。」と・・・。
形は違えど王子もライアンも大勢の人間を統治するのだ、その2人に共通なもの・・・。
パパはあんな眼はしていなかったわ、仕事が上手くいかなくてもママといれば大丈夫といつも笑ってた。
・・あれは・・・孤独だ、とキャロルは一気に目が覚めたように気がついた。
王たる者ゆえの孤独なのだ。
どんなに忠実な家臣がいても、それだけではだめなのだ。
国を司り、諸国と渡り合い、戦もせねばならない。国の為に人も殺さねばならないだろう。
冠たる者同士しか分かり合えない孤独ゆえに、王子はミラではだめだと言ったのか。
共に分かち合い理解し合える、その存在だからこそ、王子は自分を求めたのだ。
確かに自分は王子を愛している、だが王子が自分に求めたのはもっと強固な絆だったのだ。
そしてそれをキャロルが受け入れられるかどうか、王子は待っているに違いない。
傷だらけの手は何のためだったのかしら?
王子と生きるために強くなろうとしたのでなかったかしら?
もしあの時王子がミラにとどめを刺さなかったらどうなっていたのだろう。
きっと私がミラを殺したと自分を責め続けるから、罪は王子がかぶろうと私をかばったんだ!
なのに私は王子を責めた・・・。
こんな私を「そなたにはわかる」と待っている!
「行かなきゃ、王子のところへ」
キャロルは寝台から降り、そして自分の剣を手にとった。

59
王子の部屋にはまだ灯りが燈っていた。
ここは王子の私室で積み上げられた書物や粘土板、使い込まれた武具などが整然と並んでいる。
片隅には寝台も設えてあったが、キャロルと共に帰国してからは毎晩のようにキャロルに宿居をするのがこのところの王子の習慣となっていてここで眠ることはなかった。
キャロルは改めて王子の様子を伺った。
王子の明るい茶色の髪は長く床に流れ、物憂げに書類に目を通す端整な顔は、キャロルにはあまり馴染みのない表情だった。
「どうしたのだ?眠れぬのか?」
キャロルに気づいた王子は普段どおりの落ち着いた物腰である。
「そのような薄着では風邪を引こう、こちらへおいで」
王子のところへ急いでくる事ばかりを考えて、自分の身仕舞をすっかり忘れていたことにキャロルは気がついた。
薄絹の夜衣のまま、キャロルは剣を手にして王子に近づいた。
そして王子の手を取り自分の頬にあて口づける。
この手がどんなに血で汚れていようとも自分は愛しているのだ。
どのような試練があろうとももう逃げない。
「・・ごめんなさい・・。私・・・もう逃げません。どんなに辛い事があっても乗り換えるわ。
 だからあなたも、私の罪までかぶらないで。あなたの重荷にはなりたくないの。
 ちゃんと自分で受け止めるから・・・。」
王子の琥珀色の瞳は嬉しそうに細められ、手はキャロルを抱き寄せた。
「そなたなら・・・と思うておった。だが無理はせずともよい。その剣も見たくなければ・・・。」
「いいえ、これから先も使います、戒めとして。あなたと一緒なら頑張れるわ、きっと。」
キャロルは剣を床に置くと手を王子の首にまわし、王子に口づける。
「時々泣いたりするだろうけど、でも、頑張るから、強くなるから」
キャロルの言葉に王子は声をあげて笑った。
「あまり強くなられても困る、私の猫は寂しがり屋で泣き虫なのは知ってるいるからな」
形のよい手だが、武術を嗜む無骨な手、だがキャロルに触れる時はいつもこの上ななく優しくなる手。
その手が血で汚れていようと構わない、どれほどの罪があろうとも、私もそれを受け入れよう。
王子の暖かな胸の内でキャロルは呟いた。

60
その夜、イズミル王子とキャロルは契りを交わした。
それはまるで神聖な儀式のようにキャロルには感じられた。
未知を畏れる気持ちがないわけではなかった。
なのに王子はキャロルの腕や足についた青痣や傷すらも、それが自分と一緒に生きようとする為につけたものだから、どんな小さな傷ですらいとおしいと口付けされているうちに畏れはいつしか消え去った。
民を統べる者はいつも見えざる敵を抱えるようなものだ、いつ寝返った家臣に寝首を繋られるかわからぬ。
油断はならぬ、隙を作れば死ぬ。だが一人で戦っていればいつか疲れきり戦えなくなる。
だからこそ魂を分かち合う者がいれば、どんな敵にも立ち向かえられる。
私はそなたを得た、そなたを失うこと以外何恐れることはないだろう・・・。
熱い吐息の中にキャロルは王子の今までの孤独を知り、新たな勇気が湧き出してくるのを感じた。
絡み合いもつれ合う茶色の髪と黄金の髪、幾度となく繰り返される抱擁と口づけ。
私ももう迷わない、あなたが罪を犯すなら私も同様に。いつでもあなたと共にありたい。
口付けを受けながらもキャロルも繰り返す。誓いの言葉を。
経験した事のない甘い苦痛を感じながら夜が更けていく。
生まれ変わるのだ、とキャロルは甘美にのたうちまわり呆然とする頭の中でぼんやりと思った。
素肌に直接感じる温もりが酷く心地よかった。
大勢のざわめきが耳に届く頃、キャロルは王子の腕の中で
「国王陛下がお戻りなされました」と報告するルカの声を聞いた。

 TOP 

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル