Hell on the Earth Vol.1

真昼時。森を分けて伸びる街道。踏み固められた地面を噛んで、ゆっくりと進む箱馬車の前に、薄汚れた乞食が一人、飛び出した。

手槍を携えた護衛が二騎、素早く遮ろうと割って入ったが、ぼろをまとった男は意外な素早さで蹄のあいだをすりぬけ、黒塗りの御台の横まで来ると、扉にとりついて、嗄れた声で訴えかけた。

「どうぞお慈悲を!お慈悲を!貴い御方」

奇妙に軋む台詞。しかしよく通って、周りにいる誰しもの耳を打った。巧みに駒を返した兵が、得物を構えてくせものに狙いをつけようとしたが、切先を主の乗り物に向けるのをためらって、しばし動作を遅らせた。

すると、何やか箱の中から合図があって、馬車は速度を落とし、やがて停まった。

「姫様!なりませぬ!」

外から騎士が制するのもむなしく窓が開くと、まだ若い婦人が首をさしのべて、だいたんな陳情をした相手をながめやった。高い身分とは思えぬ、屈託のない振る舞いだ。山吹の髪と紺碧の眼、白い喉もとをおおう常盤の襟から、黄金の砂漠と深緑の森が混じる国、サマルトリアに縁あると窺がえた。

「何か困っているの?私で役に立てるかしら」

尋ねる口調は弾んで明るく、楽の音の如くに響いた。乞食は答える代わりに頭巾を脱ぐと、はっとするほど美しい、青年の貌を露にして、莞爾と頷いた。

「ええもちろんです、ルル王女。あなたのお慈悲と助力をこそ必要としているのです」

「怪しい奴!」

護衛があいだに槍を差し入れようとすると、穢れたなりをした男は、さっと腕を差し上げた。まるで手振りだけで武器を押し返そうとでもいうように。滑稽なほど芝居がかった仕草。しかし、二人の兵はそろって所作を鈍らせ、のろのろと得物を下ろしてしまった。

ルルと呼ばれた娘はかすかに眉を潜めて、得体の知れぬ青年を見つめ直した。相手は笑みを絶やさぬままに、会釈をする。

「失礼ですが、供の方はあまりできがよいとは申せませんな」

「…なにもの」

「さもありなん。サマルトリアの華たる精鋭の騎士たちは、去るロンダルキアとの戦でみな討ち死にを遂げた…殿下が思いをかけられた親衛隊長も…」

「無礼な!」

窓を閉めようとする姫宮に、乞食は指を突きつける。たちまち馬車の中は時が止まったかの如くに凍りついた。

「最後までお聞きなさい…あなたの心にはロンダルキアへの…あなたの兄と恋人を奪った、暴君ズィータへの憎しみがあるはずだ」

「…ロンダルキアと…ロトは和睦したのに…」

「敵の将軍に受けたロトの傷が深かっただけ。優勢な側に押し付けられた、偽りの平和に過ぎません。内心では誰も納得してはいない」

「いいえ…」

「嘘をおっしゃいますな。血に塗れた記憶に蓋をして、幸福を演じても、奥深くに残る怨念を消せはしない」

「いい…え…」

「目を背けられるな。大切なものを奪われた者の想いが、奪った者の都合で押し潰される。そんな非道に納得できるというのですか?あなたとて、誇り高きロトの血を引くのではありませんか」

ルルは震えながら、どこか焦点の合わない眼差しで宙を仰いだ。

「でも…変えられない…私では…あの恐ろしい竜王の…敷く道を…流れを…」

ぼろをまとった青年は拳を握り固めると、平静さの仮面をかなぐりすて、時ならず熱水を噴き上げる間歇泉のように、激情のこもった言葉を迸らせた。

「できる!あなただからこそ。か弱い姫宮だからこそ、どんな手練れの騎士よりも機会があるのです。この歪んだ、不正な世界を変えられる」

「…そんな…無理…」

「さあ受け取りなさい。これが運命を切り開く助けとなる」

乞食はふところから、一振りの短剣を取り出して、高く捧げ持った。サマルトリアの王女は操り人形のように手を伸ばして触れる。

「これは?」

「聖なるナイフ。特別な方法で浄めました。今は滅びしムーンブルクで、かつて地上で最も偉大な魔導師が調合した、至純の聖水を用いたのです」

「…そんなものが…」

「ただかの悪竜を討つためだけに、隠し伝えられたもの…どうぞお納め下さい。誰にも目につかぬよう」

ルルが虚ろな表情で首を縦に振り、小さな凶器を仕舞むのを確かめると、男は後退りをして樹陰へと滑りこんでいった。

「成功を祈ります。ロトの子孫よ」

乞食の気配が完全に消えると、それまで彫像のように硬直していた護衛がそれぞれ頭を揺らし、槍を担い直して、互いに顔を見合わせた。

「…今、何か…」

「うむ…確か姫様が…姫様!姫様ご無事ですか?」

慌てて問いかける騎士に対し、馬車の窓から、普段の王女には似つかわしくない、か細い返事がある。

「え、ええ…ええ…何か…怖い夢をみていた…ような…おかしな…」

「夢…ふむ…どうやら我らも鞍上で眠りこけていた…ものと…」

「うむむ…汗顔の至り…まるでラリホーアントにでも化かされたかのような…」

戸惑う家来に、姫宮は箱の中から、いつものほがらかさを取り戻した口調で告げた

「私たち皆、疲れているんだわ。ロンダルキアへはまだ遠いけれど、次の街で休みましょう」

「はは…もったいなきお言葉」

護衛が固くなるのへ、若い主はなおもくすくすと笑いを漏らして語句を継ぐ。

「だめ。そんな風にされたら、お忍びどころじゃないでしょ。さ、行ってちょうだい」

鞭が鳴って、馬車は再び動き始めた。明るい陽射しの中を、相も変わらぬのんびりとした進みで。だが背後の森では、枝々の作る影の下に冷たく輝く一対の瞳が、遠ざかる王女の一行をじっと見送っていた。


木々の群なす地の奥深く。年古りた楡の根元で、青年は疲れきったようすでぼろを脱ぎ捨てると、うろから悪魔神官を示すドラキーの紋章がついた長衣を取り出し、身に着けた。

「いやぁ名演だったなぁ」

そばに立つ、ねじくれた柳の陰から、もう一人の男が現れる。壮年といっていい頃だが、引き締まった体付きは、山猫のような機敏さがある。流れの傭兵風の、これといった特徴のないいでたちをしているが、腰に吊った剣の重みに合わせてしなやかに歩くようすには、在野の士とは想われぬ、どこか洗練されたところがあった。

若い邪教徒はうんざりといった面持ちで、相手をにらむ。

「貴様か…」

「挨拶だねぇ。俺の情報。役に立ったろぅ?」

「ああ…」

「もうちょっと感謝してくれてもよさそうだけどなぁ。俺の助けがなければぁ、お前らハーゴン派の残党がぁ、サマルトリアの王女に接触するなんて夢のまた夢だぜぇ?それどころかぁ…」

「なにが言いたい!」

「分かってんだろぉ?」

「…こいつローレシアンっ…対価の話は済んだはずだ…暗殺が成功すれば…混乱に乗じて我ら”最初の百人”の生き残りが、総力を上げてロンダルキア城に攻め込む」

「はいはぃ」

「…貴様は…手を汚さずに王妃を得られる…サマルトリアとローレシアには我等の復讐により王家は皆殺しになったと伝わるだろう」

「楽しみだねぇ」

剣士が顎を撫でてうそぶくと、悪魔神官は怒りを通り越して呆れたという顔付きで呟いた。

「物好きなやつだな…貴様も…あの魔女が欲しいだなどと」

「なあにねぇ。ちょうどロンダルキア攻めの話を詰めるために、サマルトリアの城に訪れた時ね…あの王妃を見かけたんだ。父親や昔の家臣の前で素裸になってね…降伏を迫ったのさ…まったく…うまそうな体だったぜぇ…」

舌なめずりをする男に、青年は不快そうに眉をひそめた。

「くだらん…それよりロンダルキア攻めの計画とは何だ」

「けっきょく、敵が先手を打ったのに引っ掻き回されて、計画はごちゃごちゃになっちまったが…本当なら今ごろ…あんたらが苦労するまでもなく、あの山国は落ちてたはずさ…アレフ王子が兄の首を刎ねてね。まぁ兵力の損耗が激しすぎたし、熱が覚めてみると、各国のお偉方が被害の大きさにびびっちまったからねぇ…」

「…よくそんなことまで話すな」

「ああ?俺達は同志だろぉ?何でも包み隠しゃしないさぁ…それにぃ…」

剣士は神官ににじりよると、顔を近づけ、手でいきなり顎をとらえて言った。

「かわいい”兎ちゃん”は俺の家族も同然だからなぁ?」

「ッ…!!」

青年が相貌から血の気を失わせて身を引こうとするのを、男は強引に抑え込んで、楽しげに台詞を重ねた。

「俺はなぁ…一度使った便器の顔はけっこぉ覚えてるんだぜぇ?お前もムーンブルクの奴隷厩舎にいたよなぁ?一番人気の姉弟の次くらいには、かわいがってやったぜぇ?俺の膝の上でぴょんぴょん跳ねながら、”兎ごっこ”したもんなぁ?」

「う…うう…」

「あの時の約束覚えてるよなぁ?一生俺の便器になるって、ほとんど掘るたびに唱えてたもんなぁ?」

「…殺してや…んっ!?」

食いつくような接吻。乱暴に舌を捻じ込んで、しばらく熱い口腔を掻き回すと、ローレシアの穏密は、ハーゴンの残党が抵抗するそぶりをしなくなるまで、粘膜の蹂躙を続けた。

「ぷはっ…くく…舌の技はさびついてないねぇ。もしかしてロンダルキアをおんでてから、これで稼いでたのかぁ?」

「…っ…だま…れ…」

「しかし、あの地獄の使いの女といい、お前らは本当に具合がいいねぇ。まぁハーゴンも媚びが足りない以外はいい男妾だったけどなぁ?」

「ハーゴン様を侮辱す…あぐっ!?」

剣士は、太い腕で神官の痩せた肩を抱すくめたまま、股間に手を押し込んで、服の上から急所を握り潰すように力を籠めた。

「…ここぉ、固くしながらぁ、死んだご主人様に操を立ててもしょうがないねぇ…それからぁ。忘れるなよぉ?お前らハーゴン派の隠れ家なんざぁ筒抜けなんだ。ローレシアだろうがぁロンダルキアだろうがぁ、俺が垂れ込めばぁ…すぐ討伐の兵を差し向けてくるんだからなぁ」

「ぐぅ…貴様など…呪文で…いつでも…」

屈辱と憤怒に涙含みながら、途切れ途切れに語句を紡ぐ青年に、男は嗜虐の歓びの滲んだ口調で囁き続ける。

「可愛いねぇ”兎ちゃん”。そんなご大層な呪文使いの君らにはぁ。俺の報酬におまけをつけるのも簡単だろうさぁ?ローレシアから里帰りしたきりの太后ヴィルタ、それから王妃の小さい頃そっくりだって話の王女カリーンも持ってきてもらおうかなぁ」

「ふざ…」

「簡単だろぉ?ハーゴン直伝の幻術だの催眠だのが得意なお偉い神官様ならさぁ…ロンダルキアを教団の手に取り戻せば、もぉ俺に仲間の安全を種に脅されなくて済むんだしなぁ?」

「…くっ…分かっ…た」

「いい子だ”兎ちゃん”」

ローレシアの密偵はようやく獲物を解放すると、口笛を鳴らして、踵を返した。背後へ向かって片手を掲げて、ひらひらと別れの挨拶をする。

「じゃぁよろしくなぁ」

ハーゴンの残党は息を切らせながら、おぞましい同盟者が去るのを眺めやり、潤んだ瞳の縁を拭って、唾を吐いた。ぐったりと楡の幹にもたれて、先ほど突きつけられた追加の要求に思いを巡らせる。

親、子、孫の三代を手に入れよと。竜母と、神鳥と、邪神の眷属を。

「何と言う痴れものだ…あの助平狒々ひひめは!」


「へくしょん」

くしゃみが一つ。古城の奥殿に響く。四季を通じて白銀を頂く嶮嶺に囲まれた雪国では、春たけなわといえども下界の冬に劣らず冷える。とはいえ、厳しい気候に慣れた住民なら、この時期にそうそう風邪を引き込んだりはしないものだが。

ロンダルキアの元帥にして、竜王居まう城の守りの司、古豪デビル族の長たるバズズは、突然襲ってきた鼻のむずがゆさに首を傾げると、手巾でぬぐってから、いずまいをただした。

「むぅ…我が輩としたことが…」

よりによって大事の役目を果たすべき日に体調を崩しては、常に後輩へ壮健さこそがもののふたるものの要と解いてきた立場がない。あらためて気合を入れ直すと、背筋をしゃんと伸ばして、主君の最近辺の護衛という任務にふさわしい緊張を取り戻そうと双眸をかっと見開く。

サマルトリアのルル姫から、非公式な来訪の許可を求める書簡があってから、内侍の姉二人とあれこれと手を尽くして、目立たぬよう、しかししっかりと警備と歓待の用意をしてきたはずだ。土壇場で抜かりがあってはならない。

そもそも王妃の類縁というロトの傍系を、魔族の将は心の底ではあまり信用していなかった。だいたいにして闇の一統にとっての最後の安息の地に、光の血筋が入り込んでくるだけで由々しき事態なのだ。親しげな顔をして、裏では何を企んでいるのか。ましてあの穢れものたる双生の后の同郷とあれば、ますます厳しく正体を見極めねばならない。

聞くところによれば、サマルトリア王家の二人は直接の肉親ではないものの、同じ金髪、碧眼、白い膚と、よく似ているとか。たった一人でさえ竜王を堕落をさせる畏れがあるというのに、倍になればどうなるか。

バズズが無理を言って、いつも姉が勤めている側居役を代わってもらったのは、だから近衛の長として当然の配慮なのだ。

今か今かと招かれざる客を待ち構えていると、やがて、廊下の向こうから、双つのしなやかな影が近付いてくる。片方は、少年の華奢さと成熟した女の豊満さを併せ持った肢体を、肌にぴったりした黒衣に包んだ、竜王の伴侶。神鳥の化身とも賛えられるトンヌラ。もう片方は義理の妹で、かつての婚約者だったルル。砂漠を表す黄金の刺繍が入った布地と、森林を示す常盤の薄絹を織り合わせた服を重ね着て、それでもまだ寒そうにしている。だが愛くるしい顔立ちは、明るい笑みが浮かんでいた。

妖猿の統領はしばし緩みきった表情で、黒と緑の取り合わせを鑑賞したが、やがてきっと唇を引き結ぶと、無言のうちに二人の会話へ耳を澄ませた。

「兄様と、じゃなかった…トンヌラ様と…こうして歩いてると変な感じ…」

「兄様でいいよ。そうだね…僕も…こんな風になるなんて、想ってなかった…ズィータ様は…ちょっと怖いけど…あの…」

「大丈夫です。兄様といっしょだから!」

あと十歩ほどというところで、バズズは咳払いをすると、伏せがちの眼差しをサマルトリアの王女に注いだ。

「ごきげんよう王妃殿下。ご一緒にいらっしゃるのはルル姫ですね」

「はい。ルル、この方がバズズさん。ズィータ様の近衛隊長です。バズズさん。妹のルルです。よろしくです」

「近衛…隊長…」

前もって魔族の化身と聞かされていたのか、ルルは怯えの隠し切れぬようすながら、しかし型どおりの挨拶をする。デビル族の長は慇懃に応じて、主君への取り次ぎをしようと口を開きかけてから、ぎくりとして動きを止めた。視線が、外国とつくにの姫君のつつましやかな胸元へと吸い寄せられる。うなじの毛が逆立ち、こめかみが脈を打った。

焼け付くような眼差しを感じてか、王女は慌てて手で心臓の上あたりを隠すと、後退って、王妃の背後に隠れた。

「あの…」

怪訝そうに上目遣いをするトンヌラに、バズズは我知らず告げていた。

「僭越ながら、ルル姫のお体を改めさせていただきたい」

「え?」

「すべてはズィータ様の安全のため、万が一にも間違いがあってはなりませぬ故」

「…い、いやです…」

「すぐに済みます」

消え入りそうな声で拒む妹と、異常なほど目をぎらつかせてにじり寄る将軍とを、ロンダルキアの国母は戸惑いつつ見比べる。

「えっと…あの、いつものお二人は?やっぱり女性の方が…」

妖猿の統領はぐっと詰まって、立ち止まった。内侍を勤める双子の姉。デビル族でも長に次ぐ地位にあるデビルロードで、魔法でも武術でも長たる引けをとらぬ二人だが、此度ばかりは譲るつもりになれなかった。本能が、どうしても自らの手で異郷の娘の胸元を探って確かめねばならぬと訴えていたのだ。

「いえ。ここは我が輩が」

眼を血走らせて言い募る将軍に、王妃は困ったような笑みを返す。妹はひしと細い肩にすがりついて、ほとんど半泣きで囁いた。

「兄様…止めさせて…お願い…触られたくない…絶対いや」

「あのう…そのう…」

「何ごちゃごちゃやってんだ。とっとと入れ」

竜の一声。扉ごしに響いた王の命に、腹心はすぐに引き下がる。

「失礼いたした。どうぞお通りを」

戸が開くと、金髪の乙女二人は連れ立って部屋の中へ足を進めた。きちんと整頓された書類と、置物代わりの武具という、奇妙な取り合わせの執務室。主はちらかしがちだが、有能な女官がつど片付けるので、小綺麗なのは普段と変わらない。

無愛想に迎えたのは、抜き身の剣を思わせる、丈高き黒髪の若者だった。竜の中の竜にして、世界に戦を仕掛け、幾許かの勝利と譲歩を勝ち取り、新生ロンダルキアの支配者として諸邦に畏怖を、臣民に崇拝を捧げられる魔人、ズィータ。

トンヌラは花咲ほころぶような微笑で夫の側へ寄ると、妹の肘をとって紹介する。

「ルルが来てくれたんだ。ズィータ様に挨拶したいって。ちゃんとしたご機嫌伺いとかじゃないけど…」

「堅苦しいのは願い下げだ。まあゆっくりして…おいっ!?」

竜王が切れ長の両眼をいっぱいに開いた。だしぬけにルルが胸を抑えて身をくの字に折ったかと思うと、その向こうから、近衛隊長が凄まじい形相でこちらに飛び掛かってくるのが見えたのだ。

刹那。サマルトリアの王女の手に魔法のように匕首が現れ、ロンダルキア王の喉元を稲妻の如く襲う。利刃が肉に食い込み、鮮血がしぶくと、絶叫と悲鳴が交錯した。

非力な刺客は得物からもぎはなされ、ほっそりした躯を本棚に叩きつけられる。

”ぐおおおおおおおおお!”

激痛に狂った魔性の咆哮が石壁を震わせた。力任せの拳が唸りを立て、立ち尽くす王妃を襲うのを、男が素早く抱き寄せて床に伏せる。

「阿呆!ぼさっとしてんな!」

「ぁ…ズィータ様…」

竜王はおののく伴侶を腕のあいだに守りながら、舌打して首を巡らせた。部屋の中央では、巨大な狒々が蝙蝠の翼を羽搏かせ、調度につかえさせながら、聖なるナイフの刺さった掌をめちゃくちゃに振り回している。凶器の食い込んだ部分から、血管が放射状に浮き上がって、異様な脈打ち方をしていた。

「くそ…お前の妹は何を持ち込んだ…」

「…そんな…ルルが…」

まだ衝撃から回復しきれないでいる妻に、夫は短く息を吐くと、素早く立ち上がる。

「バズズ!!しっかりしやがれ!!バズズ」

”がぁぁああ!”

応えたのはただ、殺気に満ちた哭びだけだった。妖猿の手から、一本一本が短剣ほどもある鉤爪が伸び、ぶつかりあって禍々しい音を立てる。完全な戦闘態勢だ。

ズィータは歯を食い縛ると、腕を虚空に差し伸ばし、愛用の武器、破壊の剣を無から引き出した。次いで振り返らずにトンヌラへ呟く。

「援護しろ」

「…まさか…」

「殺す気でやらないと、こっちが死ぬぞ」

「っ!!……はいっ…」

呪文の詠唱に入る相棒に後衛を任せて、竜王は一歩、前へ踏み出した。

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