『 出逢い 』

21
「おのれ、イズミル!何を申すかっ!キャロルは我が妃となる娘だ。誰が貴様などに渡すかっ!姉上がそのようなことをするはずがない、私が許さぬ!」
「やめてっ、やめてっ!メンフィス、全ては私一人が企んだことです。この人は関係ないの。お願い、やめてっ!」
キャロルがメンフィスの腕に縋った。メンフィスは怒りにまかせてキャロルを力一杯突き飛ばした。キャロルは人形のように石床に叩きつけられ、動かなくなった。
だが次の瞬間にはメンフィスがイズミル王子の鉄拳に倒れ、床に叩きつけられた。
周囲の人々は突然の乱闘に驚き、為すすべもない。
(ナイルの娘はイズミル王子と通じたのか?何と大胆な・・・)
(だが王子はアイシス様が娘を与えたと言われたぞ。アイシス様が邪魔な娘を・・・?)
(ああ・・・全くあの黄金の髪の娘は厄介ぞ。ファラオはあの娘のこととなると正気ではなくなられる)
キャロルがメンフィスの思い人であり、しかし彼女の方はメンフィスを怖れ厭うていること、そしてメンフィスは異母姉アイシスの熱愛を受ける身であることをよく知る人々は困り果てて目の前の修羅場を見守った。

イズミル王子はメンフィスに馬乗りになり、動けぬように肩関節を固め、喉元に手刀を突きつけた。ただならぬ殺気。
「私を侮辱することはヒッタイトを侮辱することとなる。我が妃を侮辱することは妃が未来に産み出す我がヒッタイトの未来を辱めることになる!」
アイシスが叫んだ。
「やめてください、イズミル王子!メンフィスは何も知らぬのです!」
最愛の男性の危機に、冷酷な策士であるアイシスの仮面が剥がれ落ち、愚かにも恋に狂う女の貌が露わになった。
「・・・メンフィス、キャロルは・・・イズミル王子の妃なのです。
神のお告げを受けた私が・・・独断でことを進めたのです」

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「姉上・・・いや、アイシス。先ほど申したことはまことか」
ファラオの寝室。傷の手当も済ませ、寝台に横たわる若い王は異母姉を厳しく冷たい視線で縛り付けた。
先ほどの騒動―キャロルをめぐるメンフィスとイズミルの争い―は一応の集結を見、居合わせた人々には厳重な箝口令がひかれた。
キャロルはイズミル王子の腕に抱えられてヒッタイト王子のための宮殿へと運ばれた。
これだけを見ても、もう・・・勝負は明らかであった。女神の娘は異国の王子を選んだ・・・!メンフィスには耐え難い屈辱であった。大勢の前でうち倒され、あまつさえ最愛の娘まで奪われたのだ。
「・・・許して下さい。メンフィス」
アイシスは哀しい声音で最愛の―でも決して自分を見てはくれないつれない男性―メンフィスに言った。幾度も繰り返した言葉。

許して下さい、あなたの誇りをうち砕いたことを。
許して下さい、あなたのおそらくは初めての恋をうち砕いたことを。
許して下さい、許して下さい、許して下さい、あなたを愛する私を。
私はあなたを誰にも渡したくない。そのためなら何でもします。
私は愚かで、そなたしか見えぬ。そなたしか愛せぬ。そなたが一番嫌う類の女です。でも運命と国法が決めたあなたの妃です。異母姉です。

でもその言葉は決して美しいばらの唇の外に漏れ出すことはなかった。
アイシスは自分を拒絶する手を唇に押し当て、ようやく言った。
「許して下さい。でも、そなたとエジプトを救うためにはやむをえない事だったのです。
神が私に告げました。金髪の乙女をヒッタイトの王子に、と。ナイルの女神の娘はラーの子たるあなたに禍をもたらすだろうと。どこか遠くにやってしまえばいいと。
私は恐ろしかった・・・神の声が。だから昨夜、王子にキャロルを与えました」
メンフィスはアイシスを睨みすえた。愛情のかけらもない果てしなく冷たい瞳。
「誰が本気になどするものか。お前は私がキャロルを愛するのが気に入らず、嫉妬に狂ってキャロルをヒッタイトの獣に投げ与えたのだ」

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「気付いたか?まだ起き上がってはならぬ。強く頭を打ったのだ。しばらく安静にいたせよ」
脳震盪を起こしたキャロルが意識を取り戻したのは夕刻のことだった。ぼんやりと王子の心配そうな顔を眺めていたキャロルはじき、先ほどの騒ぎを思い出した。
「王子っ!何故、私はここにいるの?さっきの騒ぎは?私、メンフィスに説明して・・・」
「説明してどうするのだ?」
王子は起き上がろうと藻掻く身体を優しく寝台に押さえつけながら聞いた。
「言ったであろう?そなたは私の妃だと。メンフィスもそのことは分かっている。後は・・・アイシスがあの若者に説明してくれるだろう。そなたは何の心配もせずにいれば良い。
・・・そうだ、何か飲むか?頭の瘤の湿布を替えてやろうか?」
王子に優しくあやされながら、キャロルはなおも頑固にここから出ていくと言い張った。
「だって私のせいで皆に迷惑をかけたのよ。あの召使いの女の子はどうしたかしら?居合わせた人たちは何て言っているかしら?
ねぇ、王子。私、ここにいるわけにはいかないわ。あなたに・・・私に優しくしてくれたあなたに迷惑をかけてしまう。それにミタムン王女!私のせいであの王女様の立場が悪くなったらどうするの?
アイシスにも・・・メンフィスにも謝るわ。そして・・・家族の許に帰るか、ここを出ていくかどちらか・・・とにかく皆に迷惑をかけないように・・・」
「まぁ、何と変わった方かしらね。私のお兄さまが妃にしてくださるというのに嫌なの?メンフィス様が本当に嫌いなら、ヒッタイトへ行けばいいのに。
エジプトに残りたいならお好きに。あなたが束になったって私には勝てませんことよ」
辛辣な声の主はミタムン王女だった。

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「おお、ミタムン。勝手に入ってくるとはよくないな」
「だってお兄さまがご執心の姫の顔が見たくて。皆が噂していますわ。これまで女っ気のなかったお兄さまが恋に狂われたと。大丈夫ですの?
・・・ああ、私の方は大丈夫ですわ。メンフィス様のお見舞いにも参りました。アイシス様は死人のようなお顔の色」
ミタムン王女はキャロルをじろじろと品定めした。二人の優れた若者を虜にした娘にいわれのない先入観を持っていたのだが、兄王子が大切にする娘はほんの子供。赤ん坊のようにあやされながら、おめでたい訳の分からないことを言って人の心配ばかりしている。
(私の敵にはならぬ娘。お兄さまがご執心だというけれど・・・。いずれにせよ、エジプト王宮からいなくなってくれるなら私もお兄さまに協力するわ。メンフィス様だって説得して見せますとも!)
ミタムン王女は椅子に座るとキャロルと兄を交互に見ながら、今の王宮内の様子を教えてやった。
メンフィス王とアイシスの決裂の傷の深さは並大抵ではないこと。
メンフィスはキャロルに執心するあまり、今は金髪の娘に憎しみすら抱いていること。
「・・・でもね、お兄さま。臣下の者達はアイシス様のお言葉を信じる方に傾いていますのよ」
「まことか?」
「ええ。この姫がいれば宮殿が荒れるのは必至ですもの。正直、典礼や外交を無視して女神の娘を求めるファラオに皆、困り果てていたのですわ。そちらの姫はファラオを好きではなかったということですし・・・ね。
イムホテップが、ファラオへの上申書の草案を作っているようです。神のお告げに従って、そしてエジプトとヒッタイトのためにナイルの娘を赤い河の国ヒッタイトへ嫁がせるべし・・・ってね」
ミタムン王女は狡猾な、でも魅力的な微笑を浮かべた。
「私はお兄さまの味方ですわ」

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ミタムン王女は頭のいい女性だった。
異母姉アイシスのメンフィスへの片恋と焦燥、そんなアイシスの盲愛を疎んじているメンフィス・・・といった関係を素早く見抜き、我こそは実質的な王妃、未来の国母ともなろうと冷静に駒を揃え、並べていた。
メンフィスが夢中になっているキャロルの存在は計算外であったが、肝心のキャロルがメンフィスを嫌っているのなら、むしろ自分の味方の駒になると踏んでいた。
「ナイルの姫、あなたがお兄さまとヒッタイトに行ってくださるなら私としても嬉しいことですわ」
王女は如才なく、年下の娘に微笑みかけた。

一方、メンフィスは。
キャロル喪失の怒りの発作から覚めると、早速キャロルを取り戻す算段を始めた。自分を翻弄し、拒絶し、しかも他の男の許に走るような娘を痛めつけ、罰せずにはおれないメンフィスだった。
(おのれ、キャロル!私を拒否などさせぬ。ナイルの女神の娘たるそなたは我が腕の中で生きるのだ!
痛めつけ、罰し、謝罪させ・・・しかる後に愛してやる、この上なく!)
その時、イムホテップの来訪が告げられた。
老宰相は未だ怒りの影去らぬ若者の顔を見て静かに臣下の総意であると言って話を始めた。
すなわち、アイシス女王とミタムン王女を典礼と外交契約に則って速やかに娶り、国内の安定を図るべきこと。
ナイルの娘キャロルはヒッタイト・エジプト両国の変わらぬ友好の印として最高の格式をもってイズミル王子の許に嫁ぐべしと。
「メンフィス様、恐れながらキャロル様を正妃として娶られる件、臣下は承伏いたしかねまする。あのお方は得難い方。
しかしナイルの女神の娘が、アメン・ラーの御娘たるアイシス様を差し置く地位に昇ることは神々がお許しにはなりますまい。
あの方はエジプトのさらなる繁栄をもたらすヒッタイトとの婚姻のために、女神がお差し遣わせになったのです。
それが・・・神々のご意志でございます」

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「そなたの言いたいことはそれだけか。よい、下がれ」
「メ、メンフィス様っ!どうか・・・どうか一国の主として賢明なるご判断を」

メンフィスはイムホテップを追い返した部屋の中でしばらく黙って考え込んでいた。しかしやがて手を叩き、召使いを呼びだした。
彼らは口の利けないファラオの影の親衛隊であった。命令にはただ実行するだけのためのもの。問い返したり、秘密を漏らしたりすることは決してない黒い肌の召使いたち・・・。

メンフィスの命令を受けた黒い召使い達が、イズミル王子の部屋に侵入したのは、翌日の午前中のことだった。イズミル王子は協議と会談のために席を外し
、召使い達も朝の片づけで多忙であったその時。
彼らは荒々しく客人の居間に入り込み、キャロルを拉致した。勿論、召使い達は彼女を守ろうとした。キャロルも逃れようとした。
しかし爬虫類じみた無感覚さで、刃向かう者達をなぎ払い、痛めつける彼らを見て、キャロルは観念した。
もうこれ以上、抗うことは許されない・・・と。
(全ては私の責任・・・。メンフィスの怒りは全て私が受け止めよう)
「もう・・・もう、やめて!め、命令です。これ以上の狼藉は許しません。
わ、私はあなた方とメンフィスの許に参ります。それなら・・・良いでしょう?」
そしてキャロルは奴隷か捕虜のように、彼らに連れられて行った。

キャロルが通されたのは豪華な一室だった。ファラオにこそ相応しい内装。
明るい光の中、キャロルは呆然とあたりを見た。
(私・・・これからどうなるの?メンフィスは怒りにまかせて私をなぶり殺しにするのかしら・・・?それとも・・・むごたらしく慰み者にする・・・?)
毅然としていようと思うのに涙が溢れてきた。涙は後から後から溢れてくる。
「王子・・・。ごめんなさい・・・」
思わず口をついて出てきた言葉にキャロルは驚きを感じた。自分は何故、彼を呼ぶのだろう?

27
「王子・・・」
キャロルは呟いた。気がつきもしないうちにひどくかの男性(ひと)に惹かれていたのだ、ということに初めて気付くキャロル。
あの人は優しかった。あの人は私を大事にしてくれた。あの人は私を護ってくれた。
それなのに。
私はメンフィスの好きにされてしまう。私はあの人に迷惑をかけるわけにはいかない。あの人を呼べば、あの人に迷惑をかけてしまう。それは駄目。
「辛い・・・どうして・・・私は・・・」
(どうして私はあの人にお礼も・・・言わなかったのだろう?あの人が好きだと言ってくれたとき、嬉しかったのだとせめて伝えたかった。)
キャロルは涙に曇る瞳で豪華な室内を見渡した。部屋には大きな長椅子が置かれている。その側の小卓の上の乱れ箱には絹の紐や、小振りな鞭が置かれている。
(辱めを受けて・・・なぶられて・・・死ぬんだ)
キャロルは吐息をついた。
へたへたと座り込んだその眼前に、まるで走馬燈のように幸せだった頃の映像が映し出される。
家族に囲まれた日々。友人達。いつもいつも自分の幸せを願っていてくれた優しい人たち。20世紀。
そして。
王子の顔。水の中で抱きしめてくれた逞しい腕。知的な笑顔。

(私は・・・誰の辱めも受けない・・・!)
キャロルは絹の紐を取り出すと自分の細い首に巻き付けた。前で交差させた紐をきりきりと締め上げる。
息が苦しくなり、頭の血管が痛いほどに脈動するのが分かる。全身がかっと熱くなり、目の前が醜く歪み暗く沈んでいく。
それでもキャロルは力を緩めなかった。
古代に引きずり込まれて以来、ずっと自分の意志の届かぬ理不尽で強い力に翻弄されてきたキャロル。
それに対する復讐であるかのように・・・キャロルは自らの命を絶とうとしていた・・・。

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床に倒れ臥すキャロルを見て、メンフィスは何が起こったのか分からなかった。憎い娘は恐怖のために気絶しているのかとも思った。
「・・・キャロル・・・?どうした・・・?」
メンフィスはぞんざいともいえるような仕草でキャロルを抱き起こした。
その瞬間、メンフィスの瞳に映ったのは土気色をして弛緩しきった愛しい娘の変わり果てた顔。
「キャ・・・ロル・・・?」
(誰だ?これは?何だ?これは?キャロルはどこに行ったのだ?こんな木偶人形を置いたのは誰だ?
これは・・・?これは・・・?これは・・・?)

空転し、同時に凄まじい勢いで目の前の状況を分析する思考。
腕の中に抱いている娘。絹の紐を首に巻き付け、目を瞑っている娘。冷たい身体。口から一筋垂れる血の混じった唾液・・・。誰も入れなかった部屋で・・・首に紐を巻き付けて倒れていた娘。
憎い・・・愛しい・・・憎い・・・誰よりも愛しい・・・娘・・・。

「あ・・・ああ・・・キャロル・・・?」
メンフィスは乾ききった唇からようやく言葉を発した。
(誰も入れなかった部屋で・・・一人、私を待っていた娘。
罰して・・・愛して・・・私の思いの丈を伝えようと思っていた・・・そなた。そなたは・・・そなたは・・・自ら・・・死・・・を・・・?)
メンフィスはがくがくと震えながら動かぬ娘を見つめた。
「キャロルーーーーー!」

(私がそなたを殺したのかっ・・・!)
(私が嫌いなのか?イズミルに義理立てして死を選ぶほどに・・・?)
(愛していたのに・・・愛しているのに・・・何故・・・?)
滂沱と涙を流し、キャロルを抱きしめる若者の姿を見いだした人々の驚きはいかばかりであったか。

エジプトの奥宮殿ではイムホテップの指揮下、厳しい箝口令がひかれた。

メンフィスは侍医の手で鎮静剤を飲まされ、昏々と眠っていた。そんな彼を見守るのはミタムン王女ただ一人。
アイシスは・・・。ヒッタイトの王子が滞在する宮殿に拉致されるように連れて行かれた。
かろうじて生きているのが分かる程度に浅く弱い呼吸をするキャロルと共に。

「姫・・・。何故に・・・」
王子は首筋の深紅の跡も痛々しいキャロルの蒼白な顔を見つめながら、幾度目とも知れぬ問いを繰り返した。
「こたびの不祥事、お詫びの言葉もございませぬ・・・」
沈痛な面もちで頭を下げるイムホテップ。その傍らで固い表情のままのアイシス。
「我がエジプトの総力をあげまして、ナイルの姫の・・・王子のお妃のお手当をいたします。
お怒りはごもっともでございます。しかし、どうか・・・どうか・・・」
自国の王が他国の王子妃を拐かし、我がものにしようとした。しかし王子妃は辱めを受けることをよしとせず自害を図った・・・。
エジプトのメンツは丸つぶれ。戦が起こっても当然のことだった。
今回の悲劇のそもそもの張本人アイシスも重い口を開いた。
「エジプトは・・・正式にヒッタイトに・・・謝罪いたしまする」
「当然だ」
イズミル王子は初めて目を上げてアイシスを正視した。驚くほど冷たく厳しい視線にアイシスはいたたまれず、目を伏せた。最も卑しい罪人のように。
そしてあるかなきかの声で呟いた。
「メンフィスを・・・許して下さい。こたびのこと、我が弟には何の関係もありませぬ。
キャロルを・・・そなたの妃を拉したるも全てはメンフィスの若気の至り。我がいたらなさ。全ての咎は私に・・・」
「この償い、どのようにするつもりか」
「それは・・・」
珍しく口ごもったアイシス。彼女はもはや女王ではなかった。ただ愛しい男を巻き込んだ忌まわしい運命の采配におののく愚かな女性・・・。

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後を引き取ったのはイムホテップ宰相だった。彼は誠意と政治的配慮を滲ませた巧みな口振りで、王子を刺激せぬよう話をした。
すなわち。
ナイルの女神の娘キャロルは必ずや健やかに回復し、最高の格式を以てヒッタイトへ嫁ぐこと。
その際にはシナイ山の豊かな銅山を持参金としてヒッタイトへもたらすこと。無論、これは持参金のほんの一部だ。
エジプトはヒッタイトに謝罪し―ただし非公式にだ。誰が自国の王の恋狂いを表沙汰になどしたいものか―ヒッタイト有利ないくつかの条約を締結する。
「ふん、それがエジプトの誠意≠ゥ。気前の良いことだな」
イズミル王子は底知れぬ恐ろしさを秘めた冷たい口調でイムホテップの言葉を遮った。
「メンフィスは私の妃に死を強いた。故意ではないにせよな。
・・・どうだ、宰相。メンフィスにも同じ目に遭ってもらおうではないか。自分で自分を縊るのだ。苦しかろうな・・・?」
目には目を、歯には歯を。王子の目はそう語っていた。

「だめ!やめて!お願いですっ!」
アイシスが膝を折り、王子に縋った。
「メンフィスには罪はない。全ては私の咎。私が悪いのです。どうかあの子は傷つけないで!」
最愛の弟・夫であるメンフィスを幼い日の感覚そのままに「あの子」と呼ぶアイシスの哀しさ・・・。
「あなたにお詫びします。幾重にも。わ、私は第一王妃の格式と呼称を・・・ミタムン王女に譲りましょう。本当です。どうです?有利でしょう?
こ、これで自動的に王女生所の子は・・・完全な王位継承権を持ちます」
「アイシス様っ、何と言うことを!」
「ふん・・・。それほどまでにメンフィスが愛しいか。だが嫉妬深い蛇のような女の言うことを誰が信じる?」
王子はなおも言い募った。

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