『 記憶の恋人 』 101 斥候に出ていたルカは陣営に戻るなり、息を切らして王子と将軍の許へと駆け寄った。 ルカの只ならぬ顔色に王子は整った眉をひそめる。 「何事か・・・ルカ、そのように慌てふためいて」 「お・・・王子・・・、たった今知らせが入りました・・・! ヒッタイトからの援軍は・・・ヒッタイト王が・・・陛下自ら率いられ・・・アッシリア国境に差し掛かったところで・・・ 居合わせたアッシリア軍の奇襲に合い・・・」 切れ切れに漏らされるルカの言葉に、王子の顔から血の気が引いてゆく。 琥珀の瞳は見開かれたまま動かない。 「その折に陛下は・・・流れ矢にあたり・・・ご、ご崩御なされたとの事でございます!!」 「なに・・・父上が・・・!!」 「王子・・・急ぎ帰国のご準備を・・・!!」 「おお・・・あの豪気な父上が・・!! 将軍・・・ヒッタイト兵をここに集結させよ! そしてルカ、そなたは姫に付いて様子を見ておれ。 私は暫し手が放せぬ。良いか、決して目を離すでない・・・頼んだぞ!」 王子は全兵士を召集し、ヒッタイト王の訃報と直ちに帰国の路に向かう旨を厳粛に伝えた。 兵士達の間にどよめきが沸きあがる。 悲嘆にくれる兵士達を前に、王子は覇気漲る声で父王と妹を死に至らしめたアッシリアそしてエジプトに必ずや報復せんと高らかに宣言した。 冴え渡る月を背に、堂々とたる体躯に武具を纏い立ちそびえる男の姿ははさながらに軍神のようであった。 アナトリアの大国、ヒッタイトの新王誕生の瞬間に兵士達は士気を煽られ、口々に怒涛のような雄叫びをあげた。 102 兵士達を解散させると、王子は急いでキャロルのいる天幕へと向かう。 何か理由の知れぬ胸騒ぎがして落ち着かない。 「おお、ルカ・・・姫の様子はどうか?」 ルカは王子の声に気づくと、すぐさま足許に跪き低頭して許しを請うた。 「申し訳ございませぬ!!獣の鳴き声に気を取られ外に出た隙にお姿を眩まされ・・・」 王子はルカが言い終わるより早く、刀身を鞘に収めたままの剣でルカの体を打ちつけた。 憤怒を爆発させた王子は、青白い炎を宿した鋭い瞳でルカを見下ろした。 「たわけ・・・!あれ程に目を離すなと申しつけたであろうが!! 手分けして今すぐに探せ!何かあらば、そなた・・・生きてはおれぬと思え!」 「はっ・・・!」 王子は足許もろくに見えない暗い山道を、あてもなく探し回った。 川辺に下りて、彼女の足でも歩めそうな場所はすべて見渡した。 (おお・・・何処にいるのか――! 何故これ程までに私を苦しめる・・・私を苛立たせるのだ! それでもなお・・・そなたを求めずにはおれぬ私の心が何故わからぬのか・・・おお、姫よ!!) 至る場所を駆けずり回り、途方に暮れた王子は、ふと滝の音に耳を傾ける。 王子の目の前には暗い色の水が音を立てて落ちる滝壷が広がっていた。 (まさか・・・!) その下を流れる川に恐る恐る目を向ける。 月の明かりを頼りに、目を凝らして見れば水の流れに巻かれて流される黄金の髪が見えた。 「おお・・・姫!!」 王子はザバザバと深い川を渡る。 肌を刺すように冷ややかな夜の水に、浮いては沈むキャロルの体をその腕に抱き上げた。 ただでさえ白い顔はもはや青白く、紫がかった唇はもはや呼吸を止めていた。 「愚かな・・・!おお、何と愚かな・・・!」 冷え切った体を抱き、その胸に耳を当てる。 しかし柔らかな胸の膨らみの奥からは確かな鼓動の音が伝わってくる。 思わず王子は天空を仰ぎ、目を閉じて神に祈りを捧げた。 103 キャロルを急いで水から上げると、川原へ横たわらせ、何度も口移しで空気を送っては飲み込んだ水を吐き出させる。 呼吸を促すうちに、キャロルはゴホゴホと咳き込みながら何とか息を吹き返した。 王子はキャロルの体をあらんばかりの力で抱きしめ、どこへぶつけて良いのか分からぬ怒りに向かって叫んだ。 「おお・・・姫!!何と馬鹿な事を!!そうまでして死に急ぎたいのか!!」 キャロルはうっすらと瞼を開けた。 (また・・・また王子に助けられてしまった・・・わたし・・・死ねなかった・・・) 力なく、諦めにも似た弱々しい微笑みがキャロルの頬に虚しく浮かんで消えた。 王子は懐に手を差し入れ、小さな壜を握り締めた。 それは、あの星の流れた夜、エジプト王宮でアイシス女王に手渡された禁断の秘薬であった。 ――愛する者への思慕を消し去る、キルケーの秘薬。 キャロルに飲ませれば、メンフィスへの深い思慕を忘れさせる事ができる、そうアイシスは言った―― 王子の指が、壜の蓋を外した。 黄金の液体が妖しく揺らめいた。 「哀れな姫よ・・・。 私がこれ程までに愛するその身を、そなた自らの手で葬ろうとするのか! それならば・・・その命、この私が貰い受けようぞ!!」 王子はキャロルの唇に、ゆっくりと黄金の秘薬を注いだ――― 104 ―――キャロルはエジプトでの日々を呼び起こす長い夢から目覚めようとしていた。 記憶の底でいつもキャロルを呼んだ黒髪の男――メンフィス。 今キャロルは彼の顔も、彼との記憶もはっきりと思い描ける。 彼と過ごした熱波のような日々、彼との別れ、そして・・・ まだ頭は夢の中から抜けきらず、瞼が重い。 (そう・・・わたしはメンフィスと愛し合っていた。誰よりもメンフィスを愛していた・・・。 メンフィスはわたしを助ける為に炎の中で命を落として・・・メンフィスは・・・メンフィスは・・・!)――― 「キャロル!大丈夫か?・・・しっかりいたせ!」 体を揺り起こされて、キャロルは目を覚ました。 突然、現実に引き戻され呆然と辺りを見回した。 寝台に横たわる彼女の背中を支える、力強い腕。 陽に焼けた浅黒い逞しい胸にファラオの印である黄金のホルスの胸飾りが揺れている。 「メ・・・メンフィス!!」 キャロルは大声で叫び、自分を抱きしめる男の顔を見上げた。 黒く艶やかな流れる髪。高く通った鼻筋に引き締まった唇。強い意志を秘めた黒曜石の切れ長の瞳。 紛れもなく愛しいメンフィスの胸の中にキャロルはいた。 105 端整な口許に複雑な表情を浮かべて、メンフィスはキャロルを心配そうに見つめていた。 「キャロル・・・随分とうなされていたぞ! 何も思い出せぬとはまことか・・・!?・・・何があった? おお!そなたに一体なにがあったのだ!!」 キャロルはメンフィスに飛びついて、その首にしがみ付いた。 「メンフィス・・・メンフィス・・・あなた無事だったのね!! わたし・・・思い出したの・・・神殿が燃えて・・・あなたは死んだとみんながそう言ったわ!! だから・・・だからわたしも死のうとしたの・・・だけど死ねなかった!」 キャロルは細い腕で力の限り、メンフィスの身体を抱きしめた。 身を燃やしつくす程に恋焦がれた愛しい恋人。 その彼は今キャロルの目の前に、以前と変わらぬ凛々しい姿で彼女を抱きしめている。 「私は死なぬ・・・!そなたを残して死ぬものか!!」 メンフィスはそう言って、キャロルの頬を自分の頬に引き寄せた。 「神殿が崩れた時の衝撃で飛ばされ、ナイルに落ちたのだ・・・! 随分川下まで流され意識を取り戻し、民に助けられ命からがら戻った時、王宮はひどい騒ぎだった。 そして・・・そなたの姿は消えていた!」 キャロルはメンフィスの体の温かみを確かめるように、その胸に頬をすり寄せた。 メンフィスも愛しげにキャロルの背を何度も何度も撫でる。 「姉上は・・・イズミルがそなたを口説き、駆け落ち同然に逃亡したのだと・・・! 私はそのような事は信じぬ! イズミルは嫌がるそなたを奪って逃亡したのであろう?・・・そうに決まっておる!」 しかし、キャロルの体はメンフィスの腕の中でビクリと震えた。 「キャロル・・・・?!」 106 (――わたしは、王子と・・・王子とも愛し合っていた・・・!) キャロルの記憶は、王子の妃になるのを拒みメンフィスの許へ行くために滝に身を投げた所でプツリと途絶えていた。 しかし、その後王子と愛し合っていた事実を断片的に蘇った記憶が知らせていた。 月の夜の砂漠で王子の求婚を受けた事・・・。 そして、その後――天幕の中で王子と深く結ばれた初夜・・・。 なのに、何故王子を愛するに至ったのか・・・その過程をキャロルは思い出せない。 まるで霞みがかかったように、ぽっかりと穴が開いたように空洞になっているのだ。 「どうした・・・?何故そのような顔をする?」 メンフィスの表情は強張ってゆく。 (メンフィスが死んだと聞かされて・・・私は命を絶とうと滝に身を投げた・・・! その後どうなったの・・・?ああ、思い出せない・・・どうして、王子を愛するようになったのか・・・!) 「何か申せ!キャロル!! ・・・そなたはイズミルに捉えられ無理に連れて行かれた、そうであろう?」 (わたし・・・わたし・・・メンフィスを裏切った・・・?) そして、崖下に落ちて一切の記憶を失った後もキャロルは王子を愛するようになった。 彼女を救った王子を信じると決めた後、二人は衝動に操られるように川辺で愛し合ったのだ。 (あの時・・・わたしは王子を愛してた事を確信したわ・・・) その後、山間で待ち伏せしていたメンフィスの矢に撃たれ、王子はキャロルの足許に倒れ伏した。 深々と彼の背に突き立った矢から飛び散る血潮が脳裏によみがえる。 (王子は・・・今どこに・・・?一体どうなってるの・・・! わたしは誰を愛しているの・・・?メンフィス・・・?王子・・・?ああ!!) 107 何も答えぬキャロルにメンフィスは押さえ切れぬ苛立ちを感じて、細い手首を捉えると乱暴に寝台に押し倒した。 「キャロル!!何か申せ!何故なにも答えぬ?!」 「メンフィス・・・!」 その弾みで、キャロルの胸元が少しはだけて白い肌が露出した。 そして――そこには、色濃い接吻の跡が生々しく残っていた! 「おおお・・・・・・・!!」 メンフィスは総毛立つような激情が胸から全身に広がるのを感じていた。 気が遠くなりそうな程の猛烈な怒り。凄まじく凶暴な狂気がメンフィスを支配し始める。 メンフィスはキャロルの衣装を力任せに剥ぎ取り、音を立てて引き裂く。 「いやっ・・・やめて!やめて・・・メンフィス!!」 怒りに燃え滾るメンフィスに抗えるはずもなく、キャロルはあっという間に一糸纏わぬ裸身にされた。 見下ろすメンフィスの黒い瞳がゆっくりと、白い肌に残る男の跡を辿ってゆく。 胸元・・・乳房・・・腰・・・腹部。 それは、キャロルの腿の辺りにまでも及んでいた・・・ 震えるメンフィスの手がキャロルの足首を捉え、ゆっくりと脚を開かせる。 「いやあっ!!」 白い腿の最奥、そこにひそやかに佇む女の器官がメンフィスの面前に露わになった。 メンフィスがいつか心のままに愛でてやりたいと胸を熱く焦がし続けた、愛しいキャロルの秘所。 淡い色味の小さな花弁は、メンフィスの前で震えている。 しかし、その可憐な二枚の花びらの間からはありありと――白濁した男の残滓が流れていた! 「おのれ・・・!イズミル・・・殺してやる!たたき殺してくれる――!!」 メンフィスの咆哮が天幕を揺らした。 108 イズミルはキャロルを抱いた―― メンフィスが最も恐れていた事。 とってそれはメンフィスにとって想像にすら耐えられぬ事であった。 「おおお・・・許せぬ・・・イズミル!!この怒り・・・どうしてくれよう!」 体中の血が逆流して渦巻き、炎で炙られるような痛みがメンフィスの全身を駆け抜ける。 欲望ではなく、あまりにも激しい怒りがメンフィスの男の部分を猛々しく怒張させた。 悲鳴さえ発せないキャロルの両足を大きく広げると、メンフィスは他の男の名残が滴る花びらに、凶器と化した猛り狂う自身を突き立てた。 未だに狭く屈窮なそれに構わず、腰を強く押し付けて深く貫通させる。 もはやキャロルの悲鳴は、ドクドクと脈打つ自分自身の鼓動にかき消され聞こえない。 何かに執りつかれたようにメンフィスはキャロルを激しく抱き続ける。 熱い迸りをキャロルの中に何度放っても、メンフィスの怒張は一向に納まりを見せない―― どれほどの時間が経った後であろうか。 メンフィスがやっと正気に戻った時、キャロルは彼の体の下で完全に意識を失っていた。 いつキャロルが失神したのかさえ気付かなかった。 一体何度キャロルの中に放ったのか・・・それすらメンフィスは覚えてもいなかった。 可憐な佇まいを見せていた淡い桜色の花びらは、痛々しく陵辱されて赤く色づき、おびただしい量の残滓にまみれている。 メンフィスは思わず片手で額を押さえ、目を瞑った。 胸の中にはとどうしようもない後味の悪さが渦巻き、まだ荒れ狂う怒りが煮え滾っている。 初めてキャロルを抱いた後だと言うのに、満足感など微塵のかけらもありはしない。 やるせなさと苦渋に満ちた深い吐息を漏らし、杯や水差し、手元にある物を手当たり次第、力のままに床に投げつけて叩き割った。 109 「おおお・・・何故にこうなる!」 キャロルの力ない体を胸に抱きしめ、メンフィスは体を震わせて叫ぶ。 「何故だ―――っ!! 何故にそなたを・・・この私が・・・そなたを傷つけねばならぬのだ・・・! 何よりもそなたを愛しく・・・大切にしてきたと言うに!! このような形でそなたを抱こうとは・・・!!おお、何故だ!何故だ、キャロル!!」 メンフィスはキャロルの体をそっと寝台に横たえると、上掛けを肩の上まで掛けてやった。 先ほどの乱暴さなど億尾にも感じさせぬ優しい仕草で、疲れた頬に残る涙の跡を指で拭った。 金色の髪を、柔らかな唇を、細い肩を愛しげに撫でる。 キャロルの白い手に自分の指を絡めて、そっと握り締めた。 そして耳元に囁く。 「キャロル・・・そなたを愛している・・・! 何が起ころうとも私の想いは変わらぬ・・・決して変わりはせぬ!!」 メンフィスはゆっくりとキャロルに背中を向けて天幕を後にした。 110 暗い天幕の中。倉庫代わりに荷物を積み上げた狭い一角。 イズミル王子は頭から水をかけられ、目を覚ました。 体を捩ろうとしたが、背中から左肩にかけて受けた矢傷に焼けるような激痛が走る。 動こうとしても両腕は頭上で柱に縛りあげられ、身動きさえままならない状態であった。 「――目覚めたか?いい様だな・・・!!」 力強く響く男の声に顔を上げる。 片手に持った鞭で床をピシリと叩きながら、メンフィスは立っていた。 水が滴る前髪の間から冷ややかに睨みつける琥珀の瞳が、メンフィスの激情を燃え立たせる。 メンフィスは鞭を空中に撓らせると、いきなり力任せに王子の裸の上半身を打ちつけた。 皮の鞭の先が撓り、鈍い音と同時に肌に亀裂走らせ鮮血が滲んだ。 「ぐっ・・・!」 「よくも・・・貴様!私がおらぬ間にキャロルを―――!!」 皮膚を裂き骨を軋ませる鞭の音とメンフィスの怒声が交互に響く。 何度鞭で打たれようとも、王子は歯を食いしばり苦痛に耐えるだけで一言も言葉を漏らさない。 「キャロルの体を無理に奪ったのか! 吐け・・・申さねば即刻斬り殺す!!」 王子は苦痛に満ちた端整な顔を上げて、口端に嘲笑を浮かべる。 「私は姫が愛しい・・・姫を愛している。 ふっ・・・愛しい娘に・・・誰が無体など・・・!」 |