『 願い 』

31
(えっ?!王子?)
「許さぬと言うのか?この母に?…何故庇う、この母よりも大事だと申すのか?」
「大事…あぁ…その言葉よりも、相応しい言葉がありますよ母上…」掴んだ手を放すと「私は…そこにいる娘を、愛しているのですよ…」
「お…王子?今…何と?」呆気に取られ目をしばたかせた
「ふっ…何度も言わせたいのですか母上は、これはお人が悪い」と笑う
「して?その他にも、何かあるのでしょう」顔から笑いが消える
未だボーッとしていた王妃だったが-----
「あっ」やっと思い出したのか、王妃の顔に戻ると「父上から書状が届きました、ミノアの探査を終えて三日後に帰国するそうです」
「父上が?」考え込む
「王子?」
「わかりました、母上わざわざ有難うございます、他に御用は?」
「ほほ、王子は余程私が邪魔とみえる、が、まぁ良い、楽しい事を聞かせて貰いましたからね」とムーラと共に部屋を出て行った
回廊に出ると、王妃はじっと考え込んでいた
(ムーラに問い詰めても、決して言わなかった…だから王子の宮殿まで参った…何故?王子は、ああもいきり立つ?たかが女の一人や二人の事で?)
「ムーラ…そち、王子の世話ばかりしている訳ではあるまい?」
「……」(王妃は、どこまで気が付いておいでなのか?)
「誰じゃ?」
「王妃様、私は王子の乳母…王子以外の世話など致しませぬ」(私が言うわけにはいかない…)
「ふふ、相変わらずムーラは王子に甘いのぉ…まぁ良い、今は聞かぬ事にしましょう」と王子の宮殿を後にした…

32
「驚かせてしまったな…」寝台の奥に、置物の様に動かずにいるキャロルの元へ戻るとその白い剥き出しになった肩に手を置き、そっと抱きしめる。
「母の目には、私は未だに子供に映るというわけか」大げさに溜息をつき…おどける様に笑い掛けてくる
強ばりが少しずつ溶けてくる…男の腕の中で何度か浅い呼吸を繰り返し、深く息を吸い大きく吐き出す-----そして、スッとその腕の中から身を引くと、尋ねた-----

「王子は…どうして?…どうして…私の事を言わなかったの?」
「姫は、言われたかったのか?」からかうように、問われると
(王子に…下手な小細工は通用しない…聞くしかないわ)
「……王子は、エジプトを手に入れる気なのでしょう?…」

心が浮き立つ…この感覚-----(久しぶりだ…)
「…さて…姫はどう思う?」楽しそうに、問い返されると
(…真剣に取り合ってすら貰えない?…その資格すら今の私には無いと?…意見など認めないと?)
湧き上がる怒りに、指先から血の気が引いてゆく-----
「…イズミル王子、私は真剣に聞いているのです。以前の様に私を利用するつもりですか?」

33
(メンフィスの元には戻らない…でも…守りたい…私の為に戦を二度と起こすものか!)

「そうではない…」射抜くような視線を、さらりと受け止めて
(強い信念を持つ、青い瞳…この瞳に魅せられ、惹かれ、焦がれ続けているのだ-----)
「何がですか?」
キャロルの瞳から目を逸らさず、瞬きを忘れたようにじっと見つめ続けて
「気にして欲しいのは、そこではないという事だ」(生気に満ちた声…もっと聞かせておくれ)
「?!…」謎掛けをしているような、的を得ない答えに、まるでわからないとばかりに見つめ返すと
「私が気にして欲しいのは…『愛している』と言う言葉なのだがねえ…」
「…なっ何を!ふざけないで…」真っ赤になって怒るキャロルに
「ふざけるなどと…先程の言葉に嘘などない」と言うと、傍に落ちていた守り刀を握らせる

「何故ごまかす?そなたは…もう気付いてくれているのでは…ないのか?」
「ぃ、今はそんな話よりも大切な話を」キャロルの言葉は激しい声で遮られた
「そんな話?その事より大切な話など私には無い」(気付いているのだろう…?)
「……」(怖い!この人の心が…怖いくらい真剣な心が響いてくる…)
「…答えたくなければ、答えなくとも良い…」
「先程の問いに答えよう…いつかは手に入れる、いつかはな…」この話は終りだとばかりに、入り口へと歩いて行くと「私は、急ぎ取り掛からねばならぬ用事が出来たゆえ」と、扉を開き、回廊に控えている者に何事かを命じた後
「姫、逃げようなどとは考えぬ事だ!…わかっておろう?」
「----良い子にしているのだぞ」留守番を命じた子供に話す様に言うと、笑いながら部屋を出て行った。

34
「評議の間に参る!将軍を呼んでおいてくれ」と伝え、こちらに向かって小走りにムーラが来るのが見えるとムーラの元へと歩み寄る。
「…王子、お呼びでございますか…」何度も宮殿の行き来を繰り返す、ムーラの息は上がっていた
「ムーラ!そなたには随分と忙しい思いをさせているようだな」
その原因は全て自分だと、意味を含んだ笑顔に、つられて(その通りですよ)の意味を含めて笑い返すムーラ…

(…いつもの王子に戻られた…)この何日間…見ることの無かった王子の笑顔に安堵しながらも(先程の王妃様との一件も、無かった事の様に思えてしまう)
「いえ、私は平気ですよ。でも心配して下すって嬉しゅうございます」と王子を見つめる。
「王子!お召し替え致しましょうか、ささっこちらへ…」慌ただしく侍女を呼び付け、支度を整えていった-----

評議の間に将軍と、将軍の命でキャロルを捕らえた王子直属の腹心の部下達が、王子の来るのを傅き、待っていたやがて、王子が部屋に入り、兵士達を見渡すと

「…さすが将軍だな…話が早い」将軍が部下達を全員呼び寄せていた事に、満足そうに頷き、最前列に控えている者に視線を合わすと「恐れ入ります、王子、して?召集のご用向きは?」将軍と呼ばれた、眼光の鋭い初老の男の問いに「王が、三日後に戻られる事になった…今、ナイルの姫が我が手にある事はここに居る者と、後は数人の召使い以外は知らぬ事だ」
「他言はしておらぬな?」王子のいつに無く、厳しい問いに一同は大きく頷くと「王にも王妃にも、まだ知られてはならぬ」兵士達の顔に一瞬疑問の表情が浮かぶが、王子は構わず続けた

35
「重ねて申す他言は無用!そして街中に布令を出せ!」真剣な表情で王子の話を聞く兵士達
「…いいか、文面はこうだ…王子イズミルは、二つと無き、珍しい物のみを所望している…とな」

「王子!恐れながら申し上げます、それでは先日の砂漠での戦闘後、王子のご無事を諸国に知られる事になりますが?特にエジプトは油断しております。今こそが好機と思われます、その上ナイルの姫様も得られてますのに?」首を傾げて王子の返答を待つ-----
「ふっ…だがな、既に諸国の間者、特にエジプトの間者は数多く潜入しているはず…」
 (メンフィスならば、姫が行方知れずとあらば、まずは私を疑うはず…)
「ならば、イズミルここにあり!と知らせてやるがいい、私はヒッタイトの王子!逃げも隠れもしない!」
威厳に満ちた、よく響く声が室内に静寂を呼び寄せる。
「…判り申した…」(王子には何か考えがおありのようじゃ)
「では、そのように取り計らいます」
「商人・町人・異国の者・問わずにだ、明日の夕刻までに広間に集まるよう手配せい」

36
部屋に一人残ったキャロルは、深い混乱の中で、王子が去った方向をぼんやりと眺めていた戦の事、ルカ、そして王子の言った言葉…
どの位そうしていただろうか、扉の向こうから声が掛かり、我に返った
「姫様…失礼しても宜しいでしょうか?」
「あっ、ハイ…」答えてから、自分が体に衣装を巻き付けているだけの格好だと気が付くと慌てて寝台から跳ね起き、「少し待って下さい」慌てて衣装を着けると、声を掛ける
「宜しいですか?お召し替えをお持ち致しました」無駄な話もせず、淡々と身支度を整え終わると
「では、失礼致します」と出て行った。再び一人になったキャロルは、急いで床に屈み懸命に探し物を始めた
----それは、飾り机の後ろに落ちていた-----
メンフィスからお守りにと貰った、首飾り…それを持つ手も震えている…そっと口づけをすると、見に付けている衣装の裏側を歯で引き裂き、目隠しでもするように包み、天蓋の上にそっと投げた。

そして、急いでルカが居るはずの続きの間…扉を開けようとするが、鍵が掛けてあり開かない
「ルカ!ルカ!そこに居るの?」扉を小さく叩きながら必死に声を掛ける
「はいっ!姫、ここにおります」すぐに返ってきた声に、涙ぐみながら
「ルカ…無事なの?怪我はしてない?」
「…はい、大丈夫です」(扉越しに…姫の息づかいが聞こえる)
「すぐに助けてあげる」扉の鍵を探すが、見当たらない---
「あっ!!」寝台に置いたままの、王子から渡された鉄剣を取ってくると、青銅で出来た鍵穴に差し入れ、こじ開ける…扉が開いた-----
そこには、少しやつれたルカが立っていた。

37
「ルカ!無事で良かった!」ルカに抱きつき、ポロポロと涙を流すキャロルに、言葉を掛けられなかった-----
少し落ち着いてきたキャロルが涙を拭いながら、ルカの顔を改めて見る…
「あっ…血が」そして全身を探るように見ると、肌が見えてる部分のほとんどに傷が出来ている
「ルカ…誰に…?」(まさか、王子に?)王子の名前を出す事が出来なかった。
「…ぁ…これは……自分で…」(…辛くて、床を這い回り、自分を傷つけた…)口ごもってしまうルカ

その口を重くしている原因…(ルカに、心配を掛けちゃいけない…)
「お腹は空いていない?」「喉は渇いていない?」ルカに話す隙を与えず矢継ぎ早に明るく振る舞い、質問するキャロルに「ひ…姫、申し訳ありません!私の…私の為に」床に手を付き、そのまま顔を上げ様としないルカ…
(聞きたく無かった言葉-----でも、いつかは話さなければならない…)
「…ルカのせいじゃないわ……」腰を屈め、床についている手を取ると同じ目線で言葉を掛けた
「私が、この世界に居続けたせいで…亡くした命のせいなの…だから、ルカのせいじゃないわ」
涙がうっすらと滲む目が、優しく諭すようにゆっくりと話掛ける。
「だから、この話はもう、おしまい」ルカが、いつも見ていたいと願い続けた、あの顔で笑う。
「姫…これから、どうなさいますか?」(姫はエジプトに帰られるのか?)
「…ルカ、一人ならば何とか逃げられない?」
「は?私が…一人でですか?」真剣な顔で頷くキャロル
(このお方はいつも、そうだ…私は召使いだと言うのに…人の身を一番に案じられる…)
「姫、私はあなたの召使い、いかなる事があろうとも傍を離れる事を望んではおりません」ルカも真剣に答える
「ありがとう!でもお願い…逃げて」何とか説得しようとするが
「姫の傍を離れる時は、私が死ぬ時と決めております、どうしてもと仰るならば、今この場で…」床に落ちていた
小刀を喉元に突きつける-----
「あっ!わかったわ、わかったから」と、慌てて刀をを取り上げようとして刃が指先を掠め、血が滲んでいる
「姫!申し訳ありません」「ルカったら、大丈夫よ。でもこんな事は二度としないでね」指を口に入れる
自分のせいで傷を負わせてしまったと、手にある小刀を恨みがましく見つめる。
(これは?…王子の…守り刀)

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「姫、これは?どうなされたのですか?」手に持った、鉄製の小刀をじっと見定める(間違いない王子の物だ)
「ぇ…っと、ィ、イズミル王子がくれたの…」ルカの前でその名前を口にする事には、抵抗があった。
「…(何度も命を救われた守り刀を、身から離されたのか…)見事な細工ですね」
「ぇぇ…そうね…あっ、そう言えばルカ!よく縄が切れたわね。さすがルカだわ」
(王子の話は…ルカに変に気を遣わせてしまう…)話題をさりげなく変えるキャロルに

「これは…イズミル王子が…」王子との会話を思い出しながら-----
「王子が?解いてくれたの?」顎に指を掛け、考え込むキャロル
「はい、私が辛い思いをすると、姫が悲しむと言われて」(私は…何としても王子の気持ちを叶えて差し上げたい)
「………そう言ったの?」
「はい…私も驚きましたが、食事や飲み物も与えられました…」そっとキャロルの様子を伺うように見ると
「…そうだったの…良かった…ルカが不自由してなくて…」更に深く考え込んでいる

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-----その頃、王子は評議の間に将軍と二人で話をしていた-----
「王子、先程の事なのですが、何故、王と王妃にも内密なのか、そこの所だけでもお聞かせ願いませんかの?」
「…今、王に話せばどうなる?将軍そなたも申したではないか」目の前にある皿から葡萄を一つ口に入れる。
「戦になりますな、しかし相手は、宿敵エジプトですぞ?」結果的には負けてしまった前の戦の雪辱も晴らしたい
それ自体に何の不満があるのだと、心底わからないと、頭を振った
「今、戦をすると間違いなくこの世からナイルの姫は消える」それは確信だった。
「え…?!まさか、ヒッタイトの王妃ですぞ!アナトリアを支配する大国の王妃になるのを嫌がる者などいますまいて」
「ナイルの女神を母に持つ姫だ…我らの望みとは違う望みを抱いていても不思議はあるまい?」
(富や身分で、傅くならば何とたやすいものだが)

「そうなのですか…のお」と尚も納得が出来ない様子の将軍が
「では、この先姫をどうなさるのですか?」
「将軍、木を隠すには何処が良いと思う?」逆に問われ返されると
「そうですな…」謎解きを楽しむように、少し考え、良い答えが見つかったと
「土の中に埋める---もしくは、枝を落として形を替える---いかがです?」
それを聞いた途端に、大きく体を折り曲げ笑い続ける王子
「ははは…だが…それでは姫は死んでしまうではないか…」笑いすぎて苦しそうな呼吸を整えて答えた

「木を隠すには森、ナイルの姫を隠すには、エジプトだな…楽しかったぞ将軍、さて私は姫の所に戻るとするか、明日が楽しみだな」
「…エジプトへ?」笑いながら退出しようとしている王子へ
「…では王子、骨を隠すのは墓所ですな」王子に一糸報いたとばかりに微笑んだ

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(姫は先程から、しきりと考え込んでいる…何をお考えなのか?)その様子を見守っていた
が、扉の外から近づいてくる足音、大きな歩幅、ゆったりとした足運び----
(王子!)だが、ルカはキャロルには何も告げようとはしない。
パタンと扉が開き、現れた男を見て
「あっ!」と小さく叫び、慌ててルカの前に飛び出し抱きしめる

「おやおや、これはとんだ所に来てしまったようだな」
「王子!ルカは何もしてないの、私がどうしても無事な姿を見たくて…あの…お願い…」
手を伸ばし、キャロルを自分の手首を掴み、腕の中に捕らえると
「庇う姿は美しいが、見ていて気持ちの良いものではないな」頬へ唇を寄せる
(ルカが、ルカが見ているのに-----)
「嫌!放して」腕の中から逃れようとするが、
「姫の嫌は、もっと…の意味だと思うていたがな」耳元で囁く声に
「------」
キャロルの耳を甘噛みしながら「そなた、確かルカと申したか?外に侍女がいる、その者に付いて行け」その言葉にキャロルが
素早い反応を示す
「ルカに、ルカに何をする気なの?教えて!」(罰を受けるなら私も一緒に…)
「ここで教えても良いのか?」後ろから抱きしめられていて、表情が読めない-----
「姫が、人に聞かせても良いと思うならば私は一向に構わぬが」キャロルだけに聞こえる小さな声…

「っ---ぁっ」その含みを持った艶めいた問いかけに、寝所での行為がルカに---思い出し真っ赤になり俯くキャロル
「ルカ!そなたには見張りを付けてある、この宮殿内から出る事は許さぬが、後は自由に致せ」
「…はい…」扉の外へ出て行くルカを心配そうに見つめるキャロルに、大丈夫ですと目配せすると出て行った。
「姫、私は良い子にして待つようにと言い置いた筈だが?」腰を引き寄せ、やや乱暴に裾をたくし上げ太股をまさぐりながら
「与えた守り刀まで、床に投げたままとは----少し仕置きが必要なようだな」-----

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