剣を振るうには向かない、狭い室内。対する標的は俊敏さで秀でたデビル族の統領。奇怪な匕首の一刺しを受け、主君さえ判別できないほどに我を失っている。 ズィータは青眼に構えて、足に力をためた。バズズが正面を向き、平素の慎重さとは打って変わった無防備といっていいほどの大胆さで、鉤爪の生えた前肢を振り上げる。右の方だけが異様に膨らんでいた。傷付いた掌から始まった動脈や静脈の隆起が、いつのまにか肩まで達している。すぐにも胴や首にまで広がるだろう。躊躇してはいられなかった。 竜王は大気を震わす雄叫びとともに、迅雷の打ち込みを放つ。牽制も陽動もない、ただ単純な縦一文字の斬撃。迎え撃つ妖猿も、いささかも劣らぬ疾さで両の手を振り下ろした。 剣と爪とが空を裂き、宙に赤華を咲かせる。相俟って、つんざくような喚きが辺りに響き渡った。 黒刃は過たず、歪にねじくれた毛むくじゃらの太腕を切り飛ばしていた。狂える将軍のもう片方の手は、主君の頭部を掻き毟る寸前で、淡い光の被膜に押しとどめられていた。守護の呪文スクルト。夫の吶喊に呼吸を合わせ、妻が遠い間合いから防御の術を放ったのだ。 紙一重で対決を制した青年は、短く息を吸って、片手を得物の柄から外すと、拳を握り固め、苦痛のけぞる妖猿の顎を下から殴りつけた。人間離れした怪力が巨躯を高くに跳ね上げる。分厚い石の天井に頭をぶつけたデビル族の長は、血泡を噴いて床に倒れた。 決着はついたと見て取った妃が進み出て、倒れ伏す元帥に治癒の魔法をかけようとするのへ、王は激しい口調で止める。 「止めろ!」 「でも…」 黄金の竜眼が、強い輝きを帯びて、痙攣する魔族の四肢を観察していた。切り株となった肩はすでに肉が盛り上がり、出血を止めている。いかに高い生命力を誇るデビル族の統領とはいえ、信じ難い回復の速さだった。おまけに、ほかの部位ではもっとようすがおかしかった。白目を剥いた双眸と、開いた鼻腔、猛烈な打撃を受けて外れた顎からは、赤と茶の混じった粘液が溢れている。 「ベホイミは駄目だ。傷を塞ぐために体の働きを急がせたら、バズズは死ぬ」 抑揚を欠いたズィータの台詞に、トンヌラはどこか幼さの残る面差しを緊張に固くし、唇を咬むと、別の呪印を結び始めた。 「っ…じゃぁキアリーを!」 「駄目だ!…ブリザードを呼ん…いや…お前、使えたな。古代の冷気呪文を。凍らせろ」 「え…」 「急げ!俺は…こいつまで失う訳にはいかねえんだ!!」 「…はいっ…極寒より来れ吹雪の精。我が手に白き祝福を…ヒャダイン!!」 たちまちのうちに、妖猿の巨躯は氷の棺に覆われる。生死も定かでない状態で、将軍の時間を留めおくと、ロンダルキアの君主は無表情に頷いて、さっと向きを変え、床にうつぶせになったルル姫の方へ屈み込んだ。緑の襟を掴んで、無理矢理引き起こすと、伴侶が止める間もなく左右の頬を張って意識を取り戻させる。 「…教えてもらうぞ…あのナイフの正体をな…事と次第によっちゃお前の命は…」 「待って!ルルは…」 「黙ってろ!あの刃に刺されたのがバズズでなく俺だったら、お前も、この女も、この城の誰一人、今ごろ生きちゃいねえんだぞ!」 サマルトリアの王女はぼんやりと恋人を奪った仇を見上げた。 「わ…わたし…分からない…あんなもの…いつのまに持ってたのか…」 「っざっけんじゃねぇ!」 「本当に分からないの…」 「分からせてやるか?あ゛ぁ゛っ!?」 犬歯をむき出して、残忍な意志を露にする夫に、妻がとりすがって懇願する。 「ズィータ様やめて!」 「…黙ってろって…うぉっ!?」 いきなり城全体が鳴動し、竜王はよろけて姿勢を崩した。神鳥の化身は煌めく金髪を振り乱して、連れ合いにしがみつくと、揺れが収まるのを待ってから早口に告げた。 「ハーゴンの魔法だ!」 「あん?」 「さっき短剣から感じたの、ハーゴンの魔法だったんだ。僕にもすぐに分からなかった。多分、バズズさん以外、誰も気付かないほど、ルル本人も忘れてしまうほど、強い隠蔽の呪文がかかってたんだ」 「…あいつはとっくに死んだはずだ!」 「だけど、確かにこの城で戦ったハーゴンと同じ気配だったんだ…もしかしたら」 「残党どもか…まだこそこそ…」 「だから!」 トンヌラの切羽詰まった眼差しに、ズィータははっとして腰を上げた。 「…奴等が仕掛けるなら、これで終わらせるはずはないか」 ロンダルキア王は未だ呆然としているサマルトリアの王女を一瞥し、次いで凍結した腹心に注意を移すと、最後に伴侶に顔を向けて告げた。 「あとで…こいつらの面倒をみる奴を手配する…今は置いてくぞ」 双生の妃は、妹を悲しげに眺めやり、わずかのあいだ瞼を伏せると、掌を差し延べ、艶やかな唇に囁くような唱句をのぼせた。 「ラリホー」 青年は睡みに落ちる乙女の体を床に横たえると、相棒を促して居室を離れ、がらんとした廊下を駆け足に抜けていった。我が児のもとへと。 宮殿の中庭に、甲胄の群が犇き、金属のぶつかりあう硬い音をさせていた。四方を埋め尽くしているのは多脚の単眼のからくり兵。機械の腕に弓と剣を携え、一糸乱れぬ動きで標的を襲っている。まるで巨大な蟹を思わせる姿が、あまた寄せ集まって押し寄せるようすは、山間の地が突如、引き潮のあとの浜辺と化したかのようだった。 ”ぬぉおっ!!!” 万雷の轟きの如き鬨とともに、キラーマシンの数体がまとめて天に舞い上げられ、まるで子供が投げ捨てたぶりきの玩具のように、軽々と城壁まで放物線を描いていく。 百を超える命なき戦士にただ独り相対して一歩も退かず、次々と叩きのめしているのは、ロンダルキアきっての巨漢、一角獣族のアトラスだった。敵とは異なる、生気の通った大きな単眼で辺りを睥睨しながら、棍棒を自在に振るって、頑丈な鎧を紙細工か何かのように拉いでいく。 ”ええい!次から次へと…いい加減にせい!” 気の小さいものが聞けば、それだけで失神しかねない叱咤も、感情を持たぬキラーマシンには通じないようすで、依然として素早く走り回りながら、無数の矢を浴びせかけ、将軍の丸太の如き四肢を狙って油断ならぬ斬り込みをかけてくる。 ”む…拙者の命令すら聞かぬとは…頭の中身を書き換えられたか…これだからからくりどもは…せいっ!!” アトラスは得物を横薙ぎにすると、五つか六つの殺戮機械をまとめて押し潰した。そのまま四十斤はありそうなごつい武器を旋風の如くに振り回し、巧みな包囲陣を力業で突き崩すと、そのまま切り開いた道を驀進していく。 あと少しで城内というところで、いきなり大鬼の足が止まる。磁石に引かれる鉄塊の如く、小山のような躰は再び庭へと戻り始めた。 ”…おお…こ…これは” 「さすがはシドーの騎士が一騎。キラーマシンやメタルハンターなど百や二百けしかけたところで埒が空かぬな」 一角獣族の統領が、単眼に憤怒を宿して振り返ると、からくりの兵が左右に分かれて、あいだからドラキーの紋章入りの僧服をまとった青年が現れた。表情を隠す仮面は被らず、手にはとぐろをまいた異形の竜、破壊の神シドーの似姿を彫った像を捧げ持っている。 ”邪神の像…うぬは…ハーゴン派か…” 「いかに強力無双のお前といえど、この像には逆らえぬ…かつてハーゴン様が三氏族の長を従え、証明してみせたのだからな」 ”…ハーゴンの養い子どもか…まだ昔の夢を捨てられぬと…たわけが!うぬにハーゴンほどの魔力があるか!” 全身に鉛を着せられたような鈍い動きで、しかしアトラスはなおも、ちっぽけな敵のもとへ決然と足を進め、棍棒を振り上げた。若き悪魔神官は恐怖に青褪めながらも、揺るぎない凝視を返す。 ”主のもとへ逝け!” 言葉とともに豪腕が振り下ろされる。当たれば人間の頭蓋など柘榴のように砕くはずの硬木の幹は、しかし青年の鼻先で止まった。 ”ぐ…” アトラスがのろのろと猪首をもたげると、青年の背後には、いつのまにか同じ衣装をまとった十人以上の仲間が集まり、それぞれ指で呪印を組んで一心不乱に祈祷していた。 悪魔神官は引き攣った笑みを浮かべて告げる。 「確かに私一人の魔力はあの方の足元にも及ばぬ…だがあの方に奴隷の身から解き放たれ、手ずから教えを受けた”最初の百人”の生き残り…そのすべてがここにいるのだ…皆の命を削れば、お前を操るのも不可能ではない」 ”うぬら…捨て身で…” 青年は像を高く掲げて語句を重ねた。 「我らとて魔と人の共存を望む…お前を道具として使うのは本意ではない…だが、奴を…竜王ズィータを斃すためなら…ハーゴン様の仇を討ち、ロンダルキアを教団の手に取り戻すためなら…どんな外道にも手を染めよう!我に従え!アトラス!」 ”…この…愚かものどもめが…” 罵りながらも、大鬼は膝をついた。悪魔神官は頷くと、王が臣下をねぎらうように、巌のような肩へ手を置いたのだった。 ロンダルキアの子弟の集まる一角、古城の世継ぎたる幼い双子は、背中合わせになって練習用の木剣を構えていた。二人を取り囲むのは、最前まで一緒に遊んでいた学友たち。銀毛の仔猿や、小悪魔、巨人の童児だった。 「シルバー!ギーガ!ベリー!みんなどうしちゃったんだよ」 ベリーと呼ばれたデーモン族の少年が、前へ進み出て小さな三叉鉾を構える。 ”イオナズン!” 魔力が足りないのか、小さな焔がちょろりと切先から迸って、床に垂れる。絨毯についた火を慌てて踏み消しながら、竜王の嫡子たるフォルトゥナート王子は再び語りかけた。 「目を覚ませったら!」 ”ウガァアアア!” ギガンテスの少年、ギーガが拳を振るう。ほかの子供らと違って、一角獣族の巨躯には未熟といえども侮り難い威力がある。フォルは迫る脅威に凝然とした。だが間一髪で、横から兄弟の片割れ、破壊神の名を持つシドーがすばやく飛び出し、ちっぽけな掌で殴打を受け止めたのだった。 ほっそりした足を踏ん張って、大きな拳の重圧を押し返すと、華奢な体のどこにそんな剛さがあるのか、逆に巨人の童児を突き飛ばして、壁に叩き付ける。 ”キキィイ!!” 続いて躍りかかってきた若いシルバーデビルを、シドーは一睨みで虚空に釘付けにすると、木剣の平で叩き伏せた。さらに流れるような身ごなしでベリーに間合いを詰めると、小さな頭をぽくりと一打ちして、気絶させる。 「し、シドー…」 すっかり度肝を抜かれた連れが声を掛けるのへ、振り返った少年は安心させるように微笑もうとして、急に顔を歪めた。 「…フォル…僕から…離れて…」 「シドー?どうしたんだよ?」 「あれが…近くあるんだ…」 「あれ?あれって何さ!?」 「邪神の…邪神の像…」 「なんだよそれ!」 「…シドーを祀るための、祭器なんだ…僕も…抑えきれない…」 「そんな!…シドー!だめだよ!!シドーまで…」 兄弟が見守る中で、破壊神の化身は変容を始めた。服を引き裂いて翼が現れ、手足の先を鱗が覆っていく。 フォルは息を呑んでから、覚悟を決めたように背を伸ばすと、外形を移ろわせゆく双子の胸元へ飛び込んで、しっかりと抱き締めた。 「シドー!しっかりして!」 ”フォル…だめ…離れて…” 「嫌だ!シドーがなりたくない姿なんかに、僕がさせない!シドーが一番なりたい姿でいろよ!ねぇ!」 ”フォル…ああ…フォル…” 変容は別の様相を呈し始めた。四肢の成長は止まらないが、硬くごつごつした部分はそれぞれ関節まで達せず、二の腕や太腿は逆にふくよかさを増し、漆黒の髪が根元から黄金に染まって、滑らかだった胸に二つの丘が現れる。真紅の瞳は潤みを帯び、円かな容貌もどこかなよやかさを帯びていく。 ロンダルキアの王子はぽかんと口を開いて、半人半魔のまま大きくなった相棒を眺めやった。 「シディ…ア…」 ”だめ…見ないで…フォル…やだ…見ちゃやだ…” 「シディアは…シドーだったの…?」 以前に冬至の祭りで謁えたきりの初恋の人に、思いもかけぬ形で再会したフォルは、殆ど魂を抜かれたような態で、相手を見つめた。 ”…ごめ…ごめん……フォルのこと…考えてると…邪神の像の波動に…抗えるから…そうしたら…お願い…見ない…で…” 宝石のような涙を零してうつむくシドーに、片割れはさらにきつくしがみついた。 「シディア…ううん…シドー…いいから、僕のこと考えてて…それで…シドーが…ベリー達みたいにならないなら…ね?」 ”いいの…?…いいのフォル?…むっ…ん…” 二人はどちらともなく唇を重ねた。おずおずと互いの口内に舌を差し入れて、唾液を味わう。破壊神の化身は殺戮の飢えから逃れるため、生命の歓喜にすがりつき、最愛の者の幼い肢体にすがって、たどたどしい愛撫に身を任せた。 王子らの居場所にほど近い、少女たちの勉強部屋。椅子と机を寄せて作った間に合わせの障壁を押し退けて、無数の骸骨が中へ入り込もうとしていた。 「アーカニ!ほかに積み上げられるものはないの?」 「無理よアーカナ…使えるものは全部使っちゃった…こうなったら、あたしたちの呪文で…絶対にカリーン様を守るのよ!」 悪魔神官見習いの娘らは、恐怖に脂汗を掻きながら、並んで呪印を切ると、詠唱を始める。勇ましいが、いかにも頼りなかった。どちらも竜王への忠誠を選んだロンダルキア土着の穏健派で、ハーゴン派のような戦闘向きの術をよくする訳ではないのだ。 二人に守られる小さな金髪の姫は、先ほどから土気色の顔をして、膝を抱えてうずくまっている。兄のシドーと同じく、何かを懸命に堪えているようだった。 「かぁ…さま…くるしいよ…」 経験の浅いアーカニとアーカナには、幼い主君から妖気が漏れ出しつつあるのを、察する余裕はなかった。 ”女神を!破壊の女神をこれへ!” ドラキーの紋章を描いた盾が、椅子の足をへし折って障壁を崩した。現れたのはハーゴンの騎士。骸骨族の最上位にして、亡き大神官にのみ忠誠を誓う精鋭だった。 ”女神よ!我らの元へ来れ!!” 「ギラ!!」 少女達の掌から同時に眩い閃光が迸る。だが骸骨族の将はあっさりと盾で呪文を弾くと、血肉を欠いたおとがいを開いて、かちかちと歯を鳴らした。髑髏なりの、嘲りの仕草らしかった。 ”しゃらくさい” 剣が二度、虚空を過ったかとみるや、僧服はずたずたに引き裂かれ、悪魔神官見習いの裸身が露になった。 「きゃああ!!」 「いやぁ!!」 とっさにうずくまる二人に、ハーゴンの騎士は再び武器を掲げる。 ”女神の覚醒のため、まずは御前に瑞々しき贄を捧げるとしよう。小娘ども、光栄に思うがいい” 「調子こくでね」 振り上げた刃を下ろそうとした矢先、背後から風の唸りがして、骸骨の手首をまさかりの一撃が切り落とした。 ”なに!!” 振り返ったハーゴンの騎士は、続く斬撃に慌てて盾を掲げたが、その防具も真二つに割られて、たたらを踏みつつ後退った。 矢継ぎ早の攻めを仕掛けたのは、テパの首狩り族。分けても最強の斧使いに与えられるバーサーカーの印を帯びた若い女戦士だった。 「バーサ!」 アーカニが歓喜の叫びを上げると、アーカナは安堵のあまり泣き出した。蛮族の娘は真紅の蓬髪を揺らし、ひゅうひゅうと風を切って武器を振り回しながら、骸骨族の猛者に歩み寄る。 「おめ、よくも、ちい女神様のお部屋を荒らしてくれただな」 ”ふ、大した鼻息だな…不意打ちで我の剣を撃ち落した腕前は認めよう。だが首狩り族一匹、配下のスカルナイトどもに始末させるのは容易いわ” 「こいつらけ?」 バーサは毛皮の套衣に隠していた髑髏を幾つか、無造作に床へ放った。いずれも骸骨族の上位戦士のものだ。宮仕えをしていても、倒した敵の首を狩って持ち歩く習慣は捨てていなかったらしい。 「まとめてくんた狩ったけども。まず張り合いのね連中だな」 ”な…ばかな…三十体は連れて来たのだぞ…” 「こねなら、こっちからいくぞ」 バーサーカーは言うが速いか、ハーゴンの騎士が身構えるいとまも与えず、まさかりで兜ごと首を斬り飛ばし、屍の胸を蹴り倒して、ふんと鼻息を吐いた。 「…厠にいってる隙にこれだもの。アーカニもアーカナも、もちっとしっかりしてくれねばな」 「ご、ごめんなさい…」 「うう…バーサが居てくれてよかった…」 一糸まとわぬ姿で、情けなさなそうにうつむく少女らに、女戦士はばさりと毛皮の套衣を着せかけると、主君のもとへ近付いた。 「ちい女神様?」 跪いて問いかける護衛に、王女は朦朧とした眼差しを投げた。 「バーサ…こわいよ…私…私じゃなくなっちゃうみたい…」 「あん?ちい女神様はちい女神様でねか?」 「ちがうの…私の…中に…何か…が…」 だしぬけに地響きがして、部屋が震える。バーサーカーは素早く立ち上がると、斧を構えなおして、戸口を見張った。 「新手!?」 アーカニとアーカナは互いに肩を寄せ合って、套衣にくるまるようにしながら、再び詠唱を始める。今度は攻撃ではなく、恃みの女戦士を援護する補助呪文だ。これなら得意だし、十分に役に立てるはずだった。 「今度は、ちっと大物かもしんね」 蓬髪の娘がまさかりを斜に持って、仲間に注意するのとほぼ同時に、戸口の石積みが破裂するように砕かれる。続いて橙の肌をした独角の大鬼がぬっと頭を突き出した。単眼がじろりと少女達をねめつける。 「何だ。アトラスの旦那か」 いかに恐ろしげな外形でも、馴染みの将軍とあれば案ずるには及ばないと、バーサが肩の力を抜き、武器を下ろした瞬間、棍棒の一撃がほっそりした胴を薙ぎ払った。 「ぐぅっ!!?」 猛勇を誇るとはいえ、所詮は華奢な娘の体は、たやすく吹き飛んだ。石壁に激突して跳ね返り、絨毯の上に這いつくばったバーサは、しかし辛うじて意識を保ち、胃液を逆流さて嘔吐しながらも、起き上がろうとする。その背中を、一角獣族の分厚く平らな足が踏みつけた。 「ぎゃうう!!」 「バーサ!!」 「そんな!アトラス様どうして!?」 無言のままの巨人の陰から、痩躯の青年が歩み出てくる。アーカナやアーカニと同じ悪魔神官のいでたちだが、まといつく雰囲気は歴然とした出自の違いを物語っていた。 「テパの首狩り族に邪神の像は利かないか…こういう手練れがほかに何人もいるとやっかいだな…アトラス…殺すな…できれば無駄に命は奪いたくない…」 「あ、あなたはいったい」 「シドーに仕える神官がどうしてこんな!」 男は悲しげに微笑んで、うら若い姉妹に指を向けると、軽く左右に振った。たちまち二人は睡みに落ちて崩れ落ちる。詠唱なしでラリホーの呪文をかけたのだ。かくて障害のすべてをあっさりと取り除くと、いよいよと縮こまる幼い姫宮へと歩み寄り、懐から邪神の像を取り出して、頭上に掲げる。 「…哀れな裏切り者たちの弟子よ…君等にもいずれ真実が分かる…さあ王女…もう一つの神の器よ…私と共に来て頂こう…早くこちらへ…竜王が未だ暴れ出さぬ以上、ルル姫はしくじったとみえる。我らには時間がないのだ」 シドーの似姿が放つ禍々しい波動に導かれるまま、カリーンはふらふらと立ち上がると、悪魔神官の手をとり、懐に倒れ込んだ。 政務所から子等の居る棟へと連なる、長い回廊の途中。先を急ぐはずの王と妃は、足を止めて、前方を窺がっていた。 「おい…こいつらまであの短剣で刺された…って訳じゃなさそうだな」 「…ほかにも、魔族を操る力が働いてるんです…多分…」 鏡に映したかの如くにそっくりな銀髪の女官が二人、どちらがどちらと見分けのつかぬ嫣然とした笑みを浮かべて道を塞いでいた。それぞれ掌には青白い炎が浮かんで、緩やかな呼吸に合わせて揺らめいている。 ズィータはやりづらそうに剣を構えるのを、トンヌラは横目で盗み見た。万夫不当の武を誇る竜王も、女を傷つけるのは得手ではないのだ。戦いにためらいを覗かせる夫に、妻は場違いな嫉妬を覚え、恥ずかしさに瞼を伏せて、小声で告げた。 「…呪文の巧みさはバズズさんより上かもしれません…気をつけて…」 「…そうか…呪文が主だったな…」 黒髪の青年は急にほっとした笑みを浮かべると、虚空に武器を納めて、するりと伴侶の背に隠れた。金髪の乙女はぽかんと口を開けて後ろを省みる。 「ズ、ズィータ様?」 「おら…行ってこい」 「なななな」 「同じ魔法戦士だろうが」 「なんで僕が!?勝てる訳ないですよ!あっちはロンダルキアで一番怖い呪文使いって言われてるんですよ?」 「大丈夫だろ」 ズィータはにんまりして、連れを前へ押し出した。 「ほかが何と言おうが、ロンダルキアで一番の呪文使いはお前だしな」 「ううー」 トンヌラは睫の端に涙を溜めながら、屠殺場へ引き出される羊のようにのろのろとした足取りでデビルロードの双璧のもとへ向かっていった。 |
[前へ] | [小説目次へ] | [次へ] |
[トップへ] |