ムーンブルクの丘の上。毒の沼地の浸蝕を逃れた草原に、柔らかな童歌が流れている。 朝焼け色をしたキンポウゲや、赤紫のヒナギクが咲き乱れる中、素裸の娘が脚を投げ出して座り、雲雀のような唄声を青空に上げていた。たわわな乳房やすらりと伸びた四肢は成熟の兆しを見せ、満月のように膨らんだ腹は大きく育った胎児の存在を示していたが、表情のあどけなさだけはまるで子供のものである。 すぐ傍らに、浅い萌黄の胴着をつけた少女が両膝を就き、美しく波打つ長髪を疏っていた。まるまっこい指で巧みに櫛を操り、もつれた毛房を解いてゆく。柘植の歯が絹糸のように細い条を分けるたび、唄声は明るく弾んで、鈴を転がすような笑いと混じった。 「気持ちいいかいお姫様?」 櫛を持つ少女は手を動かしながら、優しく尋ねかける。お姫様と呼ばれた方は、謡うのを止めると、瞼を閉ざして頷いた。 「とても」 「キシシッ、あたいの腕もだいぶあがったよね。あいつはまだまだだっていうけど…」 小さな理髪師は櫛を抜いて立ち上がると、ニ三歩後ろに退く。そのまま両手を腰につけ、ざっとできばえを眺め回すと、ややあって不満げに口をへの字にした。 「うーん。やっぱりちょっと変かなぁ…こう、なんていうか…人間の頭ってもっとシャキっとまとまってないといけないような…」 「これでよくてよ、タホ」 当のお姫様はといえば、己の髪型など全く構いつけぬ樣子で、微風に揺れるヒナギクの花冠を指でつついて、にこにこしている。タホと呼ばれた少女は、そばかすの浮いた鼻をうごめかせてしばらく悩むようであったが、やがてぷっと吹き出すと相手の側に戻った。 「だよね。これはこれでいいよね?そうだ、おやつ食べるかい?ばあちゃんが野苺持ってきてくれたんだ」 「食べますわ」 おやつという単語を耳にするや、童心の姫君は嬉しげに瞳を煌めかせ、差し出された手を掴む。勢いよく引っ張られたタホはよろめくと、反対側の腕をばたつかせて均衡を取った。 「わっ…また重くなってない?…しょうがないっか…あ、せっかく作った冠、忘れないでよ」 「大丈夫」 裏若い妊婦は手を離すと、クロッカスで編んだ輪を拾って額に掛け、苦労して立ち上がる。 小柄な少女が、若葉色の短髪を軽やかに揺らし、飛ぶように駆けていった。身重の連れはゆっくりした足取りで追い掛け、時折足を止めては呼吸を整え、また進み始める。 「…お姫様ー。大丈夫ー?…」 「先に行って下さいな…」 弱々しい答えに、タホはすぐ回れ右すると、側へ馳せ戻った。そうしてしばらくは歩調を合わせるのだが、自然と気が急くのか、また突然発条仕掛けのように跳び出してしまう。幾度も繰り返すうちに、二人は揃って息を切らせ、丘を降り切る頃は汗をぐっしょり掻いていた。 「うわー、せっかく水浴びしたのにべちょべちょだよ。ごめんね」 「ふふふ、タホったら走りすぎですわ。人間の姿がよほど気に入ったのですね」 姫君は一糸も纏わぬ姿のまま、口元だけを手で隠し、鈴を転がすような笑いを零す。緑髪の娘は照れたように睫を伏せ、石を蹴った。 「まぁねぇ。鈍くさいけど、キシシッ、地面を踏んで動くのって結構面白いや」 「私は、あなたのように飛べたらといつも思いますの」 タホは素早く首をもたげ、連れの腕を取った。 「飛ぶのっていいよ!やっぱあたい、夜の空を飛ぶのが一番好き!じゃぁ、お姫様も 云い差してから語尾を切らし、ばつが悪そうに顔を背ける。姫君は微笑んだまま返事をしなかった。天の高みでは太陽に春の雲がかかり、あたりの空気を不意にひんやりとさせる。 「あ、苺…すぐそこの木の下に置いといたんだ…行こ」 「ええ」 二人はまた手を繋ぐと、青々と茂った楡の葉が作る、斑の影に入った。もう、戦火に焼かれた月の城に程近いからか、辺りから小鳥の囀りは絶えて静まり返り、代わってむっとするような臭気が漂ってくる。 しばらく行くと、麝香に似た匂いは益々きつくなり、饐えた汗や尿らしきものまで混じるようになった。緑髪の少女は眉根の皺を深くしつつ、小石や窪みを避けて慎重に連れを導く。 ようやく幹のところまで辿り着くと、蛸の足のようにねじくれた根の元には、すでに先客が腰掛けていた。枝に吊るした蔦籠に鼻面を突っ込み、中味を貪り喰っている。猪首の上下にあわせ、焦茶の毛皮に覆われたずんぐりした背中が忙しく動き、丸太のような手足が揺れていた。 やがて顎の周りを赤い果汁で濡らした、豚そっくりの顔がタホ達を向く。ハーゴン教団、いや今はロンダルキア軍の獰猛な尖兵、オークだ。 ”…ずいぶんごゆっくりだったじゃねぇか” 「ちょっとあんた!あたい等のおやつ!!」 ”けっ、全然喰いでがなかったな…” 獣鬼は腕で乱暴に口を拭うと、眼を細めて姫君を見詰める。 ”綺麗になったじゃねぇか。タホ、またてめぇがやったのか?” 「だからなんだってんだよ!」 ”毎度毎度ご苦労なこったぜ。どれだけ洗ってもどうせすぐ汚れっちまうのによぉ…” 好色そうな嘲りに、緑髪の少女はきっと鋭い視線を返した。 「あんた等が無茶するからじゃないのさ!」 豚面がにんまりと笑みを広げると、毛むくじゃらの身体がゆっくり二人に近付く。 ”そうツンツンするなよ。おいら達ぁ感謝してるんだぜ。てめぇがいつも便所を掃除してくれるお陰で、気持ちよく用が足せますってなぁ…ブヒヒヒ!!” 「なっ!!?」 ”はっ…おらぁ雌犬ぅ!とっととご主人様に挨拶しねぇか!” オークはいきりたつタホをいなすと、孕み腹の姫君へ威丈高に命令する。 裏若い妊婦はたちまち、細い肩や豊満な胸や丸々とした胴、脂肪の乗った太腿をわななかせ、白磁の肌を薄桃に染めた。臍下を覆う紫の茂みは濡れそぼち、欲望の滴りを内股に這わせる。ややあって優婉な唇が開くと、だらんと紅い舌を垂らした。 「あぁ、ごしゅりんしゃまぁ ♥」 「待っ…」 少女の制止を振り切ると、雌犬は四足をついて獣鬼のもとへ擦り寄る。人間としての振舞いなど忘れてしまったかのように、双の肉鞠と張り出した腹をぶらさげて揺すり、珠のような脂汗を散らせた。次いで縹緻の整った鼻で汚れた腰布を押し上げ、半勃ちになった主の逸物を露にし、愛しそうに頬擦りしてから、一息に頬張る。 口腔に広がる腥さに姫君は双眸を恍惚と潤ませた。振り子の如く頭を前後させ、唾液とともに先走りを啜り出すと、舌で丹念に伸ばし、ごつい亀頭に塗りつけて滑りを良くする。くぐもった嬌声にあわせ、ふっくらした尻が左右に跳ね、木漏れ日に踊った。 タホが唇を咬んで視線を逸らすや、オークは大仰なうめきを漏らして雌犬の髪を掴み、激しく腰を使った。剛直が食道の粘膜を抉る感覚に、孕み腹の娘は激しくえづき、涙含みさえしながら、尚も懐っこく鼻息を吐いて奉仕を続ける。 牡の匂いに酔ったように、たっぷり身の詰まった裸体がよじれ、くねって、奇怪な媚態を作った。十代の瑞々しさを残しつつ、脇や腰回りに些か弛みを帯びた肌は、細かに震え、そこかしこに青い静脈の線を浮き立たせる。母胎の膨張によって突き出た臍は下生えを擦り、赤くぬらつく秘裂は賤ましく開いたまま、発情した牝の匂いを芳せた。 ”ブヒヒィッ!そろそろ出すぞ!零すなよ!” 獣鬼特有の粘着質の精液が肉幹から迸ると、雌犬は言いつけ通り一滴も溢すまいと、滑稽な位懸命に飲み干そうとする。だが量の多い子種汁は思うように細い喉を降りてゆかず、鼻の孔から噴いて落ちた。 たちまち惚けた面差しの半分は白濁に塗り潰される。妊婦は軽く噎せ込んでから、すぐに至福の表情を浮べると、舌を伸ばして唇の回りのぬめりを舐め取った。 ”ブフゥッ…ったく行儀が悪ぃなぁ…どうだ、あ゛っ?美味いか?” 「はひぃっ…おいひぃ、おいひぃですふぁぁっ」 ”タホがてめぇに食わせる飯とどっちがいい?あぁ?” オークがにやついて問い掛けると、姫君は釣られたように笑顔を作る。 「せいぇきぃっ、せぃえきですわ!この味、匂い、果物や蜂蜜など比べようもありませんもの!もっと、もっと濃いのをいっぱいくださいませっ!口にも、お尻にも゛ぉっ、汚まんごにもぉ!」 ”ブヒャヒャヒャ、だとよターホッ!!!…てめぇの犬は意地汚ぇなぁっ!!” 梢まで響き渡るような嗤いに、緑髪の少女はしかしそっぽを向いたまま応えない。 オークは機嫌を害ねたらしく、甘えてしがみつく雌犬を邪険にもぎ離した。従順な家畜は、主の不興を察するやたちまち両肘を引き寄せ、拳を握って肩につけると、M字に開脚して”降参”の格好になる。卑屈そうな表情と哀願の悲鳴は許しを乞う風ではあったが、上気した頬ととめどなく蜜の湧かせる陰唇は、すでに暴行さえも快楽なのだと告げていた。 獣鬼はしばし鬱陶しげに相手を眺めていたが、突如天啓を得たかの如く口の端を吊り上げ、黄ばんだ牙を露にする。だるそうに猪首を回してから、いきなり扁平な足をあげ、眼前の太鼓腹を容赦なく踏みつけた。 「ひぎぃいいいいいっ!!!!」 魂消るような絶叫とともに、妊婦の四肢が痙攣し、腑抜けた顔付きは激痛に凍り付いた。鉤爪の生えた足先が柔肉を刻んで血を流させると、丁度胃の近くを中心に、風船のように腫れた皮が波打ち、凸凹に歪み始める。 ”元気なガキどもじゃねぇか!おらおらぁっ!!” オークがさらにでたらめに蹴りつけると、雌犬は白眼を剥き、泡を吹いて、背を弓形に逸らせた。満月のような腹には、次々に赤黒い痣が捺されて行く。 「やめろーっ!!」 堪えきれず、タホは毛むくじゃらの腕に囓りついた。しかし人ならぬの戦士は、苛立たしげな咆哮とともに、あっさり邪魔者を振り捨てる。もんどり打って地面にうつ伏せる少女を、豚面が憎々しげに睨みつけた。 ”邪魔すんじゃねぇタホドラキー如きが!!てめぇがベリアル様のお気に入りだからって、あんまし調子に乗るんじゃねぇぞ!!!” 「…お前は、お前みたいな奴、兄貴の家来じゃないっ!!」 ”おうよ、おいらぁ元々オーク族だぁ。ハーゴン様の命令でここにいるだけだぜ。だいたいてめぇ、人間に化けられるようになったからって、情まで移すたぁ度が過ぎらぁっ!そんなに人間が好きなら、その姿のまま、こいつとまとめて姦ってやってもいいんだぜ!” 「あたいに指一本でも触れてみなっ」 挑むような視線にぶつかり、オークの驕慢な表情が揺らぐ。 ”ちっ…” 「さぁ、お姫様を放しな。お日様が沈んで、お月様が昇るまでこっちで預かるからねっ」 素早く身を起し、詰め寄るタホに、獣鬼はいびつな嗤いを浮べると、芋虫のように地を這う妊婦を顎でしゃくった。 ”…へっ、飼い主きどりもいいけどなぁっ…ちゃんとこいつのこと分ってんのかよ?” 「どういう意味だい!」 ”嫌がってると思ってんのか?” 太くかさついた指が、紫の長髪を鷲攫み、乱暴に引き摺り上げる。瞳孔が開ききり、焦点を失った双眸と、吐瀉物と精液に汚れた口元。涙と洟に崩れた容貌はしかし、どこかに官能の余韻が残しているようでもあった。 ”こいつはなぁ、喜んでんだよ。だろぉ?” 「んなっ…ふざけんじゃないよっ!!」 緑髪の少女は腕を拡げ、傷だらけの姫君を奪い還そうとする。だが魔物の兵卒は獲物を抱えたまま意外な敏捷さで掻い潜ると、力なく開いたままの細いおとがいを掴んで上向かせた。 ”さぁ言ってやんな。このものわかりの悪いメスコウモリに、ホントのことをよぉっ” 「あ…がっ…ひっ、ぎもひぃっ…」 「…ぇ…?」 「おにゃひゃ、あぎっ、おなきゃけられるの、とてもきもぢひぃいんですのぉっ!!も゛っども゛っど、あがちゃん死んじゃうまで蹴って欲しゅうございまぅっ!!」 ”だとさぁっタホよぅっ!!!ガキが流れちまったら流れちまったで、またおいら達に孕ませて貰えるんだ。どっちにしろこいつにとっちゃご褒美ってわけよ!…まずありえねぇがな” 蒼白になるタホに対し、オークはしたり顔で雌犬の腹を指し示す。見れば、先程の痣の回りを淡い真珠の光が包み、次々と元の艶やかな肌に戻していた。 ”産み付けられたホイミスライムの卵が孵ってなぁ。大事な棲み処を壊されねぇように頑張ってんのさ。この前なんぞ、肉を食いちぎっても治ったぜ。ブヒヒヒッ!!” 「ぅ…そ…」 ”ブヒヒ、マジだよマジ。こいつを助けてやろうなんて、全部てめぇの独り善がりなんだよ。勘違いもいいとこだぜ、なぁ雌犬?” 襤褸雑巾のようになった姫君は半ば朦朧としつつも、求めに応じ、ただ素直に肯う。 「わ…わたくし…しあ…わせですわ…ぁはっ…」 ”ブヒヒヒ、そうかよ。夜にはサマルトリア攻めに、テパの首狩り族どもがどっさりご到着だぁ。おいら達が可愛がってやれる暇はねぇから、今のうちにたっぷり、な?” 「ひゃひ、うむっ…」 美女と野獣が情熱の籠った接吻を交した。一人と一匹、いやひとつがいの雌雄は、もはや互いのほか誰も見えていないようである。 緑髪の娘は言葉を失い、瞼を閉ざすと、踵を返して、大地を蹴った。一拍のうち、蝙蝠の化身は人間の衣を脱ぎ去り、翼を羽搏かせて遥かな青空へと翔び立つ。 後はただ、煩悶と舌足らずの睦言だけが、楡の樹陰に、いつまでも続いていた。 蒼穹は霞がかり、陽光は四方で燦めいて、蝙蝠の弱い眼を痛めつける。人間でいるあいだは少しも苦でなかった昼の世界が、今は残酷な敵に変わっていた。割れるような頭の痛みに、双翅は風を捕え損ね、虚空で錐揉みする。 タホは墜落を避けようと必死で宙を叩き、ようやく上昇気流を捕えると、盲いたまま、運ばれるまま春の空を舞っていった。下の方から、幽かに瘴気の匂いがする。厭な記憶に苛まれ、慌てて毒の沼地から離れようとした。しかし昏い視界の中で幾ら羽搏いても、どちらへ進んでいるのかさえ分らない。 あがけばあがくほど硫黄や燐は濃さを増すばかりで、遂には辺りをすっぽりと覆って仕舞った。罠にかかったような恐怖に襲われ、少しでも息の出来る場所を探そうと旋回する。悪臭に混じって微かに、沈丁花の香が鼻を掠めた。蝙蝠は、か細い糸のように漂う花薫に縋りつくと、探索の唄を放ち、耳を澄ませて逃げ場を求める。 城壁に囲まれた四角い空地。あそこだ。無我夢中で急降下すると、悍しい陽射しから崩れるように木蔭に滑り込む。あまりの加速に、枝を掴んだ足がもぎ離されそうになるのを懸命に留まって、さかしまにぶら下がった。しばしのあいだ、葉群が強風に煽られたかのようにさんざめく。 もう瘴気は届かない。安堵と訳の分らない悔しさに、タホは突然泣き始めてしまった。同族の耳にしか聞こえない、高くひしるような声。 廃墟に隠された箱庭に暮らす無数の命は、迷い込んだ魔物の嘆きを知りもせず、ただ淡々と命の営みを繰り広ていた。蜂は忙しく蜜を運び、蜘蛛は露ちりばめた巣で静かに餌を待ち、春の蝶は恋人と連れ立って踊る。 ひとしきり想いを吐き出し終えた頃だろうか、密生した潅木が揺れ、虫達よりずっと大きな気配が、蝙蝠の方へ近付いてきた。 「タホ?」 緑の翼がわななき、逆さになった体が均衡を崩す。名を呼んだ誰かは、さらに茂みの奥へ踏み込み、枝々の重なりを透かして、相手の所在を窺う風だった。 「タホなんだろ?やけに早いじゃないか。まだお天道様も高いってのに」 ”あっちへいってよ” 止まり木の根元に、痩せた人間の男が立って、眩しげに梢を仰いでいる。整った容貌は、黒い隈と深い皺のせいでやや年寄りじみているが、仕草は若々しい。相反する特徴から、青春の盛りに業病か何か耐え難い不幸に見舞われ、未だ癒えていないらしいと推測できた。 だが言葉はあくまで明朗で、労りに満ちている。 「…その声、今日は人間に化けてないんだな?どうした。お前、ドラキーの姿じゃ昼は苦手なんだろ?」 ”関係ないだろ。ジョゼフのばか、あほ、あんぽんたん” 「…体の具合が悪い訳じゃなさそうだな…」 他愛のない悪態に、男は苦笑して首を振ってから、急に表情を固くした。 「まさか、あの人に何かあったのか?」 タホはぎくっと翼を竦めて、息を詰めるや、やがて怒ったように叫ぶ。 ”な、なんにもないったら!!” 答えの裏に潜む怯えを聞き取るや、ジョゼフは幹に手をつき、攀じ登らんばかりの勢いで背を伸ばした。落ち窪んだ眼窩の奥で、暗い炎が燃える。 「タホ!教えてくれ!まさか、あの人の命に…」 ”ないよ!” 蝙蝠はみなまで云わせず、乱暴に遮った。 ”体は平気だよ!でもあいつらに非道い目にあわされすぎて、心の方がおかしくなっちまってるんだ!ちくしょう!” やけっぱちの叫びを浴びせられ、ムーンブルクの理髪師は、かつて快活だった面差しを大理石の彫像のように強張らせ、乾いた声で乞う。 「…俺をここから出してくれ」 タホは枝の影に隠れたまま全身を震わせて拒否を示した。 ”だめ” 「出せ!出してくれ!!」 ”だめだっていってるだろ!毎日毎日、同じこと言わせんなよ!” 男は血走った双眸を樹上に注ぎ、嗄れた喉で吼えた。 「頼む!これ以上ここに居たら俺はおかしくなる!タホ!!」 ”出来ないよ!あたいは魔物だ!ベリアル兄貴の家来で、人間のあんたを見張ってんだ!捕虜を逃す牢番なんかあるもんか!” 囚人は真白くなった拳を挙げると、罅割れた唇を開く。だが台詞を登せようとしたところで、突如、背をくの字に折って血を吐いてしまった。 不吉な噎せ音に、蝙蝠は慌てふためいて枝を離れる。 ”ジョゼフ!!” 「…ぅっ…ぐ…」 ”どうして!?怪我は治ったはずだよ?” 理髪師は、緑の草地に赤黒い液をぶちまけると、薄く嗤った。 「…心…だ」 ”なに?分んないよジョゼフ” 「心が、腹の中を掻き毟ってやがる…もう、あの人を…なぁあの人を許してやってくれよ…頼むから…頼むから…あの人は花が好きなだけの…女の子なんだ…」 ”あ、あたいだって知ってるよ…だけど人間と魔物は…” 「タホ。俺の話を聞いてくれ。お前はほかの魔物とは違う。お前は心に優しさを持ってる。俺達と同じ温かいものを…感じるんだろ?俺と、あの人の気持ちを」 昼も夜も、殆ど睡みさえせず、ただ執念だけで生き抜き、ほんの石壁一枚を隔てて、恋人が凌辱し尽されるのを見殺しにしきた男は、幽霊のようにふらつきつつ十指を開き、血の泌む掌を救い主たり得る唯一の存在へ差し延べた。 「俺が、あの人を助けるのを手伝ってくれ」 ”あたいは…あたいは…ベリアル兄貴から任された仕事があるんだ…” 「あいつになんてもう従うな!ベリアルはこの城に住んでた連中を女子供まで鏖にしたんだぞ!厨房のシモーヌ婆ちゃんや、ピート坊まで!あいつは、お前や俺達が持ってる優しさなんて一欠片も持っちゃいない!!お前のことも便利な道具として使ってるだけじゃないか!」 激情のまま怒鳴り散らすジョゼフに、緑の翼が力任せに打ちかかる。 ”あんたに兄貴のなにが分るっていうのさ!!あたいのなにが分るっていうのさ!!” 「ばかっ、よせ」 収まらないタホは理髪師の周囲を飛び回りながら金切り声で喚きまくった。 ”人間だって!?いい気になるなよ!!あんたの仲間が、あたいを殺そうとしたんだ!あたいの父ちゃんや母ちゃんや妹や弟やいとこやはとこが住んでる洞窟を煙で燻してさ!ほとんど皆死んじゃって、あたいだけふらふらで外に出たのを、待ち構えてた人間の子供が突つきまわしたんだよ!” 「タホ、なに言ってんだ…そんなこと…」 ”なんだい!あんた等人間は、言葉が通じなけりゃ面白半分に殺したり、皮を剥いだり、喰ったりする癖に!!自分がやられる番になったら、急に優しさだのなんだの持ち出して!!” 理髪師は口籠った。田舎の邑で新しくチーズやワインの倉を作るのに、近くの洞窟を使うのはままある話だ。魔物が棲み付いていたら煙で燻して退治するのも、ムーンブルクでは昔からの習わしである。 ”それを、人間に化けたベリアルの兄貴が助け出してくれたんだ!回復の呪文で!ばあちゃんや、生き残りを全部!あんたを助けたのだって兄貴だよ!本当に優しいっていうなら、人間も魔物も区別しないで救ってくれた兄貴が一番優しいんだ!” 狂ったように襲い掛かる蝙蝠に対し、男は急所を庇うでもなく、ただ立ち尽した。 「だったら、タホはどうして俺の面倒をみてくれたんだ…」 タホは旋風の如き勢いを弱めると、小刻みな羽搏きに切り替え、ジョゼフの側に滞空する。 ”兄貴にそうしろって言われたからだよ…” 「あの人の、マリア様の世話もか?」 ”それは…” 理髪師は抑揚を欠いた口調で、尚も訊いた。 「今でも、恨んでるのか、人間を」 ”あたい等はふだん、そんなに昔のこと気にしない。でくわした災難とかについてあれこれ考えるのは年寄りの仕事だし…” 「…それじゃぁ!」 魔物は、緑滴る庭園を示すよう宙で輪を描き、とんぼ返りを打って月桂樹の枝に止まった。 ”初めてここを見付けたとき、こんなに綺麗なものを作れるなら、人間てのもそう悪いだけでもなかなって思った…本当は昼の光は毒だから、あんまり見ちゃいけないって、ばあちゃんに言われてたけど…” 「庭だと?」 また爆発しそうになるのを、ジョゼフは必死に堪えた。タホは散漫な思考をまとめようとするかのように、独り呟いている。 ”ふくろうは、あたい等を喰ういやな奴だけど、月夜に湖の上をすーっと越えてくのは、そりゃ綺麗さ…ちびのころ、そう言ったらばあちゃんに怒られた…でも同じ話をしたら、兄貴はうなずいてくれた。ふくろうは見たことないけど、タホがそんな風に思うなら、絶対綺麗なんだろうって” 「なぁタホ…」 ”あたい思うよ。人間はふくろうと同じで、いやな奴だけど、綺麗なところもある。人間の姿になって、あんたに髪を切ってもらったとき、すごくいい気持ちだった。なんだか、あたいがあたいじゃなくなったみたいだったよ” 「…お前くらい化けられるなら、髪を切るだけじゃなくて、服や飾り物や、香水や化粧でもっと綺麗になれる…だがな、それもここを出なきゃだめだ。魔物のあいだに居たらだめなんだ」 蝙蝠は警告するように鋭く鳴いた。 ”ジョゼフ。あんたを外へは出さない。すぐに殺されちゃうよ。お姫様を助けるどころか、自分の命だって守れないじゃん” 理髪師は耳元まで赤蕪そっくりに染まり、奥歯を噛み締める。滝の如く噴き出した汗が前髪越しに額をてからせた。瘧に罹ったように激しく背を震わす相手に、緑翼の魔物は穏やかに説き聞かせる。 ”お姫様は生きてるんだ…だから…” 「やめろ」 ”…っ、あたいね。今度兄貴にロンダルキアのお城に連れてって貰うんだ。変化の術もそのために覚えたんだよ” ジョゼフは項垂れ、黙りこくったが、タホは務めて明るく語り続けた。 ”あたし、お城の王妃様に頼んであげる。新しい王様は竜で恐いけど、王妃様は人間だし、とっても優しいって噂なんだ…きっと、きっとあんた達のことを助けてくれるよ” 「…そうかよ…」 やっと答えを紡いだ囚人は、急に疲れた目付きになって、羽搏く獄吏を眺めやる。 「…分ったよ…。お前に任せるさ」 ”本当?” 蝙蝠は嬉しげに宙を上下し、両翅で男の貌に微風を送った。 「ああ…そういうことなら、精々王妃様とやらの前に出ても恥ずかしくないように、身嗜みを整えてやらなくちゃな…。タホ、また人間に化けてくれよ。ちょっと早いが、いつもの続きだ」 ”キシシッ、しょうがないなぁ!” ジョゼフは落ち着いてタホの肩を掴み、しっかりと抱き寄せる。 「そそっかしいのは治らないな」 「うるさいやい」 若葉色の髪をした娘は、どぎまぎしてそっと相手を押しやった。さほど力は籠っていない。熱い掌を胸に受けるや、男は相好を崩し、鋏と櫛の扱いに慣れた長い指で項へ触れた。 「…いい髪だ…」 「そ、そうかい?あたい、まだよくわかんない」 「光沢があって、細くて、しなやかで…不思議だな…魔法でできた作りもんだってのに…まるで、あの人の髪にそっくりだ」 「…っ、あたい…化けるとき、いつもお姫様を思い浮かべてやるんだ。だからだよ、きっと」 「そうか…そうか…」 ジョゼフは瞼をきつく閉ざし、痛みを堪えるように天を仰ぐと、鋭く息を吸った。タホは己を抱く腕の強張りを感じて、はっと眼差しを上げる。 気付くと、少女の白い喉元には剃刀が押し当てられていた。 「…すまねえ…」 「…やめろよ!どうして分んないだよ!こんなことしたってなんにもならないってば!」 「それでもやらなきゃ、あの人は救えねぇ…」 摩きぬかれた鋼鉄の薄片は、ほんの僅か皮膚に食い込み、波型の刃紋に沿って緋い筋を作る。蝙蝠の化身は、睫の縁に雫を溜めて囁いた。 「ジョゼフ…あんたはばかだよ」 「扉の開け方を教えろ」 「…戦士でもない人間が、魔物に勝てると思ってんの?」 理髪師は乾いた嗤いを漏らす。 「はったり言うな。ドラキーのお前になら、俺だって勝てるさ…」 「あたいを殺したら、どっちにしたってここから出られない」 両頬に濡れた筋を引きながら、少女は淡々と告げる。 「殺しはしないさ…だが、世の中には死ぬより酷いことだってある…タホ、お前勘違いしてるぜ。人間は、言葉が通じる相手だって、幾らでもいたぶれるんだ…」 ジョゼフの台詞にはもう、些かの温かみもなかった。有無を云わせぬ調子に、タホは両肩を竦め、唇を噛む。 「あんたも、お姫様も…どうして…」 「もうお喋りは終わりだ!さぁタホ!」 ”ルカナン” 答えの代わりに返ったのは全身の筋肉を弛緩させるような、魔法の波動だった。 弱化の呪文に次いで、少女の肘が男のみぞおちにめり込む。音もなく頽おれる理髪師を、蝙蝠の化身は哀しく見下ろした。 「あんたって…本当にばか…」 静寂を取り戻した庭に似合わぬ溜息が一つ。タホはへたり込んで、己が肩を抱える。もう太陽を怖れる必要もなく、瘴気からも隔たり、心を傷つける人間も魔物もいないのに、悪寒のような寂しさだけは少しも和らがなかった。 宵星が輝き始め、碧空が地平近くで琥珀に染まる頃。夕凪に睡むムーンブルク城址の側、毒の沼地を外れた草原に、幾筋もの真直ぐな煙が立ち昇った。 薄闇に点々と灯る篝。野営の準備に姦しい軍勢の騒鳴。やがて戦いのドラムが打ち鼓かれる響きが森や山に谺し、止水の彼方へと吸い込まれていく。唸り木がひょうひょうと回り、角笛が高らかに吹かれると、首狩り族が歌うテパの唄が、廃国の領土をうたかたに賑やかした。 三千、いや五千を超える蛮夷の兵が、ロトの後裔が治めていた邦を埋め尽す光景は、古き世の終わりを予言するかのようだった。 炬火に映える色取り取りの天幕のうち、最も大きく豪奢な一帳の前では、盾持ちを許されたバーサーカーの選りすぐりが輪を作り、それぞれ酒を酌み交していた。歓談の種は、来るべき掠奪で克ち得るだろう栄誉と財宝の事々。 高座に陣取った一党の首魁は、茨のような蓬髪に粗雑な細工が施された王冠を頂き、手には髑髏の盃を掴んで、煌々とした焚火を前に満悦の態であった。 バーサーカーの酋長と席を並べ、駐屯部隊の頭として饗応にあたっているのは、山吹の毛皮を持つ大獣鬼、ゴールドオークである。ニ匹の魔物は、人間の兵士の屍が数多眠れる地に絨毯を広げ、どっしりと腰を落ち着けて、来るべき勝利を寿いでいた。 ”ロンダルキアの雲行きはいかがでしたかな” 黄金の猪が尋ねるのへ、狄戎の首魁は訥々と答える。 ”まんずはぁ、デビル族も一角獣族も新しい王様さついだし、あだんとこが世話になっとるデーモン族も、いうごどきいだらし。したば、おら達も従うしかねだべ?あれがだと喧嘩はできね” ”んだべ…っ、うぉっほん。ところで女神様は” ”女神様は、すげ美人だったべ。んでもって、ハーゴンど違って礼儀正しく扱ってくれたし。ちっとおっかねがってたどもな” ”んで、あだ…げほげほっ、サマルトリアは、女神様御生誕の地と聞き及んでおります。両陛下は何か仰っておられませんでしたか?” バーサーカーはにんまりして盃を干した。 ”んでね。んだども、あっちゃには女神様みてな金髪美人ばじっばり居るだべ?おら五十個ぐれ、くんた刈ってみやげに持って帰ろう思ってる” ”んだべ…” もてなし役が相槌を打つと、酔いの回った主賓は、いきなり脇に置いた手斧を取って、軽々と擲った。分厚い刃が弧を描いて虚空に消え、数軒ばかり先で火の粉が舞い上がる。しばらくして風切り音が大きくなり、闇の中から炎の塊が現れると、蛮夷の王の手元に飛び込んできた。 見れば、寸刻前に放った斧に相違ない。広い刃の平には、斬り取られた松明の破片が載って、まだ赤々と燃えていた。 ”見事な技だ” 黄金の猪が喝采を贈れば、満座の狂戦士どもも称讃の印に斧で盾を叩く。バーサーカーの王は炎を払い落として、また得物を仕舞った。 ”砂漠の騎士がどれだけのもんかはしらねが、おら達の敵ではなぁ。サマルトリアに居る、女神様に似たおなごのくんた、じぇんぶおらが刈るべ!!” ”…頼もしい限りだ。我等オーク族はローレシアを貰うとしましょう。そうそう、おなごといえば今夜は、面白い趣向を用意しておりましてな…” ゴールドオークが両掌を拍くと、天幕の裏から太鼓の重々しく轟くのを合図に、松明を掲げたオークが二匹歩み出てくる。背後に続くのは首狩り族の楽隊だ。奇妙な行列が、宴席に割って入り、左右に別れて演奏を始める。 バーサーカーの王が観覧するうち、起伏激しい旋律に導かれ、暗がりから女の裸体が姿を現わした。象牙の艶を帯びた肌は、ぼうっと幽かに光り、深海を泳ぐ魚のように静かに闇を泳いで、焚火に近付いていく。跣の踵が固い土を踏むたび、清らな鈴音が広がる。 異形の命を宿し、円かな輪郭を造る肋の下。テパの顔料で引かれた真紅の紋様が、火影に揺れる。いや腹だけではない。顔も、腕も、胸も、脇も、腰も、肢も、血塗れの蛇に絡まれたように奇怪な曲線に彩られていた。 蕩けきった双眸は何も視ない。ただ手首と踝に嵌めた鈴の輪を涼やかに鳴らしては、楽曲に合わせて肉付きのよい腰を振り、身重の腹を揺らし、西瓜のようになった乳房を弾ませるだけだ。滑る花芯からはとめどもなく淫汁が滴って、足元に散る。 ”明朝、ローラの門を越える貴殿に、ロトの血を引く供物を” 獣鬼の隊長が促がすと、ムーンブルクの王女は大股を開いてしゃがみ、後手に背を支えて、秘裂と菊座を曝した。そのまま片脚を高く掲げ、孕み腹を横へ傾けると、尻を宙へ上げてねだるように輪を描かせる。 「どうぞ、いやらしい雌犬をご賞味くださいませぇっ」 蛮夷の首魁はたまらず涎を垂らして叫んだ。 ”あがー!!萌えるだ!!すっげめんこいべ?淫乱妊婦!ムーンブルクの王女もこんたなったらおしめだ!ゲヘハハハハ!!!” 黄金の猪は、にやついて奴隷に目くばせを送る。 ”さ、もてなしを致せ” 「はいぃっ、唯今っ ♥」 雌犬は立ち上がると、周囲の狂戦士に媚を振り撒きながら、狄戎の王の元へ歩いていった。微笑みつつ、鼻息を荒くする魔物の側へ寄り、くるりと背を向ける。うなじから脹脛まで続く蔓草のような化粧をうねらせると、がにまたになってしゃがみ、双臀を突き付けておもねる。 「…わたくしの汚まんごにぃっ…ご主人様のぉ…逞しい御ちんぼをぉはめさせて下さいませぇっ!!」 ”ゲヘヘ、ええだ!おらのぶっ太いがもで、おめのまんじゅぶかれねばええがな!” 「あはっ、頂きます♪」 裏若い妊婦は、片手でバーサーカーの腰布をまさぐり、めくると、硬く勃った陽茎を掴んだ。もう一方の手は、いずれ赤ん坊の通るべき門を広げ、ごつい亀頭に宛がう。どす黒い凶器の尖端が粘膜に触れるや、白痴の美貌はうっとりと夜天を仰ぎ、羚鹿のような腰は落ちて、剛直を根元まで銜え込んだ。 「ふひぃっ ♥」 ”ウッヒョォッ!!ええ!!ほれ、さっさと動け!” 「はぃぃっ♪」 鈴鳴りと湿った音を響かせて、雌犬がぶざまに踊る。太鼓の乱打に合わせ、青筋の浮いた腹とはちきれそうな乳房が上下し、赤い唇からは唾液が、開ききった両瞳からは随喜の涙が、腟径いっぱいまで膨らんだ陰部からは秘蜜が滴った。 嘲笑が重なり、火の粉とともに星空まで届く。ムーンブルクの王女は嬌声で応え、一族と民草を殺戮した仇敵の前で、いっそう淫らに舞った。 蛮夷の首魁は雄叫びを迸らせ、黒ずんだ指で白い肉鞠を握り締めると、千切らんばかりの勢いで揉みしだき、捻り、絞る。 「あぎぃっ!!?」 尖りきった乳首に白い雫が噴き、無数の粒となって肌を伝う。生贄が痛みに身を丸めるのにあわせ、魔物の主魁は立ち上がり、蓬髪を振り立てて抽送を始めた。 ”こんっ…ではっ…おめっ…雌犬でね…くっ…雌牛っ…だべ?” 「へひゃっ…はひっ!…めうしっ!…ぁがっ…わたくひはっ…っぅぎ!!…めうしっですっ!」 衆目の集まる中、野人は姫君を思う様犯し抜く。緋の模樣を纏った裸身は、屈強な相方に幾度も突上げられ、裏返った悲鳴とともに絶頂の潮を吹き、酒席に散らせた。だが、絶頂を迎えても腰使いは止まず、清らな鈴音と懶惰な喘ぎはさらに激しくなる。 「おながぁっ!!おなががぁっ!!死ぬ゛ぅっ…死んじゃっ!!」 ”ひひ、もっと啼くだ!” ”あ゛ぉ゛ぉ゛おおおおおおおおおおおっ!!!” 白目を剥き母乳をしぶかせて雌犬はまた達した。精が尽きたのか、ぐったりする四肢を地に這わせると、バーサーカーは休まず肉孔を抉る。身重の女体は擦れた呻きを垂れ流し、ふらつきつつ、なんとか衝撃を受け止める。 どれほど刻が過ぎたか、ついに魔物が胎内へ子種を放つと、王女は死んだようにうつ伏せに倒れた。栓を抜かれた秘裂から精液が溢れ、絨毯にこびりつく。 ”ええ趣向だった。遠慮はいらね。おめ達も遊ばしてもらえ” 歓びのざわめきが広まり、首狩り族の猛者は次々と席を立った。 酋長が、波打つ紫髪を掴んで引き摺り起すと、汚れた面差しが四方をぼんやりと眺める。やがて虚ろな双眸が、鼻先に突きつけられた沢山の逸物に焦点を合わせた。息の詰まるような腥さに、しかし舌はちろりと上唇を舐め、間近にある一本に伸びる。 妊婦は両手に雄の印を掴み、口では別の剛直へむしゃぶりつき、まだ足りないとでもいうように双臀を上げて、菊座と女陰に情けを求めた。狂戦士の群が吠え梟って獲物を押し潰すと、また雌犬の喜悦が漏れ出す。 太鼓の轟き、角笛の響きは益々高まって、汗と喚きと歌とに満たされた陣営にさらなる狂騒の拍車を掛けた。 饗応の役をし遂げたゴールドオークは、のんびり盃を傾けつつ、いつ果てるともない饗宴に眺めて入っていたが、ふと風に肌寒さを覚えて頭を擡げる。 夜天の東に青い満月がかかり、玲瓏の光を叢雲に染ませていた。蒼褪めた円盤の面を過る翳は、滾り切った下界の熱を無に帰すような、底知れぬ冷たさを感じさせる。 黄金の猪は落着かぬげに足踏みすると、凌辱の場から逃れるが如く、天幕の裏へ駆け去っていった。 ロンダルキアの長い廊下を、ベリアルはゆっくり歩いていた。以前登城した際とは異なり、宮殿のそこかしこには人の働く気配がある。デーモン族の鋭い聴覚には、壁を隔てた召使い用通路の足音の数まで聞き取れた。 謁見の間の大扉に辿り着くと、背の高い内侍が両脇に一人づつ控えている。怜悧な面差しと剣のようにしなやかな体付きは、しかしどこか作り物めいて、釣り上がった目付きや高慢そうに結ばれた口元も、何か別の存在が官吏の演技をしているのような印象を与えた。 将軍は立ち止まって二人の女官を見比べてから、短く尋ねかける。 「バズズ殿のご類縁か?」 向かって左の内侍が薄く微笑んで頷いた。 「左様にございます」 悪魔はじっと相手の瞳を覗き込んだ。 「デビルロードと見受ける」 「近衛と秘書を兼ねております。陛下のお考えで」 今度は右の内侍が会釈して応じる。同じ声、同じ顔。変化の術を使う際、わざと揃えたのだろうか。きびきびとして、しかしどこかしら艶めかしい仕草には、デビル族の長の意図が感じられた。 元々閨房の謀を得手とせぬベリアルは、深く考えるのは止めて、用向きだけを伝える。 「…ベリアル、ベラヌール攻略より帰還仕ったと、取り次ぎ願う」 「お待ち下さい」 一人が扉を開いて奥へ消え、いま一人は半ば瞼を伏せたまま後へ残った。全てが音も無く進み、ただ蝋燭ばかりが僅かに揺らぐ。 将軍が黙りこくって目通りを待っていると、不意に内侍が顔を上げ、和やかに言葉を紡いだ。 「ベリアル様、お喜び申し上げます。テパ、ベラヌールを矢継早に陥落せしめた御手柄。勲功はシドーの三騎士では第一等となられましょう」 「左程のことではござらぬ」 「頼もしいお言葉。アトラス様はペルポイを攻めてはや四月、うちのバズズに至ってはルプガナ如き辺境の港町一つ獲れず、お恥ずかしい限り」 惣領を呼び捨てにするデビルロードの傍若ぶりに、ベリアルは微かに身動ぎした。 「卒爾ながら…バズズ殿とはどのような…」 「姉にございます」 「これは無礼を致した」 「お気になさらず」 女官が微笑みつつ謝罪を押し留めると、青髪の騎士は咳払いをして語句を継ぐ。 「ルプガナはアレフガルド攻略の要となる地。ラダトームの支援を受けておることは間違いない。ペルポイも背後にデルコンダルが在ると見てよい。孤立無援のベラヌールとは違い、そう易々とはゆき申さぬ」 「ご謙遜を。ロンダルキアでも不敗将軍の声望はつとに高まっております」 「…は…」 くすりと息を漏らして、内侍は口元を拳で覆う。 「ところで、バズズもアトラス様も、戦勝のたび領地や奴隷、多くの褒美を賜っておりますのに、ベリアル様だけはこれだけの手柄を立てながら何もお求めにならぬと聞き及んでおります。シドーへの信仰篤き故、俗世の富には頓着せぬ無欲なお心と…」 デーモン族の長は急に視線を逸らし、独りごちるように呟いた。 「何の。他に倍する強欲者にござる。それがしが望む褒美に比べれば、アトラス殿やバズズ殿は慎み深いもの」 「それは?」 ベリアルが言い淀むのへ、再び扉が開いて、テビルロードの片割れが現れる。 「陛下がお会いになります」 将軍は唇を引き結ぶと、一礼して謁見の間へ入った。 真紅の絨毯を踏んでニ、三歩進むと、背後で大戸が閉まる。吊り燭台に照らされた空間は、最後に参内した時より広くなったように感じられた。 玉座に眼差しを向けると、以前と比べさらに威厳を増した主君の姿が在る。竜顔に笑みはないが、双眸には喜色が煌めいていた。 「ベリアル、ベラヌールを落としたな」 「はっ」 将軍が跪こうとするのを、若き王は鬱陶しげに手を振って制する。 「そのままで良い。どうやったか説明しろ」 「仰せとあらば。ベラヌールは湖上の都市。陸とは日頃ただ一つの橋にて繋がっており、水が濠の代わりを務めており申す。我が軍が寄せたときには、その橋もすでに焼き払い、篭城の備えは万全にござった」 「ふん。それで」 「初めは翼ある魔物を使って空から仕掛けましたが、かの町は射手を多く抱え、中々に難き守り。また夜陰に紛れて物資を運ぶ舟が幾多あり、兵糧攻めもままならぬ樣子」 「俺なら周辺の村を焼いて補給を断つが」 「御意。それがしめも付近の集落に徴発隊を送り申した」 「それだけなら、もう少し時間がかかっていた筈だな。お前の秘策は?」 愉しげに問うズィータに、ベリアルは淡々と応じる。 「剛力の魔物を集め、昼夜土石を掘り、落ちた橋に沿って埋め立てましてござる」 意外な答を聞かされて、酷薄の美貌が突然子供っぽくほころぶ。 「なるほど、単純でいい!」 細身の体が黄金造りの椅子を跳び出すと、騎士の側へ駆け寄って、鎧に覆われた肩に腕を回した。余りにあっさり距離を詰められたじろぐ悪魔に、青年は屈託なく話し続ける。 「俺もいっしょに行ってもよかったな。ここはつまらん」 「陛下」 「王とはなんだ?俺がこの城を獲ってから、やったことといえば、来る日も来る日も書類の署名だけだ!租税の減免だの、部族同士の調停だの」 不満そうに臣民を罵るロンダルキアの君主に、将軍は返事に窮したまましゃちこばった。 「まぁそんな事はいいか。おい、今日こそ望みの褒美を云え。王位とトンヌラ以外なら何でも呉れてやる」 ベリアルは刹那喉を詰まらせてから、ゆっくりと用意しておいた台詞を口にのぼせる。 「忝のうござる。されどそれがし、未だ褒美を賜るに相応しい働きをしており申さぬ。いましばらくは軍務に励み、某か御心に叶う手柄を立てし折、改めて願い出とうござる」 「…俺がやるといったらやる。王の言葉を無にする気か?」 「は…」 氷の眼に不興げにねめつけられ、悪魔は冷汗を掻いた。静寂の中、心臓の鼓動だけが段々と早まっていく。 「それがしは…」 云い差したところで、いきなり扉が開いた。緊迫した表情の内侍が現れ、平伏する。 「サマルトリア攻略軍より、緊急の知らせが参りました」 ズィータはベリアルの肩から腕を外すと、眉間に皺を寄せて、通せと命じた。 女官が脇へ退くと、すぐに憔悴した樣子のガーゴイルが進み入り、王に跪く。 「申し上げます。ムーンブルク駐屯地より、サマルトリア攻略にあたった首狩り族五千、壊滅したとの報告がありました」 一瞬で謁見の間の空気が変わった。竜王の裔は、抑揚を欠いた声で尋ねる。 「敵は?」 「オークの斥候によれば、青い鎧にラーミアの旗印。ローレシア騎士団本隊と思われます」 「兵力は?」 「ムーンブルクの予想では八千から一万」 ズィータは唇の端を吊り上げた。 「父上も必死だな。指揮官は?ローレシア王か?」 鳥人は嘴を閉ざし、額を絨毯に擦りつけて許しを乞う素振りをする。 「どうした。情報がないのか?」 「いえ…敗残兵の証言があります。ただ事切れる寸前で、錯乱しておりまして。首狩り族の迷信が混じり、余り正確とは思えぬ内容故」 「ごちゃごちゃ前置きはいい。さっさと報告しろ!」 王の怒りに触れたと悟った伝令は、慌てて捲し立てた。 「その首狩り族は、いまわの際に言い残しました。”奴等を率いるのは勇者ロト。我等魔物を打ち滅ぼし、ロンダキアの城を毀つため、精霊ルビスが遣わせた”と」 |
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