小さな鳥の

 今 私の 願いごとが 叶う ならば 翼が 欲しい。

 ソプラノの音程が、危うく擦れて硝子戸を抜け、高い塀の向こうの道路まで響いた。

 焦茶の煉瓦に白亜の尖塔。歌の源は御伽の城。まるで、童話に出てくる、金髪をした囚われの少女のよう。旋律が糸となって外界を繋ぐ、唯一つの絆であるかのように。

 開いた丸窓の下、少年は壁に凭れ、詩句に心を預け、手袋に包まれた掌を、そっと口元に宛てた。長い両脚は大きく路上に投げ出され、冷えきった城壁に預けた背は、少し丸くなっている。瞳は地面を見詰め、舗装の隙間に小さな土筆の芽を見出して、上機嫌に細められる。

 声が止む。可愛らしい咳払いがする。次いで指揮棒が机を叩き、やや音楽的とは云い難い、男の喚きが耳を打った。忽ちあれやこれやと、欠伸を催さずにはいられない演説が溢れる。少年は鼻を鳴らすと、ばねを利かせて塀から離れ、二三歩踏み出してから、くるりと窓へ向き直った。

 外套の襟から臙脂の綬を掛けた小箱を掴み出し、ゆっくり投擲の姿勢を取ると、爪先を利かせてふわりと宙へ浮く。しなやかな肢体は、指先から踵まで、真直ぐな線が通ったかの如く伸びる。小箱は溜息が漏れそうな程優美な円弧を描いて窓へ吸い込まれていった。

 叫び。罵り。駆け寄る気配を察して、素早く電柱に身を潜ませると、案の定脂ぎった中年男が野太い首を突き出して、きょろきょろと屋外の様子を伺った。誰もいないと見るや、すぐさまてかった頭を引っ込める。一瞥しただけで、歌を教えるには相応しからぬ粗野な性格が知れた。やれやれ。

 「山崎!こら山崎!勝手に拾うな…」

 少年は柱の影で肌寒さに震えると、携帯を開いて時刻を確かめた。後五時間は待ったほうがいいかな。何をして過そうか。仕草で、窓へ接吻を飛ばすと、灰色の裾をはためかせ、足早に立ち去る。二月の凍てつく風に、軽やかに揺れる痩身は、どこか柳の若木にも似て、遠い春の訪れを、そっと辺りに告げ行くようだった。











 人気のない廊下を、楽譜を抱いた少年が大股に渡って行く。学生服に収まったちっぽけな身体は、長々とした個人指導にすっかり倦み果てたようで、太い眉の下の生真面目な面差しにも、淡い翳りがあった。廃虚めいた静けさの中、靴の擦れだけが、酷くわざとらしく谺する。突き当たりまで着くと、悲鳴を上げたくなる程冷たい金属の把手を握り、肩で扉を押し開いた。

 砂塵が睫に入りそうになって、慌てて首を後ろに捻ると、前髪を抑えて外へ踏み出す。無人の校庭には埃が舞って、漸く莟をつけぬ桜並木に薄黄の装いを附していた。掻き寄せられた雪が、隅で幾つも堆い山を作り、きらきらと夕方の太陽に反射する。

 全寮制中学のニ月は、余り明るいものではない。特に、他県からの越境入学者にとって、牢獄の如く逃げ場のない学園生活の、春休みと冬休みの間に挟まる、うんざりするような日々だ。

 増して、と少年は舌で口を湿す。

 音楽教師の勝手な都合で、卒業生を送る会で歌う曲目の独唱部に抜擢されたとあってはやり切れない。去年にはもう唾をつけられていたのは、同室の級友から聞いていた。しかし幾ら中二でボーイソプラノが出せる生徒が殆ど居ないからといって、転入して一年と経たない者にそんな役割を振るなど、随分いい加減な話ではないか。

 前触れもなくおかしさが込み上げて、ちょっとの間憂鬱を忘れる。さっきの先生の顔といったら。窓から投げ込まれた箱を空けた途端、ばね仕掛けの玩具に鼻をしたたか打たれて、青くなったり赤くなったり。悪戯をしたのが誰とは知らないが、多少は溜飲が下がった。特待生の名のもとに、自由を奪われた立場では、中々ああいう突拍子もない真似はし難い。

 部活の方は、夏の大会が終わって、秋の新人戦も片付き、年末から徐々に調整に入っていたから、顧問の方も文句は云わなかった。だが管理側の考えはともかく、本人にとっては、バスケットボールから引き離されるというのは、とても苛立たしかった。

 何のために枯れを招いたつもりなのか。彼等とてソプラノ歌手が欲しかった訳では有るまいに。十四歳足らずの子供にとって、親元を離れて、馴染の環境を捨て、己のみを頼んで異郷に入るのは並大抵の決意ではない。正直挫けそうになったし、枕を涙と洟で濡らしたのさえ一度や二度ではない。

 今だって、コートに立っていられないだけで不安が押寄せてくる。あそこなら、ボールが跳ね、バッシュの軋み、視線や身振りだけで皆が通じ合う。孤独はないし、合っても努力で埋めていける。ポイントガードという地位。彼が小さな手で世界からもぎ取ったあの翼があれば、虚ろな青空を仰いで、頼りなく縮こまる必要もないのに。

 「バスケ…したいな…」

 泣きたくなる。別に、何かに嫌になった訳ではないけれど。成績は良かったし、友達作りにしくじる柄でもなかった。積極的に話し掛けなくても何となく人を惹き寄せる。栗鼠のようだと下級生にまで頭を撫でられ、遊ばれたりもしたが、構いつけない方だから、大過なくやって来れた。

 けれど、周りの笑いもからかいも、東京で暮していた頃に比べるとほんの僅かに慇懃で、控えめで、よそよそしかった。或いは、罰なのかもしれない。仲間を捨て、大切な誓いを反故にしたのだから、仮借ない裁きとして、肋の内側を刺す、小さな氷の針を受け容れるべきなのか。

 「…っ」

 風に狭い肩をどやしつけられ、少年はぎゅっと目を閉じた。随分古びてしまった記憶が、やおら頭の奥で灯を点す。鷹鳥一中と、全国優勝という二つの単語。

 「ごめんなさい…」 

 泣くものか。唇を噛んで疾る。追いつかれるより先に、前へ、前へと。翼が欲しい。裸の梢を、高い塀を、家々の屋根を越えて、飛んでいけたら。近くに居たかった。だから、余分な気持を捨てた。怖さも、後ろめたさも、恥かしさも。

 でも、辿り着いたのは鳥篭で、どれだけ背伸びをしても、小さな自分には出口が解らない。

 「…ごめんなさい…」

 やっぱり抑えきれない。チームメイトに見られたら笑われる。泣き虫なポイントガードなんて。悔いを胸に畳み、寮への道をひた走る。小鳥は塒へ。翼を閉じたまま。










「ホームシックなら、親に電話して口裏合わせて貰って、都合で一端帰郷しますとか、な?」

 嗅ぎ慣れた匂いの篭る部屋。ベッドに腰掛けて、級友はゆっくり微笑む。荷造りを済ませ、鞄は脇に置いてあった。帰ってくるなり涙の跡を見られ、あっさり抜け道を示されて、小柄な少年はまごついた。

「そんなんじゃないよ、別に」

「山崎が泣く理由なんて他に見当らないけどな…あ、もしかして、俺が帰るんで淋しいの?」

 冗談の種にされ、石榴の汁で染めたような紅唇が尖り、ひたむきそうな濃い眉がちょっと中に寄る。上背のある同級生は、華奢な連れに向かって眩しげ眼を眇め、首を傾げる。少年は頬を赤らめ、囀るような声音を、無理に張り上げた。

「馬鹿言わないでよ!…それよりそっちこそ大丈夫なの?中間すぐなのに」

「さぁね。山崎と違って勉強できないからな。ま、一応こっちもスポーツ推薦ですから。手加減して貰えるでしょう。トッケンカイキュウの余裕っすよ」

「…そう」

「親戚の法事ってのも嘘じゃないしね。生前は禄に顔を合わせても居ない仏さんだけど、死ねば若い者にはご利益がある訳だ」

 空恐ろしい内容をしれっと述べると、彼は立ち上がって、相手の肩を叩いた。

「一週間で戻るから、元気にしてろよ。風邪なんか引いたら、音楽の先公泣くぜ。窓とか閉めてな」

「うん、ありがと」

「つーかな。気をつけろよ。この部屋って敷地の一番外れじゃん。な?」

 突如にやりとする相手に、山崎は訝しげな面持ちになった。

「あぁ…そうだね」

「外からすっげぇ忍び込み易い訳よ。強盗とかよー」

「はは…」

「まぁ逆に脱出もし易いんだけどな」

 そう耳元で低く囁かれ、目が点になる。

「ぇ?えーと?どーゆーこと」

「だーからー。窓から抜け出せばばっちり町まで生活指導に見付からずに行って帰ってこれる訳ですよ。そんな泣く位なら俺に言ってくれればいつでも案内したのに」

「ほ、ほんとに?」

 息せき切って問い返す山崎に、おっと、同級生は口を丸く開けた。

「真面目君が珍しく反応したなー。まぁそういう訳なんで、俺みたいな猫かぶりと、山崎みたいな真性まじめ君が部屋割りされてんだけどね」

「…そうか…そうだったのか…」

「もしもーし、山崎ぃ?」

「あ、うん、有難う。もういきなよ。バス行っちゃうよ?」

 最前とは打って変ったつれなさに、少年の口元を苦い笑みが掠める。

「あっそぉ。山崎の御用はお家じゃなくてこの町にあるんだ?…なに?まさか彼女とか居るの?」

「ち、違うよ。行きなってば」

 小さな身体が細い両腕を伸ばし、力一杯相手を押しながら、慌てた口振りで急かす。はいはいお心遣いどうもと云い残して、背の高い生徒は退場した。

 独りになった山崎は窓の側に駆け寄って、外を眺めた。林は落ち葉に埋め尽くされ、黒い窪みに水溜りが幾つかと、根元に雪が固まるのを除けば、夜でも進めない訳ではなさそうだ。夏は藪で覆われていて気付かなかったが、なるほど絶好の抜け道だ。

「よーしっ」

 会える。いや、会うんだ。仙之台高校の住所と、市内図は暗記している。転入を決心した時と同じ、無謀な程の熱意が、彼を駆り立てていた。

「…いけない、まずは、計画を立てなきゃ…」

 我に返って、独りごちる。捕まったら元も子もないし、謹慎なんて願い下げだった。じっくり考えを纏めようと、椅子に腰を降ろし、勉強机に目を落す。カレンダーに、ニ月三日に丸がついていた。

「っ…」

 今日、誕生日だった。そうか、もう十四歳になるのか。ふと頭の天辺を摩る。大きくならないな。いつまでたっても。声変わりだって遅れてるから、厄介に巻き込まれる。手足も短いし、きっと夜に塀を越えるのだって、他の皆より苦労するに違いない。

「…でも」

 関係無い。会える。機会は与えられた。だったらもう落ち込む必要はない。少年は微笑んで、ぐっと背伸びをする。浮き立った態度は、背で翼が羽搏くざわざわという音さえ聞こえそうな程だった。










 どの位経ったろうか。物音がして、睡みから覚める。色々想いを巡らせる内に眠り込んでしまったらしい。刹那の興奮は、はや潮ように引いていた。真っ暗な外の景色は、余りに寒々していて、町の明りはちらとも認められない。都会育ちの彼には、とてもあの闇を歩いて出かけられそうになかった。

「…」

 幼い仕草で瞼を擦ると、窓にカーテンを引こうと立ち上がる。東京都違って此処の夜は厳しい。しっかりカーテンを引かないと硝子越しの冷気だけで風邪を引いてしまう。だが埃を吸った厚い布地に指を掛けた所で、少年は固まった。

 窓の向うに白い息を吐く人影が見える。さっきの物音は、手袋を嵌めた拳が、中へ入れてくれるようにと頼む合図だったのだ。同級生、ではない。一瞬泥棒かと疑ったが、考えてみれば、泥棒が態々ノックなどする筈もない。寒さに震える肩が痛々しげで、後先を考えず扉を開けてしまう。

 と、いきなり、抱き竦められ、ベッドに押し倒されて、熱い息吹を吹きかけられる。心臓の鼓動が激しくなり、抵抗しようともがく四肢は、何故か理性に従わずぐんなり力を失った。

「つかさっ♪」

「…ぇっ、あっ、あっ…ぇ?」

「会いたかったぞ〜♪」

 耳に馴染んだ声。幾度も夢に聞いた声。目を開くと、間近で忘れられぬ顔が笑っている。

「里見さん!?」

「ん〜ふ〜っ、当りだな」

 犬のように鼻を擦りつけられて、司はくすぐったさに身を捩った。

「ちょっ、どうして…ぇっ…」

「驚いたか、やっぱり誕生日は不意打ちが一番だな」

「だって…なんでそんなハイテンションなんですか…」

 と、アルコールの匂いに気付く。里見は、ずっと外に居たのにやけに血色が良い。司は酸欠の金魚のように唇を動かしてから、ばっと腕を引き剥がした。跳ね起きると、試合の時に劣らない俊敏さで窓へ駆け寄り、きっちり戸を閉じてカーテンを引く。後手で布を抑えながら振向くと、憧れの先輩はへらへらと笑っていた。

「な、何でお酒飲んでるんですか!どうして学校の敷地に入っちゃったんですか!」

「いや、寒かったから」

「なななな何言ってるんですか。何やってるんですかもう。里見さんらしくないですよこんなの」

 眼を白黒させながら叫ぶ後輩へ、しっと口に指をあてて沈黙を促すと、少年は立ち上がって側へ寄った。距離が詰るにつれ、司は徐々に上目遣いにならざるを得ない。

「…そうだな。俺らしくないな。悪い」

「そうですよ。だいたい同じ市内だからって。里見さんの下宿先とここじゃ凄く離れてっ…んむっぅっ!」

 いきなり唇を奪われる。

 ファーストキス。

 ファーストキス。

 電撃が頭から足先を貫き、筋肉は弛緩する。里見の長い指が司の項を這い、前に回って襟のホックを外し、次々ボタンを開けていく。といってもされている方は脳に靄がかかり、ただ歯列を舌でなぞられる感触に逆上るばかりだった。

 「…、抵抗しないのか司…酔っ払いだぞ、俺は」

 「…ぁっ…ぁっ?…ぁっ、ああっうむ!」

 もう一度。年上の少年は、全く免疫のない唇を奪って、口腔に舌を挿し入れる。唇だけで繋がれ、そっと上着を脱がされ、シャツに指をかけられながら、それでも司は何も出来なかった。

 衣擦れ。唾液を啜る音。へたり込みそうになる腰を支え、袖を抜き、ベルトを外す。母親が幼児の着替えの面倒を見るような忍耐強さと手際の良さ。ズボンを踵まで落すと、ランニングシャツとブリーフだけにした獲物を軽々と抱え上げる。鳥肌の経った項に唇を押し付け、下を這わせると、鎖骨の当りで鋭くキスマークを刻む。悲鳴がして、やっと司は我に返る。

 「あれ、僕…あれ…やだっ、なんで…」

 狼狽しきり、恐慌状態の少年を、優しく里見の掌が撫でる。しかし反対の手は、ブリーフのゴムに指を掛けて引き摺り下ろそうとしていた。

 「…司、ちょっと無防備すぎないか?」

 「ふぇえっ!?だだだだめです。だめです里見さん。男同士でこんなの」

 「…うん。なんか今の司には、あんまり男の子って感じがしないな。ほら、こことか女の子みたいだ」 

 ランニングシャツの上から、勃った乳首を摘まれ、少年は声を失う。幸いと里見はブリーフを引き降ろして、鳥肌のたった尻をすっ掠った。過剰な程の痙攣は、却って悪戯の火に油を注ぐだけ。

 「里見…さっ…酔って…」

 「まぁそうなんだけど…折角誕生日なんだから、そう固くなるな。俺が強姦してるみたいだろ」

 傍からすれば、"みたい"どころではない。だが司は認識不能な状況に陥り、最早ただ愛撫に弱々しい喘ぎで応える他術を知らなかった。里見は布団を引き寄せると、肩にかけ、温々とした表情で続きを始める。左手で縮こまった幼茎を包み込み、小鳥を孵すように暖めながら、右手はランニングシャツの内側に入れ、固くなった胸飾りを弄るのをやめない。

 「ぁあっ…ひっ…やだ…ゃだ…」

 大きな眉が八の字を作り、顎を濡れた筋が伝う。しかし、抓るのも、弾くのも、揉むのも、甘噛みするのも、勢いを増しこそすれ衰えはしない。

 「ここってさ、結構忍び込むの簡単だったぞ。大丈夫か司?」

 「ぁっ…はっ…解りま…せ……」

 「…ほら、脚上げて」

 里見さんが口にする筈のない台詞。きっと現実じゃない。時々、こんな浅ましい夢を見るのは、確かだったから。触れられる度、理性は朦朧と快楽の煙に包まれ、徐々に支配を失う。代って淫蕩な神経の昂ぶりが小さな身体を溶かし、乞われるがまま下着を脱ぎ捨て、股を開く。

 けなげに自己主張する幼茎を視界に収めるや、里見はふと素面に返ったように額を抑えた。

 「悪いな…こんなことさせて」

 「ぇっ…」

 何と卑猥な格好をしているか悟り、司は怯えて脚を閉じようとする。だが、里見はそうさせなかった。

 「どうして追いかけてきたんだ…」

 「ぁっ、ぁっ、もう止めます…脚…」

 「遅いよ司」

 冷たく告げて、未熟な牡の印にキスをする。逃げようとする腰を抱いて、先から口に含み、舌で転がす。裏返った声で、止めてくれるように懇願する後輩。神聖なものを汚す畏れが、彼を打ちのめし、涙を零させる。

 「だめ、駄目です…里見さ…が…そんなこ…とぉっ」

 両手で顔を覆って隠す司。羞らう様が男を興奮させるのだとは、想像さえしていないのだろう。無垢な身体は、巧みな舌使いに呆気なく達し、濃い精を放ってしまう。里見は喉を鳴らして嚥下すると、顔を上げた。微笑みつつ、手の甲で唇を拭う。

 「司…俺は、普通の人間だからさ」

 「ぁっ…はぁっ…はぁっ…ぇっ?」

 「こんな風に、普通に性欲もあるし、こっそり酒も飲むし、勢いで滅茶苦茶もする」

 「ぇっぁ…」

 「おまえの神様じゃない。おまえが、何もかも捨てて追いかけるような相手じゃない」

 柔らかだが、容赦のない崇拝の拒絶。司は涙で何も見えなくなって、俯いた。

 「ぁっ…ごめんなさい…僕…僕…やくそ…」

 「鷹鳥一中に居れば良かったのに…何でこんなとこまで…、最初こっちに転入したって聞いた時、なにごとかと思ったよ…」

 「ごめんなさい…ごめんなさい里見さん…僕、僕どうしても…」

 「馬鹿だな」

 そっと肩を抱き寄せる。暖かい身体。彼の意のままになる身体。東京に置いておけば、汚さずに済んだかもしれない身体。里見はぞっとする程甘い笑みで己を嘲った。嘘を吐け。真夜中に塀を越え、林を抜けて寮へ忍び込むような真似をした癖に。酒の性だなんて卑怯な誤魔化しが、いつまで通じる訳はない。見付かればどちらも破滅。なんて軽はずみな。

 「許す訳ないだろう。いい付けを守らなかったおまえを」

 肩に爪を立てられ司が呻く。窓辺で聴いたソプラノ。小鳥の声。喉が枯れるまで、好きなように歌わせてみたいと、そう願ったのは、誰だった。











 初老の寮監は、骨を噛むような夜気に震えながら、定時の見回りを終えようとしていた。校庭の土が凍って月光を映す鏡となるような季節は、自然と警邏も手を抜きがちになるが、この棟の端は最も町に近く、人気も少なかったし、何より転入したばかりの可愛い二年生が暮していて、親切心を起させたのだ。懐中電灯をふりふり歩いていくと、扉の前で軽くノックする。

 「山崎君。大事ないかね」

 確か、今夜は同室の生徒が急な用事で帰郷したとかで、独りっきりの筈だ。

 「…は…ぃ…」

 驚いたことに、返事は扉のすぐ向こうから聞こえた。玄関で何をしているのだろう。まさか具合が悪くて倒れているとか。不審を感じた寮監は声の調子を上げた。

 「身体の調子が悪いなら…」

 「ぅっ…だい…じょぅぶ…ですから、すいません、着替えて…るんで…」

 玄関で着替え。しかしまぁ年頃の子供たちの恥かしがりようは心得ていたから。あまり深く問詰めても気の毒だと合点して、寮監は踵をかえした。

 「まぁ無理はせんようにね。こっちの冬は冷えるから。暖かくして」

 「は、はぃぃっ!!」

 威勢の良い返事に安心して、寮監は歩み去った。最初はあんな小さな子が、スポーツ特待生という妬みの多い立場でやっていけるのかと心配したが、大丈夫なようだ。噂では、バスケ部はあの子のお陰で全国出場を果したというし、素行も良い。越境入学者もまだそう捨てたものではないと、老人はにっこりした。

 懐中電灯の明りが閃き、消えていく。

 くすっと、背後の扉から笑いが漏れる。

 「ドキドキした?」

 「ぅっ…ゃぁっ…里見さん…許してくださっ…ぃいっ…」

 ドアに手をついた姿勢で、司の小さな身体は突き上げられていた。素肌にランニングシャツだけを着せられ、直腸を抉る肉棒の動きに合わせ腰を振る姿は"素行が良い"という形容にはとても当て嵌まらない。金属の板一枚隔てて破滅と対峙した四肢は小刻みに震え、立っていることも侭ならず、ただ里見の責めに支えられているだけだった。

 「可愛いよ、司。もっと腰振って」

 抽送のリズムを変えながら命じる。神にも等しい人から発される悪魔の命令。少年は純潔を失ったばかりの菊座に腸液と血の粘音を立て、より辛い行為へ自らを駆り立てる。短く、痩せた銅は、性器を飲み込むだけで半ばまで埋まってしまいそうだ。娼婦のように左右に尻を振って、排泄の為だけにあるt信じて来た穴を収縮させ、男に奉仕する。奈落の底まで落ちていきそうな罪深さと、天にも昇るような法悦に、司はもうどうしていいのか解らず、唯哀しげに哭いた。

 「なぁっ、司、昼間みたいに、歌って、くれないかっ…」

 「あぐっ…ぅっ、ぅあぅ…ぁ?」

 「ほら、翼を、下さい…聴きたいんだ…司の声が…」

 「ぁっ…むりぃ…で…」

 出来る訳が無い。如何に里見さんの頼みでも、頭が破裂してしまいそうなのに。腰が自分のものじゃないみたいに痛くて、一杯で、気持ちよくて堪らないのに。こんなにいやらしいことをしているのに。歌うだなんて。

 「司」

 呼ばないで下さい。その声で僕の名前を。逆らえないのに。歌詞を、思い出さないと。ああ、なんだっけ。熱くて、お腹がぐちゃぐちゃに掻き回されて何も考えられない。

 「はぁっ…い…いま…ぅぁっ、わ…たしの…ひぅっ…ねが…ぃ…ごほぉっ…ぅぐぅ!?…」

 嘘だ。僕の声じゃない。恥かしい。恥かしくて死んじゃいそう。

 「かなぁああっ…あっ!だめぇ、そこ…」

 司が背を丸め、掌が拳を握り、汗の跡を残して扉からずり落ちる。里見は、指で臍の下に反り返った雛菊の先を抓り、肩甲骨に啄むように歯型を刻む。

 「ほら、つづき…」

 「ぅ…?」

 「歌えるだろ?司は…」

 「そ…んな…の…ぅんっ!?…ふっ…ぁっ…」

 もう歌詞が浮ばない。何も解らない。抱きなおされて、繋がったまま、両脚を赤ん坊が用を足すみたいに抱えられる。自重で深々と肉杭を咥え込むと、少年は尖った顎を仰け反らせ、つんざくような悲鳴を迸らせた。素早く里見の口付けが塞ぎ、銀の鈴を鳴らしたような声を、恰も美酒の如くに飲み干す。

 「小鳥が、鳴いてるみたいだな」

 「ふぁっ…ぁっ」

 嫌いなのに。子供っぽいボーイ・ソプラノ。コートでどれだけ動いても、相手からも味方から軽く見られる背丈。周りがどんどん大きくなるのに、独り足踏みしているようで。今日で十四歳になったのに、まだちびのままだ。

 なのに、この人は。

 「司…かわいいな」

 可愛いと云って意地悪をする。容易く包み込まれ、膝に乗せられたまま、何度も何度も達されて、まるで玩具だった。なんとか降りようとするとまた、"司…"が始まる。

 「歌って、自分で、動いて。見てるから」

 悪い魔女に魔法を掛けられたお姫様のように、司は眉を寄せ、高く鳴きながら、両膝をついて、舞を舞う。下になった里見は指と指を絡ませ、時々手を引いて、浮いた腰を落とさせると、柔襞の寄せる奥深く貫いては、陶然と睫を震わせた。悪い魔女の世にも美しい容貌。可哀相ななお姫様の、羞恥に彩られた嬌声。

 微妙に操縦を受けながら、司は尻を上下に動かし、円を描いて、内部に受け入れた雁首に粘膜を削らせた。最初は覚束なかった腰使いは、愛する人の指導によって、短い間に優美で流麗なものに変っていた。鼻に掛かった歌声は、仄かに媚を含んで、抱かれる歓びに末尾を震わせた。

 「さとみさ…っぁっ…ぁぅっ…」

 白い精を撥ねかして、憧憬の対象にかけてしまう。己のはしたなさに瞼を伏せながら、尚も舞う。

 「…つばさ、を……くだっ、さい…」










 幾度の絶頂を迎えてからか、司はとうとう糸が切れたように倒れる。暖かい両腕に抱き留められ、眠りに滑り込みながら、心の赴くまま、夢現に語らった。

「ごめんなさい、里見さん…約束…」

「ふ…」

 唇で唇を塞がれる感触。けれどすぐに去っていく。

「いいよ、司は。俺の側に居ればそれで…」

「…ん…」

「一人くらいは、いいよな。司くらいは、俺のものでも」

 弁解するような口調で、呟きが漏れる。

「…やくそく…むにゃっ…」

「…ったく…なら司には新しい約束をやるよ。ちゃんと仙之台に上がって来い。あそこまで俺のワンマン・チームって言われたんじゃ溜まらないからな。司は、俺の後継ぎだ。いいな」

「…あと…つぎ…」

 あどけない笑みを浮かべ、安心したように寝息を立て始める。里見は布団を抜け出すと、衣服を直した。華奢な裸身から、タオルで汗と汚れを拭ってやり、眉の間に軽く接吻して、しっかり布団で包む。最後に、少し名残惜しげに微笑むと、窓を開けて、後ろでにぴたりと締め、樹下の闇へと消えていった。

 寮は暫し逢瀬の余韻を味わうかの如く寂に沈み、やがて…

「あれ…里見光男だよな…IH優勝の」

「間違いないよ。つかあの人に抜け道の情報売ったの俺だし」

「GJ」

「それにしても山崎の声凄かった」

「まさか山崎君が、高校バスケNo.1の囲い者だとはなぁ」

「あんな小さいのになぁ…あんな可愛いのになぁ…あんな何度もなぁ…鬼畜だよなぁ…」

「やっぱり仙之台のプリンスは違うなぁ…」

「ご馳走様でした。当分ネタに困らねぇわ」

「ばっ、おめぇここで始めんなよ」

「うぉー!俺も仙之台目指すぞ!山崎先輩ぃぃ」

「…夢見んな夢見んな。お前里見光男と勝負できっか」

「馬鹿お前。あの二人が一緒に居られんのなんてたった一年じゃねぇか…後の二年は俺らにも…」

「…いやぁ…どうかなぁ…」

 興奮した囁きが建物の端から端へと渡っていく。年若い小鳥は、塒の仲間から百もの密やかな祝福を受け、誕生日の夜を、幸せな眠りと共に過したのだった。

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