『 黒い嵐 』

31
(キャロル・・・)
常夜灯にほのかに照らし出された寝台にキャロルは眠っていた。眠りの内に憂いはないのか、その寝顔はひたすら穏やかであった。
薔薇色が透けて見える白い頬。濃い影をそこに落とす長い睫毛。艶やかな唇。
(しばらく見ぬ間に美しくなった)
メンフィスはそっと頬に触れてみた。暖かくしっとりとした吸い付いてくるような肌。
別れた日はもっと子供子供した娘だった。愛らしく初々しかった蓮の花の咲き初めのような娘。確かに美しくはあったけれど、今のような複雑な陰影に満ちた繊細な美しさはなかったとメンフィスは記憶していた。
それが今はどうだろう?話し方や立ち居振る舞いは押さえた優美さや華やかさが加わり、元々の素質が丹精され美しく磨き上げられ、洗練されたのが分かる。
(キャロルは美しく・・・大人の女に開花した)
メンフィスは唇を噛んだ。そうしてやるのは自分だったのだ。自分の花なのに丹精し大輪の花を咲かせる心楽しい作業は他の男の手に任せねばならなかった。
(でも、もう・・・。キャロルは私のものだ。私の腕の中で過去など忘れさせてやる!)
「キャロル・・・。私だ」
ぎし、と寝台が軋んだ。メンフィスは小柄な体の上に乗りかかるようにして耳元に熱い吐息を吹きかけた。

「う・・・ん」
安らかな眠りの帳が急速に失われていく。耳元に誰かが熱く囁きかける。求愛の言葉を。
―こんなことを私にする人は一人しかいない。
キャロルは夢うつつの状態で考えていた。眠っているキャロルを昼間の顔からは想像もつかない好色さで起こし、求めるのは・・・。
―王子。私、夢を見ていたの。怖い夢。嫌な夢。でも良かった。夢だったんですもの。王子がいてくれるんですもの。
キャロルは目を瞑ったまま、探るように手を動かした。愛しい人はきっと手を握ってくれるはずだ。接吻で覆ってくれるはずだ。さぁ、目を開けて・・・。
「・・・きゃあっ!誰?! いやあっ!」
「キャロル、静かにいたせ。妻が夫を拒むのか?」

32
「メンフィス・・・っ!」
キャロルは必死にのしかかってくる体を押し返した。酒臭い吐息、荒々しい、優しさのかけらもない仕草。
「嫌っ・・・!何をするの?誰か・・・助けてっ・・・!」
今は心殺し、メンフィスを拒まず気を持たせて油断させ、脱出しようと考えていたキャロルだが、こんな真似までされれば話は別だ。
だがキャロルの拒絶はメンフィスを余計に煽っただけのようだった。酒の匂いをさせながら愛しい女の肌に口づけ、耳朶に真剣な愛の言葉を囁く男。

―愛しているのだ、愛しているのだ。そなたを私だけのものにしたい。そなたを私の妃にしてしまいたい。拒むことなど許さぬ。そなたは私の妻だ。
拒まないで呉れ、お願いだ。怖いのだ、そなたは我が腕の中にいるのにいつも消え失せそうな不確かな感じがして心が苛まれる・・・!―

(メンフィスは真剣だ・・・っ)
キャロルは一気に奈落に落ちていくような恐怖を感じた。
狂気じみた愛。一途に過ぎるメンフィスの愛。もう何も目に映らない激しすぎる感情。
姉弟の愛の表し方はあまりにも似ていた。受け取る相手さえいれば、これほどに美しく深い誠意に満ちた愛もなかろうに。それなのに狂気と気味悪さを帯びるのは何故?

キャロルはメンフィスを拒みながら、必死に考えた。どうしたら身を守れる?どうしたらメンフィスを止められる?
キャロルは強引に自分を求める男の耳朶に囁いた。
「お願い、メンフィス。やめて。私はあなたの妻になる身です。でも婚儀が終わるまでは清らかでいたいのです。
本当に私を愛してくれるなら・・・やめてっ・・・!」
メンフィスは、はっとして動作を止めた。見おろせば勿忘草の青の瞳が涙に潤み、自分を見つめている。

「・・・・・・許せ・・・よ」
メンフィスは激情を恥じるように身を離した。
「そうだ、そなたは私の妻、愛しい娘だ。何故、そなたを辱めたりできよう?
・・・許してくれ・・・」
メンフィスは哀しそうに微笑むと寝台から降り立った。
「もう・・・休め。私も休む。・・・・・そなたの口から・・・私の妻になる身だと聞けて嬉しかった・・・」

33
「キャロル・・・。昨夜は済まなかった」
メンフィスに呼ばれて午前中の庭に出ると、いきなりエジプトのファラオその人が謝罪の言葉を口にした。
昨夜はあれから恐怖と混乱で眠ることもできず、朝になればなったで侍女達の好奇と労りの視線が鬱陶しくて、不快であったキャロルは驚いて目の前の長身の男性を見つめた。
「そのような目で見るな。昨夜は酔っていたのだ」
メンフィスは手を振って召使い達を下がらせた。
「私の妻になる決心をしてくれているそなたを疑い、辱めるような真似をしたのは本当に悪かったと思っている・・・」
(メンフィスが私に謝っている?! 嘘でしょう? この傲慢なファラオが!)
メンフィスはキャロルの手を取って、細い指に何かを填めた。
「きゃっ?! 何?」
思わずメンフィスの手の中から、自分の手を引き抜いたキャロルが見たのは自分の瞳と同じ青い宝石を填め込んだ美しい指輪。
「そなたに持っていて欲しい。そなたが我が腕の中に戻ってきたなら渡してやろうとずっと持っていたのだ。妻に・・・夫として贈りたかったのだ」
「メンフィス・・・」
我知らず赤面し、黒い瞳の呪縛から逃れられなくなったキャロル。
「早くそなたを本当の妻にしたい。そのためならなんでもしよう。私はもう待ち切れぬ」
その時、カーフラ王女のけたたましい声がメンフィスを呼び、短い逢瀬は終わりになった。メンフィスはキャロルに素早く接吻すると、我が儘で少しも愛していない妃を罰するべく宮殿に戻っていった。

「・・・姫君・・・」
呆然と一人立ち尽くすキャロルにそっと声を掛けたのは庭師に身をやつしたルカであった。
「ルカ・・・!来てくれたのね!ね、何か王子から連絡はあって?」
「はい。王子はテーベにお入りで、姫君をお助けする準備を着々とお進めです。姫君、いよいよ明晩真夜中に決行です。お心づもりを。それからご寝所にはお一人でいていただきたいのですが・・・」
「大丈夫よ、私が眠れば侍女達も次の間に下がります。寝たふりをするわ」
キャロルは喜び勇んで答えた。先ほどメンフィスが立てた心のさざ波はもう静まっていた。愛しい王子が来てくれるのだ!

34
(明日は王子が来てくれる・・・!)
そう思うとキャロルの顔からは自ずと憂いの色が取り除かれ、頬にも薔薇色が差してくる。
その心弾みは、自分でも気付かぬ美しさをその花の容(かんばせ)に添えているのだ。
そんなキャロルを見つめる二人の女性・・・アイシスとカーフラの二人の妃。
(キャロル・・・何かあったのか?脱出の算段でも立てたのであろうか?無茶をせねばいいが。いずれにせよ、明日以降にあの王子妃を無事、ヒッタイトに送り届ける算段はせねばな・・・)
アイシスは国益を考える気高い女王の顔でキャロルを見やった。
(憎いあの女!他国のすでに王子妃でありながらメンフィス様に熱望される邪魔な女!どうだろう?あの色香は?憎い・・・憎い・・・。
見ておいで、誰がお前をメンフィス様の妃になどするものかっ・・・!)
嫉妬に狂った女に成り下がったカーフラ王女。リビアの王女であるという以外、これといって誇れるもののないこの女性は政務にも参加させてもらえず、ただメンフィスの王子を産むことのみを念じて生きるようになっていた。

「メンフィス様のお出ましでございます」
召使いの声が響き、エジプトのファラオ メンフィスが広間に現れた。アイシスとカーフラはエジプト風に跪いて王であり夫である男性を迎え入れた。キャロルはヒッタイト風の立礼で異国の王に会釈した。
メンフィスは迷わず、キャロルの傍らに立ち耳元に囁きかけた。
「早くそなたがエジプトの風儀に慣れればよいのに。私を苛立たせる気か?」
「・・・・・!・・・・・」
「よい。婚儀を終えれば私が早くそなたがエジプトの風儀を思い出せるよう昼も夜も教えてやろうほどに」
メンフィスは素早くキャロルに接吻した。そしてファラオを迎えた内輪の宴が始まった・・・。

その夜更け。キャロルの寝室に続く廊下をひそやかに歩む人影があった。
カーフラ王女である。
短剣を懐に忍ばせたカーフラ王女は音もなく寝室の扉の内側に滑り込むと憎い女の寝顔を凝視した。
(この女が生きている限り、私の未来はない!すでに人の妻である身でありながらメンフィス様のご寵愛を受けるこの姦婦を誅してくれるっ!)
カーフラ王女は短剣を振り上げた・・・。

35
動物的勘、とでもいうのだろうか?
首筋に不吉な電流を感じたように思ってキャロルが目を開けたのはまさに王女が短剣を振り下ろさんとしたその瞬間だった。
「きゃあぁぁっ?!」
反射的に身を避けるキャロルの長い金髪がざっくりと切り取られた。枕に飛び散る金色の髪の毛。
「おのれっ、ナイルの姫!我が君のお心を惑わせしはこの髪かっ!」
カーフラ王女は散乱する金髪と、キャロルのうなじにうっすらと滲んだ血に逆上して狂気じみた凄絶な笑みを浮かべた。
そのまま、寝起きの身体の強ばりと恐怖に強ばるキャロルの髪を鷲掴みにすると、ざくざく鈍い音をたてながら金色の細糸を切り落としていった。
イズミル王子があれほど大切に愛で、切ることを許さなかった腰まである長い髪があっという間に顎あたりまでじゃきじゃきに切られていく。
「いい気味だ!何と醜い女!これでメンフィス様のお心も目が覚めるでしょうっ!」
カーフラ王女は短剣を振り降ろした。鋭い切っ先は、庇うように白い顔の前に差し出された左腕をざっくりと切り裂いた。
「やめてーっ!だ、誰か!」

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その声に、引き寄せられるように暗い窓の外から侵入してくる人影。
ルカだった。
ルカは無言で短剣をふるい、カーフラ王女の右腕を切り裂き凶器を奪った。
「ひっ?!ひぎゃあぁぁっ・・・!」
噴き出る血潮と痛みに驚いたカーフラ王女は、手負いの獣が逃げるようにして部屋の外に逃げていった。
「ル・・・ルカ!来てくれたの・・・」
「姫君!申し訳ございませぬ。窓の外にて宿直を勤めさせていただいておりましたが何たる不覚・・・。お詫びの言葉もございませぬ・・・」
ルカは素早く怪我の程度を改めながら詫びた。女主の怯えきった蒼白の顔、むごたらしく切られた金髪が忠義者の胸を苛んだ。
(おお・・・。私がついておりながらこのような不祥事!王子に何と申し上げたものか・・・!)
その時、キャロルの寝室の扉の外がにわかに騒がしくなった。王女が逃げ出すときに大きな音を立てたので兵士や侍女が押っ取り刀で駆けつけてきたらしい。
「ルカ、逃げて!人が来るわ。このままではあなたが捕まってしまう!」
「でも姫君・・・」
「お願い、王子は明日来てくれるのでしょう?ヘタに騒ぎを大きくしたくないの。私は大丈夫よ。あなたに何かあったら私、王子に何と詫びて良いか分からない。・・・・・これは命令です」

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「暗くて・・・賊の顔は見えませんでした。悲鳴をあげたら逃げていったのです」
メンフィスの顔をまっすぐ見返しながら、キャロルは言った。
メンフィスは苦り切った顔をして包帯を巻かれた白く細い腕を、むごたらしく切り取られた金髪を見つめていた。
大事な娘がもう少しで殺されるところだった。自分の命より大切な存在を傷つける許し難い曲者があった。何たる失態だろう!
それなのに目の前の娘は存外、冷静である。メンフィスとしては自分の胸で泣きじゃくり、恐怖に強ばった心を癒して欲しかったのに。
「だからといって!何も覚えていないことはあるまい!少しでもよい、手がかりとなることを思い出せ!でなくば私はそなたの仇を討ってやることもできぬ。
よいか、キャロル。私の妃となるそなたをこのような目に遭わせた不埒なる輩は必ず殺してやる!だから思い出せ、何でも良いから!」
「本当に何も思い出せないの。怖くて、夢中で・・・。気がついたら私、怪我をしていて、皆が来てくれて・・・」
キャロルは答えた。今ここで騒ぎを大きくするわけにはいかない。でなければ明日の計画に差し障る。
「メンフィス様、姫君はお怪我をなさりかなり消耗しておられます。そのように尋問のように厳しく問いただされては・・・」
侍医が遠慮がちに言上した。
「ちっ・・・!」
メンフィスは忌々しげに舌打ちすると、兵士らに厳しい犯人探索の命令を重ねて出した。そして長剣を持ってこさせると、キャロルの横たわる寝台の傍らの椅子にどっかりと座を占めた。
「何という顔をしている?私がそなたを護衛してやる」
メンフィスは戸惑うキャロルの唇を自分の唇で塞いだ。

38
ろくに眠れぬままにキャロルは脱出決行当日を迎えた。
怪我と心労と発熱のため、身体は重く、動くのも億劫だった。でも心だけはあやしく騒ぎ、落ち着かない。
そんな様子を見てメンフィスや医師、召使い達はキャロルが暗殺未遂の恐怖と、怪我の痛みでひどく消耗しているのだろうと考えたようだった。喉ごしの良い軽い食事を勧められ、鎮静剤を処方されてしまった。
「さぁ、キャロル。これを飲め。医師は今は眠って体力を快復するのが先決と申しておる。私のために飲んでくれ。私を安心させてくれ」
「でも・・・」
(そんなもの、飲めるものですか!ああ、どうしよう?しっかり起きていて今夜の算段をしなくては!何とかして一人になって・・・。王子が来てくれるのだから!)
駄々をこねるキャロルを見てメンフィスは何を勘違いしたのか。優しく黄金の髪に触れてきた。メンフィス手ずから綺麗に顎の当たりで切りそろえてやった絹の細糸。
「髪の毛のことを悲しんでいるのか?」
「え・・・?」
「そなたが自慢に思っていたであろう金色の髪。賊はそなたの髪を切り落とし、辱めた。でも、それが何だ?私はそなたが無事で、私の腕の中に居てくれることこそが嬉しいのだ。髪の毛のことくらいで私がそなたに興ざめするような男とでも思ったか?」
真摯な愛の言葉に思わずキャロルは戦くようなときめきを覚えた。この人は真実、私のことを愛していてくれる・・・!恐ろしい!

そこにアイシスの訪れが知らされた。彼女は病平癒の護符を持ってくることを口実にキャロルの様子を見に来たのだ。しかしそこで目にしたのは、あまりに睦まじげな男女の姿。
アイシスはキャロルと言葉を交わすことを許されず、部屋を出ていった。しかし嫉妬と悲しみに身悶えながらも、理性を失わぬ聡明な女王は今一人の妃カーフラの居室に向かったのだった。

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「あ、アイシス様!どうかご遠慮あそばして!カーフラ様はご不例にて臥せっておいでです!」
「下がっておりや!私はカーフラ妃にだけ用があるのです。よいな、ファラオの正妃たる私が人払いを命じたのです!」

アイシスの思った通りだった。カーフラ王女は腕に血の滲んだ包帯を巻いて、土気色の顔色をして寝台に横たわっていた。薬の匂いと血の匂いが、どんよりと暗くした室内に立ちこめていた。どんな香料だってこの匂いを誤魔化しきることはできないだろう。
カーフラ王女も伊達に長くアイシスとの鞘当てを演じてきたわけではない。アイシスの厳しい表情を見て全てを悟ったのだろう。手を振って乳母を下がらせる。
「で・・・どうしたいのです?」
カーフラはふてぶてしく問いかけた。
「表では大した騒ぎらしゅうございますわね。何ですか、金髪の女奴隷が殺され損なったのですって?」
アイシスは彫像のように硬質な冴えた美貌を、怒りや嫌悪の情で崩すことなく、自分の下の第二王妃に言った。
「ヒッタイト王子妃殿は落ち着かれたようです、とりあえずはね。今は犯人探しが佳境です。
・・・・あなたも傷を負われ、医師の手当も満足に受けてはおられぬよう。今なら医師はすぐに召し出せる場所にいるのですから、手当を受けてはいかが?
これほど出血しているのに、ろくに手当もしていない。手当をさせれば何か不都合なことがあるのですか?見れば傷は刀傷・・・」

カーフラは痛みも忘れて起き上がり、アラバスターの杯をアイシスに投げつけた。しらばっくれて自分もキャロルを襲ったのと同じ下手人に刺されたのだとでも居直ればいいものを、それをする頭さえないらしいのがアイシスの憐憫を誘った。
傷の痛みと闇雲な怒りに顔を醜く歪めながら、アイシスに罵詈雑言を投げつけるカーフラは図らずも自分の罪を告白する仕儀となった。

アイシスは愚かな第二王妃に冷たく宣告した。
「もはや、そなたはエジプトのファラオに相応しき女人ではありませぬな」

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アイシスは冷たい視線で心根卑しい女を見やった。
「そなたの不例をファラオにご報告いたさねば。王家は血の汚れを忌みますゆえ、それなりの清めをいたさねばなりませぬ。どのようにファラオにこたびの不祥事をご報告申し上げるか、熟慮するように。
・・・・・リビア王家に生まれた者としての矜持がおありなら、それに相応しく行動されるもよし!
あなたのお怪我が、あなたの理性や誇りまで損なう類のものでなかったことを祈ります。
カーフラ王女、かつては私の下でメンフィスの第二王妃と呼ばれていた方。せめて王族としてのそれなりのご覚悟は示していただきたいものです」
アイシスは暗に自決を促してきびすを返した。その背後に縋るカーフラ王女の情けない声。
「リビア王女たる私に何かあればメンフィス様がお困りになります。私は怪我をして苦しんでいるのに何故、そのような言われなき侮辱を受けねばなりませぬの?ナイルの姫などより私のほうがエジプトには重要ですよ!」
アイシスは思わず振り返った。
(・・・・今のメンフィスに、メンフィスの支配するエジプトに、キャロル以上に重要なる存在などありはせぬのに。それを分からぬ女人。愚かな・・・でも何と羨ましい・・・)

「カーフラ王女、ではファラオに申し上げ、エジプトにとって重要な女人たるあなた様がお怪我で苦しんでおいでゆえ、お見舞いを賜るよう言上いたしましょう。よろしいな?」
カーフラ王女は返す言葉もなく寝台に倒れ込んだ。メンフィスの眼力があれば自分のした罪などすぐに暴かれ、過酷な罰を受けるだろう。
カーフラを無慈悲に見おろすアイシスの目。メンフィスと同じ苛烈さ、メンフィス以上の冷ややかさを持った女王の目。
「やめ・・・て・・・。それだけはイヤ」
王女は恥も外聞もなく、言った。この瞬間に彼女はエジプトのファラオの妃の冠を事実上失ってしまったことになる。

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