「三上せんぱーい。田中が怪我しましたー」 体操服姿の少年が一組、体育館の入口にやって来る。片方は小柄で太めの二年、膝を赤くすりむいて、青褪めた顔付きだ。もう片方も同級で、頭の癖毛を撫で付けながら、ちょっと面倒くさそうな表情で、付添いをしている。 「すりむいちゃったんだね。こっち来て」 コンクリートの玄関庇が作る影の下に、上級生らしい背の高い少年が立って、二人を出迎えた。仏像のお釈迦様そっくりの糸目が少し開いて、傷の具合を見て取ると、長く器用そうな指が救急箱からピンセットを取り出し、消毒液を含んだガーゼを摘む。 「ちょっと沁みるけど、黴菌入らないようにするから」 「は、はい…」 太めの下級生は、やや固くなりながらも、先輩にお任せしますといった感じで、素直にすりむいたの方の膝を曲げた。ガーゼが赤く滲んだ血を拭い、傷バンが貼り付けられると、付き添いからほっとしたような吐息が漏れる。 「おめーもっと気ぃつけろよー」 「ごめん…」 まだ緊張の残る遣り取りからして、派手に転んだか何かしたのだろうか。長身の三年生は、道具を片付けながら、心配そうに眉を顰めた。 「何があったの?」 問い掛けに答えて、付き添いの少年がふんと鼻息をつき、仲間を肘で突付いた。 「こいつがあんま走るの遅いから、島先輩が急がせたんです。そしたらこいつびびって…」 「別にびびってないよ…」 「よろけて俺に当ったんすよ。んで俺までこけさせられたし…」 「そん時お前も押したんじゃん…」 視線が二人の下級生を交互に行き交うと、大きな両掌が持ち上がり、喧嘩が始まる前に言葉を収めさせる。 「じゃぁ井坂君も転んだんだね。頭とか打たなかった?気分は悪くない?」 「俺は大丈夫っす…で、こいつ走れます?」 「うーん。いや、田中君はちょっと休んでて。井坂君は、自分で大丈夫だと思ったら、皆と合流していいよ」 井坂と呼ばれた少年は唇の端を引くと、わざとらしい声で不平を漏らした。 「ちぇー、お前だけ楽すんのか」 田中の丸々した頬が紅潮する。 「僕も走れますよ」 三上は救急箱の蓋を閉めると、体を伸ばして伸びをしながら、笑って首を振った。 「だめだよ。大人しくしてなきゃ」 「じゃ、俺も居ます。やっぱ気分悪いかも」 「いいよ。それなら皆が戻ってくるまで、二人とも日陰の所に座ってて」 はい、と同時に返事をすると、二人は並んで腰を降ろす。上級生は、一瞬どこか遠い所を見るような目で彼等を眺め、気付かれぬようそっと顔を背けた。 校庭では、土で汚れた野球部のユニフォームが激しく動き回っている。金属バットが硬球を叩く度、甲高い打音に混じって、ノックを取り損ねた新入部員を怒鳴る声が広がった。砂の舞上るグラウンドの向こうには、銀杏の木が枝を広げて立ち、青々と若葉を繁らせながら、南からの強い風にさやいでいる。初夏と呼んでおかしくないような陽射しにも負けず、屋上から重い響きがするのは、狭いコートをフルに使って女子バスがドリブル練習をしているのだろう。 緑の藻に覆われたプールの水面を渡って、気の早い蝉の音が届き、白く塗られた校舎の壁に谺する。男バスの部員はまだ外周から戻っていないが、後数分もすれば、先頭を切って走る三年生の、やかましい大声が聞こえる筈だ。 じっと待つ先輩を何度も横目で盗み見ながら、井坂は貧乏ゆすりを始める。傍らの田中はまだぼんやりしているらしく、時々後ろを振り返って、ひんやりした体育館の中を覗き込んだり、膝に貼った傷バンの端を触ったりしていたが、それでもやはり手持ち無沙汰な様子だった。 「先輩、俺ら二人でボール出してちゃだめっすか」 我慢しきれなくなったのか、井坂が上擦った声で提案する。三上は腕組みを解いて、扉の向うの暗がりを見遣り、またすぐ視線を戻した。 「ん、僕今、鍵持ってないから」 下級生達は顔を見合わせて、しばらく黙ったが、ややあって今度は田中が不審そうな声を出した。 「三上先輩」 「何?」 「どうして先輩が救急係なんですか」 「牧野さんが熱出しちゃったんだ…ブロック決勝の時、全員分のおにぎり作るとかいって張り切りすぎたみたいでね」 鷹揚に笑う上級生へ向かって、またすぐ井坂の方が尋ねる。 「でも先輩レギュラーじゃないすか」 「うん、まぁ誰かがやらなきゃいけない訳だし」 「そんなの俺ら二年の補欠がやりますよ…」 「そうですよ」 頷きあう二人に、三上は困ったように頬を掻いた。 「そうだね。今度牧野さんの具合が悪くなった時は、そうさせてもらおうかな」 「違くて」 井坂がぶんぶんと首を振る。 「何でいつもそうなんすか」 「え?」 「三上先輩ばっか雑用っつーか、そいうのが多いじゃないっすか。もっと俺らに任せて、先輩はその分練習して下さいよ」 「え、あ、うん…でも…」 「大会中にフォワードがこういうことしてるのって、すげー変すよ。なんつーか…」 そこまでまくしたてて、急に口篭もり、目で太めの相棒に合図する。後を引き取った田中は、ちょっと躊躇いながら、ぼそぼそと言葉を紡いだ。 「あのー、何か三上先輩が、部長と島先輩に遠慮してるみたいな感じで…」 「……」 返事をしないまま、優しげな面差しは固く強張り、心持俯き加減にになる。白日に雲がかかって、刹那、世界が翳り、蝉の声が止んだ。どこかで鳩が数羽飛び立って、翼の音が遠ざかっていく。 「いつも三上先輩優しいし、特に一年とか細かく練習みてもらってるけど…僕らが一年ん時はそんなでも無かったし…なんか最近…」 「別にそんなつもりじゃないよ」 少し掠れた声で後輩の話を打ち消しながら、長身の少年はまた頬を掻いた。芳しからざる雰囲気を嗅ぎ取ったのか、田中は慌てて口を噤むと、尚も言い募ろうとする井坂を制する。 折りよく校門の向うから、無数の足音が地響きとなって聞こえてきた。まず姿を現したのは、バスケ部には珍しいほど小柄な少年で、他の部員にむかって大声ではっぱをかけている。すぐ後ろには、もっと背の低い赤髪の少年が、対照的に落ち着いたペースを保って走っていた。だが校門が見えた途端、急にスパートをかけ、最初の少年が気付いた時には、側を追い抜いていた。 また競争でもしていたのか、二人はあれこれ言い合いながら体育館の方に走ってくる。残りの部員は、もっと大柄なのも含めて、かなり息を切らしているのに、中々見かけに拠らない持久力である。 「島ちゃん、赤坂君、皆、お帰りー」 「見てたろケーイチ、こいつが…ってまてよ赤坂!」 「往生際が悪い…」 こうして最上級生が寄り集まると、忽ちかまびすしいお喋りの嵐が起る。勿論、喚くのは島だけなのだが、所々で赤坂が寸鉄人を差すような台詞を吐くので、全く収集がつかない。 井坂と田中は、今の内にと、こっそり先輩達の脇を大回りして、校庭にへたり込んで息を切らす仲間の元へと向かった。 惠一は他の二人より頭一つ高い位置からそれを認めたが、何も言わず、代わりに性懲りも無く痴話喧嘩を始めたエース同士の間へ割って入り、仲裁をするというお決まりの役割を引き受ける。 そうしている内、千切れ雲が幾度か地上の明暗を染め直し、空からは湿った大気が吹き降りた。花壇の向日葵が、まだ柔らかい茎を揺らして、雨の気配を告げる。五月の鷹鳥一中は、少年達の声音に満たされて、晩春から梅雨への、穏かな時を刻んでいた。 日が傾くに連れ、蒼穹は曇天に変じると、分厚い灰色の帳を引き、部活の終り頃になって降り出した夕立は、どうやら大雨に変って夜半まで長引きそうだと、初老の用務員が漏らしていた。 汗ばんだ肌にはりつくような不快な湿気の中を、学生服に着替えた下級生達は、水滴が大地を叩く騒がしさに掻き消されぬ様大声で挨拶しながら、三々五々散って行く。いつもより早めの解散で、まだ慣れない一年生の中には嬉しがっている者もあったが、試合形式の練習時間が削られた二年は総じて不服そうな態度を隠さなかった。 分けても植木、井坂といったレギュラー入りを狙う補欠陣は、いよいよ都大会本戦とあって、未練たらしくコートに留まっていたが、最後には先輩の癇癪が破裂して、トレーニング・ルームへと向かったのだった。鷹鳥一中の体育館は、前々任の監督の意向もあって、本来公立中学にはとても買えないような高価なアスレチック器具を取り揃えているのだが、扱い方に詳しい教師が次々と顧問を辞めてしまい、現在は宝の持ち腐れも同然の状態で、唯の更衣室として使われている。 部員の大半が帰ると、いよいよ勢いを増す雨音にすっぽりと包まれながら、レギュラーだけの特訓に入る。いつもは二年も交え、実際のゲームを想定して、ポジショニングの確認中心になるのだが、今日はスタメンのセンターが部を代表してマネージャーのお見舞いに(半ば部員全員から強制されて)行ったので、三年だけでやることに決めた。内容は、主に帝北のブロック予選ビデオを元にしたマンツーマンとゾーンの練習で、それも短く切り上げ、すぐ片付けに移った。 宿敵より先にブロック予選突破を果したとはいえ、様々な瑣事に時間を取られ、肝心のスタメンがばらばらになっている、聊か危うい状態だった。今の鷹鳥は、過去の遺産だけで勝ちを拾っているといってもいい。 今年の夏、僕等は全国へ行けるんだろうか。 三上惠一は時々、自分達が破壊してしまった"システム"の、大きすぎる影に脅えることがあった。 憧れだった先輩がいなくなって、積み重ねてきた練習も、掴み取った勝利も、遥か昔の夢となってしまったようだ。祭りの酔いが覚めた後のような空気の中へ残されたまま、これから先の道程を思うと、冷汗をかかずにはいれらない。 ボール入れを押す幼馴染を眺めていると、つい尋ねたくなる。ねぇ島ちゃん、大丈夫なのかな。本当に僕等だけで、チームを全国まで連れて行けるのかな。 言葉には出来ない。いつもそうだ。最高学年へ進級して、責任が生まれたからとか、そういう訳じゃなく、ただ何となく迷惑をかけたくない、相手の負担を作りたくないという遠慮が口を塞いでしまう。ところが背の低い連れはといえば、普段と変らず後輩の下手さ加減を、歯に衣を着せず批評しながら、結構上機嫌で疲れた手足を動かし、金属のケージを倉庫へと動かしていく。 「あー面倒くせー。赤坂は何やってんだよ。こっち手伝えよな。部長になったからってさぼっていー訳じゃねーぞ」 「ダメだよ島ちゃんそんな風に言っちゃ。赤坂君はモップ掛けしてるじゃない」 「んなの一回一年がやってっから適当でいいんだよ。ったく…っと…」 段差を越えた衝撃で、島の軽い身体が浮く。惠一は両腕へ力を入れて、揺れるボール入れを安定させると、息をついて、後ろを振向いた。 鬼灯色の髪をした少年が、床を掃除している。木目に沿って端から端を、定規で線でも引いたかのように真直ぐ往復する姿は、何だか発条仕掛けの鼠の玩具みたいで、とてもそうは見えないけれど、新生鷹鳥一中バスケ部の総大将なのだ。 初めは独りでやるには広すぎるかと心配したが、あの速さなら、そう長くはかからないだろう。赤坂は部長になってからも、とてもきちんと雑用をこなした。小さな身体の何処にそんな体力があるのかと疑いたくなる位、淡々と緩み無く、しなければいけない仕事をする。艶やかな光沢を放つ木床へ視線を投げると、改めてチームメイトの忍耐強さと几帳面さを感じた。飽きっぽい島や、すぐ要らぬ事へ気を散らせてしまう惠一とは対照的だ。それこそが、キャプテンの資格なのかもしれない。 「…ねぇ島ちゃん」 「あん?」 「一年の時、Fの皆で、Bの人が使った体育館を雑巾掛けしたよね」 負けん気の強そうな顔が歪んで、軽い嫌悪の表情を浮かべる。 「ケーイチ良くそんなこと覚えてんなー。俺は早く忘れてーのに」 惠一は、睫の端を震わせて、ちょっと語気に圧されたような、おずおずした笑みを返した。 「島ちゃん、あーいうの苦手だったでしょ。何で最初の日で止めなかったの」 「んだよそれ」 小馬鹿にするような鼻息をついて、小柄な少年は倉庫を出ようとする。長身の相棒は、お供の犬のように後を追いながら、台詞を接いだ。 「ほら、小学校までは結構、途中で抜けてたし…」 「…へっ、あん時ゃ最初からえらそーな三年がむかついたからなー。ってか苦手ったらケーイチこそそうじゃねぇの?」 肘で脇腹を小突かれて、少年は眉で八の字を描き、困ったような照れたような仕草で、頬を掻いた。 「うん、だから結局、三日で辞めちゃったんだよね」 島が怪訝そうな面持ちで見上げてくる。尖った唇が、問いを放とうと開きかけた時、いきなり空中から煌く金属の束が手元へ飛び込んで、会話を断ち切った。 「痛ぇな!ざけんな赤坂、怪我したら慰謝料払えよ!」 「早く鍵閉めろ。六時半回る」 喚く仲間へ赤髪の少年はそう声を掛け、部の備品として使っているスポーツ鞄を肩へかけ直すと、トレーニング・ルームへと入って行った。島は地団駄を踏むと、苛立たしそうに顎をしゃくって文句を垂れた。 「くー、部長になってからどんどん偉そうになりやがって、ほら行くぞケーイチ」 「行くぞって、まず鍵閉めないと」 「あーじゃ、任せた」 惠一の掌へ鍵束を押し込むと、次の瞬間にはもう、扉へ向かって走り始めている。置いていかれた方は、抗議しようとして、また口に出し損ねたまま、二人を見送った。 「…島ちゃん…」 何だろう。後輩達の言う通り、最近はいつもこんな風だ。小さな火種が鳩尾の当りで燻る。 胸に起ったおかしな感情を打ち消すように、拳で軽く額を叩くと、鉄製の戸を閉ざして錠をかけ、コートラインを辿って、照明の操作盤の方へ歩く。コンパスさながらの長い足を前へと運ぶ度、靴底のラバーがワックスのかかった木材を踏んで、掠れた響きを立てた。これ、東野さんはバッシュが歌ってると言っていたっけ。 ふわっとした優しい笑顔が脳裏を過り、惠一は思い出に釣られでもしたようにほんのり口元を綻ばせると、電気を消そうとして、天井を見上げた。がらんとした体育館は、部員で一杯の時とは比べ物にならないほど広くて、立っているとそのまま、虚空へ意識を吸い込まれてしまいそうだった。 息が詰まり、つい指を止めてしまう。闇を齎した途端、肩へ凄まじい重さが掛かるような予感がして、スイッチを切るという、ただそれだけのことが怖くなった。穂村部長も、こうして体育館の明りを落そうとする毎、同じような気持を味わっていたのだろうか。 本当は、違うのかもしれない。 良く知るより前に無くなってしまった"システム"なんかじゃなく、今目の前にある現実が怖いのかもしれない。赤坂くんを中心に動いているバスケ部が。 そして、それだけじゃなくて…。 漸く爪の先がプラスチックのカバーに触れ、液晶に移されたONの表示をOFFへと変え、広大な空間を、一瞬で黒く塗り潰す。さぁ、もういい、帰ろう。満の中間の勉強を見るって約束していたっけ。遅くなったら、また怒られるかな。そろそろあなたも受験の準備をしなさいねと、半分諦めたような声で諭す母の顔が浮んだ。 トレーニングルームの扉の隙間から漏れる、白い輝きの筋を目指して、半ば手探りで進む。後もう少しだ。矢崎君のシューターとしての精度が上がれば、スタメンは安定するだろうし。そうしたら二年の何人かを選んで、一年の練習を見て貰うことも考えてみよう。 島ちゃんは反対するかもしれないけど、それとなく監督に意見を訊くのが一番だ。多分森君か鳴海君辺り。やっぱりレギュラー候補は外さないといけないだろうな。そういう基準で人を選別するのは、まるでグループ分けみたいで嫌だけど、勝つ為には仕方ない。 光が近付いてくる。惠一は、半開きになったドアの把手を掴んで、静かに引き開けると、眩しさに糸のような目をもっと細くしながら、中へ入った。 「…ごめんね、遅くなっちゃっ…」 答えはなく、ただ幽かな呻きだけが耳をつく。慌てて瞬きをすると、やっと目が明るさに慣れて、ロッカーに凭れて抱き合う、幼馴染と部長の姿が、はっきりと見えた。奇妙な程艶めいた唇が二つ、唾液で銀の橋を作って離れると、赤髪の少年が此方を振り返る。 あどけない容貌に浮ぶ微笑は、ささやかな悪意と、混じりけのない勝利の色に彩られていた。 「…ごめん…」 謝ってしまう。喉が乾いて、巧く声が出せない。後退りをしながら背中で扉を押して、場を離れようとする。だが赤坂が、つかつかと近付き、惠一の手首を捕えて、逃がさないとでも言うように、引き戻す。 「み…見る気はなくて…」 「もう遅い」 小さな同級生の、しかし反論を許さぬ厳しい口調に、一回りも大きな体格の少年は、腰砕けになってしまう。 「あ…」 「赤坂!待てよ、ケーイチは…」 青い瞳が島の方を向いて煌いた。いつも活発な惠一の幼馴染は、まるで生気を吸い取られでもした様にぐったりと、タンクトップの肩をずり落とし、頬を染め、息を乱しながら、ロッカーに肩を預けている。 「ケーイチ…」 「島ちゃん…ご、ごめんね、誰にも言わないから…」 釈明してから、最悪の言葉を使ってしまったと気付く。恥かしさの余り相手の目を見られず、俯いて、瞼をぎゅっと瞑る。どうしていいか解らない、ただ今すぐ此処から消えてなくなりたかった。 「どうするんだ」 「な…何言ってんだよ、ケーイチが側に居んのにお前が…っ…」 「…このまま行かせていいのか?」 ゆっくりと、赤坂は掴力を緩める。だが、真夏の海の如く深い色をした瞳の奥では、試すような、探るような、冷徹な光が瞬いていた。 幼馴染の口が開き、また逡巡しつつ閉じるのを、長身の少年は、判決を申し渡される罪人のような心持で待ち受ける。 「だめ…だ」 吐き出すような答えに、くすっと、赤髪の少年は小さな笑いを漏らした。惠一は首を擡げて、信じられぬものを見るような目つきで、小学校時代からの親友を凝視した。 「島ちゃん待っ…っ!?」 驚いて下を覗くと、白い指が体操着の上から、股間をなぞっている。いつも島以外には側に拠りさえしない部長の、突然のスキンシップに戸惑う内、もう一本の細腕がシャツの下に入り込んで、蠢きながら胸板を弄ってきた。 「赤坂…君…????…ぅあっ!!?」 短い左肢が、長い右肢に掛かり、柔道の小内刈りの要領で軸を払うと、支えを失った長躯に容易く尻餅をつかせる。痛みに喘ぐ唇に別の唇が重なって、舌を挿し込むと、狂ったような激しさで口腔を捏ね、それ以上のお喋りを封じ込めてしまった。 舌を絡められただけで、惠一の全身に蕩けるような快感が拡がり、四肢から力が抜けていく。視界が揺らぎ、天井が遠くなって、照明が二重三重にぶれて、霞んでいった。どこか遠くで、誰かが唾を飲み込むのが、やけにはっきりと聞こえる。 「…んっ…んっ…んっ!?んっーーーっ!!」 弛緩しかけた筋肉が再び張り詰める。赤坂の指が、半ズボンにテントを貼った秘具を摘み、布地越しに擦り始めたのだ。惠一は涙目になって背徳の戯れを拒もうともがいたが、華奢な姿態は益々しっかりとしがみつき、あろうことか右の太腿を挟み込んで、自らの小さな勃起を擦りつけてくる。 「あふっ……交代…」 紅唇が口淫を中断すると、ぞくっとする程甘い声で命じた。操り人形のような、ふらふらした足取りで島が側へ寄ると、問い掛けるような不安そうな眼差しで、幼馴染の細い目の中を覗き込む。 「ケーイチ、いいか?」 「…島ちゃん…だ…ひぁあっ!」 濡れた冷たさに下半身を擽られ、惠一は断る術を失った。赤坂が、舌で棉の繊維に涎を染み込ませながら、性器の形を確かめるよう愛撫して、尖端を甘噛みし、吸い上げたのだ。すっかり蚊帳の外に置かれた態の、小柄な少年は、無意識の内物欲しげに喉を鳴らしながら、劣情に駆られるままに、粗っぽい語句を迸らせる。 「する…からな」 「はぁ…はぁ…だめだ…よ…しまちゃ…」 「っ…る…せ…ょっ!」 自棄になったように接吻を奪うと、性急さだけの拙い舌技で熱い頬の内側を掻き回す。「んっ…む…んっ♪」 赤坂は片手を島の腰のゴムにかけ、パンツごとずり降ろすと、己の下穿きも滑り落として、さらに惠一の亀頭を啜り、染み出してきた先走りを味わった。 「ぷはっ…臭い…」 開口一番、余りな感想を告げると、びくっと痙攣した惠一の頬へ楽しげに舌を這わせ、素早く乳首を捻り上げた。 「ふぐぅっ!!!」 長身の少年が、背骨を弓なりに曲げて悶える。過敏な反応にまごついた島は、共犯者に向かって非難の篭った視線を投げながらも、もう舌を止められもせず、空いた両腕を、眼前の肢体に伸ばし、コントラバスかチェロのような大きな楽器を爪弾くような具合で、たどたどしく弄り始めた。 「ひふ…んはふっ、ふひぃっ…うぐううっ!!!」 次々と未知の官能に襲われて、羚鹿の如き両脚は、妖しくねじれながら、二人分の体重を乗せたまま激しく暴れ、強く床を蹴った。しなやかな両腕は、小判鮫宜しくしがみ付くチームメイト達を引き剥がそうと虚しく空を掴み、やがて堕ちる。 小さな掌が四つ、協力し合いながら惠一のズボンを剥ぎ取り、大きな屹立をぶるんと宙に解き放つ。 「こっちのは剥けてる…」 「んぷ…うるせぇな、こんなの誰だってその内…」 赤坂が指でつんと雫を湛えた鈴口を突付いて揶揄すると、相棒が真赤になって反駁した。 「お前のこととは言ってないぞ」 「なっ…」 他愛のないからかいの間も、二人の指は止まらない。無視されているのか、何なのか、惑乱の極みにある惠一は朦朧としながら、吐息をついた。 「見な…いで…」 せめて、という口調で乞われた望みさえ、わざと踏み躙るように、赤髪の少年は同級生の若茎にずいと顎を寄せると、これみよがしな淫蕩さでむしゃぶりついた。 「ひぁあああっ!!?」 「んぁっ…赤坂…ずりぃぞ…」 負けじと島も幹に口付けして、下から筋を舐め上げていく。唇と唇がぶつかると、肉棒を挟んでディープキスをする。体育館のトレーニングルームという、誰が来るかも解らない場所で、しかしもう声を抑えられず、惠一はひっきりなしに哭き、咽んだ。めくるめく感覚の波に、形ばかりの抵抗さえ許されぬまま、筋肉質の腰を飛び跳ねさせ、射精を迎える。 双の唇が争って其れを飲干すと、片方が裏筋に沿って下へと滑り降り、心拍に合わせて収縮する、褐色の窄まりへと到達した。慎ましやかに閉じた入り口を、舌を尖らせて軽くノックすると、皺の一つ一つを舐めて緊張を和らげ、内側へ入り込む。もう片方はといえば、亀頭を丸々頬張ると喉の奥まで咥え込んで、粘膜を使って奉仕する。 「うぁあああっ!きぅううう、や、は、島ちゃ、やだ、やだぁっ、助けて…」 親友の悲痛な叫びに相棒の肩が震えるのを、目聡く捉えた赤坂は、舌は休めぬまま手だけを伸ばして、心変わりを封じる様、彼の尻の谷間を割り裂いた。島は一瞬瞳を見開いたが、やがて諦めたように睫を伏せると、進んで腰を振って、恋人の指を受け容れた。 最後の頼みの綱さえ絶たれ、惠一の理性を繋ぎとめていた箍が軋み、壊れていく。完全に虚脱したま、二度目の絶頂が訪れ、抑制を失った秘具が幼馴染の小さな口一杯に白濁液を噴出した。 残滓まで丁寧に舌で拭い去ると、島はゆっくり獲物を放し、唇の端を舐めて、中腰になった。 「ケーイチ…気持ちよかったか?」 「…っ島ちゃ…うっ…」 「なぁ…俺もっ…」 ぐいと意地悪な指が、後孔の奥で捻られ、甘え声を舌足らずな嬌声に変えてしまう。 「…ケーイチ…お願…ん……」 菊座を解す手付に導かれるようにして、小柄な少年は、陶然と上向いた糸目の前に腰を突き出した。 「……な……お願……」 潤んだ双眸でそう訴えられると、惠一はもう拒めず、小さく唇を開けた。頃は良しと、赤坂は、恋人の秘部を玩ぶ指の数を増やし、前へ押しやった。皮を被ったままの性器が鼻へ当って、栗の花の匂いでつい噎せそうになる。だが、相手を傷つけてはという配慮から、必死で舌を伸ばして、生まれて初めての口淫を試みた。 「アゥッ…ケーイチィ…ひんっ…ぅっ」 島は、両掌を広げて垂れた前髪を掻き分け、頭蓋をしっかりと鷲掴みにすると、声音のしおらしさとは正反対に、あられもなく腰を動かし、己の分身を幼馴染の喉奥まで突き入れた。 「…」 赤髪の少年は、本能のまま同級生を犯す相棒から手を引いて、心なしか満足そうに眺めた。舌で惠一の括約筋を寛げる作業を止め、代わって、自由になった十本の指で開発されていない臀肉を鷲掴み、やわやわと揉みしだく。すっかり用意が整ったと判断すると、穴を拡げ、少しも使い込まれていない粘膜を外気に晒した。何をされているのか、朧に悟った惠一は、羞恥に戦いたが、それだけだった。 自らが選んだバスケ部の長であり、最も信頼すべきチームメイトであった筈の寡黙な少年が、排泄口でしか無い筈の器官に、幼茎を捻じ込み、抽送する。そんな異常な体験さえもう、新たな快感を齎す刺激にしか過ぎなかった。 小さな陵辱者達は、同学年でありながらずっと"大人"の身体を持つチームメイトを組み敷いているという、どこか僅かな疚しさえ含む優越感に溺れ、幼い容貌を恍惚の色を浮かべて、一層激しく前後の穴を犯した。 半ばは完成し、しかしまだ随所に少年らしい未熟さを残した肢体は、次第にリズムに慣れ、徐々に艶かしく腰をくねらせ、緩んだ涙腺から喜悦の雫を溢れさせながら、口でも尻でも従順な奉仕を始める。そう、ゲームの時と同じ。先行するポイントガードとスモールフォワードのペースに、長身のパワーフォワードが導かれていた。 求められるまま、少しでも二人の快感を増すよう工夫をする。鼻で息をしながら、舌で先走りを広げ、もっと喉の粘膜を犯しやすいようにと手伝う。腿と腿がぶつかって音を立てる毎、腰を浮かせて、さらに自らの深くを蹂躙させる。チームメイトの欲望を満たす行為の玩具になって乱れていくのが、快くさえあるように。やがて上と下から同時に精を放たれた時、惠一は迷うことなく全てを受け容れた。 「はんっ…はっ、んぁっ…あふっ…ぅああっ!」 止まない雨、トレーニングルームの湿った大気の内側で、大小三つの裸身が単調な肉の舞踏を演じている。アスレチック器具に横たえられた惠一は、両脚のM字型に固定されて、縄跳びの縄でバーベルに縛り付けられている。腕は一纏めに頭上で拘束され、胸には島と赤坂が刻んだ歯型が、痛々しく 「あかさか…こうたい…しろよ」 虜囚の上に跨って、腰を振っていた黒髪の少年が、背後に首を捩じ向けてままやく。 「根性なし」 もう独りの、真紅の髪をした少年が短く呟いた。立て続けの輪姦で、すっかりこなれた惠一の直腸を裏返しながら、己の陰茎を引き抜くと、一方では恋人の唇を奪って、勃ったままの秘具を掴み、胸飾りを弄る。 幼馴染とクラスメートの睦まじさを見せ付けられる度、神経は逆撫でされ、同時に底無し沼の奥へ沈んでいくような疲労に襲われる。だが、逃れられない。島の肛腔が粘液の糸を引いて、結合を解くと、注ぎ込まれた精を零さぬ様に括約筋を閉ざした。代わって、赤坂が両脚の間に這い登ると、あの紺碧の瞳を、惠一の優しげな面差しへと注ぐ。 「どっちが気持いい?」 「…ぇっ…」 訊かれて、赤面し、言葉を失う。ちらと親友の方を眺めると、何故か挑むような眼差しが返って来た。どう答えれば良いと言うのだろう。 「好きな方で、するから」 「…っあぅっ!」 待ちきれなくなった島が、再び挿入を開始する。脊髄を駆け抜ける歓びに、引き締まった腹筋が波打つ。赤坂はそれをじっと見下ろしながら、腰を落とし、萎えかけた若茎を捕えると、腰を左右に捻って奮立たせる。 「島、気持良い?」 「んっ…ふっ…」 軽い頷きがあってから、お決まりの口付けが交された。また取り残されたけ惠一の胸を、寂寥が締め付ける。繰り返し繰り返し、内蔵を揺すぶられ、性感を引き出されて、無視されながら、同時に嬲られる。思わず喘ぎを溢れさせそうになって、必死で唇を噛んだ。 「はぁっ…はぁっ…あかさか…もっと…」 「んぁ…はんっ…見てるぞ…くんっ…いい…のか…ぅっ」 「んっ…ふゃ…あぅっ…」 此処に居るのは、本当は、二人だけなのだ。でも…だったらなぜ…長身の少年は、小刀で引いたような瞼を開き、ほんの少しだけ、恨みの篭った視線を赤坂に投げた。すると、いきなり、不可解な熱の篭った瞳とぶつかって、目を逸らせなくなる。 「羨ましい?」 心臓が止まりそうになる。 「島は…あげない…」 無慈悲な宣告。だが、幼馴染には聴こえていないのか、陸に揚がった魚の如く苦しげな呼吸をしながら、恋人の肩に顎を載せたまま放心していた。惠一の見ている前で、世界は青く凍って薄っぺらくなり、天井の染みや、蛍光灯の明りが一つ一つ剥げ落ちて行く。 三つの身体がほどける。赤坂は、腰を上げると、困憊した島の肩を支えながら床へ降りたち、花嫁を抱いた新郎のように暖かい眼差しで、そっと足元へ寝かせた。 惠一の方を振向いた双眸はけれど、またあの冷たい色に戻っている。 「解った?」 「…あ…」 「まだ、側に居たいのか?」 鋭い刃が六腑を切り裂く。細面が強張り、刹那の間止まってから、機械的に横へ振られた。 「……………じゃぁ本大会になったら、スタメンから外す」 「ぇ…」 そうしたら、島ちゃんと一緒にバスケができなくなる。云おうとして、言葉に詰った。考えてみれば、そんな気持は、この二人にとっては邪魔なだけのかもしれない。心の底では、それにもう気付いて、耐え切れなくなっていたのかもしれない。 幼馴染の一番近くに居るのは、もう自分じゃない。だから無意識の内に、雑用や後輩の世話焼きにばかり勤しんで、レギュラー同士の練習を敬遠するようになっていたんだろうか。いやそれ以上は何も考えたくなかった。死んでしまいたかった。 「…代わりに補欠の指導して…鳴海と井坂はもっと伸びる…それと一年も…後何人か」 何時に無く口数が多い。でも知っている。彼は必要な時、必要なだけの言葉を紡ぐことを。有能なバスケ部長が、古参の部員に対するに相応しい、厳粛な態度。けれど、女の子のように華奢な少年は、いきなり相手の肛腔に指をもぐりこませ、蛇のように蠢かせる。 「…………」 「はぐぅっ!!…ひぁああっ!!赤坂…く…ん…やめぇっ…」 「だから、ご褒美あげて…ここと、口と、手で…今日したのと同じこと…一、二年で見所のありそうな奴、選ぶから…」 「ぇっ…ぁっ!!うぁああっ!ふぁぅっ…抜いて…ぐぅっ!!」 赤坂は、己の手で屈服させた恋敵に、限りなく憎しみに似た何かをぶつけると、水鳥のような首筋に口付けし、苦痛の叫びが迸る度、喉仏に疾る激しい震えを、思う様堪能した。 「いい、それで?」 精神を苛む拷問から逃れたい一心で、顎を引き、肯定の印を示す囚われの少年。すると赤坂は良く出来ましたというように、指の数を増やし、更に残忍に掻き乱しながら、島にさえ見せたことのない、極上の笑みを浮かべた。そのまま、胸板を通して透ける肋へ手をついて、乳首を啄む。 「痛ぁっ…!?」 細腕が痩せた腰へ巻きつき、腹と腹を摺り寄せる。惠一は、涙で滲む視界の向うで、彼の全てを奪った子悪魔が安らいだ表情を浮かべているのを見た。 「ぁっ…赤坂…くん…?っ…ぅぁっ…痛たた…噛まな…」 針のように鋭い瞳の光が、急に和らぎ、淡く脅えた色を映じる。 「…ずるい…」 「ぇっ…ぅっ…なに…が…?」 「どうして…何言っても…東野さんみたいに…」 そんなことを言われてもどうしたらいいのか。苦労して首を捻って、島ちゃんの方を盗み見ると、もう大口を開けて寝ていた。風邪を引くのにと、場違いな心配が頭を掠める。 「また見た…」 ずっと抑えてきた声音の裏に、拗ねたような、困ったような悋気が覗いた。小さな唇がキスをねだる。いや、命じる。謂れのない罪悪感を覚えながら、また舌を受け入れる。際限のなく快感を貪ろうとするところさえ除けば、駄々をこねてわざと気を引く時の二葉に似ているかもしれない。 「…島は見るな…」 「う…うん…」 「ならいい…」 ふっと肺に篭ったものを吐き出して、赤坂は惠一に品垂れかかり、同級生の大きな身体を独占するかのようにへばりついた。 「赤坂君…」 もしかしたら、赤坂君も結構自分勝手な所があるのかもしれない。ぼんやりと、考える。あんまり大人びているから、忘れてしまうけど、島ちゃんと同じ年なんだしと、惠一がまるきり己を棚に上げて、幼い横顔を眺めている内、鳩尾の辺りを規則的な呼吸が擽り始める。 「え、ちょっと…赤…坂君?…赤坂君このまま…寝ないで!!島ちゃん…赤坂くん…ねぇ…二人とも…起きて…」 こんな格好で拘束されたまま誰かに見付かったら、言い訳しようもない。長身の少年は、懸命に二人を起こそうとしたが、生憎と練習の後またたっぷり汗を掻いた少年達は、散々悪戯をした挙句、母の胸に憩う童児の様に、健やかな睡みに浸って、夢の外の事には些かも構いつけなかった。 三上惠一を、最初に鷹鳥一中バスケ部のお母さんと呼んだのは、恐らく教職員だろう。部員同士の喧嘩をきちんと仲裁したり、巧くこつを掴めずに伸び悩んでいる新入生にアドバイスをする面倒見の良さは、確かに大人の目から見ると、お母さんといった感じがする。 あるいは、いつも長閑さが服を着て歩いているような少年が、練習で汗を流した後時として変に色っぽく見えたりする辺りも、"お母さん"と仇名された所以かもしれない。他の三年生も、勿論人望はあったが、殊この気性の優しいフォワードには、後輩が纏わりついて離れないのだった。 そんな彼の、高さのアドバンテージと、試合むらのない実力という、バスケットボールプレイヤーとしては最も望ましい特性からすれば、春大会本戦からスタメン落ちをしたのは聊か首を傾げるような采配ではあった。 だが、"黄金世代"と称えられたメンバーが抜けた後、都大会で宿敵帝北といつにない苦戦をした鷹鳥一中が、全国レベルの強豪で居続けるための今後の課題は、次代の育成であるというコメントが、バスケットボール専門誌に小さく掲載されただけに、里見光男、穂村健一を継ぐ名将と評価の高い赤坂純部長の決定は、概ね好意的に迎えられた。 小学校から三上とコンビを組む島だけは、反対の意向だったが、結局部長の権威と、監督の黙認、何より本人の意思に説伏された形で、部内は特に大きく揉めもせず、事なきを得たようだった。 高気圧の前線が列島を覆おうとしており、晴れ間が除くのはいよいよ稀になってきたが、湿った季節を過ぎれば、またあの夏がやってくる。北にも、南にも。全中に向けて練習が本格化する中で、去年の王者がどんな風に変るかは興味の尽きない所だと、同じ雑誌の記者が短くコメントしていた。 そんな五月も終りの午後、レギュラーだけの"特訓"終えた鷹鳥一中バスケットボール部の部長は、丘の上に建つ洋邸に向かって、少し塗装の褪せたMTBで坂道をこぎ登っていた。赤髪に散った水滴が、雲間から顔を出した陽の光を反射して、宝石のように煌き、儚げな美貌に幻めいた彩りを与えている。 黒い鉄製の門まで来ると、ブレーキをかけ、サドルから飛び降り、ストッパーを蹴り出して車体を固定するという作業をひらりと一息に終えると、腕を上げてインターフォンを押す。 "はい穂村です" 間を空けず、柔らかな声が答える。 「赤坂です」 そう告げると、樫材の扉が開いて、中から古めかしい小間使いのお仕着せを纏った、若い女性が姿を見せた。 「あら、赤坂さん…お久し振りです。本を返しに来て下さったんですか」 少年は頷くと、リュックサックを空けて、バンドで留めた数冊の分厚いハードカバーを差し出した。受け取った女性は、バンドを解き、「帝王学ノススメ」「支配者の美学」「旦那様と呼んでくれ」「我が闘争」「君主論」など一冊一冊の表紙を確かめてからにっこりした。 「お役に立ちまして?」 無言のまま、ほんの僅かに頬を染めて、赤坂はびっと親指を立てた。女性は、質素な装いの下からでも形の解る胸に、妖しげな書籍を抱き、目を細めた。 「寄っていかれます?」 「いいえ…母さんが待ってるから」 「そうですか、ではまた今度遊びにいらしてください。坊っちゃまから、いつでもおもてなしするよう言付かっていますから、何ならお友達もご一緒に…ね?」 二人の視線が行き交い、何かが通じ合う。少年はまた小さく頷くと、MTBのストッパーを外して、ひらりと跨り、会釈して坂を下っていった。 すると小間使い服の女性は、遠ざかっていく自転車を見送りながら、彼の背に向かって、頑張れ、とでもいうように、びっと親指を立てたのだった。 |
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