Dragon of the Sadness Vol.3

銀の匙を持つ少年の手が、ぎあまんの器に翡翠色をした秘薬を垂らした。細心の注意を払って、わずか一、二粒だけを正確に落とす。だちまち澄んだ水に濃厚な雫がほどけ、揺らぐ立体の紋様を描かとみるや、液面が徐々に泡立ち始める。かさついた唇が、早口に呪文を唱えて沸騰を抑えると、しばらくして水は深い青に変わっていた。

「できたかハーゴン君」

「はい!」

師匠の問いかけに、弟子は掠れた声で応じる。いつの間にか傍らに来ていた老術士は、器を覗き込むと、しかめ面で頷いた。

「ほうほう…ま…よかろう。さて客を待たせておる。それを早く移せ」

「…ええ。ただいま」

ふらつきながら、少年僧は慎重さを欠かさずに貴重な魔法薬を、栓の付いたなめし皮の袋に注いで密閉すると、うやうやしく差し出す。翁は受け取ると、珍しく急ぎ足になって部屋を出ようとし、だしぬけに振り返った。

「ここの後片づけはきちんとな。今日させたのは、本来はよそものには決して明かされぬムーンブルクの秘儀の一つだ。ほかへ漏れれば私も君も危うい」

「は…ありがとうございます」

「ふむ…ではな」

師匠が去ると、弟子はぐったりと椅子に崩れ落ちた。まるで全身の力を根こそぎ吸い取られたようだった。寒かった。ロンダルキアの氷原を友と駆け回っていた時でさえ、かほどの冷えを感じた覚えはなかった。もう払暁に近い。暖炉に火をつけようとして、ギラの呪文を唱えたが、魔力は底をついていた。さすがにぎょっとする。ハーゴンはかつて、ほかの神官のように術を使い尽くすなどという羽目に陥った試しはなかった。

「…でも面白かった…」

複雑すぎて完全には把握できていないが、先ほどの調合は聖と邪を撰って、独特な効果をもたらす呪文が込められていた。清濁を一つにする、という概念は、胸に抱いた人間と魔族との共存の理想と相通じるような気がした。

不意に空気の振動を感じて、外で誰かがキメラの翼を使ったのだと察せられた。客というのは遠方から訪れたらしい。わざわざムーンペタに近い人気のない小屋で作業をしたのは、件の薬を受け取った側が、ムーンブルクの磁場に引かれずに元来たところへ戻るための配慮なのだろう。

ややあって老術士が戻ってきた。掃除を命じられたのをすっかり忘れていた少年僧は、慌てて腰を上げたが、向こうは考え込む風に視線を落とし、弟子を見ようともしない。

「ハーゴン君」

「はい!」

「ムーンブルクの聖水に興味はないかね」

「それはもう…」

「君が先ほどいじったのがそれだよ」

「え!?」

「月の都の至宝ラーの鏡を磨くのに使う、最高の上澄みだ」

「そ、そんなものを僕に…」

「以前にも言ったはずだが…あれは本来、ムーンブルクの王家にしか扱えぬ。しかし君はまるで…いや…とにかく、驚くべき魔力だな。賞賛に値する」

「あ、ありがとうございます。大変な名誉です」

叱られるどころか賞められているのだと悟って、ハーゴンは礼を述べてから、恥ずかしげに手を揉み合わせた。師匠はしかし、どこか皮肉な光を湛えた双眸で、留学生を凝視する。

「私にありがとうを言う必要はない…君はあれが何なのかを分かっていないだろうからな」

「あれは…薬ですね。恐らくは病を殺すための劇薬でしょう」

「そうだな。ある者にとってはそうなのだろう。だが病とされた側にとっては…ただの毒だ」

「毒ですって?」

愕然とする少年僧を前に、老術士は酷薄な嗤いを浮かべた。

「そうとも。君も魔法の裏側を知るべきだな。いや、ムーンブルクのというべきか。正直、ロンダルキアの大神殿が羨ましいね。君の以前の師匠たちは、こうした技を後輩にいささかも伝えなかったようだ。私が君くらいの年の時には…」

「ま、待って下さい!いったいあの毒は何に使うのです?」

「この調合を引き受ける前に尋ねるべきだったなハーゴン君。あれは見方によっては国を救い、世のため人のためになる計画に用いられるのだ」

「それでは何も分かりません!僕は…僕は魔法を人殺しの道具になんてしたくない!」

「死ぬのは人ではない…はずだがな…しかし一つ不安があるのだ」

師匠は、おののく弟子を避けるようにぐるりと回って、椅子へ歩み寄ると、ぐったりと腰を沈めた。指を鳴らすだけで暖炉の火が燃え上がる。

ハーゴンははじめて、ある疑いを抱いた。もしかして、自分が教わっている相手は、ただの引退した宮廷魔道師ではないのでは。ひょっとするともっと高い身分の誰かなのでは。

翁は少年のぎこちないようすには気付かぬ態で、古い記憶を辿るように造作の端々を窺っていた。

「私は…やはり君に似た女性を知っていた気がするな…まあいいか。私の不安は、君の魔力を読み違えていたかもしれないという点だ」

「どういう意味です」

「あの薬には考えていたより強力な呪文がかかったかもしれぬ…」

「それは…一体…」

「聖と邪を共にする際は、釣り合いが重要なのだ。邪が勝れば、聖水といえども毒の沼地の泥に等しくなる」

「先生、教えて下さい!あれは…あれは何に使われるんです!何に!」

「正義だ。聞きたければ。つまりそうさ」

ハーゴンは歯を食い縛ってねめつけたが、相対する皺だらけの顔の奥に、鋼のように固い意志を見て取れただけだった。

「あの客はどこへ行ったのです。ローレシアか、サマルトリアか」

「さてな」

「…ローレシアですね。シメオン王の妹君が訪れている。ムーンブルクが謀を巡らすならあそこだ」

「私が君でもそうみるだろうな」

「…まさか…まさかヴィルタ様を!」

「ほう?どうしてそう想うね?」

少年僧は稲妻に打たれたように後退ると、拳を振り上げ、真直ぐ老術士に指を突きつけた。

「…利用したんだな…僕を…」

「素性の知れぬ異郷の子供に、ムーンブルクの叡智を分け与えてやったというのに、これまでの恩に報いる台詞がそれか」

「違う…違う…ヴィルタ様の側から僕を引き離すためだったんだ…いや…それだけじゃない…僕を…調べるためだな。ロンダルキアの魔法の程度を計った…そして…」

「竜王の裔とは実に愚かしくも純真な連中だな。我等ロト三王家が、かくも下らぬ輩に、数百年にわたって怯え続けていたとは」

”我等ロト”だと。ハーゴンは疲労に血走った瞳を、学舎の講師、いやロトの血を引く何ものかへと注いだ。現王シメオンの父は存命のうちに冠を子に譲った。そのあとどうなったかは、城下で漏れ聞いた話の中では伝わってこなかった。しかしまだ生きているのは確かだという。

「悪しき血を引く化外の民は、魔物どもとともに悉く討ち滅ぼすべしというのが、三王家の合意だ。その旗頭はローレシアの王子であったものを…しかしいささか雲行きが妖しくなってきたのでな…」

淡々と語る翁に、少年僧は歯ぎしりして詰め寄ろうとしたが、四肢が異様な重さを覚えて、思わず傍らの作業台へ手を付いた。

「何故企みを明かすんだ…」

「君は魔力を使い切っている。あがいても無駄だと承知しているのだろう?もうローラの渡しへ駆けていっても間に合わない。だからここに留まって質問を続けている。違うかな?」

だが諦めた訳じゃない。少年は叫びそうになるのをこらえた。ロトの後継はまだ護衛の正体を見抜いていない。悪魔の騎士の勘の鋭さ、腕の冴えを。信じて機会を待つのだ。

「…僕をどうするつもりだ」

「君は想定の外にある存在だったよ。始末するには、やはり余りに惜しい魔力の持ち主だ。だから…我が王家の奴隷として生きてもらおう。聖水の蒸留と毒薬の調合。どちらにも得がたい人材となるだろうな」

「…なるほど」

相槌を打っておいて、ハーゴンが習い覚えたデーモン族の組み打ちの技で飛び掛かった刹那、老術士はさっと掌を挙げて呪文を唱えた。

「ラリホー」

昏倒に近い眠りに突き落とされながら、見習い神官は最後に、心の内で友の名を呼んだ。


アクデンは気に食わなかった。下界の何もかもが。街という街は聖水で清められて、足を踏み入れさえできず、叙事詩に聞いた月の都の尖塔も、剣の国の王門も、目にするのは叶わなかった。おまけに人間の鎧武者に化けているために、ほかの魔物は怯えて近付こうともせず、ひたすら孤独をかこっていた。ローレシア宮廷の貴顕は、そろってこの無骨な漢を無視した。というよりほとんど使節についてきた駄獣か荷物の一部のように扱った。

ともあれ今日は御猟場での巻き狩りとあって、久しぶりに結界の外で愛しい姫君に会えるはずだったのに。公爵だの伯爵だのといった肩書きばかり立派な青瓢箪が十重二十重に目標を囲んで、あの艶やかな黒髪の一房さえ拝めていない。

だが猪の追い込みが始まると、並びは崩れ、ローレシア王子とロンダルキア王女の騎馬が抜きん出て馳せていった。無論、ほかの連中は二人の仲睦まじさに配慮して鞭を控えているのだろう。あとは傍若無人なムーンブルクの王妹とその取り巻きが続くばかりだ。

いけ好かぬ連中だが隠れ蓑には丁度いい。デーモン族の騎士は鞍から滑り降りると、気配を消して、魔法の国の姫の傍らに影のごとく寄り添っていった。

一行の先頭に立つのは、狩衣に男が使うような長弓を携えた、気の強そうな女丈夫で、馬を急がせながら、槍穂の先の如く鋭い光を帯びた眼差しを、前を進む恋人たちに向けている。やがて勢子の声と猟犬の吠える音がして全体の動きが止まる。

女は素早く背後を振り返って部下に指示を送った。

「初めに私が撃つ。だがもし竜が毒で斃れず、本性を表したその時は…」

「承知しております」

「最悪、王子は巻き込んでも構わぬ。我等に腑抜けの将軍は要らぬ」

謀叛の話でもしているのか。いけすかぬロトの子孫が死ぬのは万歳だが、竜をうんぬんというのが聞き捨てならなかった。だが軽挙盲動はすまいと、紫髪の青年はじっと潅木の影に身を潜める。

ややあって叢が揺れ、猪の唸りが近付いてくる。ムーンブルクの王妹がするりと箙から一本を抜いて弓に番えたのを認め、どうやら流れ矢と偽って暗殺を試みるつもりと合点が行った。

「ちっ…狙うならローレシアの青二才にすればいいものを」

舌打して急ぎ頭を巡らせる。外交のために辛苦を忍ぶヴィルタを思えば、ムーンブルク王家の名代をあっさり叩き伏せる訳にもいかない。一芝居打つとしよう。肺を膨らませ、一気に吐き出す。

「ウォオオオン!!!!!」

狼というよりドラゴンに近い叫びではあったが、咆哮に馬は算を乱して、あるいは前脚で立ち上がり、あるいは後ろ脚を蹴り上げててんでばらばらに暴れ始めた。

だがムーンブルクの王妹がとった行動は想像を絶するものだった。いきなり弓を放って胸元の短剣を抜くと、馬の額に突き立て、さっと飛び降りる。

「弓!」

部下の一人が弓を放ってから、同じように騎獣を屠って地に立つ。

アクデンは笑みを消すと、弓と矢を手に恐るべき疾さで走り始めた闘姫のあとを追った。

「待てぇ!この狼藉は何だ!!」

喚きながら、少しでも注意を引き付けようと姿を現し、相手の針路に巨躯を割り込ませるようにして立ち塞がる。だが女戦士はきらりと瞳を光らせると、躊躇無く矢を向け、警告などせず放ってきた。

第一矢を払い落とした瞬間、続く数本が肩や額に突き立つ。見れば王妹の後ろから追いついた射手が、主君に当たる危険すら犯して撃ち込んだものらしい。狂っているとしかいいようのない猛攻だった。

「愚か者!父上の薬を使った破魔矢を雑兵に!」

振り返って叱るムーンブルクの弓乙女に、熟練らしい数人の騎士が追いついて鋭く応じる。

「姫様おさがりを!こやつ、妖かしの気配がいたします」

デーモン族の騎士は、下界の人間の想像を超えた凶暴さに驚愕しながら、受けた矢を引き抜こうと掴んだ。だが刺さった個所から激しい痒みが起こり、二呼吸もするうち全身に及ぶ。

眼前では人間同士が喧しく喚きあっていた。

「妖かしだと…ロンダルキアの魔女はやはり腹黒い企みを…」

「こやつまだ動きます!とどめを刺さねば!」

「姫様は竜めを!」

なおもヴィルタを弑そうというのか。もはや穏便には済ませようもない。アークデーモンは怒りに両の瞳を燃やしながら、本性を解き放った。


「魔物だああああああ!!」

甲高い叫びが、恋人たちの幸福な時間を引き裂いた。半竜の姫がぞっとして振り返ると、木々の向こうに、バギの旋風が枝を切り裂き葉を散らせるのが覗く。ローレシアの世継ぎはといえば、即座に馬首を返して、騒ぎの源へ向かった。先ほど狼の声が聞こえたあたりだ。

ヴィルタが轡を並べると、王子は眉を顰めた。

「危険だ!来るなヴィルタ」

「いいえ!駄目です!」

答えながら、ロンダルキアの王女は嫌な予感に胸を締め付けられていた。人間がほかの種属を圧倒するこの地域で、あれほど恐怖を呼び起こすのはよもや、と推理せざるを得なかった。

不吉な考えは当たった。紫燐に皮翼を生やした大兵の悪魔が、ムーンブルクの魔法騎士を鎧ごと拉いで、四方八方に投げつけている。弓矢やかまいたちの呪文による反撃は、デーモン族がまとう生来の分厚い鎧の前にまるで通じていない。

アクデンの強さは無双だった。だがどこかおかしい。筋肉が腫れたように膨らみ、腕といい脚といい血管が浮き上がって、両目は血走り、濁りさえ帯びている。

「ああ…」

ヴィルタが思わず手綱を引く横で、酸鼻極まる情景に激怒したロトの直系は、鋼の剣を抜き放ち、馬を疾駆させて攻めかかった。

「死ね!魔物!」

”ぐぉおおおおおおおおお!!!!”

アークデーモンは刃を鉤爪で受け止めると、そのまま握り込んで、武器を離すまいとする相手ごと大根でも抜くように鞍上から引き抜き、側の樹へ叩きつけようとした。

「アクデンやめて!!」

愛する姫の懇願に、屈強の悪魔はすぐ動きを止め、恋敵を離した。刹那、バギに乗せた矢が波打つ白い脇腹に突き刺さる。わずか十数歩ばかり離れたところで、ムーンブルクの王妹が血染めの衣をまとい、弓を手に、部下の命を奪った妖魅をにらみつけている。

「魔女!貴様の手先は我らが屠るぞ!見ていろ!」

「ムーンブルクの!でしゃばるな!」

やっと地面に足をつけて態勢を立て直した王子が、得物を青眼に構えて遮る。

ロンダルキアの姫君は暴れる馬を抑えながら、戦いの全貌を掴もうとした。何と愚かなのだ。弓や剣で勝てるつもりでいるのか。いかにロトの血が優れていようと、デーモン族最強の英雄に、人間が挑もうなんて。怒り狂ったアクデンはギガンテス六匹がかりでも抑えきれないのだ。地上に彼を抑えられるものがあるとしたら、それは…。

「アクデン!お願い!この方たちを殺さないで。お二人も武器を引いて下さい!」

だがもはやデーモン族の騎士は返事をせず、涎をこぼしながら、弓乙女を狙って距離を詰める。ローレシアの世継ぎが素早く割って入ったが、鉤爪の一撃を受けとめたとたん、鋼の剣は根元から折れた。生まれてから敗北など味わった経験のなかったろう青年の面差しに、はじめて濃い影が過る。背後に守られた女丈夫にしても、紙のような顔色をしていた。

「なぜ死なぬ…あれだけ矢を…」

”ぐぅああああああああああ!!!!”

アクデンの筋肉が異常にひきつれ、皮膚に幾百匹の蛇が潜り込んだかの如くにのたうつ。はっきりと異常を察して、ヴィルタはついに覚悟を決めた。止めなくては。馬から降りると、走りながら指で印を結び、いざという時以外、決して口にしてはならぬと教わった唱句を詠む。

「ドラゴラム!!」

眩い光とともにほっそりとした肢体は掻き消え、変わって現れたのは純白の竜だった。衣服の一切は爆け、ただ首に嵌まった細い銀の輪だけが残る。輝く長い尾が鞭の如くしなって悪魔の胴に巻きつき、命が風前の灯となった獲物から引き離した。

”グルルルル!”

”アクデン!私です!”

前肢でしっかりと友の巌の如き肩を抱き締める。震えが伝わる。凄まじい熱も。

”アクデン…アクデン…何があったのです…これは…”

”グ…ヴィルタ…サマ…ニゲ…ロト…ワナ…”

”アクデン!しっかりなさい!すぐに治癒の呪文を…”

「無駄だ!その魔物は至純の聖水に浸した破魔矢を受けたのだ!もう助からぬ」

傷付いたムーンブルクの姫が、息を乱しながらも勝ち誇って告げるのへ、ローレシアの王子はちらと冷たい一瞥をくれる。

竜はキアリー、次いでベホマを唱えて回復を試みた。たちまち、膨れ上がった悪魔の巨躯のそこかしこで鱗に覆われた皮膚が破れ、鮮血が噴く。

”ああっ!!?どうして!アクデン!”

”…ハヤク…ニゲ…”

アクデンの逞しい体はヴィルタの前肢のあいだで崩れ、形もはっきりしない肉塊と化して溶け流れていった。

「やっと死んだか!次は貴様の番だ魔女!もう矢は残っていないが、私にはまだドラゴンキラーがある!」

女戦士は弓を捨てると、手甲と一体になった薄い刃を袖から出し、手負いの身を引きずって白きドラゴンのもとへ歩み寄った。大量の血を失ってなお痩躯を支えているのは、双眸に宿った狂信。世界を救う定めへの頑なまでの矜持だった。

「やめろ!もういい!こいつは俺のものだ!俺の奴隷も同じだ!命を奪う必要はない」

青装束の騎士が折れた剣を打棄り、短刀を抜きながら制止する。だが相手は軽蔑に満ちた視線を返しただけだった。

「魂まで腐らされたか!一度は貴様を盟友と恃んだ己を恥じるぞ!シメオン兄様もさぞかし嘆かれるであろう!親友がロンダルキアの蜥蜴の色香に迷い、大義を捨てたと知ればな!」

「く…ヴィルタ戻れ!元の姿へ戻れ!我ローレシアの王子が命ず!隷属の首輪よ!効果を示せ!」

竜の喉に嵌まった飾りが真珠色の光を溢れさせると、白銀の鱗に覆われた巨躯は縮み、みるみるうちに、しなやかな裸身へと戻る。娘はたわわな乳房から砂時計型の腰にかけてを、べっとりと死せる魔物の血と肉で汚しながら、虚ろな表情を恋人へ向けた。

「こ…れは…?」

「見ただろう!もうこいつは俺の言いなりだ!ムーンブルクの御大が作った仕掛けは完璧に働いている!」

ローレシアの王子が懸命に訴えかけるのへ、ムーンブルクの姫は薄く嗤った。

「ふ…多少の気概は残っていたか。これで仕留めやすくなったわ」

「…止めろ!何故だ!ヴィルタは何もしていない!」

「黙れ!人間と魔物がともに暮らせるとでも想っているのか!穢らわしい男め。貴様が同族でなければとうに首刎ねているところだ…そこで大人しくしているがいい。さぁ魔女…覚悟せよ!!」

一歩、二歩と間合いを詰め、手甲の刃を構える女戦士。ロトの正義を成就するための犠牲は無抵抗のまま立ち尽くしていた。勝利を確信した闘姫の口元が、凶暴な喜びに歪む。

刹那。青装束の騎士は後ろから盟友の背を短刀で突いた。

「ぐっ!!」

「…ヴィルタに触れるな」

「き…さま…」

ムーンブルクの王妹は瞳に真黒な憎悪を宿したまま事切れ、前のめりに倒れた。ローレシアの王子はいったん刃を引き抜いてから、何度も何度も、傷口の形が分からなくなるまで抉った。ややあって、凍りつくロンダルキアの姫君を振り返ると、しわがれた声で語りかける。

「…お前は今日、忠実な騎士を失った。俺はこの手で幼馴染を殺めた。だが終わりではない。この女の父も兄も、俺の父も祖母も…納得しないだろう。お前が確かに俺の奴隷…家畜…決して逆らわない玩具だと証明できるまではな」

「何を…言っているの…あなたは…」

震えながら問い返す娘に、青年は歯を剥き出して怒鳴った。

「すべてお前が悪いんだぞ!…お前が!俺の前に現れた時から…すべてが狂ったんだ…」

「私…もうここには居られない…あなたの側には居られない…下界は私が来るべきところじゃなかった…どうして…どうしてあなた方はそんなに…」

「俺は絶対にお前を去らせたりはしない!お前のために余りにも多くを失った…これからも失い続けるだろう…お前にはその償いをさせてやる…」

ロトの子孫は、竜王の末裔を強引に捕えた。抗う腕を胸板で押し潰すようにして、きつく抱きすくめる。野生の獣を挟み取った鋼鉄の顎の如く、力任せで仮借なく、痛々しい拘束だった。

 [前へ] [小説目次へ] [次へ] 
[トップへ]

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル