『 糸 』

11 
 ミヌーエは、テーベへ帰ってきた次の日から、キャロルの傍を一時も離れなかった。
 当然のことながら、ミヌーエの軍隊は解散させられてしまったので、特に成すべき勤めもない状態である。
 一方キャロルは、いつもミヌーエが付き添っているので、息をつく暇もない。
 こんなことは、自分が古代に紛れ込んだ当初、メンフィスの目を盗んでなんとか逃げ出そうとしていた頃以来である。
「ミヌーエ将軍、ルカがいるからそんなに付き添ってくれなくて大丈夫よ。
それに、もうひとりで王宮を抜け出したりしないわ。」
 キャロルはたまらずそう訴えるのだが、ミヌーエは意に関せずといった風で、
「ルカは召使です。それに、わたくしはキャロル様の『脱走』を心配しているのではなく、御身の安全を心配しているのですよ。」
 と、言いながらキャロルの前に跪き、細い指にそっと口付ける。
以前なら、せいぜい彼女の衣の端に口付けるのが精一杯だったろう彼の洒脱な仕草に、キャロルは陶然となりながらも、なんとか気持ちを立てなおして彼の手から自分の手を引き抜く。

12
「ミヌーエ将軍、あなたずいぶん変わったわね。聞けば国境警備をさぼって休暇を取っていたんですって?
何をしていたのよ?」
 ずっと花街にでも入り浸っていたのかと、厭味たっぷりにキャロルが聞くと、ミヌーエは、くすりと心底おかしそうに含み笑いを返す。
「女性と過ごしていた訳ではありませんが、変わるのは当然ですよ。
キャロル様も随分変わられました。」
「変わった?私のどこが?」
 ミヌーエのずべてを見透かしたような答えに、キャロルは少し恐れながら聞いた。
「…お美しくなられました。」
 ミヌーエはにっこり笑いながら、キャロルの顔を覗き込む。
その瞳は、言いたいことは全く違いますよと、明らかにそう言っているが。
 ミヌーエは、近くの花瓶から花を一輪抜き取り、気障な仕草でキャロルの髪に挿た。
そのまま無骨な、しかし繊細な指先が、キャロルの黄金の髪を絡めとる。
 不意に、キャロルはミヌーエの意味するところがわかった。
(やっぱり、ミヌーエはイズミルに心惹かれた私に気付いている…。)
 イズミル王子との熱い夜々。キャロルの身体ばかりか、心まで溶かした…。
 キャロルは赤くなりながら、後ずさった。するとミヌーエは、さっと手を伸ばしてキャロルの両腕を掴んだ。
「あまり後ろにさがると、池に落ちます、キャロル様。」
 思わず声をあげそうになりながら、キャロルは耳まで赤くなった。

13
 ミヌーエから逃げる様にその身をもぎ離し、キャロルは自室に走りこんだ。
 さっき、ミヌーエに掴まれた両腕が熱い。心臓が痛いほど早鐘を打っている。
 いつも、ミヌーエが纏わり付いているのでキャロルは考え事に浸ることもなく、かえって有り難いことではあるのだが。
(わたし…なんだかおかしいわ…ああ…)
 キャロルは両腕で自分を抱きしめる様にしてしゃがみこんだ。
(イズミル王子…会いたい…)

 イズミル王子と過ごした半年。
 初めは、メンフィスを失った悲しみと、イズミルへの怖れで、頑なになっていた。
まして、イズミルはメンフィスの存命中から自分を付け狙い、執拗に追い掛け回していた男。
そんな男に援軍の見返りとしてこの身を差し出すなんて、なんという屈辱。
 決して、決して心許すまいと誓っていた。心だけは永遠にメンフィスのものだと。しかし、
変わってしまったのだ。
 ヒッタイトは同盟と同時にその証としてキャロルの身柄を要求した。ヒッタイトの王子との婚儀は戦いが終結してからになろうが、それまでの間、キャロルは客人としてヒッタイトの首都ハットウシャに滞在を求められたのである。
しかし、客人とは名ばかりで、その実は人質である。

14
 テーベからヒッタイトへと向かう旅路の途中、エジプトの国境でヒッタイト軍にキャロルの身柄は引き渡された。
 その夜、王子の天幕で、イズミルは早速キャロルを引き寄せた。
「姫よ、何故そのように隅の方にいるのだ。何故そのように私から離れて座る?」
 力強い腕を体に回し、無遠慮に触れてくる。キャロルは、今は大事な時だから王子の機嫌を損ねてはいけないとおとなしくしていたが、体が強張るのはどうしようもない。しかし、それもイズミルの行為がますます大胆になって、ついにキャロルの唇を求める仕草までだった。キャロルは、理性の止める声も聞かず、イズミルの頬を平手で打っていた。
「やめて、王子!わたくしはエジプトの王妃です。あなたの奴隷ではありませんわ。これ以上の無礼な真似は止めてください。」
 怒りのあまり涙を浮かべながら、キャロルは猛烈に抗議した。イズミルが怒って、さらに無体な行為に及んできたらどうするか、そんな事は今の彼女の頭にはない。しかし、イズミルは怒るでもなく、逆に笑みを浮かべた。
「やっと、威勢のよい姫になったな。やはり、そなたはそうでなくては。」
と言いながら、おさえ切れないようにくっくっと笑い始める。
打たれた頬を気にするでもないその様子に、キャロルはいぶかしそうに首をかしげた。
 イズミルはやっと笑いを収めると、打って変わって真剣な優しい目でキャロルの顔を覗き込みながら言った。

15
「姫よ、メンフィスの死も、私の元に来る決断も、さぞ、辛かったであろう。一人で、よく乗り越えたな。しかし、もはやそなたに辛い思いはさせぬ。」
 イズミルは指先でキャロルの頬にそっと触れた。しかし、それさえもキャロルが眉をひそめるのを見て、手を下ろす。
「王子…。」
 キャロルは警戒しながらも、意外な言葉に対する驚きで、あとの言葉が続かない。
 イズミルは穏やかに続けた。
「国境でそなたの身を引き取った時、そなたの目には、何も映ってはいなかった。
あきらめて、身を任せて、投げやりに生きようと思っているのか。
しかし、私が欲するは、人形ではない。わたしが、そなたを幸せにする。
二度とあのような目はさせぬ。」
 その言葉に、イズミルの深い愛を垣間見たような気がした。このまま、イズミルにすがってしまいそうだ。
(だめ、ここで気を許しては。こんな言葉は偽りに決まっている。)
 キャロルは自分を叱咤し、身を引きながら冷たく叫んだ。
「私のことを思うのならば、わたくしに指一本触れないで。あっちへいって。
ほおっておいて。」
「ならぬ!エジプトの命運は、我がヒッタイトの手中にあるのだぞ。アッシリアとの戦に負ければ、エジプトがどのような目にあうか。そなたが一番よく分かっておろう。
であれば、聡明なそなたのこと、ここで私の機嫌を損ねるはどういうことか
わかるであろう。どうかな?」
 先程のうっとりするような優しい仕草はどこへやら、イズミルは厳しく応えた。
 この戦は、ヒッタイトにとっても命運を賭けた戦いなのだ。生半可な覚悟ではない。
「私は今から湯浴みをする。そなたも一緒に来て、私の背中を流せ。」
 イズミルは立ちあがりながら、征服者の傲慢さでキャロルに命じた。
「いいえ、いやです。私は…」
 キャロルは、イズミルの無体な振舞いは却って自分を気遣ってのものだと薄々気付いてはいたが、
一度たがが外れたら反抗的な言葉が止まらない。
「ならば頼まぬ。」
 イズミルはキャロルを抱え上げると、湯殿へ連れこんだ。

16 Ψ(`▼´)Ψ
「や、やめ…」
 キャロルの反抗は、イズミルの大きな手に簡単に封じられてしまう。
「そなたが嫌がるなら、無理強いはせぬ。」
 イズミルは、キャロルの耳元に口を寄せてささやいた。
「うそつき…わたし、嫌がってるわ…あ…」
 衣装を着けたまま湯船に引き込まれ、イズミルに押さえつけられるように
抱きしめられて、キャロルは必死に抵抗した。
「ふっ…本当に嫌がっているのなら、こんな風にはならぬ。」
 イズミルの指が、キャロルの秘密を探る。
 お湯の熱気とイズミルへの反抗心が、冷めていた心に火をつけ、キャロル本来の鼻っ柱の強さが蘇ってきた。
 キャロルは精一杯腕を突っ張って、イズミルの厚い胸板を押しのけようとするのだが、イズミルは頑として動じない。
「あっ…いや、いや、やめて王子、なにをするの。」
「何をするのかとは…言葉で言って欲しいのか、姫よ。」
「王子、ふざけないで。そんなとこ触らないで…。いや…」
 目に涙を溜めながらの必死の抵抗を、イズミルは楽しんでいる。
「私は、どこも触ってはおらぬ。そなた一人が暴れているのだ。」
「いや…いや…」
 イズミルは、キャロルの濡れた服を脱がそうとはしない。キャロルは、湯殿の熱気のせいばかりではなく、本当にのぼせてきた。

17 Ψ(`▼´)Ψ
 イズミルの片手はキャロルの腰をしっかりと抱き、もう一方の手はキャロルの奥深く入り込み、官能の淵へと誘う。
 キャロルは仰け反り、なんとかその手を逃れようともがいた。
「姫よ…心地よいのか?」
 イズミルはキャロルの耳元に唇を寄せて、色っぽくささやく。
そのまま、イズミルの舌が、じっくりとキャロルの耳朶を弄った。
「ああ…王子、ひどいわ…そんな言い方。あんまりよ…。」
 キャロルは快楽と屈辱の半ばで引き裂かれながら訴えた。
 その目に、本気の涙が浮かぶ。
「すまぬ…。」
 イズミルはその様子を見て、やっとキャロルを解放した。

 ハットウシャへ向かう旅路のなかで、ふたりの距離は急速に近づいていった。
 独身の頃には思いも寄らぬことだが、一人寝のさびしさはキャロルを苛んでいた。
人の温もりが傍にあるだけで、心が安らいだ。
 たとえそれがイズミルであっても。
 メンフィスへの罪悪感はいつも感じたが、どんなに自分を戒めても、
夜毎の目くるめく陶酔のなかでほどけて行く自分を止められない。
 キャロルは、誰かに縋りつくことで、自分を必死に保とうとしていた。

17.5の1
キャロルは、その夜何度目かの短い夢を見て、目を覚ました。
 心臓は早鐘のようで、胸は塞がれたように重い。
 キャロルは起きあがって顔を覆ったまま、夢の尻尾が行き過ぎるのを待った。
 夢の中で、キャロルはどこまでも続く浜辺を走っていた。夜空にはいっぱいに花火が打ち上がっているのに、何の音も聞こえない。
 この先に、メンフィスが待っている。
 はやく…はやく行かなくちゃ…。
 だけど、どこまで走っても、砂浜は果てることがない。花火はいよいよ明るく、誰もいない砂浜にキャロルの影を写しだす…。
 メンフィスが死んでから、夜毎訪れる短く苦しい眠り。哀しい夢を見るというわけではないけれど、いつも夢はキャロルの心を重くした。
 夜明け前の孤独をひとり堪えるキャロルの肩に、そっと手が添えられた。
 キャロルは振り向きもせずに、じっとしていた。同じ寝台の反対側で眠っていたイズミルが、キャロルの気配に目覚めたのだろう。
 このまま、イズミルはキャロルを引き倒して…?
 このまま抱かれてしまおうか。抗ったところで、誰のために操を守るというのか。
メンフィスはもういない。どっちにしろハットウシャへ着けば、婚儀をあげなくてはならない。
 だったらいっそ、いま抱かれてしまったほうが心が落ち着くのではないだろうか。
この辛い夢の檻からも、逃れられるかもしれない。
「王子……抱い、て…。」
 イズミルは暫く何も言わなかった。ただ呆れるほど優しく、その腕が肩に絡んできて、キャロルを引き寄せただけだった。
 イズミルは仕方ないなというように、肩で息をつくと、掠れた声で言った。
「ここでそなたを抱けば、いままでの私の全てが、嘘になってしまう…。」

17.5の2
キャロルの胸いっぱいに泣きたい気持ちが渦巻いて、そのせいで却って泣けなかった。
 メンフィスを失った哀しみ、自分への苛立ち、イズミルへの甘え、自分を差し出したエジプトへの怒りもあったかも知れない。
 キャロルは感情を吐き出す事もできず、拳をイズミルの胸に打ちつけ、身悶えた。
 そして、感情を全て殺してキャロルは虚ろに呟いた。
「貴方はただ、形にこだわって、いま目の前にいるわたしの苦しみを受けとめることを拒んでいるだけよ。貴方は、わたしが好きなわけじゃない…。」
「何を言う、姫よ。この胸を裂いて、この想いをそなたに見せようか。
一体、私にどうしろと言うのだ?ここでそなたを抱けば、それで満足なのか?姫よ?」
「ちがう…ちがうわ。王子、わたしの言いたいのはそんなことじゃない。
貴方は自分のことしか考えていないって、そういうことよ。
貴方は、自分の想いを押しつけているだけ…。」
 イズミルは、キャロルのやり場のない思いを感じていた。ただ、絡んでいるだけなのだ。
そんな相手に真面目に愛を説くことを愚かなことと思いながらも、真剣にならずにはいられない。
「そうだな…わたしは人生を賭して、そなたを求めてきた。だから…いまは…何と言われようと…。」
「じゃあ、わたしはどうすれば良いの?もう耐えられない…!耐えられないのよ!
貴方の体で、温もりで、癒して欲しいのに…!」
 それは、キャロルの血を吐くような心の叫びだった。しかし、イズミルは穏やかにキャロルに言っただけだった。
「姫よ、今宵はもう休め。我らには時間はたっぷりある。その話しの続きは、明日の夜でもよかろう。今宵は、もう悪い夢はやって来ぬよ…。わたしが守るゆえ…。」
 キャロルは、納得いかぬように何度も何度も頭を振りながら、それでも少しの温もりを求めてイズミルの胸に縋った。
 やがて腕のなかで眠りについたキャロルを見つめながら、イズミルの胸にも嵐が吹き荒れていた。
(姫よ…そなたが苦しめば苦しむほど、これほどにそれほどにそなたを捕らえ続けるメンフィスが、わたしは…憎い!)
 抱き締める腕はそのままに、イズミルは感情をじっと押し殺した。

17.5の3
「姫よ、少し、外へ出てみぬか?」
 翌朝、イズミルは天幕のなかでいつまでも臥せったまま起きてこないキャロルに言った。
 ハットウシャまで、あと峠を二つ。今朝は遅立ちであった。
 キャロルは、のろのろと天幕の外へ出た。
 小さな草花が咲き乱れ、せわしない蜂の羽音がそこかしこに響いている。
 キャロルは思わず目細めた。風が優しくキャロルの髪をなぶる。
「姫よ、ハットウシャの春は、美しいであろう…?」
「ええ…」
 キャロルは至って素直に返事をした。
「きれい…」
 胸いっぱいに吸い込んだ空気が、生命の息吹をキャロルに伝えている。
 少しほころんだキャロルの口元を満足げに見やって、イズミルは言った。
「姫よ…花冠をしているそなたを見てみたい。」
「王子……?おかしな人ね。」
 それでも花を摘んで座り込んだキャロルを、春の日差しが照らす。
イズミルはその傍らに腰掛けて、夢中で花冠を編むキャロルの手元に見入った。
「どう?」
 やがて出来あがった花冠を頭に載せて、キャロルはイズミルを振り仰いだ。
「きれいだ・・。」
 何のてらいもなく、イズミルが答える。
「はい」
 キャロルは座ったまま手を伸ばして、イズミルの頭にも花冠を載せようとした。
イズミルはその手をつかんで、立ちあがった。キャロルを立たせておいて、イズミルだけ片ひざをついてキャロルの前にひざまずく。

17・5の4
「王子…?」
 イズミルは頭を垂れて言った。
「王冠は本来神よりいただくもの。そなたはわが女神。我が法。
 全てを超えてわたしを支配する唯一絶対の法だ。
 さあ、わたしに冠を授けてくれ。わたしは、生涯、常春の女神を守ることを誓う…!」
 戸惑うキャロルの手をとって、自らの頭に導く。
 キャロルは、おかしなことと思いながらも、イズミルの真剣さに逆らうことができなかった。
 春は、二人を包んでいよよ萌える。

18
 イズミルとの思い出に浸りながら、キャロルの頬を涙が伝い始めた。
(イズミル王子…わたし、このままではどうなってしまうか分からない。
どうしていつも傍にいて、わたしを愛したり、叱ったり、抱き締めたりしてくれないの。
どうして戦になんか行ってしまうのよ。わたしを一人にしないで…)
(テーベに帰ってきてからわたしは変だわ。泣いてばかりいる。弱虫なキャロル、どうしてもっと強くなれないのよ。)
 頭のなかで、自分の冷静な部分が冷ややかに見下している。だが、一度流れ始めた涙はどうにも止まらない。やがて、その奔流に飲みこまれるように、感情が堰を切って溢れ出す。
「キャロル様、どうなされました?」
 キャロルの嗚咽は、部屋の外まで漏れていたようだ。ルカが心配したようすで覗き込む。
「ルカ…。」
 キャロルは涙に曇った目で、ルカを見上げた。
 ルカが戻ってきたのは知っていたが、ここのところずっとミヌーエが纏わりついていたので、ルカと話をする暇はなかった。
 ミヌーエは、ルカを快く思ってはいない。ルカがメンフィスの存命中からヒッタイトの間者として潜入していたことを思えば、それも当然である。
「ルカ…ルカ…!」
 キャロルは頬を涙で濡らし、ルカの胸に縋りついた。

19
 必死に縋りつかれれば突き放す事は出来ない。ルカは戸惑いながらも、キャロルをあいまいに抱き留めた。
 キャロルは言葉もなく、ただ泣き続けている。
 もともと、ルカにとって、キャロルは主君の想い人以上の存在ではない。
忠義を尽くすべき相手とはイズミルただ一人であって、キャロルはイズミルのために守っているに過ぎない。
 数々の危機を共に乗り越え、いつも自分を庇ってくれる彼女を敬愛していることも確かだが、それでもイズミルのためであればいつでも捨てられる。
ルカにとっては、大切なのはイズミルだけで、他の人間などどうでもいい。
そんな中で、キャロルはちょっとだけ特別、ただそれだけのことだった。
 しかし今、泣きじゃくるキャロルを胸に抱いているうちに、ルカの頭は靄がかかったようにぼんやりとしてきた。

20
 ルカは、キャロルがヒッタイトへ向かう前日の晩、自分の胸に頬を寄せて泣いた時のことを思い出していた。
 震える身体、細い肩。
 知らず、キャロルを抱きしめる腕に力がこもる。
「キャロルさま、お嘆きにならないでください。このルカが、ついています…。」
「ルカ…」
 ルカは、キャロルにイズミルの様子を話し、彼がどんなにキャロルのことを想っているか、だから心を強く持って欲しいと告げなくては、と思うのだが、全く別の言葉が口から溢れ出す。
「キャロルさま、わたくしがいつ何時でもお守りいたします。姫に万が一の事があれば、わたしは…。」
 自分は一体何を言っているのか、ルカは自分の声を遠くに感じた。
 キャロルの甘い肌にのぼせたのか。
 キャロルの苦悩に同情しているだけなのか。
 いずれにしろ、ルカは抗し難い誘惑を感じていた。
 自分にこんな一面があったと言う驚きと共に。
 やがて、ルカの服を掴んでいた手が、ぱたりと落ちた。
「キャロルさま…?」
 ルカはキャロルの顔を覗き込んだ。泣き疲れて眠ってしまったらしい。
 ルカは、ふぅ、と息をついた。
 どうにか自制した。妙な達成感を感じながら、ルカは眠り込んだキャロルを寝台へと運んだ。

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