『 妖しの恋 』

81
王女の直裁さと率直な暖かさがキャロルの心を少し楽にした。
「私は異世界の人間ですから。呪術をかけられた人間ですから。ここにいてはいけないのです。
アイシスの呪術からどうにかして逃れて、故郷に帰って・・・それが一番良いし、自然なことなのです」
キャロルはさり気なく答えたつもりだが、ミタムン王女は、子供の見え透いたうそに付き合ってやっている母親のように黙り込んだままであった。
早く本当のことを言ってしまいなさいよと無言で強制して。
とうとうキャロルはこの我侭な少女の姿を借りた真実の女神に告白する仕儀となった。
「・・・私・・・他にどうすることが出来るの? 私は多分、あなたがイズミル王子様をお好きなように・・・私の兄にも似たあの人を慕っているってことになるのかもしれないわ。でもそれは正しいことじゃない。愛だの恋だのですらないかもしれない。私はこの世界に属するものじゃないから。異分子だから。
何かに・・・特定の誰かに心傾けるなんてことは出来ないし、してはいけないの」
「じゃあ、キャロル。お前はお兄様のこと好きなのね?そうなのよね?! じゃなきゃお兄様と同じ寝台で眠れないわよね」
「ミタムン王女っ!」
「赤くなることないじゃない。お兄様がお前に何もしておいでじゃないことくらい分かるわよ。
・・・それから異世界生まれのこと、そんなに特別な事だって考えなくて良いわよ。王家じゃ珍しくないのよ、女神の生まれ変わりとか、神の子が人の腹を通って人界に降りてきたとか。
別に世界の秩序が大きく動いて皆が迷惑するって事はないわ。お前も安心していればいいの」
ミタムン王女は真剣な面持ちになると立ち上がってキャロルの手をしっかりと握りしめた。
「お願いよ、キャロル。ここに居て。私の友達で、お兄様が初めて好きになったお前。私とお兄様が守ってあげる。だから帰りたいなんて無駄な望みに縋って生きるようなことしないで」

82
アイシスはそっとメンフィスの寝室の扉の中に入った。常夜灯の中、体側に腕をぴっちりとつけ、足を閉じ合わせてミイラかなにかのような姿勢で目を瞑るメンフィス。それはまるで神殿に横たわる死者のようで。
「メンフィス・・・」
アイシスはそっと声をかけた。真実が明らかになったあの晩以来、姉弟は口も利かず、目も合わさない。不自然な姿で眠るメンフィスはそのままアイシスの行為に対する糾弾のようであった。
「メンフィス、お願いです。お願いです・・」
何を願っているのやら分からないまま、アイシスは声をかけた。しかしメンフィスは本当の死者のようにぴくりとも動かない。
やがてアイシスは深い、苦い吐息をついた。
「・・・もう・・・いいのです・・・。そなたの顔を見られたのだから」
アイシスは自室に引き取っていった。暗い寝所には最後のものとなるであろう秘薬が、脱魂の秘薬が彼女を待っていた。
今宵がアイシスに許された、おそらくは最後のチャンスだった。キャロルの許からメンフィスの命と魂を取り戻し、自分のそれと同化させ・・・共に生きるための。
是が非でも成功させるつもりであったが、本当のところはアイシス自身にも分からない。下手をすればアイシス自身が死んでしまうかもしれなかった。
(それならばそれでよい・・・。メンフィスだけは生き残る。あの子が少しでも長くファラオとして現世に君臨するのが私の望み・・・。
いつかメンフィスも私の心を分かってくれるであろう・・・)
重い足取りで女王は豪華な寝台に向かう・・・。

(姉上・・・)
メンフィスは薄く目を開き、姉の出て行った扉を見やった。忌まわしく呪わしい運命に自分を叩き込んだ愚かな女。憎い女。汚らわしい魔女。おぞましい存在。
だが・・・幼い頃より慣れ親しんだ唯一の肉親。姉にして妻。
(姉上・・・どうして・・・・)
決して答えの出ない問が脳裏に無限に反響した。熱い涙が生ける死者の頬を濡らした。魂を持たぬのに胸は引き裂かれんばかりに痛み、滂沱と流れる涙は止まることがないのだった。

(神よ・・・)
アイシスは秘薬を一気に干した。おなじみの味が口に広がり激しい風が彼女の魂を彼方へと運んだ。

83
深夜。イズミル王子は、はっと目を覚まし腕の中にいるキャロルを確かめた。
(何かが来る・・・!)
得体の知れない気配が濃厚に立ち込めていた。油断なく暗闇に目を配る王子の腕の中でキャロルもまた不安げに目を見開いた。
「王子・・・来るわ。分かるの」
「そなたは何も心配せずとも良い。何のために私がそなたを守っていると思う?」
わざと軽口めかしながら王子は枕のしたから短剣を取り出した。
そのとたん。
ゆらり、と部屋の一隅の空気が揺らぎ、妖しい燐光を帯びそれはすぐアイシスの姿をとった。アイシスは冷たい笑みを口元に刻み、撓る光の鞭となって一直線にキャロルに襲い掛かった。その口元は僅かに動き、なにやら呪文を唱えている。
「きゃあぁぁっ!」
激しい苦痛に悲鳴をあげるキャロル。アイシスの実体を持たぬ手はキャロルの胸元から光り輝く塊─それは人の魂と命だ─をつかみ出している。

84
(私は・・・死ぬ・・・)
理屈抜きの恐怖が初めて実感を伴って体感された。すうすうと空虚な風が体内を通り過ぎ、そこから命が止め処もなく流れ去っていく感触。
目の前にある光の塊は暖かく生気に満ちた美しい色合いをしている。黄金色と茜色の魂魄の塊だ。
それは死の恐怖の只中でさえ見惚れるほどの美しさだった。そうキャロルはもとよりイズミル王子ですら。
しかし。その光の塊の対極にあるのは蒼白な燐光に包まれ鬼気迫る壮絶な美しさを漂わせるアイシスであった。
愛しい人と共に生きるために、愛しい人とただ一緒にいたいがために、人一人の命を犠牲にすることに何の躊躇いも覚えない哀れな女性。
「キャロル、死にや。そなたにもう用はないゆえに。死して後であれば何処なりと望みの場所に行きつけようよ!」
アイシスは微笑を浮かべてさえいた。キャロルはもはや死んだような状態で、イズミル王子ですらアイシスの瘴気に当てられてか体が動かないのだ。
(私は死ぬんだわ・・・)
キャロルの青い瞳はかろうじてイズミル王子を捕らえた。一瞬の内に様々なことが脳裏を駆け抜けた。
懐かしい20世紀の家族、古代エジプトの抜けるように青い空、黒曜石のように美しい王家の姉弟。
夜毎、夢に見た懐かしい家族。ライアン。
ライアンの面影はいつしかイズミル王子のそれに代わった。理知的で秀麗な容貌。温和な声音。大きな暖かい手。自分を守ってくれる大事な存在。
兄のような、いいえ兄以上の特別な存在。
(ああ・・・私は・・・)
やっとキャロルは自分の心を解放した。閉じ込めて思い浮かべることさえ固く禁じていた想いを言葉として思考することを自らに許した。
(私・・・王子が好きだったんだわ。ああ・・・私もこの人が私にしてくれたように想いを伝えれば・・・良かったのに・・・ね)
キャロルは黙って目を閉じた。

85
「メンフィス!そなたは生き長らえる!」
アイシスの歓喜の声はしかし化け物じみた叫喚の声としか聞こえなかった。魂だけの存在として長く体外にありすぎたせいか彼女の存在はだんだんに薄気味悪い色合いの煙の塊へと化して来ていたのだ。
アイシスは、ずるりとキャロルの胸あたりから生き生きと輝く魂を引きずり出した。今までメンフィスの命を養ってきた彼女の魂を。何事もなく生きていれば、まだ人生で味わう喜びと悲しみの10分の1も味わっていない若い魂を。

「アイシス!やめよ!」
ようやくの態で体を動かし、手に隠し持っていた鉄の守り刀を裂帛の気合と共に投げつけたのはイズミル王子であった。
重い鉄剣は実体を持たぬはずのアイシスに突き刺さるような形となり、今は忌まわしい亡霊と変わらぬアイシスは聖なる印を刻んだ鉄剣によって、床に留め置かれたような形になってしまったのだ。
「ぎゃあぁぁぁっ!」
アイシスは凄まじい苦痛の叫び声をあげた。鉄剣が触れた個所からは悪臭のする煙のようなものが立ち上り、アイシスを襲った苦痛の激しさを物語る。
イズミルは素早く体勢を立て直すと、アイシスに縋った。
「早くキャロルの魂を返せ!そなたがしていることは忌まわしき禁断の術ぞ。そのような妖しき技で生き長らえてメンフィスが喜ぶものか!
まことそなたの弟を思うなら、穢れなきままに黄泉に送ってやるが良い!」

「そなたになぞ、何がわかる?!」
アイシスは絶叫した。
「誰かを愛したことなどないくせに!誰かを命より大切に思ったことなどないくせに!」
アイシスは渾身の力でもって鉄剣の呪縛を逃れた。引きちぎられたようになった魂だけのアイシス。ちぎれた個所からは血か何かのように薄墨色の煙が流れ出して。
だが、その手の中にはメンフィスの魂魄を・・・キャロルの生気を吸っていまなお生きるメンフィスの魂魄がしっかり握っている。
「メンフィス、今・・・今・・・そなたの許へ・・・」
アイシスの魂はゆらりと揺れて床を離れた。

86
「キャロルっ!」
イズミル王子はもはやアイシスには構わず、床に力なく倒れ伏すキャロルに走り寄った。
「しっかりいたせっ!気を強く持たぬか!眼を開けよと申すに!」
だが王子の腕の中のキャロルの身体は湿ったように冷たく、壊れた人形のようにぐんにゃりとするだけだった。
はだけられた白い胸元は不思議な薄い光が立ち上っている。それはアイシスに引きちぎられるように奪われた彼女自身の魂魄の残滓であった。
王子は驚いて胸元の光にふれた。そこばかりは命の暖かさを未だ残し、立ち上る光はまるで湧き上がる湯のような感触を王子の手のひらにもたらした。
(命が・・・流れ出していく・・・!)
イズミル王子はぎゅっと栓でもするように愛しい少女の胸元に自分の手を押し付けた。しかし彼の指の隙間から少しずつ、でも絶えることなく命は流れ出していくのだ。
「神よ・・・!」
王子は絶望のうめき声を上げた。青い目、あの恐怖のさなかにあってさえ、ひたと自分に向けられていた青い瞳が二度と開かないなどと・・・!ある時は少年のように、またある時は世慣れぬ子供っぽい少女の地をむき出しにして自分に語りかけた声音が二度と聞けぬとは・・・!
妖しく邪な呪術などに、自分が初めて愛しいと思った、愛しいと思う気持ちを返してほしいと望んだ相手が奪われてしまうなどとは!
「そなたを死なせはせぬぞ」
イズミル王子は冷え切った瀕死の身体を寝台に横たえた。恐怖の冷や汗ゆえかじっとりと湿った薄絹を取り去りしっかりと毛布で包みこみ・・・やにわに自分も着衣を取ると、小さな身体を包み込み守るように一緒に毛布にくるまった。
共寝する少女の肌の冷たさは剛毅で生気溢れる若者をも震え上がらせるものだった。しかし冷たければ冷たいほど青年の心は燃え立つのだった。
(死なせはせぬ。死なせはせぬ。生きてくれ、何としても)

87
イズミル王子はキャロルの身体をしっかりと胸のうちに抱きしめた。
溢れ出す命よ、その主の許に帰れ。
我が命よ、我が生気よ、力失せたる身体の内に流れ込み、再び生きるよう燃え立たせよ。
神よ、こは我が命にも等しく大切なる娘。何卒、我に愛しき者を救う力を授けたまえ。
我はヒッタイトの大地を統べる偉大なる血筋の直系、神の力の地上での具現者、異国の邪な呪術を蹴散らすだけの力を我に与えたまえ・・・!

長い長い時間、イズミル王子は誰も呼ぶことなく愛しいキャロルを胸に神へ祈りを捧げた。
もはや自身の体もすっかり冷え切り、ややもすれば気が遠くなりそうだった。だがそのたびに王子は自身の腕に力を込め、これまでの生涯で初めての感情・・・それは誰かを愛するという強い感情・・・を呼び起こした存在のために祈るのだった。
どうか、もう一度私を見てくれ、と。

キャロルは夢うつつであった。冷たい淵にゆっくりと沈みこんでいく感触。自分が死に向かっているのだと分かってはいたが最早、それに逆らう気力もなく、ただゆったりとした冷たい流れに身を任せていた。疲れ果てた身体には、虚無に向かって流れていくことすらこの上ない癒しと感じられたのだ。
身体から熱が失われていく。それは流れ出していく命。

だが不意に。
力強い声が呼びかけた。
死んではならぬ。心を強く持て。そなたは生きるのだ。我が命をそなたに分け与えよう。我らは生きるのだ、ひとつ命、ひとつ運命を共にして。
目覚めよ・・・!

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・・・ひとつ命、ひとつ運命、共に生き、共に死する連理の枝。我が妹にして我が想い人、我が妻たる者。うつし世から去ることは許さぬ。
我と共に生きるが唯一のそなたの定め・・・

遠くから呼びかける声は同時にキャロルの中に強く熱い生気をももたらす。
希薄となりその主の許から流れ出すばかりであった命に、新たなる命が混じり、再びキャロルの肉体の中に流れ込む。
生気はキャロルの鼓動に力を与え、健康な呼気を蘇らせる。キャロルは遠い意識の淵の中で自らの鼓動の音を聞き、鼓動と共に力強く呼びかける声を聞いた。
生きよ、と彼女に呼びかけ、請い願う必死の呼びかけを。

・・・私は生きなければならないわ・・・
キャロルは、ぼんやりと考えた。無に還っていく心地よい浮遊感の中に、まるで命綱でもあるかのように呼び声は降りてきた。キャロルは意識をその呼び声に向けた。
力強い呼び声。深い淵から明るい大地へと引き上げてくれる。暖かさが、生気が流れ込み身体を巡る。
・・・私は生きたい・・・
キャロルはぐんぐん登っていった。駆け上がるように軽々と、上へ上へと声に導かれて。

・・・・・キャロルはゆっくりと目を開けた・・・・・・。

キャロルを抱きしめ、必死に祈るうちにイズミル王子もすっかり冷え切り、消耗していった。禁忌の呪術ごときに負けるつもりはなかったけれど、それでもアイシスの妄執が為した悪しき術の力はあまりに強く、このヒッタイトの地を護る神々の愛でし若者も圧倒されるのだった。目を瞑り、うつつと夢の狭間で愛しい者を抱き護る青年。
だが。
何かが朦朧とした王子の意識の中ではじけた。何かを知らせるように、何かを呼び覚ますように。
王子はゆっくりと目を開け、雛鳥を守る母鳥がするように本能的に腕の中を覗き込んだ。
そこに見たのは青い瞳。ほのかな、しかしもはや消える心配のない命の炎の煌きを宿した懐かしい青い瞳。キャロルの。

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本当なら、腕の中の愛しい娘を抱きしめて生還の喜びを語り、愛を請い、神々への感謝を口にしただろう、イズミル王子は。
本当なら、自分を愛してくれる青年に微笑を返し、救ってくれた礼を言い、愛を告げる言葉を口にしただろう、キャロルもまた。
しかし二人はあまりに消耗しきっていた。夢ならば覚めるなと祈りつつお互いの瞳を見つめたまま、ひたひたと押し寄せる喜びの潮にひたすら身を任せるままだった。
(ああ・・・神々よ、感謝いたします。我が手の中に、我と命を・・・未来を共にせし娘を返したもうたことに。私は・・・もう一人ではない・・・)
イズミル王子は、誰にも見せたことのない暖かい慈しみに満ちた視線をひたとキャロルにすえ、優しい声音で語りかけた。
「目覚めたか・・・。もう安心だ。災いは去った。私がいてやる。いま少し休め・・・」
キャロルもまた夢見るような微笑を返した。
イズミル王子は大胆に抱き寄せたキャロルの脚に自分の脚を絡めるようにした。もっともっと大事な娘を側近く感じようと。
互いに毛布の中で生まれたままの姿でいるにもかかわらず、キャロルはそれを拒まなかった。ただ暖かく心地よいだけで、幼子のように甘えて、微笑を浮かべたまま再び眠りの中に─健康で安らかな快復のための眠り─引き込まれていった。

翌朝、侍女たちを従えて部屋に入ってきたムーラはこの人にしては非常に珍しいことにいささか取り乱して部屋の外に退却した。
「王子様たちはまだお休みのご様子。今しばししてから参上いたしましょう」
抱き合って眠る恋人たちの姿は、このような光景を見慣れているはずの世慣れた乳母をして羞恥させ狼狽させるような、初々しさと艶めかしさに彩られていたというわけか。
(まぁ、王子がこのように日も高くなる時刻まで女人と過ごされるなんて珍しいこと。あの子供のような金髪のお方がよほど王子のお心を捕らえたのでしょうか・・・?
いずれにせよ、あのお方はこれまでの女人方とは違うよう。お扱いに注意せよと他の者にもそれとなく注意しておいたほうがよいやも・・・)

90(ダイジェスト版)
瀕死の状態でアイシスはトロイへと戻った。彼女の魂はもはや醜い煙か何か実体を持たぬモノと化し、不吉な気配を漂わせる化け物となっていた。
しかし、その煙の中にあって一点、未だ輝きを失わぬ個所がある。そここそは、アイシスがキャロルの許から引きむしってきたメンフィスの魂魄。アイシスの生気を吸い、かりそめの生を得ているメンフィス。
(やっと・・・戻った・・・)
アイシスはもはや視界すら定かでない。寝台の上に置き去ってきた己の肉体に戻るアイシス。弱りきった彼女の魂に僅かな暖かさ、力が戻る。
だが、なんと言うこと。それまで美しかったアイシスの容貌は魂の帰還と共に見る見る老いさらばえ、醜く崩れ、ミイラのような老女の姿となった。

「お戻りか、アイシス様・・・」
暗がりの中から現れたのはキルケーであった。
「よく生きて。もはや黄泉の地へと旅立たれたものとばかり・・・。おいたわしや、すっかり御身の力を使い果たされましたなぁ」

「な・・・に・・・?」
キルケーは無言でよく磨かれた鏡を衰えたる女王の前に差し出した。常夜灯の薄い灯りの許、おぞましく変わり果てた己の姿を見てアイシスはかすれた悲鳴をあげた。
「・・・肉体の器より離れし魂は弱きもの。ましてや・・・貴方様の魂に衝撃を与えたるは一体、どのような力の持ち主でありましょうや? 実体なき御身にこれほどまでの傷を与えるとは。
鏡をご覧なされましたや? 魂の力、生気失せたるがゆえに貴方様の身体から生気も・・・若さも失われて。術の引き換えとは申せ、おいたわしやなぁ・・・」
キルケーもまた、魔力と引き換えに若さを失った哀れな「年若き老婆」であるのだ・・・。
「キルケー、メンフィスはっ?!メンフィスはいかがいたした?無事であろうな?」
「はい・・・。貴方様の命と共に生きておいででございます。若く力強きファラオとして・・・ね。
貴方様は生命転移の術に成功されたのでございますよ」
アイシスの皺だらけの顔に笑みが刻まれた。それはぞっとするような光景だった。
「それを聞いて安堵しました。我が弟は・・・我が最愛なる夫は死なぬ。何としても生き長らえさせましょう。私が愛するは天にも地にもかの者一人ゆえ。
・・・キルケー、そなた、私を笑いまするか?私のオシリス、メンフィス一人のためにここまで愚かになれる私・・・」
「・・・今はお休みなされませ。我が女王よ。誰が貴方様の一途さを笑ったりいたしまするか。貴方様こそは真のイシス・・・」
アイシスはゆっくりと目を閉じた。

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