『 絆の生まれるとき 』


21
真夜中すぎに眠ったキャロルが目覚めたのは太陽が高く上ってからのことだった。
「お目覚めでございますか、姫君」
キャロルの意地っ張りに付き合わされて遅くまで起きていたはずのムーラや他の侍女たちはいつもどおりで、キャロルは自分の寝坊を恥じた。
「昨夜は遅くまで起きておいででしたからお疲れになったのでしょう。王子も心配しておいででした」
「心配! 私が眠れなかったのは王子のせいよ、ムーラ。
いいえ、ムーラ。こればかりは言わせて。家族でもない男の人がいる部屋で眠れると思う?国のために遅くまで働いている人を尻目に眠れると思う?
ねえ、ムーラ。王子はひどいわ。私をからかって面白がっているのよ。
それに私、私が眠れないせいであなた達にも迷惑をかけているかと思うと心苦しいわ」
「分かりました、姫君。高貴の方がそのように唾を飛ばさんばかりの勢いでお話になるものではございませんよ。
王子にはそれとなくお話をいたしましょう。確かにご結婚もまだの姫君は殿方と同じ部屋でお休みにはなりにくいでしょう」
キャロルは初めて自分の要求が通ったのに嬉しい驚きを感じた。
「ですが姫君。いつも申し上げていることですが王子のお心もおくみくださいますよう。
王子があなた様をお妃にとお考えなのは、戯れでもなんでもございませんよ。王子のお心に逆らうことはお許しできませぬ」


22
ムーラが王子に何と告げたのか、その日から王子はキャロルの許を訪れなくなった。おかげでキャロルは夜もぐっすり眠れる。
王子の顔が見えなければ落ち着いて脱出計画を練ったりできるはずだった。だが、おかしなことにキャロルの心は何やら張りを失ったようになり思考は空転するばかりだった。
(おかしいわ、私。王子なんて大嫌いで顔も見たくないはずだったのに・・・顔が見えなければ見えないで、大嫌いな相手のことに考えが行ってしまう)
キャロルの頭の中に王子の言葉が繰り返し響く。王子が来なくなってもう何日になるだろう?

─私はそなたを愛しいと思っている。
─順当にいけば私の妻になる。
─そなたは私を愛するようになる。

「ば、馬鹿ねっ!何を考えているの!」
キャロルは頭を振った。身体を動かした拍子に王子に贈られた首飾りが衣装の中で揺れた。
(そういえば私、この首飾りのお礼をまだ言ってないわ・・・)
キャロルは吐息をついた。
傲慢冷血な最低の男だと思っていた相手からの思いもかけない心遣い。女の喜ばせ方など知らない、と素っ気無く言って。
とうとうキャロルはムーラに聞いた。王子はどうしているのかと。
「別に・・・特に気になるというわけではないけれど・・・。でも私、王子にこの首飾りのお礼を言っていなかったから・・・。
お礼も言えない礼儀知らずとは思われたくないのよ」
ムーラは嬉々として育て子であり主君でもあるイズミルの許に参じた。


23
イズミルはムーラの報告に頬を緩めはしたものの、すぐさまキャロルの、そして自分自身の望みを叶えるわけにはいかなかった。
辺境の地での太守の不正、長く幽閉の身であった反逆者ジタンダッシュの反乱未遂と処刑・・そして常の政務。王子は鉄人的な意志の力で政務をこなしていった。

キャロルの伝言をムーラが言付かってから1ヶ月以上も経とうとしていた。
(王子はどうしているのかしら?)
キャロルはすっかり恋人に恋焦がれる娘の風情で表宮殿のほうを眺めていた。
憎たらしい、そして度し難い年上の男性はキャロルのことなどすっかり興味を失ったようだった。何の音沙汰もない。
いや、一度だけ反故の粘土板の裏側に走り書きした伝言が届いた。

─何事もそなたの望むとおりに振舞うが良い。欲しいものがあれば遠慮なく言え。ただし仕えてくれる者達への心遣いだけは忘れぬように。

(何、これ?)
受け取ったキャロルは強張った顔で王子の筆跡に見入った。
(まるで我侭な子供に宛てたような手紙。いいえ、どうでもいいと思っている厄介者の子供にやる手紙だわ。ひどい、私を何だと思っているの!)
あれほど付きまとい、甘い口説を繰り返して自分を翻弄した男の打って変わった素っ気無いそぶりがキャロルの誇りを傷つけた。
いいや、傷つけられたのは誇りではない。傷つけられたのは心。
縋る人とてないこの古代で、初めてキャロルに手を差し伸べて不器用な、あるいは強引で無神経な遣り方で彼女を守り気遣ってくれた人。
大嫌いであったのに、大嫌いであろうとした相手なのに、いつのまにかキャロルはイズミルに惹かれていた。欲望の捌け口などではなく一人の人間として彼女を扱ってくれた男性に。


24
(私にはもう飽きてしまったけれど、今更捨てるわけにもいかないから飼い殺しにでもするつもりかしら? 何て無神経なひどい人!今になってこんな・・・!
・・・・・・ううん。私があの人に腹を立てる権利なんてないのかもしれない。だって私はあの人のこと、嫌いだって言ったんですもの。離れて行かれたからって未練がましく追いすがるなんて情けない真似ができるはずもないものを。
でも・・・・・でも・・・・・・・・)

そんなキャロルの様子を見守るのはムーラだった。
ムーラは王子の殺人的な多忙振りを良く知っていたから、その気になればキャロルの憂鬱と不安を取り除いてやれるはずだったのだけれど。
そうはしなかったのは、やはりいくら言っても彼女の大切な育て子を信じようとはしなかったキャロルを罰してやりたいという姑根性のせいか。

王子の多忙の日々がようやく一段落したのはジタンダッシュの処刑が終了したあたりからだった。
「さすがに・・・疲れました、父上」
「さもあろうな。同じ血を分けた身内を葬らねばならなかったのだ。少し政務を人に任せ、ゆっくりと休むが良い。許すゆえ」
「は・・・」

そしてようやく王子はキャロルの居室を訪れる。ここしばらくの激務で王子は面やつれして、秀麗な容貌には翳りと凄みのようなものが加わった。
しばらく寛ぐ間もなかったので微笑や軽口を忘れた顔が引きつって強張ってしまったようだ。
(さて・・・・・長く放っておいてしまうことになったが姫はどうしているかな)


25
「元気でいたか?夕餉がまだならば運ばせよ。私の相伴をいたせ」
男はまるで毎日訪れていたかのようなさりげなさでそう言うと、キャロルの部屋に置かれた一番良い長椅子にどっかりと腰を下ろした。
以前ならば傍らに巻物や粘土板が置かれたはずなのに、今日のイズミル王子は手ぶらだった。
「どうした、姫? 疲れて帰って来たというのに挨拶もしてくれぬのか?」
王子は久しぶりに頬を緩めて微笑した。
だが長い間、笑うことを忘れていた顔の筋肉は強張って、その表情は恋人に向けるそれというよりも気安いけんか仲間に向ける、親しみのようなものがこもった挑発的な微笑となった。
王子のしれっとした態度と、不敵にも見える微笑がキャロルの負けん気に火をつけた。
「・・・・・・お久しぶりでございます、イズミル王子。お元気そうで何よりです。
挨拶も出来ないような礼儀知らずとは思われたくありませんけれど、顔も忘れるくらい長く離れていた相手をどう迎えていいやら分かりませんの!」
少し口を尖らせるようにして、白い頬を赤く染め、怒りのせいか少し瞳を潤ませてそう言うキャロルは何とも愛らしく見えた。
キャロル以外の人間には、意地っ張りの子供の台詞は長く顔を見せなかった男への恨み言にしか聞こえなかった。
─あなたがいなくて寂しかったのです。こんなに長い間放っておくなんてひどいじゃありませんか、と。
自分を睨みつける子供の愛らしさに、王子は疲れ果て強張って冷え切った自分の心が急速に生き返っていくのを感じた。
「・・・・・・知らぬことをすぐに質問するのは良いことだ。そうだな、遠来の客を出迎えるときは・・・たとえば・・こうするのだな」


26 
王子は立ち上がってキャロルの側に大股で近づくと、素早く抱きしめて接吻した。
「ほら、このようにして長い無沙汰の溝を一気に埋めて・・・」
イズミル王子は侍女達の目も憚らずに優しくキャロルの髪を撫で、久しく思い出しもしなかった愛しい相手の感触や匂いを満喫した。
(いくら忙しかったとはいえ・・・よくもこう長い間離れていられたものだ。
これほど愛しい相手を少しも思い出さぬほど政務に忙殺されていたということか。いかんな、青二才じみたそのような余裕の無さは)
王子はキャロルが無抵抗なのをいいことに、さらにぎゅっと自分の体に白い小さな子供の身体を押し付けた。
「意地を張らずに寂しかったのと会いたかったのと恨み言を言って・・・そして最後には笑ってお帰りなさいと申すのだ。世間の大人の男女は、な」
そなたはどうかな、と続けようとした王子は胸の中の娘に思いきり突き飛ばされた。
「どうしてあなたという人は・・・っ!」
不覚にもキャロルは泣いていた。
こんなにも長く人を放っておいて。飽きたから捨てるのだというのと同義の書きつけだけをよこして。
いったいどこまで人を馬鹿にしたら気が済むというのだろう。
最低の男。こんな男に一時とはいえ惹かれていた自分が今となっては恥ずかしい。
意地の悪い男。人前で自分を嬲るようにからかって喜んでいる悪趣味の男。ムーラは一体どういう躾方をしたのだろう?
「私、私、からかわれるの嫌い。馬鹿にされるのも嫌い。王子は意地悪だわ。私の嫌がることばかり、する。王子なんて大嫌い」
いつかと同じ事をキャロルは言った。その声は涙に震えて引きつるような調子を帯びている。
「姫・・・?これは困った。すっかり怒らせてしまったか。許せよ」
キャロルはいきなり拳を固めて王子のみぞおちを一撃した。それが意地っ張りの子供から、誠実なのだけれど不器用な男への返事だった。


27
「姫君っ!」
ムーラが訓練された動きでキャロルの手首をねじり上げた。奥宮殿にも美しい刺客は時として出現するもの。しかし今、彼女が捕らえている‘刺客’は。
キャロルは口までもは封じられていないのを幸い、驚きと不快感でやつれ険しくなった顔を一層顰めている王子に言った。
「私はあなたのおもちゃじゃないわ!心も誇りもある、あなたと同じ人間です!どうして私をこんなふうに扱うの?私を侮辱するつもりっ?」
「侮辱だと?」
王子はじわじわと効いてくる鳩尾への一撃をやり過ごそうとでもいうように手でその部分をさすりながら問い返した。
「私がいつ、そなたを侮辱したというのだ?私はいつもいつもそなたを重んじて大切に扱ったつもりだ。
私の妃にと思い定めた姫が余人から軽んじられぬよう、侮られぬよう、そなたに・・・」
指一本触れなかったではないか、という王子の言葉はキャロルに遮られた。
「私を急に飽きたおもちゃみたいに放り出して!あ、あんな書付を受けとって私がどう感じると思ったの?」
「忙しかったのだ。そなたが要らぬ心配をしては可哀想だと思ったゆえ・・・」
「心配をしては可哀想だと思った、ですって!」
キャロルは思わず声を上ずらせた。そしていつのまにか力の抜けてしまったムーラの腕を逃れると、ずいと王子に近寄り、小さな拳で逞しい胸板を打った。
「何て人!五月蝿いまでに来てくれてあれこれ構って優しくして・・・突然会えなくなったと思ったら、お前はお前で好きにやれなんて書きつけだけ!
私がどんな気持ちがしたか分からないの?」


28
王子はぽかんと口をあけ、また顔を顰めた。
困りきったような苦りきったような、それでいてどこかキャロルの‘暴言’を愉しんでいるような複雑な表情。
王子はキャロルの拳を自分の大きな手で包み込むようにして、ゆっくりと言った。
「そんなつもりは全くなかったのだ。私はただ文字通りのことをそなたに伝えたかったのだ」
「そんなつもりはなかっただなんて・・・」
キャロルは乱暴に高価な衣装の袖口で涙をぬぐった。強くこすったせいか白い顔が薄紅色に染まる。
王子はその薄紅色の部分をそっと自分の唇でなぞった。
「私に見捨てられたと思ったのか?」
キャロルは真っ赤になり・・・いつものような強情な喧嘩腰で王子の言葉に闇雲に逆らおうとしたが・・・。
身体は少しも言うことを聞かず、誇りも意地も全ては涙と一緒に流れ出てしまい、今はただ・・・。
「ん・・・・・・」
キャロルはぎこちなく頷いた。そう実際、捨てられた犬のような惨めな気分を味わったのだ。
「私はそなたのことなど何とも思っていないと、そう考えたのか」
キャロルはもう一度頷いた。
「ば、馬鹿みたいと思ったわ。私、あなたが意地悪の冷血漢の最低の人間だと思ったもの。それなのに・・・私は負けたのよっ!自分に!あなたに会えなくて塞ぎこむなんて!」
王子は笑わなかった。真剣な慈しむような視線でキャロルを絡めとり、黙らせてしまう。
「全ては私の責任だな。そなたがそんなふうに思うとは夢にも思わなかった」
王子は初めての恋に戸惑う初心な意地っ張りの子供を抱きしめると、驚き呆れるムーラ達を手で追い払った。


29
「何から説明したら良いのかな。私は子供の扱いには慣れておらぬというのに。そなたのような相手は初めてだ」
呆れたような言葉とはうらはらに、キャロルを胸の中に抱きしめて寝台に座るイズミル王子は上機嫌だった。
「子供を相手にしていても仕方ないと思い、大人の女になるのを気長に待つつもりであったけれど、この娘は誰かが手を掛けてやらねば女になれぬらしいよ」
むっとしたように口を尖らせるキャロルの唇と、皺の寄った眉間を優しく指先で撫でながら王子は言った。
「そのような顔をするな。
さぁ、意地っ張りの子供よ。今一度私の問いに答えよ。そなたは私に会えなくて寂しかったのであろうか?大嫌いであったはずの私を恋しく思ってくれたのか?」
キャロルはきまり悪そうに赤くなり、王子の腕の中で身じろぎした。でも王子の問いへの答えはない。
王子は答えを促すようにその薔薇色の唇に接吻した。
「では私から先に申そうか。私は・・・私はそなたが私を嫌いぬいて泣いてばかりであったのがたいそう心苦しかったぞ。
そなたが過去を忘れて私のほうを見てくれるのは何時かと、いつも思っていた」
「・・・・・・うそ・・・・・。だって王子はいつだって・・・」
王子はキャロルの唇から自分の唇を離さないままに続ける。
「やれやれ。大の男にこのようなことを言わせるのだからそなたも大したものだな。私はずっとそなたを愛しいと思っていた。
ははは。そなたの口からこの一言を言わせたくて様々にしてきたが結局、私のほうが先に言う羽目になったか」


30
「さぁ、今度はそなたが申せ」
キャロルは真っ赤になり、少し怒ったような顔をして・・・それから表情をふっと緩めて泣きそうな、恥ずかしそうな、困ったような世にも愛らしい可憐な表情になって言った。
「私は・・・・・・寂しかったわ。自分でも不思議で腹立たしかったけれど・・・私はあなたに会いたかったの」
王子はさらに先を、とでもいうように唇と指先でキャロルを促した。
「・・・・・・・・・・どうしてこんな気持ちになったのかは分からないの。でも・・・・王子に会えなくて寂しくて心細かった。見捨てられたのかと思った」
「うんうん」
王子の指先はいつのまにか愛撫と言うより他にない動きを始めていた。
「それから?」
「・・・・・王子っ・・・変な触り方やめて・・・・・・っ!」
「では・・・・・早く申せ」
王子は打って変わって強気だった。
「大嫌いなはずだったのに、そうじゃなくなっていたの」
半泣きになったキャロルの子供っぽい愛らしさが王子を喜ばせる。
「よしよし・・・そろそろ許してやろう。また苛められたの何のと臍を曲げられては困る」
王子はキャロルのうなじから耳朶へと唇を這わせていき、最後にはまた接吻した。
「では、そなたは私をもう嫌いではないのだな。もう少しだけ気長に待てば・・・私がそなたに申したと同じ言葉を返してくれるな?」
キャロルはがくがくと震えながら・・・・・頷いたのだった。

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