あの日



僕の頭はひどく混乱していた。
酔ってなかった?じゃあ何で?それに何で今?
「……いきなり言われても困るよな」
マコト先輩が大きくため息をつく。
「落ち着いて聞いてくれよ」
僕は無言でうなづき、これから来るであろう衝撃にたいして受け止める準備をした。
「……さっきも言ったとおり、俺は酔ってなんていなかったんだ」
マコト先輩は、酔っていなかった。うん。
僕は与えられた情報を一つずつ心に刻み込んでいった。
「つまり、お前を犯したのは俺の意思だ」
「犯したなんて、そんな……」
「意識が朦朧としているところを襲ったんだ、犯したも同然だろ?」
マコト先輩が、その、僕にそういうことをしたのはマコト先輩の意思……。
「……な」
「何でかって?」
マコト先輩がちらりと僕を見て、またため息をつく。
「やっぱり覚えていないんだな……」
「え?」
「なんでもない」
心に何か引っかかるけど、僕はマコト先輩の言葉を待った。
「……このことは黙ってようと思ったんだけどな」
マコト先輩が僕に目を向ける。
深い茶色の瞳が僕を見つめる。
「ヒグラシがあの頃のまんますぎる……いや、あの頃よりももっと魅力的になってたから……」
「……先輩?」
マコト先輩が僕の肩に両手を置く。
「忘れてるようだから、もう一度言うぞ」
マコト先輩の手に力がこもる。
その時のマコト先輩の顔が『あの日』の光景と重なる。


「……ヒグラシ、好きだ」


その瞬間、僕の脳内で何かがはじけとんだ。
『……ヒグラシ、好きだ』
これは、『あの日』の光景だろうかそれとも今だろうか。
もう区別がつかない。
『好きだ』
マコト先輩が僕の体をまさぐる。
『……ヒグラシ……』
マコト先輩が僕の名前を呼ぶ。
『ヒグラシ、愛してる』
マコト先輩が僕にささやく。
『ごめんな、ヒグラシ』
マコト先輩が僕に謝る。
何で謝るんだろう。
これは、望んだことだったのに……。
マコト先輩がひたすら僕に頭を下げる。
僕は、そのマコト先輩の言葉が、行動が、悲しくて。
『……何があったんですか?』
自分の記憶に蓋をした。



「……グラシ、ヒグラシ!」
マコト先輩の言葉に意識が引き戻される。
今のは、『あの日』の記憶……?
「……ヒグラシ、どうしたんだ?」
マコト先輩の手が僕の頬に触れる。
その時僕は始めて自分が涙を流していることに気がついた。

何で僕は忘れていたんだろう。
あれは、そう、僕が望んだ結果だったのに。
どこですれ違ってしまったのだろう。
僕の頭はもう回りに人がいるかもしれないことなど、微塵も考えることができなくなっていた。

「あー、やっぱショックでかいよな?ごめん、忘れてくれ……」
マコト先輩が申し訳なさそうに僕から目線をはずす。
「……いやです」
僕の口は勝手に言葉をつむいでいた。
マコト先輩が驚いたような顔で僕を見る。
「僕だって……マコト先輩が好きなんです……」
気づくのが遅すぎた言葉。
まだ、やり直せるだろうか?
マコト先輩は何も言わずに僕を抱きしめた。


どれぐらいの時間が過ぎたのだろうか。
マコト先輩が僕から体を離す。
「……そろそろ会場に戻ろうか」
「……そうですね」
僕とマコト先輩は立ち上がって空き缶をゴミ箱に捨てた。
会場への扉を開く。
「帰りに、俺の家よって行かないか?」
「マコト先輩の家ですか?」
「ああ、サイバーや親父たちも結構会いたがってるしな」
マコト先輩が僕を見る。
その顔には少し照れのようなものが混じっていたのは、僕の気のせいだっただろうか。
僕はマコト先輩を見返して、黙ってひとつうなづいた。


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