『 記憶の恋人 』 11 不安と恐怖に押し潰されそうになって、キャロルは王子の胸にしがみついた。 「わたし・・・エジプトで何かした?何か裁きを受けるような事を? だからあなたは・・・思い出さない方がいいって言ったの?」 「違う、そうではない! そなたに罪など無い!もしそなたに罪があると言うなら、すべてこの私が受けて立つ。 やましい所などそなたに限ってあろうものか。私が保証する」 「王子・・・王子・・・」 キャロルは懐かしい響きのする呼び名で彼を呼んだ。 優しくキャロルを抱きしめる彼の胸は、夢の中の王子と同じ暖かさがあった。 (やっぱり私はこの人を愛してた…?) 「何も考えずに眠れ。良いな」 「だけど、私を呼んでいた黒髪の男の人は誰なのかしら? とても・・・とても気になるの! 顔も名前も思い出せないのに!!」 王子の腕が痛い程キャロルの体を締め付けた。 「もう良い!!動揺するだけぞ・・・何も考えるな!」 「痛い・・・そんなにしたら痛いわ、王子」 ふっと苦々しいため息をつくと、王子は腕をゆるめた。 「夢の最後は王子がね・・・夜の砂漠でわたしにプロポーズしたの。 『私の妃はそなただけ』って言ったのよ」 そう言うと、キャロルは嬉しそうにはにかんで王子を見上げた。 思わず、王子の表情も柔和になる。 「・・・夢の中だけでは物足りないか? ならば、もう一度求婚いたしても良いぞ」 おどけた口調で言う王子にキャロルは微笑み返した。 「さあ、そなたは疲れておる。十分に寝て体を休めねばならぬ。 私がついておるゆえ、安心して休め」 王子は子どもをなだめるようにキャロルを言い含め、寝かしつけた。 12 夜が明けると、昨日の激しい雨が嘘のように空は高く晴れ渡っていた。 昨夜の寒さとは打って変わって、強い陽射しが照りつけている。 「うーん、今日はとても良いお天気よ!熱くなりそうね」 キャロルは乾かした衣をまとい、洞の外に向かって軽やかに両手を上げて伸びをした。 王子は苦笑したが、伸び伸びと振舞うキャロルを見ると心が安らいだ。 「嬉しそうにはしゃいでいる場合ではないぞ。一刻も早く我が軍を探して合流せねばなるまい」 二人は崖下の川に沿って下流へと下る。道とは呼べぬ道であった。 「足元に気を付けろ。私が先に行く。私の歩いたところを辿るのだぞ」 王子に手を引かれながら、キャロルは危なげな足取りで王子の後を歩く。 ぬめった岩場でキャロルは何度も足を滑らせ、その度に王子の手が俊敏に彼女の体を支えた。 先を行く王子の背中はとても広く逞しく頼もしい限りだ。 長い亜麻色の髪も颯爽と風に流れて美しい。 キャロルは惚れ惚れと彼の後ろ姿を見ていた。 (私の恋人・・・) 胸の中でキャロルは呟いた。 王子の事を思う度に、暖かい肌や低く落ち着きのある声が脳裏によみがえり胸を切なくする。 彼は目の前にいるというのに、どうしてこんなに切なくなるのか自分でもわからない。 (私この人の事・・・すごく好きになってしまったみたい。でもこれって2回目なのよね? 最初に好きになった時はどんな感じだったの・・・?) そんな事を思い巡らせているうちに、昨日の夢で見た黒髪の男の姿が突然色鮮やかに胸に浮かんだ。 魂の底からの叫び。彼はなぜあのようにキャロルを強く呼ぶのだろう? そしてあの美しい女が責め立てる『罪』とは・・・ 王子は何故か、彼らについて何も語ってくれない―― 13 「何を考えている?ボヤボヤしているとまた足を取られるぞ」 声にハッとして、キャロルは慌てて笑顔を作った。 「何でもない」 王子は鋭い視線で、心の内を見透かすかのようにキャロルをジロリと見た。 (もう・・・ほんとに鋭いんだから!) 気持ちを取り直し、キャロルは王子の後に続いた。 昼間の炎天下を歩くのはキャロルにとっては相当に過酷であった。 キャロルは息を乱しながら懸命に王子について来るものの、金の髪は汗に濡れ白い肌は赤く火照っていた。 川辺の木陰を見つけると、王子は休息を取るように申し出た。 「ここで暫し休もう。私は水を浴びて汗を流して参る。そなたもどうだ?」 「えっ!!い・・・一緒に?!」 キャロルの驚き方が大げさだったので、王子は思わずクスクスと笑いを漏らした。 「一緒になどとは申しておらぬ。 私はこちらで、そなたはその岩陰のあたりで浴びれば良い。 ・・・そなたが一緒にと申すなら、私は一向に構わぬが?」 たちまちキャロルの頬が染まる。 「水流はゆるやかだが、あまり川の中程へは行くでないぞ。危ないからな」 そう言うと王子はさっと背を向け、腰帯を緩め衣を脱ぎ始めた。 「ああ・・・もぅ、恥ずかしいんだから」 岩陰でキャロルは脱いだ衣を畳み、そっとつま先から水に入った。 まったくの裸身で野外にいるのは、いくら人気のない場所とはいえ落ち着かない。 けれど清らかな水流が泥汚れや埃を洗い流すと、心まで洗われるようだった。 キャロルはもう少し先へと足を伸ばした。 突然、水が深くなった。 キャロルは必死で水面を求めてもがき、声を張り上げて王子を呼んだ。 14 「姫?!何事だ!」 激しい水音とキャロルの声を聞きつけて、王子は水を掻き分けて泳ぎキャロルの許へと急いだ。 すぐにキャロルは王子の腕で抱き上げられ、水面上に顔を上げて荒い呼吸を繰り返した。 「どうしたのだ、溺れるような深さではないぞ」 「だって・・・わたしは足がつかないのよ。王子は背が高いから・・・」 「ならば、もっと浅い所におれば良いのに。まったく、そなたは向う見ずだな」 また王子はクスクスと笑った。 「もう・・・さっきから私を笑ってばかり!」 (そなたがあまりに可愛いからだ!) 王子は思ったが声には出さず、相変わらずキャロルをからかうような笑いを続けていた。 キャロルは王子を睨んで、手のひらですくった水を彼の顔をめがけて放った。 俊敏にかわそうとしたが、顔半分を濡らされた。 「この・・・!」 王子はキャロルの両手首を掴み上げる。 キャロルの両腕を頭のあたりまで万歳をするように引き上げると、水面に白い乳房が浮かんだ。 「きゃぁっ!」 とっさにキャロルは胸を隠そうとしたが、両手を掴まれていては何もできない。 水を浴びて清らかになったキャロルの抜ける様な白い肌に王子の目は惹き付けられる。 琥珀の瞳に妖しく危険な色が灯った。 「あまりに悪戯がすぎると、こうだ・・・」 王子はキャロルの腕を頭上で掴んだまま、白い胸の先端をそっと口に含んだ。 「あっ・・・」 小さな蕾のようなそれを舌先で転がすと、あっと言う間に硬く尖り始めた。 その正直な体の反応は王子を喜ばせ、さらに劣情を煽り立てる。 ふたつの蕾を交互に唇でついばみ吸い寄せると、キャロルは堪らず甘い声を漏らした。 「あ・・・あんっ!」 15 しかし突然、王子はキャロルの両腕を解放した。 キャロルに少しは抵抗されるかと思ったのに、彼女は目を閉じて微かに唇を震わせるだけだった。 恐ろしいあまり抵抗すらできないのでは・・・と不安になったのだ。 「姫・・・嫌ならそう申せ。そなたが嫌がるのならこのような真似はしない」 キャロルは答える代わりに、王子の胸にそっと寄り添った。 「王子・・・」 白い頬は上気し、悩ましい色に染まっていた。 もはや迷いも無くキャロルの体を抱き上げると、水から上がり川辺にそっと横たわらせた。 昨夜、彼女の体を抱いて温めていた時も、狂おしい程にその肌が欲しかったのだ。 胸の中で眠る愛らしい姿を見守りながら、どれほど自分を戒めて抑えていた事か! 抑えに抑えた欲望が堰を切って溢れ出した。 「良いのか?途中では止めてやれぬぞ・・・!!」 キャロルは王子を真っ直ぐに見つめて、コクンと頷いた。 16 Ψ(`▼´)Ψ 「しかし、まだ私を思い出した訳ではあるまい?」 キャロルは目を閉じ、首をゆっくりと横に振った。 「思い出したいの! それにわたし・・・またあなたを愛し始めてる。だから・・・」 「おお・・・姫、姫・・・!!私を愛していると!」 愛しい娘の口から紡がれる言葉を念を押すように王子は繰り返した。 (私は・・・そなたの真実の愛を手に入れようとしている。今度こそ・・・!) もう何も彼を止めるものは無かった。 激しく唇を奪う。王子の舌が唇を割って、貪るようにキャロルの舌を吸った。 彼の両手はキャロルの胸を優しく包み込んで、その先端を刺激する。 唇はキャロルの敏感な場所をすべて知り尽くしている。 耳朶の裏、首筋、背筋の窪み、腿の内側・・・ それらすべてに巧みに舌を這わせ、幾度もキャロルにすすり泣くような声を上げさせた。 王子の手が彼女の両脚の間に滑り込み一番敏感な場所に指が触れた時、キャロルは驚いて少し抵抗した。 「あっ・・・そんな・・・イヤ・・・見ないで!」 しかし王子は口端に笑みを浮かべるだけだ。 眩しい程の陽射しのもと、お構いなしにそこにただずむ花弁を指で広げた。 小ぶりな真珠が震えて王子を誘っていた。 「美しい・・・」 感嘆のため息と言葉を漏らし、愛しそうにそこに口付ける。 キャロルを抱くときは、いつも必ずそうしていた。 どれ程彼女が恥らっても、体を溶かす程に舌で愛撫し、意識を失う寸前まで責め立てた。 「あっ・・いやぁ!!」 熱い舌が艶かしく動き、蜜に濡れた真珠を丹念に舐め上げる。 キャロルは太腿から爪先までを強張らせて激しく仰け反った。 そして彼の指がキャロルの中へと進入して、蜜の溢れる胎内を妖しい動きでかき混ぜる。 キャロルは頭の中に熱風が吹き荒れるようで、もう何も考えられなかった。 王子の舌の触れる場所から官能のうねりが巻き起こり、何度もキャロルを高みへと押し上げる―― 17 Ψ(`▼´)Ψ 何度も達し、脱力して川辺に横たわるキャロルの体を起こした。 「立てるか?背中が痛むであろう・・・ここでそなたを組み敷く事はできぬ」 彼女の背を側の大木にもたせ掛けるようにして立たせた。 王子に支えられて何とか立っているものの、彼女足はふらついて今にも崩れ落ちそうだ。 キャロルと向き合い、耳元に優しく囁いた。 「姫・・・愛している。そなただけだ」 そしてキャロルの片脚を持ち上げて、自分の腰へ絡ませた。 彼女を求めて猛り狂う男のそれを、充分に愛撫され綻びた花びらに突き立てる。 硬く熱い王子の一部が、胎内を押し分け奥深くに挿入した。 「あっ!!」 キャロルは王子の首に抱きついて、押し寄せる快感に耐えた。 王子はキャロルの脚を更に高く掲げ、奥まで到達させると腰をゆっくりと動かし始めた。 わたしの体はこの人を知っている!・・・そう思った。 彼の動きや癖に、キャロルの体は我知らず自然に呼応するように反応し始めた。 王子はキャロルの体をきつく抱きしめ何度も激しく突き上げた。 キャロルの意識が朦朧とし始めた頃、突然腰の動きをピタリと止めた。 低い唸りと共に、キャロルの中に思うままに熱い迸りを放つ。 自身をキャロルに沈めたまま、全身が脱力してゆく瞬間。 もはや王子も立ってはいられなかった。 キャロルの力の抜けた体を胸に抱いたまま、ズルズルとその場に座りこむ。 何かもが愛しさと満足感に満ち溢れ、二人にとってはまさに至福の時であった。 キャロルは激しく上下する王子の胸に頬を寄せると目を瞑った。 めくるめく官能の波が記憶の底に沈んだ断片を、ゆっくりとゆっくりと揺り起し始めていたのだった。 18 ――外の篝火がほの暗く二人の影を落とす寝台の上。恐らく、そこは天幕の中。 キャロルは王子の逞しい裸身の下で、まさに今彼を受け入れようとしていた。 今まで誰にも触れられた事のない場所に、引き裂くような痛みが走る。 王子は感に堪えぬ恍惚に目を細めながら、苦痛に歪むキャロルの顔を心配そうに見下ろしていた。 「私はもはや、そなたから離れられぬ・・・そなたを愛しいと思うを止められぬ」 「わたしも・・・わたしもよ。あなたを愛している!」 しかし、同時に黒髪の男の面影が胸によみがえり出した・・・! 抜けるように青く高い空、肌を焦がすようなきつい陽射し。 男の流れるような黒髪には黄金の冠が太陽の光を受けて、眩しく輝いている。 でも、それ以上に眩しいのは・・・強い意志を秘めた、彼の黒い瞳。 それでもやはりはっきりと彼の顔は思い描けない。 焼け付く陽射しから庇うように、自分のマントでキャロルの体を包んでいた。 マントの中のキャロルに彼は、激しく唇を重ねる。荒々しく熱い唇。 それが触れた瞬間、火がついたように胸が熱くなる。 炎のような彼の激情が触れた肌から伝わってくる。 「私の妃になれ・・・そなたを愛している!」 「ええ・・・わたしはあなたと共に生きるわ」―― 王子に抱かれた幸福感もさめやらぬ内に、キャロルの心には不安な嵐が吹き荒れ始めた。 (どういう事なの・・・!どういう事? 誰なの・・・!誰なの・・・?明らかに王子ではない男の人だった!) キャロルは自分の体を抱きしめるようにして震えた。 19 キャロルの顔色が青ざめているのを見ると、王子は気だるい体を起こした。 「どうした・・・気分でも悪いのか?」 心配そうな王子の面差しを、キャロルは見つめ返す事さえもできなかった。 黒髪の男が彼女を呼ぶ声が、今も頭の中でこだましている。 その時、一羽の白い鳩が谷合に舞い降りた。 慣れた様子で鳩は差し出された王子の腕に向かって羽ばたき、その指先に停まった。 「・・・ルカだな」 鳩の足から小さな紙片を取りあげ、小声で読み上げる。 「何!・・・メンフィスが?」 思わず口にしてしまってから、王子は腹立たしい程に後悔した。 その名前はキャロルを更に激しく揺さぶった。 「メンフィス・・・メンフィス? 王子、今メンフィスって言ったわ・・・?誰なの?」 「シッ・・・今はそれを話しておれぬ!」 「ねぇ王子、教えて!知っているのでしょう?!」 キャロルの唇に指を当てて王子は無言で質問を遮った。 王子は冷静を装って紙片に目を落とすと、硬い表情で続きを読んだ。 意志の強そうな隙の無い端整な横顔。 王子は彼女には極めて優しいが、何でも聞き入れてくれる扱いやすいタイプの人間では断じて無い。 キャロルは王子は話してくれるつもりは無いのだと悟った。 だけど彼は何もかもを知っている、とキャロルは確信した。 メンフィス・・・メンフィス・・・メンフィス・・・その名を心の中で何度も反芻した。 あの男の声が、キャロルの中でだんだんと大きくなっていった―― 20 「ふむ、我が軍はそう遠からぬ場所に駐屯しておるのだな。 急がねば!この崖を登るしかないが・・・どうしたものか」 王子は崖の上を見上げた後、キャロルを見た。 「えっ?ここを登るの?」 「そなたには無理ぞ・・・私がそなたを背負って登る」 「そんな・・・危ないわ!」 「いや、ぐずぐずしておれぬ・・・我々は追われている!早く私の背へ!」 王子はキャロルを背負い、切立った崖を慎重に登って行った。 幸いにも足場になるような岩が見受けられ、岩石からなる地盤は固く、昨夜の雨で緩んだ気配も無い。 頑丈な蔓や木の根を頼りにすれば、何とかキャロルを背負って登れそうだった。 気がかりなのは、キャロルが最後までしっかり彼につかまっていられるかどうかという事だ。 「姫、まだ持ちこたえられるか?」 「大丈夫よ・・・王子こそ・・・」 「あと少しで登り切る。絶対に手を離すでないぞ!」 慎重に足場を確認しては、崖面を登って行く。 王子の額には汗が玉のようになって流れた。 汗が目に染みて痛んだが、もはやこの高さとなっては足を踏み外す事は許されない。 しかしあと僅かという所で、足場にしていた岩が突然に割れて崩れ落ちた。 二人の体がガクンと宙に揺れる。 「きゃあっ!!」 とっさに岩の出っ張りを王子は掴んだが、背中に感じるキャロルの重みがずっしりと負荷をかけてくる。 「くっ・・・」 「王子・・・王子・・・!」 二人分の体重を支える手と腕が震え始める。 「大丈夫だ・・・しっかり私につかまっておれ!」 極限の状態にあってもキャロルの存在が何よりも彼を奮い立たせ、全身の力を漲らせる。 王子は何とか新たな足場を探し、慎重に体を移動させた。 |