誰も勝たない

 レボルーソンが偉大だと言われるのは、ある意味誰も勝たない形になった点だ。
 ザイオンもマシンシティーも存続する。ポッドに繋がれた多くの人々や、サティーのようなはぐれプログラムたちは マトリックスを有効に利用している。既存のものを無理やり全部ぶっ壊そうとしても意味は無い、これは人生と同じである。
 しかしこの、所謂「深い」結末は、後付けされたものではあるまいか。同時多発テロの影響でか?*1

 「二つの陣営のうちどちらかが全滅する話はいかん」という声がかかることは容易に予想できた。
 アニメーション作品「アニマトリックス」に含まれるいくつかの話の中に、 機械たちがやたら擬人化され、かわいそうに描かれたものがあったのを観た時から まずいとわたしは思っていた。以降、機械は人類と同格の「ヒトたる存在」として描かれる。
 第1作と第2作では、人類がマシンに搾取される立場として描かれ、目覚めた人々は少数民族のようである。 しかし「アニマトリックス」では、人類が「意思を持った機械」をヒトたる存在として認めなかったのが悪い、人類の自業自得であると されており、機械の方が少数民族的なキャラクターにされている。
 どちらを負けさせても角が立つ。ゆえに、どちらも勝たせられない。

 ただし、第1作では、戦争ではなく「我々が現実感を取り戻す話」に話を絞って描こうとしていたように思えた。
 「人類が仮想現実世界に入れられ、機械に栽培されている」という世界設定はいささか無茶であり、 疑問を持たない生活はいかん、現実感に欠けた生活はいかんという事を強調するための舞台装置だったように見える。
 だから観客は目覚めた人間達の大勝、栽培されている人間達の解放、などを 期待してよかったのだ。何故、急に話が変わったのか?わたしはそう言いたい。

 ああ、それにしても、レボルーソンの結末が本当に偉大なものなら、何故あんなに逃げるように画面が切れるのか。

 まず、倒れたアンダーソン君の体を機械たちが弔うように運び出すさま、そして光に包まれるアンダーソン君のカットがブツッと切れたのが気になる。 もっとじっくりと映してやるべきカットではないのか、これは?まるで、その後に起こった何かを削除したかのようだ。

 あの場面の光は皆様のお好きな十字架の形と、東洋の仏画に出てくる様式化された蓮の花の形の両方を含んでいる。光で描き表されていない状態の葬送機械を見ても、後ろ頭と不自然にゆったり大きく動く触手が開いていく蓮華を連想させる。
 西と東の融合をもって、あの結末を美しく飾る。偉大な結末にふさわしいシーンだが、メイキングビデオ…の中でも俄ファンでも見てくれそうな近い所に存在している「BOXセットでない方のレボリューションズDVD→CGレボリューションズ」では問題の葬送機械の後ろ頭が蓮弁に見えるとはおくびにも出さず、あまつさえ「恐竜に似ている」と言い放ったのだ!!!
 恐竜は漢字で書けば恐るべき竜で、大自然の精を連想させるが、あちらではDinosaur(恐ろしいトカゲ)と言われ、ついこの間までは愚鈍ゆえに滅びたと思われていた。マトリックス第1作でもエージェント・スミスがそういう意味で引用。その伝統から、日本でも時代遅れになりかかったモノを恐竜と呼ぶ事はある。何だって救世主様を乗せる輿が恐竜だなんて言うんだよ。
 アンダーソン君を蓮に乗せ仏にしてしまった方がむしろ綺麗にまとまり、彼の仕事がうまく行ったかどうか詮索する者等居なくなる筈。何故あれは蓮だと説明しなかったか…
 これは本当に邪推でしかないが、レボの出来を最終チェックする人間にウルサイ人が居たとしよう。その人は異教のモノがキリストや十字架にオーバーラップする等生理的に受け付けないのだとしよう。キリスト教圏では一般に、唯一神以外は偶像であり拝む人をそれ以下の物にする物なのだから。あんな絵今の時勢では世に出せない、でもマトスタッフは何とかして出したい。さあーどうしよう。作者は一計を案じる、作者自らアレは蓮だと言わなければ誰かが蓮だと言い出してもトンでもにしかならない。かくてあの絵を見る者の目には十字架状の光だけが飛び込み、あのシーンは辛うじてOKを得た…。

 ほかにも言いたい事がある。ザイオンのその後、栽培された人間のその後等をもう少し詳しく描いて欲しかった所だが、さっぱりわからず、レボルーソンはお爺さんとお婆さん の会話で終っている…………重要な事を中途半端に終らせて、あのお爺さんお婆さんのカットで幕を引くというのは、偉大な3部作のラストとして どうか。

*1:このサイトを開設した当初は怒りのあまりこんな風に解釈したが、第1作と後編とで話が変わった事自体にけちを付け、それ自体を外圧に負けた負け犬根性の産物と捉えるのはかなり問題があると考え直し、今後控える事にした。
2005秋に書いた「スターウォーズ対マトリックス新旧SF対談」(出来が悪すぎて現在削除)という記事の中で述べた最新結論をここに転載しておく。

『(アンダーソン君が)レボ終盤で「センチネルも生きている」と認識したのがえらく心外だったらしい。悪と不自由さの象徴だった機械のキャラに、トーマス・A・アンダーソンはおもねるのか、とな。しかし、ヴェイダー卿の扱われ方が新たなる希望→その後の2エピソード→エピソード3と見る度に大甘に変容していくのを見て、  「作者があるキャラクターを悪そのものから、悪しき仕事に手を染めてしまっているが“同情すべき人”へと変容させた事がイコール“主人公が悪にすりよった”“このマンガは悪の勝ちだ” ということになるか、いや違う。ならばイカの扱われ方が変容したって良いじゃないか」と確信するに至った』。

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