Dragon of the Sadness Vol.2

「聖水とはまことに清き泉より汲み出だしたる水に精霊ルビスの祝福を施し、穢れを祓う力を付したるもの。ここまではよいかなハーゴン君」

「はい!」

ムーンブルクの魔法の学舎。高齢の講師を前に、留学生は恐縮して机についていた。頬は興奮に紅く、膝に置いた手は軽く握られている。頭は連日詰め込まれる知識ではちきれそうだった。月の都で伝授された数々の秘儀は、ほんの切れ端だけでも、ロンダルキア大神殿の埃をかぶった書庫にある写本一冊を上回る内容だった。つくづく生まれ故郷の僧たちは、格式ばっただけの田舎坊主に過ぎないのだと思わざるを得ない。

とうに宮廷を退いて教壇に立つようになった老術士さえもが、雪国でなら第一線につけるだろう。少年はこれまでの学びの浅さに忸怩たる想いだったが、とにかく必死で追いつくよう務めた。宿房であてがわれる藁の寝床や粗末なスープ一杯にさえ、ロンダルキアの民の血と汗の泌んだ税が費やされているのだ。加えて、まだ正式な交わりもない国に修行僧の派遣を認めさせるのに、主君たるヴィルタ姫がどれほど尽力したかを考えれば、挫けている暇などなかった。

講師は手にした扇をゆるやかに動かしながら、説明を進めていく。

「我がムーンブルクは聖水をさらに蒸留し、竜や魔物にとって猛毒となるまでに強めた。とはいえこれをよくするのは王家に限られるのであって、下々のものは、例え術士といえど秘奥に辿り着くのは許されておらぬ。なぜか分かるか?」

「いえ…」

「さもあろうな。蒸留に用いる魔法こそ、ロト三国で唯一、ムーンブルクの血筋のみが操れるトヘロスの術なのだ。聖水によって城や町に魔物が入り込まぬよう清めるのは、いずこでもやっている。だが我が国ほど守りの固さを誇るところはほかにない」

ハーゴンは先だって、王女の供としてやってきたデーモン族の騎士が、鼻を摘まんで外門をくぐるのを拒んだのを思い返した。護衛の大任を放り出してまで森へ駆け込んでしまったのには、なるほど止むを得ない訳があったのだ。あの時は随分情けない奴と怒りを覚えたのだが。

「しかし…」

「何だ」

我知らず零した独白に、老術士は不興げに応じる。もの知らずの生徒の反論には、もううんざりという態度だ。見習い神官は恐縮しつつも、口に出してしまった以上はと語句を継ぐ。

「いささか不自然ではありませんか。町の中をスライム一匹入り込まぬほど清くしておくというのは?」

「不自然とな?精霊ルビスの加護あるように、聖なる光もて隅なく闇を払い、秩序を保つののどこが不自然というのだ」

「光があれば影ができるのが常。ルビスの御心は存じませぬが、ラーミアは人間や魔物、獣、鳥、虫、魚、草木にいたるまで一切を欠けることなくお作りになられた。すべてあるがままにしておくのが本来の形なのでは?」

「ああ。ロンダルキアの教えか。そのような原始の蛮族が抱いていた考えは、我がムーンブルクでは捨てて省みられないのだ。そもそも人間の住処に魔物が入り込むことこそ不自然ではないか。それともロンダルキアでは城内にスライムがいるとでも?」

「はぁ…」

正直に云えば、故郷に対する侮りの因になるだろうか。ハーゴンは迷い悩んで返事を途切らせた。

「まあよい。我らは教義について話し合っている訳ではない。神や精霊の意向について人間がうんぬんするのは不毛なだけだ。では先を続けよう。よいかな?」

講師がさほど頓着した風もなく話を元へ戻したので、少年僧はほっとしてまた姿勢を糺した。しかし心は遠くへ遊んで、ローレシアで難しい交渉に臨んでいるだろうヴィルタ姫を想った。


半竜の娘は、塔の頂きに立って、はるか西南の地を見つめていた。風が黒髪をなぶり、ロンダルキア王家の質素な装いをはためかせる。憂いに沈む横顔は、古にありしラダトームのローラの再来を思わせる、浮世離れした縹緻を見せていた。

宝石や黄金をまとっていなくても、貧しい氷雪の民の姫は、現れた瞬間からローレシア宮廷に強い印象を与えた。上殿を許された貴族の子弟のうち未だ独り身の者は、こぞって手紙や贈物を捧げた。はじめは憧れの地での歓待が嬉しく、一つ一つに丁寧な信書を送っていたヴィルタだが、やがていずれも権力には程遠い蕩児に過ぎず、実際に玉座の周りを占める年経た諸侯は皆、遠方からの招かれざる客を疏んでいるのが感じられるようになってきた。

特にムーンブルクから輿入れした太后と縁戚は、はっきりと敵意をぶつけてきた。魔法の都の一族は、剣の国との同盟をさらに強化しようと、新たな花嫁候補を送り込んできていたのだ。あとからやってきた竜の末裔が、その座を奪いかねないと、要らぬ不安に苛まれているらしかった。

要らぬ不安だろうか。

ヴィルタにも分からなかった。背後に知った足音を聞くと、鼓動が早まるのが分かる。長い両腕が肩に回され、抱き寄せられると、頬が自然に赤らんだ。

「いけません…王子」

「冷えたろう。こんなところにずっといたら」

くるりと体を回され、いきなり口付けを奪われる。熱い舌が入り込んで、歯茎や頬の裏の粘膜をまさぐってくる。ローレシアの世継ぎの求愛はいつも直裁で、荒っぽかった。離れて文章のやりとりをしているあいだは、礼儀正しく控えめな男と考えていたのに、出遇ってみるとほとんど傲慢な積極さで迫り、異郷の姫を所有物のように扱おうとした。

とはいえ騎士団から絶対の信頼を克ち得ている若き将軍の後押しがあってこそ、たおやなロンダルキアの使節は宮廷に身の置き所があるのだった。相手の危うい立場を承知したうえで、王子は強引に体を欲した。少しづつ押されながら、あまり嫌でないのが、誇り高い竜の姫は我ながら不思議だった。

ごつい掌が、服の上から円かな尻を揉みしだく。触るだけならと、せがまれて初めに許してしまった行為。接吻は唇を離れて顎へ降り、甘咬みというには強く歯を立てながら、喉の周りにぐるりと紅い首飾りを刻んでいく。双臀を鷲噛む太い指は、肉をねじるようにして痛みとともに官能を呼び覚まそうとする。乱暴な扱いが快くなるよう仕込まれてしまったと、王女は戸惑い、羞じらいながらも恍惚の喘ぎを漏らす。

「そろそろ良いだろう?」

「だ…だめです…馬鹿な方…どうしてそんなに簡単に考えるのです?」

「簡単な話だからだ。ヴィルタはもう俺のものだ。あとは遅いか早いかだけだ」

「私は…役目を終えればロンダルキアに帰るのですから…勘違いなさらないで」

「許さん。俺の側を離れるのはな。家に戻る時は、俺の妃としてだ」

「…ご冗談が過ぎます…私にもあなたにも、継ぐべき国があるでしょう?」

「ロンダルキアには俺たちの子供を一人送ればいい。岳父殿もまだ当分は健在だろうが」

「あなたのお祖母様たちがお許しにならないでしょう…」

「関係ないな。いずれ俺が王となる。年寄りは暖炉の側で大人しくしていればよいのだ」

ローレシアの現王とて老境には程遠いというのに、嫡男としては随分なものいいだった。だが漆黒の眼差しを覗き込んでいると、すべてが真実になると信じてしまいそうになる。ヴィルタは溜息を吐いて幻想を払いのけた。

「ご自分の立場を大事になさいませ。いずれ王と女王として、ともに手を携えて民の繁栄のために働きましょう。私はここでよき朋を得た。そのつもりでいます」

「ふ…朋がこんな真似をするかな」

もう一度口付けが始まる。長く、甘く、激しく狂おしい戯れ。銀の糸を引いて二つの唇が離れると、王子はにやりとして囁いた。

「ところで首の周りに痕ができてしまったな。明日の狩で目立つぞ」

「誰のせいです…襟の高い服を着ないといけませんね」

「もっといいものがある」

告げながら黒衣の袖から銀の飾りものを取り出す。ローレシア王家の紋章を象嵌した細工で、丁度女の喉にぴったり嵌まる円い形をしていた。明らかに首輪だ。

「これは…?」

「ヴィルタが俺のものだと示す印だ」

「悪趣味な方ね」

そう笑いながらも受け取ってしまう。ふれると柔らかい。金属なのだろうか、布だろうか。指でつまんで引っ張ると自在に伸びた。

「マネマネ銀という。行くべき道の失われたミッドガルドの品だ」

「まぁ…貴重なものを…」

「ヴィルタが身に付ける飾りは唯一無二でなくてはな」

「頂戴いたします…」

首に着けると、かすかに温かい。王子は惚れ惚れと恋人に眺め入ってから、さりげなさを装って尋ねかけた。

「そういえば、あのでかぶつ。護衛の騎士はどうしている」

「アクデンですか?事情が在ってローレシアの市中には入れないのです。ですが明日の狩りには顔を見せるはずですよ。きちんと紹介いたします」

「そうか…それは楽しみだ…ところでその飾り、明日は忘れずに着けてくるのだぞ」

「ええ…?」

ロトの直系はにっこりすると、また竜王の裔を引き寄せて、飽きもせずに愛撫を再開する。午後の陽光が二人を横から照らし、日時計の針のような長い影を引いた。

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