『 アラブの宝石 』 41 「・・・うん、キャロルが帰宅途中に貧血を起こしたんでね。たまたま通りかかったんで俺が引き取ったよ。今は大丈夫だ。ぐっすり寝ていて起こすのも可哀想なんでね、明日、ちゃんと送り届けるよ。・・・・おいおい、ライアン。俺を疑うのか?大丈夫だ。じゃあ、明日」 アフマドはそそくさと電話を切った。安定剤を飲まされて、泣き疲れたキャロルは部屋の隅のベッドでぐっすり眠っている。アフマドはリード邸訪問をキャンセルして自宅に引き取ったキャロルにつきっきりだった。 眠ったキャロルの身体をそっと改めれば、胸元に薄紅色の斑点があった。それが何なのか知らぬほど世間知らずのアフマドではない。 (キャロル・・・・俺のキャロルをこんな目に遭わせたのは・・・) ジミー・ブラウンの野郎か、とアフマドは呟いた。キャロルは寄り道をするような娘ではない。遅くまで学園に残っていたキャロル。学園にはジミーも通っている。ジミーはきっとキャロルとの関係修復を望んでいたはずだ。 キャロルに好意を抱き、キャロルの属する名門の血筋と財産を羨望していたジミーは。 「ここ・・・どこ?誰か・・・」 キャロルが目を覚ましたのは明け方の5時近くだった。まだ窓の外は灰色に冥く、ひんやりしている。 「目が覚めたかい・・・?」 薄闇の中に沈んでいた椅子からアフマドが立ち上がった。 「アフマド・・・兄さん・・・?」 呟いてからキャロルがさっと身体を緊張させた。昨日のことを思い出したのだ。アフマドは優しくキャロルを抱きしめ、落ち着かせるように背中を軽く叩いてやった。 「もう大丈夫だ。もう何も怖がることはない。じきに朝が来る。そうしたら君の家に送っていってあげる。君は何も心配することはないんだよ」 アフマドの暖かさが、手が回らないくらい広い背中がキャロルを安心させた。 アフマドは徹夜で付き添って見守ってくれていたのだということはすぐ分かった。 「大丈夫だ、俺がいる。何も心配しなくていい。大丈夫だ・・・」 42 キャロルはほうっとため息をついた。暖かくて気持ちが良かった。喉にこみ上げてきていた嗚咽の塊はいつの間にか消えてしまった。 だが、アフマドが優しければ優しいほど、自分がいかに彼に相応しくないかが痛感された。 ジミーの荒々しく心を踏みにじるような振る舞い。触れられた肌。押しつけられた唇。 キャロルはぶるっと身を震わせて、暖かく逞しいアフマドの胸を押しやった。 「キャロル?」 「もう・・・いいの。アフマド兄さん。そんなに優しくしないで。私は・・・私は、もうアフマド兄さんにそんなことしてもらう資格ないの。 ・・・・・私は・・・・・・・汚れて・・・・・いるから・・・」 傲慢強引なアフマドの求愛が、その下に誠意と慈しみを隠していたのが、ただキャロル個人だけを見つめて行われたものだということを不意に悟ったキャロルは妙にさめた頭でアフマドの面影をなぞった。もう二度と彼を正視する資格はないのだと思いながら。 自分の言葉が幾千の鋭い刃物となって胸をえぐった。人はあまりに悲しいと、あまりにつらいと涙も出ないらしい。 アフマドはキャロルの悲嘆に顔をゆがめた。何にもまして愛しくて、誰にも触れさせず、砂漠の奥でただ自分だけを待つようにさせたいとまで思った娘。 その娘をここまで傷つけた相手が憎く、それ以上に彼女の心を癒してやれない自分が腹立たしかった。 「・・・・もう言うな」 アフマドはキャロルを引き寄せた。息も絶えよとばかりに強く強く抱きしめる。 「君は汚れてなどいない。君は・・・君は・・・・」 アフマドはキャロルを寝台に押し倒し、唇を奪った。 「忘れるんだ、キャロル。何もかも!俺が忘れさせてやる、俺が君の痛みを忘れさせてやる。そして・・・・君の痛みの復讐をしてやる。キャロル、キャロル、俺のキャロル・・・・・・!」 キャロルは抗わなかった。自分から溺れようとでもいうかのようにキャロルはアフマドに縋った。 43 アフマドは幾度も幾度もキャロルに口づけた。最初は軽く触れるような接吻。 だがいつしか口づけはエスカレートして、アフマドは啄むような唇の動きでキャロルの口を開けさせると、舌を差し入れ震える娘を味わった。 唇はいつしか首筋に移動し、少し迷った後に胸元を探った。 アフマドはキャロルの耳朶にうわごとのように心配するな、怖がるなと繰り返し、ジミーのつけた痕が消えるまで自分の唇で白い肌を清めた。 接吻と抱擁はどれほど続けられたのか。続けざまに浴びせられた手慣れた接吻に肌を紅潮させ、艶めかしくもぐったりとしてしまったキャロルを優しくアフマドは見下ろして言った。 「驚かせてしまったかい、キャロル。許してくれるかい? ・・・・・さぁ、落ち着いたらお湯を浴びておいで。これ以上、君といたら俺の理性が持たないよ、魅力的な花嫁さん」 「アフマド兄さんっ・・・!」 真っ赤になって怒るキャロルからはもう先ほどの露に濡れた花のような艶めかしさはなくなっていた。だがアフマドはその子供っぽい初な怒りかたに心底、安心した。 「着替えは用意させるからゆっくりしておいで。終わったら朝飯だ」 アフマドはそう言って出ていった。いつの間にか部屋の中いっぱいに金色の朝日が差し込んでいた。 ライアンは難しい顔をして目の前のアフマドの顔を睨んでいた。 「で・・・・アフマド。何があったのか教えてくれないか。まさか昨日の電話を僕が鵜呑みにしているとは思わないだろう? 結婚前の娘が外泊をして、しかも違う服で帰宅したということは、だ」 「おいおい。俺はキャロルを大事に迎えたいと思っている敬虔なムスリムだよ。邪推はよしてくれ」 アフマドは笑いながら言ったが不意にまじめな顔に戻った。 「キャロルが乱暴をされかけた。運良く俺が助けてやることができて良かったよ」 ライアンの顔がさっと緊張した。 「一体、どこのどいつが?!」 「・・・・・察しはついている。確信はないし、キャロルも口を割るまい。キャロルは学園から飛び出してきたらしい・・・」 ライアンとアフマドは黙って顔を見合わせた。 44 一週間ほど学校を休んでキャロルは通学を再会した。だが行き帰りは必ず誰かが付き添い、学内でもキャロルは親しい友人と離れることはなかった。 ジミーは完全に無視され、また彼もあの事件以後、白々しい沈黙を守った。 「キャロルっ! 帰りにお店に寄らない?冷たいモノでも食べようよ!」 マリアの誘いをキャロルは残念そうに断った。 「そっかー。今日のお出迎えはどなたですの、お姫様?アフマド王子様ですか?」 真っ赤になったキャロルを見てマリアはあたたかな笑みを浮かべた。 「照れちゃって! そりゃアイスクリームより婚約者の君よね。・・・・ねぇ、キャロル。本当に学校辞めちゃうの?結婚しちゃうの?」 「学校は辞めるけれど勉強は続けるわ。それに結婚も・・・・何だか実感が湧かないわ」 キャロルは微笑んだ。 この一週間。キャロルは多くの決断を下した。 カイロ学園を中退してアメリカの大学に編入すること。 アフマドの求婚を受け入れること・・・・・・・。 アフマドは毎日、キャロルの見舞いに訪れた。心理的ショックに打ちひしがれている彼女を思いやって見舞いに来る彼は、様々な贈り物を携えてきた。 それはキャロルが読みたいと思っていた本であったり、昔、アフマドが贈った人形のための着せ替え服だったり、ちょっとしたゲーム、装身具・小間物であったりした。 「アフマド兄さん、こんなに甘やかされては私、どうしようもない我が儘娘になってしまうわ」 「構わないね。俺はじゃじゃ馬馴らしが好きだから。・・・好きな女にモノを贈るのは楽しいものだしね」 キャロルはようやくアフマドの心を受け入れる余裕が出てきた。彼の優しさや思いやりが彼女の心を潤し、強引な独占欲が幼い女心を心地よくした。 明日は学園に行くと決めた日の午後。見舞いに訪れたアフマドはキャロルに指輪を見せた。 「君の指に填めたいのだがね」 ただそれだけ。自信にあふれた皮肉めかした笑みを浮かべアフマドは言った。 キャロルはそっと手を、左手を差し出した。 45 「キャロル、本当に中退するのかい?」 マリア達と下校しようとしていたキャロルにジミーは声をかけた。 学生達でごった返す午後の校門。 「ええ・・・・そうよ」 最低限、答えるのも嫌だというように行こうとするキャロルの手首をジミーは掴み、居合わせた皆を驚かせた。 「どうして!」 「・・・・・・結婚するの・・・・・。アフマド兄さんの国に行くのよ」 キャロルの言葉に、そんなことも知らなかったのかと言いたげなクラスメイトの好奇の視線が混ざり、プライドの高いジミーを不快にさせた。 「冗談だろう?だって君は・・・」 ジミーは馴れ馴れしくキャロルの肩を抱き、耳元に囁きかけた。 「君を好きなんだ。愛している。君が必要なんだ」 (私が何も出来ないお馬鹿さんだとでも思っているの?) キャロルはジミーを無言で突き飛ばした。周囲が突然の修羅場にわっと湧いた。別れ話の縺れだとでも思ったのか。 固い表情でアフマドの車に乗り込むキャロル。アフマドは走り去る車の窓からこちらを見つめるジミー・ブラウンの姿を認めた。 カイロのアフマド邸。仕事に没頭するアフマド。 時計が8時を告げた時、召使いが遠慮がちに声をかけた。お客人です、と。 「誰だ?ライアンか?」 「いえ・・・ジミー・ブラウン様とおっしゃる若いお方です」 アフマドは軽輩の客を通す客間に待つジミーの前に姿を現した。アラブの衣装を着て、眼光炯々たる若者にジミーは竦み上がった。 「これはジミー・ブラウン。一体、何の用だね?」 アフマドは全く感情を感じさせない硬質の声で問うた。ジミーはそれでも厚かましく答えた。 「キャロルを・・・・・返して下さい。僕はキャロルの婚約者です」 アフマドの氷の沈黙に耐えかねたようにジミーは言葉を続けた。 「僕とキャロルの間には誤解があるんです。僕はそれを解かなければいけない。キャロルはあなたと婚約して学校を辞めると言っている!あんな才能に恵まれた彼女が!キャリアを捨ててあなたとなどと!」 アフマドは射るような視線でジミーを見据えた。 「ざっくばらんに言いましょう。僕とキャロルはもう将来を誓って心交わした仲です。キャロルは僕を誤解して、かわりにあなたと婚約しただけだ。 ・・・・・僕は・・・・僕はあなたよりキャロルをよく知っている。ムスリムはヴァージニティを重んじると聞きます。これが意味する・・・うわっ!」 46 ジミーは重い鉄拳を顎に食らってもんどり打った。 アフマドはすかさず襟首を掴み上げ、ジミーをつるし上げた。 「貴様かっ、貴様がキャロルをあんな目に遭わせたのか!」 続けざまの平手打ちがジミーに与えられる。 「恥知らずがっ!よくも俺の前に姿を現せたな!」 「や、やめろ・・・・。やめてくれ。僕は事を荒立てたくない。キャロルを僕に・・・」 「殺してやるっ!楽に死ねると思うなよ!」 すさまじい音に驚いた召使い達が部屋に入ってこなければジミーは殴り殺されていたかも知れなかった。 「アフマド様っ!落ち着かれませ。このような者に関わられてはご令名に傷が付きます」 「キャロルお嬢様の御為にもなりませんぞ」 アフマドはジミーを床に放り出した。 「・・・・・お前達は持ち場に戻れ」 「ですがアフマド様・・・・・」 「聞こえなかったか? 持ち場に戻れーっ!」 召使い達はジミーを気遣わしげに見ながら下がっていった。 「う・・・う・・・」 「おい、ジミー・ブラウン。貴様をぶち殺してやりたいが、貴様にはそれだけの価値もない。いいか、二度とキャロルに近づくな。二度とだ!いいなっ!」 呻くばかりのジミーにアフマドは冷たく言い放った。ジミーは息も絶え絶えだったがようやく頷く。内心、この程度で済んだことに快哉を叫びながら。 だが。 アフマドはジミーの心を見透かしたのだろうか? 「貴様の命など取るに値しない。でも俺は貴様を許せない。殺してやりたい。 ・・・・・・だが貴様は逆恨みして俺やキャロルに迷惑をかける卑しい根性の持ち主だ。だから・・・」 骨の折れる嫌な音。ジミーの絶叫。アフマドはジミーの右手を取り、親指以外の指を手の甲側に折り曲げたのだ。 「これでしばらくは貴様もおとなしいだろう。傷の痛みと共に俺の怒りを覚えておけ。キャロルの味わった万分の一にも値しない痛みと共にな。 ・・・・忘れるな。貴様を社会的に抹殺して人生をぼろぼろにしたやることなど造作もないことなんだからな」 アフマドはそう言うとジミーを門の外に放り出した。 47 キャロルは荷物の整理をしていた手をふと止めて窓の外を眺めた。ジミーと一緒に写っている写真が出てきたのだ。 季節は2回移ったが、あまり実感がない。ジミーは相変わらず学園の考古学研究科に在籍してはいるが、かつての精彩はない。交通事故で右手に大怪我をして思うように使えなくなったせいかもしれない。あるいはスペンサー一族とのつながりが途切れてしまったせいかもしれない。 ジミーはキャロルとのことがあった後、まるで罰を受けるかのように不運に見まわれた。 抜けるように青いカイロの空。でももう見納めだ。明日にはアフマドの国にキャロルは発つ。名門ル・ラフマーン家の嫡男の花嫁になるために。 (こんなふうに学園をやめてエジプトを離れることになるとは思わなかったわ。ジミーとのことがあって・・・最後は決して後味のいいものじゃなかったけれど、私の学生時代、気楽な子供時代は終わるんだわ、もう・・・) キャロルは左手を眺めた。白い薬指に光るのはアフマドから贈られた婚約指輪だ。アフマドがお気に入りの少女キャロル・リードに贈った最後の贈り物。 彼は妻となったキャロルに何を贈ってくれるだろう? 「キャロル、準備は進んでいるかい?」 開いたままのドアからアフマド―が声をかけた。 「まぁまぁよ。・・・・だめね。つい本を読んでしまったり・・・」 アフマドは無言でキャロルの手から写真を取り上げると細かく引き裂いた。 「君は俺の妻になる女性だ。俺以外の男の写真などもういらないはずだ。ましてやこんな・・・。いいか、キャロル。俺が許した以外のものなど全部捨ててお行き。国の屋敷には新しい物を何から何まで揃えてあるからね」 さすがに気恥ずかしくてキャロルは苦笑した。 「アフマド兄さんったら。封建的よ。それに・・・他の男の人が何人いたって、私にとって特別な人はアフマド兄さんだけだって・・・知っているでしょう?」 幼い媚態。アフマドの過剰とも思える愛情が誇らしくもあり、少々息苦しくもあり。 アフマドはキャロルに素早く接吻した。 「それから・・・俺のことはただアフマドと呼びなさい。前にも言い聞かせただろう?」 48 キャロルはテラスで砂漠の国を照らし出す月を眺めていた。 (私の国は・・・なんて遠くなってしまったのかしら?) 愛しい人と結ばれた夜。じきに彼女の夫となったアフマドが寝室を訪れる。でもキャロルは鬱々としてともすれば涙が浮かびそうになるのだった。 結婚式に訪れた人々の中にいた典型的なアラブ美人。それがヤスミンだった。 (あの人もアフマドの夫人になるって皆が噂していたわ・・・) 頭の良さそうな美人。あでやかで優しそうな人。 気が付けばキャロルはぼろぼろ涙を零していた。一夫多妻の国に嫁ぐことは分かっていた。でもアフマドは自分だけを大切にしてくれると思っていたのに。 いつかは・・・・誰かと彼の愛を分かち合わねばならないのだろうか? (結婚式の夜にこんなことを知らされるなんて!アフマドは何も言ってくれなかったわ) 「キャロル・・・・?」 アフマドは後ろから優しくキャロルを抱きしめた。 「夜更かしはよくないよ、お嬢さん。明日からの披露宴はそりゃ賑やかで何日もかかるんだからね。・・・・・泣いているのかっ?!」 「何でもないの、何でもないのよ・・・」 キャロルは言ったが、アフマドに顔を覗き込まれ、とうとう泣き出してしまった。 「帰りたい、帰りたいの。皆のところに帰りたいの。お願い、アフマド。私、帰りたい!」 アフマドは驚いて花嫁の顔を覗き込んだ。まさかこの期に及んで・・・・・。 花婿が花嫁に涙の訳を聞き出せたのはそれから1時間ほども経ってからだった。 (俺も辛抱強くなったもんだ。初夜に泣く子供を慰めて貴重な時間を無駄にするとはね!) 「ねぇ、キャロル。俺は君をただ一人の妻として望み、そして今日やっと望みを叶えたんだよ。君を俺のものにするのが待ち遠しくて仕方なかった。 それなのに君は俺を疑うのか? ヤスミンのことはただの噂だ」 「でも・・・・。ええ、私だってアフマドを信じているわ。でも噂・・・はいい気がしないの」 「馬鹿馬鹿しい!」 いきなりアフマドは荒々しく言った。驚くキャロルを押し倒すとアフマドは低く囁いた。 「信じさせてやる。俺の心を君に信じさせてやる」 49 「いやーっ!」 キャロルはアフマドを突き飛ばそうとした。夫婦になったばかりの夜、当然行われる事柄をアフマドは為そうとしただけなのだが、 今のキャロルには受け入れがたかった。 「やめて、やめて!アフマド、お願い!こんな気持ちのまま、大好きだったアフマド兄さんの花嫁になるのはいやーっ! お願い、お願い、本当に私のことを好きでいてくれるなら・・・お願い、やめて!」 アフマドは動作を止めた。沈黙。 「・・・・・勝手にしろ!俺の心を計りやがって!」 アフマドは寝室から出ていった。キャロルは黙って涙を零した。 「ご機嫌よう、キャロルさん。私、ヤスミンといいます。名前くらいは知っていて下さるわよね? ふふっ、アフマドの『第二夫人候補』よ」 心ここにあらずで結婚披露の宴の賑わいを眺めていたキャロルに声をかけてきたのはヤスミンだった。知的な美貌の持ち主は戸惑い 警戒の色もあらわな少女に人なつこく微笑みかけた。 「ああ、誤解しないでね。私はアフマドとは何もないし、これからどうこうなることもないの。うちの一族が好きに囀っているのを聞いて、 あなたが心配して居るんじゃないかと思ったから。 どうかアフマドと幸せにね。彼、独裁者だからしっかり手綱を握ってね!」 ヤスミンはそういうと、ぽかんとした顔のキャロルを置いて行ってしまった。 すぐに心配したアフマドが未だ乙女のままの愛妻の所に寄ってきた。ヤスミンが何を言ったのかと。 その返事は自己嫌悪とこのうえない幸せに顔を赤くしたキャロルの接吻だった。まさにこの時、キャロルは心からアフマドの求婚を受け入れたと言えるかもしれない。 それから。 アメリカからアラブの国に嫁いだキャロルは異文化の中で様々に苦労し、そして幸せを味わい、二つの文化を結ぶ役割を果たすことに生き甲斐を見いだす賢夫人となった。 しっとりと落ち着いた貞淑な妻はいつも夫君に守られて生涯を終えた。彼女は「アラブの宝石」と呼ばれていたという。 |