Dragon of the Sadness Vol.1

”アクデンはいずこ”

氷雪に閉ざされしデーモン族の首邑。高御座より忌々しげに喚ばう長老に、紫鱗、皮翼の子等はいずれも眼差しを落として答えなかった。強張った沈黙の中、そろって巌の如く固くなった巨躯の群を掻き分けて、小柄な少年が歩み出る。まだ戦士としての体格もできあがっていない、幼生に過ぎないが、鬱金に煌めく鱗こそは、すでに有機王水の滝に打たれて、悪魔の頭目たる”ベリアル”の資格を得たことを示していた。

”叔父上はロンダルキアへ行かれました”

昂然と胸を張り、鋭く通る声で告げる態度には、癇癪持ちの翁を恐れるところは微塵かもなかった。百年にわたって同胞を率いてきた古豪に対し、敬いを欠いてはいないものの、身分ははっきり同格か、あるいは上だと主張している。

思わぬ相手から求めていた返事を得て、皺だらけの顔が怒りに歪む。だが渦巻く激情は目の前に立つ若者へではなく、ここには居ない誰かに向けられていた。

”あの痴れ者め!また人間のところへ!”

”大いなるシドーの伝承について神官どもと論を戦わせ、信仰と知恵とを深めたいとの由、うかがっております”

”見え透いた偽りを!あれはまた半竜の姫へ会おうというのだ。鱗も牙もなき生白い肌に近付きたさに!我が血を最も濃く受けながら、かくも恥ずべき性を持つもの狂いに育とうとは”

長老の憤りは、我が子への口にすべからざる侮辱となって迸る。だが少年は一歩も退かず、かといって語気を荒らげもせず応じた。

”叔父上は誇り高き一族の騎士。これまでいつ、身内に顔向けできぬ間違いを犯したでしょうか?それどころか闘いの技にかけても、魔法においても、誉れ高き行いについても、果して誰が比肩しうるというのです。外へ出るたびに力剛きデーモンの名望を高めこそすれ、貶めた試しはありませぬ”

異端の息子へと孫が寄せる信頼に打たれて、祖父は愁眉を開くと、胸に凝っていた重い息を吐き出した。どうなるかと固唾を呑んいた眷属のあいだに、安堵のさざなみが広がる。

だが翁はなおも陰鬱な調子を残したまま、少年を諭した。

”ベリアルよ。そなたは幼い。おまけにアクデンに懐いておる故、肩を持つのであろうが。元来、我等デーモン族と人間は交わらぬ。姿形も生き方もかけ離れておるからよ。だのにあれは人間の暮らしに憧れ、人間の言葉で下らぬ詩作に興じておる。神官どもとの議論だと?どうせハーゴンとかいう小僧を捕まえて、拙い恋歌の推敲をやっておるのよ”

”叔父上のことは何から何までご存知なのですね?”

破顏して問いかけるベリアルに、老アークデーモンはへどもどして言葉を濁した。

”それはその…あやつめが姫に会うたび、有頂天になって、あれの母のもとへ報告しにくるのよ。まったくの大たわけの…まぬけの…”

”ロンダルキアのヴィルタ様というのは、さぞや優れた方なのでしょう。叔父上をあれほど惹き付けるとは”

”さてな…人間など知らぬわ…ええい。もうよい!あの馬鹿の話をしていると心が腐るばかりよ!おい誰やら相撲を取れ!デーモンの勇壮を祖先の霊にしろしめせ”

たちまち群集は沸き返り、力自慢の武者が数匹、前へ進む。すると黄金の鱗持つ未来の領袖は莞爾として、一番の大兵と向き合う。歓声と手拍子とともに、小山のような悪魔の体と体がぶつかりあい、昔ながらの勝負事が始まる。

熱した男ら、女らから蒸気が噴き、天へと昇っていく。人ならざるものどもが平和な暮らしを許された最後の封土、白き峰々に囲まれたロンダルキアの碧空には未だ曇り一つなかった。


真昼の太陽は、ロンダルキア城の黒ずんだ石積みを暖め、寒風の吹き抜ける外庭の一角、神殿へと通じる回廊の影にもかすかな温もりを与えていた。がらんとした柱の連なりには、大気の唸りに混じって、野太い朗誦が響いている。

「君の瞳の麗しさ…洞窟の暗がりに瞬くダークアイにも似て…」

「だめですよだめ。それじゃまるで決斗をけしかける時の嘲りの台詞だ」

うんざりして遮る少年僧に向かって、紫髪の優男が沈んだ面持ちで首をひねる。

「…そうか?…では風になびく黒髪の…たゆたうガストの霧のごと…」

「アクデンさん。いったい姫様を何だと思ってるんですか?まったくあなたがた魔族と来たら…どうして星とか月とか、花とか、美しいものにたとえないのです」

「しかしハーゴン。ガストのゆらめくさまは綺麗だぞ。増して日の光の届かぬ深い穴の奥で、天井からぶら下がるダークアイが瞼を開いた時の、あの神秘の光景はどれほど素晴らしいか」

捲し立てる青年に、年下の見習い神官は苦虫を噛み潰した表情だ。

「いや同意しますがね。しかし一般論からいって、貴婦人に捧げるにはふさわしくないなぁ。仮にも竜王の血を引く高貴のお方をですよ?下等な怪物呼ばわりは失礼に当たるでしょう。少なくともほかの人間はそう考える」

「むぅ…だがヴィルタ様は、ロンダルキアの命すべてを愛しておられる。この国で、冬に樹氷に覆われた白樺の林や、冷たく凍りついた湖で踊るブリザードを眺め、春にほんのわずか咲き乱れる花畑をそぞろ歩き、夏には楓の蜜を採る民とともに働くのを、誰よりも好まれているのだぞ」

「それだ!それですよ!散文っぽいけど、中々いい!韻を整えればばっちりだ」

ハーゴンが指を鳴らして太鼓判を押すのへ、アクデンは憮然と答える。

「これは貴公の作品を口語に直しただけだ。つい先週、得意げにみどもに聞かせたのだぞ」

「ああ、そうでしたっけ?」

「まったく、うぬぼれの強い奴よなぁ…」

「えへへ。どうも」

魔族と人間が、どちらも務めを放り出して、ぺちゃくちゃと文芸談議に興じているのへ、ひょいと頭巾の影が割って入る。

「ハーゴン!いつまでなまけておる!神殿の掃除は終わったのか!」

「ひゃっ」

跳び上がる見習い神官の横で、デーモン族の戦士がばつの悪げに引き下がりかけてから、すぐに驚愕に瞳を丸くする。影が高らかに笑いながらかぶりものをとると、ダークアイの瞳、ガストの黒髪、ドラゴンの凛々しさを兼ね備えた乙女が現れたのだ。少年僧をいびる師匠の声色を中々うまく真似たようだ。

「で、二人とも何のお話?」

「いやその…」

無邪気な問いかけに詰まる武者をかばって、年若い僧侶が素早く口を挟む。

「なぁにちょっと…へたくそな詩をひねっていたまでで…ヴィルタ様こそ、また宮廷を抜け出されてどこへ?」

「南の祠に願かけに」

姫君の秘密めかせた返事に、大小の男二人は顔を見合わせ、どちらともなく相次いで尋ねかけた。

「というと?」

「何か新しい計画を準備しておいでで?」

「お手伝いしますぞ」

「いつものように!」

「そうね。あなた方になら教えてもいいわね。でも、ほかの神官やデーモン族に話しちゃだめですよ?」

「それはもう」

「勿論。騎士の名誉にかけて」

「では」

と断って、ヴィルタは両腕をそれぞれ、昔からの悪戯仲間の首にかけ、ひそひそと囁いた。

「実はとうとう、父上を説得しました」

「ほう?」

「例の温泉の件?それとも一角獣族との貿易の件?もしやロンダルキア大洞窟の探検ですか?」

「残念ですけど全部外れ」

半竜の乙女は嬉しそうに片方の瞼を閉じると、抑えがちに、しかし強い気持ちを込めて宣った。

「ロンダルキア王国は下界との外交を再開します!百年ぶりに!」

「何と!」

「ついにですか!」

アクデンは愛する姫君の念願が叶ったのを素直に喜んだだけだったが、ハーゴンは期待と不安がないまぜになった、緊張した顔付きで、双眸を輝かせている。ヴィルタは手を離すと、一歩下がって、忠実な友を交互に見遣り、誇らしげに頷いた。

「私が直接ムーンブルク、サマルトリア、ローレシアの三国へ行きます。使節として」

「無茶な!」

「あなたはロンダルキアのただ一人のお世継ぎですよ!いずれ女王となられる身だ」

たちまち真青になる騎士と僧侶に、王女は苦笑して首を振ってみせた。

「思った通りの反応ですね。でも決めたのです。最初に訪れるのはロトの血を引き、勇者の威風を今もよく伝えるという、あの国々です。すでにローレシアの貴族の方と手紙のやりとりもしていますのよ…こっそりですけどね」

「どうしてもというなら、みどもをお連れください!下界は恐るべき権謀術数渦巻くところ、ヴィルタ様にはデーモン族百騎の護衛でも足りぬほど…」

「僕も行きますよ!魔法の都ムーンブルク、森と砂漠の相混じるサマルトリア!そして今も伝説の息づくローレシア!」

「あはは!言うと思いました。ええ。ええ。父上に頼んでみますわ…でもまずは祠に赴き、この旅がうまくいくようラーミア様に祈ってこなくては。一緒に行きませんか?」

「喜んでご一緒しますぞ」

「僕も!」

勢い込む人間と魔族を、半竜の娘は頼もしげに眺めていたが、やがて向こうから鬼の形相をした老祭司が近付いてくるのを認めて、そっと少年僧に耳打ちした。

「あなたはまた今度にした方がよさそうね。ほら後ろ」

「ハーゴン!いつまでなまけておる!神殿の掃除は終わったのか!」

見習い神官はまたしても跳び上がると、側に打棄っていた箒を拾って、脱兎の如く駆け去っていった。師匠が足を踏み鳴らしながら後を追っていくのを、騎士と姫君は並んで見送ると、またぷっと吹き出す。

「まったくあの子ったら。あれでロンダルキア大神殿一の秀才というのだから」

「変わった奴です。軽いようでいて。色々と考えている。みどもも随分教えられた。特にラーミアとシドーの伝説については、デーモン族の語り部も顔負けの詳しさだ」

「ええ。私も、この国の飢餓を終わらせるには下界とのつながりを取り戻すしかないと教えられました…それに…」

「それに?」

アクデンが先を促すのへ、ヴィルタはかすかに頬を染めながら続けた。

「私は心強いのです。あなたとあの子の仲の良さが。魔族と人間がここまで親しくなれるなんて…思いもしませんでした…泣き虫ハーゴンが、恐ろしいデーモン族の騎士と詩の話をしているなんて…違う種属同士が誼みを結べるなら、下界の人間とだってうまくやれます。きっと」

「うーむ。ハーゴンめは人間よりは魔族に近い考えをしますがな。奴は大洞窟に産み捨てられた孤児だったのですぞ。二つかそこらになるまで、死神族に育てられた」

「知っていますよ。はじめ神殿に引き取られたときは、もっと暗くて内気な子でした。それが…多分あなたと会ってからです。あんなに明るくなったのは。ある日、私のところへ大きな怪物の背に乗ってきて。どうしても友達になってくれだなんて…驚いたわ」

「ぬは、ぬはははは」

思え返せば、ちびの坊主に無理に頼み込んで、畏れ多くもロンダルキアの内親王との取り持ちをさせたのは、ほかならぬデーモン族の青年であった。とはいえ利けものの童児は快く応じて、見事に役割を果たしたのだ。省みれば感謝しても感謝しきれぬ恩があった。

「実は、奴めははるかな月の城に憧れておるのです。あそこで本格的な魔法を学ぶのが望みなのですよ。できれば取り計らってやって戴けませぬか」

「ええ。私がローレシアを夢見るのと同じすね。もうすぐ、すべて現実になるのです。いえ、してみせます!あなたはわくわくしませんか?」

「みどもは…」

こうしてあなたの側にいられるだけで、地上の楽園にいるのも同じです。などと、きざな台詞を胸裡に弄びながら、アクデンはただ黙って蒼穹を仰いだのだった。

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