『 アラブの宝石 』

31
「やぁ、ライアン、キャロル、久しぶりだ」
アフマドはにこやかに言った。そこにはもうキャロルを震え上がらせ、戸惑わせた傲慢なアラブの青年はいなかった。昔なじみの「アフマド兄さん」だ。
3人は挨拶を交わし、ライアンは多くの知人との社交が忙しくて自然、アフマドとキャロルの側から離れていった。
「元気だったかい、キャロル?」
アフマドはしゃあしゃあと聞いて、手を取った。キャロルは我知らず赤くなった。大嫌いとは言ってはみたものの、帰国して以来、全く音沙汰がなかったのが寂しく、また不安だったのは紛れもない真実。
「ちっとも連絡をくれなかったから寂しかったよ」
アフマドは優男のように嘯いた。
「う・・・。あんなことがあって平気でいられるわけないじゃない。アフマド兄さんこそ、いつも電話をしてくれたりメールをくれたりするのに何もなくて・・・。私、からかわれたと思って腹を立てていたのよ!」
むきになって言い返すキャロルにアフマドはおかしみを覚えた。やれやれ、少なくとも連絡がなくて不安でしかたなかったのは事実らしい。
(強引に迫られて怯えても、その相手が離れたとなると不安になるのか。全く危なっかしい子供だな。俺以外の男だったら造作もなく騙して捨てるぞ?)
アフマドは露悪的なことを考えながらも、これまたお気に入りの少女が口を利いてくれたということに安堵していた。
「からかったわけじゃないさ、キャロル」
アフマドは言った。
「ただ驚かせたようだから、少しそっとしておいてやろうと思っただけだ。
少しは俺がいなくて寂しいと思ってくれたかな?」
「ば、馬鹿ね!アフマド兄さんは!」
アフマドは言いつけを忘れて「兄さん」と呼ぶ少女の肩を抱いて会場を歩いた。キャロルもそれを拒まなかった。それはジミーを忘れるためであったかも知れない。

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アフマドは拍子抜けするほど優しく穏やかになっていた。キャロルは身構えすぎていたかも知れない自分を少し恥ずかしく思った。二人が仲の良い兄妹のように会場を回るようになるのに時間はかからなかった。
キャロルが展示品の説明をし、アフマドがそれに耳を傾けたり質問したりして歩いているのを振り返って見る人は多かった。
やがて招待客だけの先行公開も終わり、パーティが始まった。ライアンとアフマドは当然のようにキャロルをエスコートした。スペンサー氏は面白くない。
アフマドは見せびらかすようにキャロルの世話を焼いたし、妹に近づく男にはシビアなライアンもアフマドの好きにさせておいた。ただ当のキャロルだけは気もそぞろだった。
ジミーとドロシーのカップルが招待主のような顔をして人々に対応しているのだ。

「あ・・・」
アフマドと会場内を歩いていたキャロルが立ち止まった。視線の先の休憩ラウンジにはジミーとドロシーの姿があった。カップルはまるですっかり夫婦のようでもある。
ドロシーがジミーの手を握りながら話す声が聞こえた。
「・・・あなたって本当に素晴らしいわ、ジミー!あなたの協力がなかったらここまで成功しなかったってパパも言っていたわ。私たち、あなたに夢中よ!」
「ありがとう!じゃあ、ご褒美は期待してもいいかな、綺麗なお嬢さん?」
「もちろんよ。王家の谷発掘調査費用ね!あなたならきっと素晴らしい発掘をするわ。ああ、あなたの才能を開花させるお手伝いが出来て良かったわ。
うちはね、成り上がりなのよ。少なくとも貴族趣味のリード財閥の一族はそう思っているわ。でも気取っていない分、いろんなことに柔軟に対応できるわ
・・・・あら、悪口を言ったみたいね。ごめんなさい」
「いいよ。確かにあそこは勿体ぶっていてつき合いにくいよ。キャロルも悪い子じゃないが、何をするにもお金がいるってことは理解できないようだし。僕も貧乏学者の孫だからね。君の言うことも分かるさ、ドロシー。
君のご家族の助力のおかげで僕は夢を追いかけられる。本当に君には感謝しているよ」
ジミーはドロシーに接吻した。

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漏れ聞こえる会話にキャロルは蒼白になった。
(私のことをそんなふうに思っていたの? 兄さんの財団が発掘にお金を増資しなかったって聞いてはいたけれど・・・。
ひどい、ひどいわ・・・)
キャロルはありったけの誇りをかき集めると涙を押し戻し、震える膝をしゃんとさせた。そして振り返って逃げるように立ち去ろうとした時。
「やあ、ドロシー嬢。ジミー・ブラウン君も」
アフマドがキャロルの肩を抱き、ジミーとドロシーのカップルに声をかけた。
驚いたのはジミーである。一度はプロポーズまでした相手に今の言葉を聞かれたろうか? 今の言葉は本気ではない。
ただドロシーに気に入られようと口にしただけなのだが・・・。
一方、ドロシーも驚いていた。本当ならキャロル・リードに対して勝ち誇った対応が出来るはずなのに、キャロルはアラブの名門ル・ラフマーン家の嫡男に守られるように肩を抱かれている。
(キャロル、取り乱してはいけないよ。君は誇り高い姫君だ)
アフマドはキャロルにそう囁きかけると、肩を抱く手に力を込めた。そこからエネルギーが流れ込んでくるようで、キャロルはアフマドにだけ分かるような
わずかな仕草で了解の意を伝えるのだった。
「ご機嫌よう、ミスター・ラフマーン。わ、私、ドロシー・スペンサーですわ。スペンサーの娘ですの。こちらはジミー・ブラウン氏。
今回の展覧会の特別監修者ですのよ。あ、あの私たち二人とも、そちらのキャロルのお友達ですの。キャロル、ラフマーン氏を紹介して下さらないの?」
ドロシーのとってつけたような社交辞令にアフマドは素っ気なく答えた。
「君たちがキャロルの友人とは知らなかったな。キャロルだって知らなかったんじゃないかな?」

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ドロシーとジミーがさっと赤くなった。
「あの・・・キャロル、久しぶりだね。冗談はさておき、ラフマーン氏とは知り合いだったんだね。ライアンさんとの関係でかい?」
果敢にもジミーが口を開いた。ドロシーも興味津々と言った様子でキャロルとアフマドを見ている。アラブの大財閥の跡取りとは何と魅力的な男性だろう?
もしモノに出来ればスペンサー・グループにとってどれほど利益になるか!
アフマドはジミーに竦み上がるような一瞥を加えると、答えた。
「キャロルは私の婚約者だよ。彼女の学業が一段落するのを待って国に連れて帰るつもりだ」
はっとしたようにアフマドを見上げるキャロルを視線だけで黙らせると、アフマドは続けた。
「まだこちらでは正式には披露していないけれどね、国元ではもう公然のことだ。・・・・・キャロルが早く私の国に来てくれればいいのだがね」
アフマドは女ならば誰だってうっとりするような笑みを浮かべてキャロルを見た。キャロルは曖昧に笑ってアフマドを見つめかえす。
とんでもないことをアフマドが口走った事に対する怒りは無論、強かったがそれ以上にジミー達を見返してやったという女性らしい満足感も強かった。

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「なかなか面白い夜だったな。退屈な先行公開、詰まらないパーティかと思ったけれど予想外に良い夜になったよ」
キャロルを自宅に送り届ける車の中。アフマドは肉食獣めいた満足げな笑みを浮かべ言った。
キャロルとリード家を愚弄するような話題で盛り上がっていたドロシー・スペンサーとジミー・ブラウンを懲らしめることもできたのも痛快であったし、何よりも集まった人々の前で彼とキャロルの婚約を既定のものとしてしまえたのが満足だった。
アフマドとしてはライアンの反応だけが心配であったのだが、妹思いの兄はとりとめのない言葉を連ねる幼稚な妹の抗議を黙殺し(!)、驚いたり、祝福したりする人々の対応を買って出てくれた。アフマドがキャロルと二人で過ごせるのもライアンの心遣いのおかげというわけだった。
だがキャロルは黙り込んだままだった。あの後、ジミーは聞き苦しい言い訳の言葉を連ね(もしかしたら誠実な真心からの言葉かもしれなかったが
キャロルの心に届くはずもなかった)、アフマドの前でプロポーズのことを仄めかした。ドロシーは嫉妬と不安でキャロルに非常に意地悪だった。
「どうして、そんなに面白がれるの? あんなこと・・・皆、ジミー達はどう思うかしら?」
きろり、とアフマドに睨まれてもキャロルは黙らなかった。アフマドの「機転」のおかげで自分の矜持は守れたのは事実だけれど、アフマドと結婚する気はない。
それに・・・ジミーに失恋したという事実がかなり堪えていた。
「アフマド兄さんのおかげで私、私・・・みじめな思いはせずにすんだわ。でも、人前であんな嘘つくなんて。私、結婚なんて・・・!私は・・・!」
アフマドは唐突に乱暴にハンドルを切ると、道を外れて砂漠の中に車を乗り入れて言った。ようやく車を止めるとアフマドは荒々しくキャロルを引き寄せた。
そこにいたのはあの強引で傲慢なアラブでのアフマドだった。
「俺は君と結婚する。俺は君を愛しているし、幸せにする自信もある。まだ君は子供だから何が自分の幸せか分からないだけだ」

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「馬鹿なこと・・・言わないで。アフマド兄・・・さん」
「ジミー・ブラウンが君に媚びて見苦しさの限りを見せつけたのにまだ未練があるのか?あんな誠実さのかけらもない奴」
アフマドは感情的にキャロルを責めた。キャロルがジミーに心惹かれ、あまつさえプロポーズまで受けていたことを先ほど知ったばかりなのだ。生まれて初めて嫉妬を覚えたアフマドは猛烈な独占欲に取り付かれていた。
「君だって充分分かっているはずだ。ジミーが君にどういう振る舞いをしたか。君がジミーに未練を感じるなら、それはただの少女趣味の見当違いの感傷というやつだよ」
「ひどい・・・」
「君もいい加減、目を覚ますんだ。君は混乱して正気じゃない。破れた初恋の痛みとやらに酔うならそれもいい。だがいい加減にしないと俺も怒るぞ」
キャロルは無言で涙をこぼした。アフマドの言うことは正しい。ジミーはキャロルを好きだと言ってはくれた。だがその好意の中には、キャロルの背後にある財産に対する渇望―しかもたちの悪いことにそれは妬みをも含んでいた―を多分に含んでいた。
「泣くのはやめなさい。自分を哀れむのもやめるんだ。そんな醜態は君に相応しくない。君が意固地になって俺を避けるならそれもまぁ、しばらくはいいだろう。だが、君は俺の妻になる。今更、予定変更はできない」
キャロルは涙を必死に堪え、震える声を何とか絞り出して口答えした。それはなけなしのプライドを守る滑稽な虚勢だった。
「私はアフマド兄さんが嫌いよ。自分のことを嫌っている相手と結婚するの?
ば、馬鹿みたいじゃないの。アフマド兄さんは意地悪だわ。兄さんこそ、自分の下手な冗談に引っ込みがつかなくなって私と結婚するなんて吹聴するはめになったんだわ」
「まだ言うか・・・っ!」
アフマドはキャロルの唇を接吻で塞いだ。

その夜は結局、それ以上のことはなかった。アフマドはキャロルを無事、送り届け帰っていった。
その後、アフマドとキャロルの婚約を巡って世間は相当、姦しかったがキャロルはそれに無関心だった。
ライアンをはじめとする家族がアフマドの言い分を全面的に支持しているらしいのが口惜しく、キャロルはますます自分の殻に閉じこもった。
自分の愚かしさ、陰で笑われていたのだという事への屈辱感、そんな感情が世間知らずの16歳の心を打ちのめしていた。
こんな様子なのでアフマドのこともただ疎ましいだけだ。小さい頃からまとわりつき、慕っていた男性の求愛を改めて検討するだけの余裕もない。
いや、妙に意地を張って敢えて考えようとしないだけなのか。
ライアンはただ傷心の妹を見守った。これまでのいきさつを考えれば、アフマドとの縁談は全く申し分ないもののように思えるのだが。

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夕暮れのカイロ学園。一人、薄暗い廊下を歩いていたキャロルの前に現れたのはジミーだった。ぶつかるまでキャロルは全く気付かなかった。今夜、久しぶりに客人として屋敷に訪れるアラブ人のことを考えていたのだ。
「やあ、キャロル。久しぶりだね。ずっと君と話をしたかったんだけれど機会がなくて。君に謝って誤解を解いて貰いたいんだ」
屈託ないジミーの笑顔は魅力的だ。キャロルは存外、冷静な頭の中で自分が彼に惹かれていたのはずいぶん昔のことのように思えて不思議だった。この魅力的な、でも本質的に軽薄な男性を本当に自分は好きだったのだろうか?
キャロルは目を伏せて黙って首を振り、そのまま先を急ごうとした。だがジミーはそれを許さなかった。
「話を聞いてくれ、キャロル! 僕がスポンサーの歓心を買いたくて心にもないことを言ったことを分かってくれ! 潔癖な君には許し難いことは分かっているよ。でも僕の心は君の上にある。君がル・ラフマーン氏の婚約者だと聞かされたときの僕の心も思いやってくれ!」
その優しさ故にどこか流されやすい頼りないところもあるキャロルだった。ジミーもそれに賭けようとしていた。だが今回は違った。
「ジミー、もうやめましょう。私とあなたとの間には何もなかったの。あなたの立場も理解しようとしたわ。でも私達の間にはもう二度と信頼が成り立つとは思えないの。
・・・・あなたとはただのクラスメイトだわ。それだけ。さぁ、そこをどいて」
「嫌だっ!」
屈辱感に我を忘れたジミーはいきなりキャロルを壁際に押さえ込み、乱暴に接吻した。
「君は・・・君は僕のモノだ!」
ジミーの手は乱暴にブラウスの胸元をはだけ、スカートの中を探った。

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「いやあっ!」
どうやってジミーを突き飛ばして走り出せたのか分からない。下着の中にまで指を忍び込ませようとしていたジミーは後頭部を壁に激しくぶつけてへたりこんだ。
ボタンが取れて胸元がはだけたブラウス。スカートは皺だらけ、片方の靴はない。みじめな姿になったキャロルは薄手のコートを羽織ると必死に校門を走り出た。
(どうして・・・どうしてこんなことに?! 怖い、怖い・・・!ジミーがあんなこと・・・・・誰か、誰か、兄さん!)
振り返る人々の視線から逃げ出すようにキャロルは細い路地に入った。そのまま座り込んでしまうキャロル。
(私は・・・・汚れてしまった。もう元には戻れない)
厭わしくおぞましい感触の記憶は繰り返しキャロルを襲い、彼女は発狂しそうだった。

「おい、車を止めろ!・・・・あれは・・・・!」
アフマドは車を止めさせると、そのまま夕暮れの雑踏の中に走り出した。リード邸に向かう途中の彼はカイロの小綺麗なアッパータウンに不似合いな惨めな格好でよろけながら走るキャロルの姿を捉えたのだ。
アフマドはじき、ビルとビルの間の路地の暗がりに蹲るキャロルを見つけた。
「・・・・アフ・・・マド・・・・・兄さん・・・」
怯えきって涙に汚れた顔。はだけた胸元、汚れた足。
アフマドは一瞬、言葉を失った。
「君が走っていくのを見たんだ。だから追いかけてきた。・・・・・一体、誰が・・・誰が君をこんな目に遭わせたっ!」
アフマドはしっかりとキャロルを抱きしめた。愛しい娘がどんな目にあったかは一目瞭然だった。激しい怒りと嫉妬、そしてキャロルへの愛が胸の内に渦巻き、息苦しいほどだった。

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アフマドは自分の上着の中にキャロルを包み込むようにして車に戻った。物問いたげな運転手に、竦み上がるような視線で無言のうちに沈黙と無関心を誓わせると彼はリード邸ではなく、自分の邸宅に戻るように命じた。
キャロルはアフマドの胸の中でじっと身動きしなかった。

アフマドは召使い達を遠ざけると、手ずからキャロルをシャワールームに案内した。
「少し・・・汗を流すと良い。一人で大丈夫か?」
言葉と仕草の中に隠しようもなくあふれ出すアフマドの心。キャロルはこくんと頷くと、シャワールームに消えていった。

(学校の方から走ってきたキャロル。彼女をあんな目に遭わせたのはやはり・・・)
シャワーの音を聞き、キャロルの気配に細心の注意を払いながらアフマドは考えた。
その時。小さな音がしてアフマドの用意してやったゆったりしたシャツを着たキャロルが現れた。
「シャワーと・・・・服、ありがとう・・・」
アフマドは立ち上がるとタオルでキャロルの髪の毛を拭いてやった。金色の頭はアフマドの胸あたりまでしかない。小さい頼りない幼い少女。
「君をこんな目に遭わせた奴は誰だ・・・っ!」
ぴくりとキャロルの身体に緊張が走った。
生々しく蘇るジミーの動作。はだけた胸元に手を這わせ、唇を近づけ、もう片方の手は下着の中にまで入り込もうとした。
―キャロル、君は知るべきなんだ。君は僕に必要とされて居るんだって。他の奴なんか捨ててしまえっ!君は僕のものだ―
「あ・・・・ああ・・・」
キャロルは蒼白な顔でアフマドを見上げた。アフマドは何という目で自分を・・・ジミーにあんなことをされた自分を見るのだろう!

40
「私・・・何もされて・・・ない。怖くて・・・気持ち悪くて・・・・動けなくて・・・。
でもっ、でも、何もされてないの!本当よ。必死に逃げて・・・きて・・・」
キャロルは頭を抱え、首を激しく振りながら泣き叫ぶように言った。
「すまない。キャロル、もういい!怖いことを思い出させてしまった。許してくれ。もういいんだ、キャロル。もう思い出さなくていい」
アフマドはキャロルを抱きしめた。緊張し、冷たい汗に肌を湿らせ、震える少女。どれほど怖かっただろう。無垢の花として大切に大切に育てられてきた娘が。
「キャロル。許してくれ。君が何よりも大切なのに、大事なときに側にいて守ってやれなかった」
アフマドの声がキャロルの心に染み込む。
「俺が・・・君を守ってやれなかった。許してくれ」
キャロルはアフマドの目を覗き込んだ。そこには心配と思いやりの光が溢れている。
(アフマド兄さんが・・・何故、私に謝るの? 兄さんは悪くないのに。
私はあんな目にあって汚いのに・・・何故、変わらず大切に扱ってくれるの?)
「愛している女を守ってやれなかった・・・許してくれ」
不意にキャロルの視界いっぱいにアフマドの黒曜石の瞳が拡がった。吸い込まれるようにその深く誠実な黒い瞳を見つめていると、不意に唇に暖かく柔らかいものが触れた。アフマドの唇だった。
しっとりと包み込むように、慈しむように重ねられた唇は、いつしか啄むような動きを加え、恐怖に強ばったキャロルの冷たい唇をほぐしていった。
「愛している、愛している、愛している。いつもいつも。誰よりも、何よりも・・・俺の愛しいキャロル。汚れない綺麗な君・・・」
唇を重ねたままアフマドは繰り返し囁く。アフマドの口説はキャロルの心をほぐし、ジミーのつけた汚れも流し去っていくようだ。
君は無垢だ、下劣な奴に君を汚すことなどできない。
アフマドの声と瞳はキャロルに暗示をかけ、心を鎮めていく。
キャロルはアフマドの首に手を回した。アフマドの抱擁はますます強くなる。
堰を切ったように泣き出したキャロルをアフマドはいつまでも抱きしめていた。

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