主題歌

 映画は終わり、エンドクレジットのバックに歌が流れる。その歌は前2作のエンド・クレジットに使われた一連の激しい曲とは趣を異にしていた。
 メロディーラインがまるで仏教のお経のように聞こえたのだ。
 後で歌詞を調べたところ、アンダーソン君を称える内容であった。しかし、どうやら頭としりの歌詞は「ウパニシャッド」から引用した言葉らしい。 はて、マトシリーズ用語の出典といえば、キリスト教とギリシャ神話、それに「不思議の国のアリス」…西洋の哲学だったのに、突然インドのありがたい奥義書。

 ……そのナゾについての話は別の機会に譲って、

 第1作のラストに流れた主題歌の謎について書かせていただきたい。

 あれほど主人公=キリストと解釈できる映画なのに、映画を締めくくったその歌はアンチキリストと自らうそぶく音楽集団「マリリン・マンソン」の歌「ROCK IS DEAD」。 何故こんな選曲に?!
 これこそ、映画のナゾをとくキーのひとつだとわたしは思った。最初のうちは単純にキリスト教に反抗しているのだと思い、それを不信心者のわたしは愉快に思っていたが、そうでもないようだ。

 この映画はキリスト教護法の映画と見せかけて、ふつうのキリスト教護法の映画ではない。 マトは旧来の宗教の良さを認めつつも、形式化し苦手な相手を悪魔呼ばわりするための道具になった「いまの宗教」、アメリカで言えば「いまのキリスト教」では困るとする、そんな話だったのかもしれない。
 「いまのキリスト教」という型を無条件で使い続ける人…例えば、保守的なアメリカ人…を機械に喩えて激しく非難する。これが、父も母もイギリス系で、整った容姿をしているヒューゴ・ウィービングが悪役に選ばれたわけだ。某別作品では賢い王の役を得たいかにも正しそうな容姿の男が悪役となり、何人なのかわからないアンダーソン君に倒されるのがマトリックスだ。

 そして止めにマリリンマンソンだ。あれはまさに、キリスト教を否定するような事をすることで、今の社会の偽善を告発しようとしている、そんな勇ましい楽団だ。

 「ROCK IS DEAD」…ロックは死んだ。常に反抗し続ける音楽の筈のロック。ならば常に新しくなり続けるのが望ましいロックが、固定化した「ロック界」になってしまった。 宗教界も、問い続ける事をやめて固まってはいないだろうか。ロック界がこうなったように。少なくともマトスタッフは固まっていると思うぞ。そういう意味でも、監督はロックisデッドと叫んだのだろうか、そんな風にわたしは想像した。

 宗教をぶっ飛ばすのではなく、問い直す映画。そう考えると、マトリックス三部作は既成概念をぶっ飛ばしてくれるマンソン的部分と、これまでわたしが胸糞悪いと感じてきた結局キリスト教に帰っていってしまうリロ・レボ部分、そして意味不明だった仏教的な第3部エンディングテーマとが見事に融合し、「いまのキリスト教という形は一度ひっくり返され、問い直された。そしてバイブルの中にもあった良い部分、愛の教えが復活してきた」というより望ましい形へ収束する物語かもしれない。
 しかしその理想を、全然表現できていないのが問題なんだ!!
 出来上がったレボを見る限り、宗教を問い直そう等というバカな真似をしたヤツ(アンダーソン君)が世間(大勢のスミス)に敗れ、がっちりと存在する既成概念(マシン世界とか、キリスト教の故事とか)の方に帰っていったようにしか感じられなかった。

 宗教を問い直す映画。たしかにこれは上の人から見るとアブナイ。こんなアブナイ映画はつまらない続編を作って潰してしまうのが最も良い、とその筋の関係者が思ったことは想像に難くない。発禁にしたのでは伝説になってしまう、ある種のロック音楽のように。

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