+ Meteor +

ダオスの幼少期や両親の設定を勝手に捏造してます、注意!


**夜長のお供に御本はいかが?**

寝室の扉を開くと、蝋燭に灯された炎がベッドサイドでゆらりと静かに揺れているのが見える。ぼんやりと室内を照らす穏やかな橙色の光の下、手入れの行き届いたまっ更なリネンに覆われたベッドの上でが本を広げていた。どうやら火を灯してからそれなりの時間が経過しているようで、蝋燭は既に指先ほどの長さにまで溶け落ちてしまっている。

「……何を読んでいるのだ?
「あ、ダオスさん、ごめんなさい……つい読み耽ってしまって」

ダオスが入浴を終えて寝室にやってきたことに気付かないくらいには、彼女は物語に没頭していたようだ。手に持った緑色のリボンが巻かれた栞を挟み、ぱん、とは本を閉じる。一目見ただけで上質と判る革で丁寧に装丁された、今にも動き出しそうな躍動感で描かれた登場人物たちらしき絵の表紙がダオスの目に留まる。

「先日、森で魔物に襲われている方を助ける機会があったんです。その方、自分は駆け出しの作家だと言って……お礼にと著作であるこの小説本をいただいたのですが、これがなかなか面白くって」
「ほう、珍しいこともあるものだな。どんな話なのだ?」

が身体を横たえる隣、もうひとり分の空間は彼のものだ。いつものように身体を潜らせると、ふたりの距離は極めて親しい男女のものへと変わる。

「主人公の青年が、一癖も二癖もある仲間と共に世界を冒険する物語ですよ。しかも道中で時間さえも越えて……まるでダオスさんみたいです」
「……そうか。私の旅路もいつかそう語れる日が来ると願いたいものだ」
「ふふ、きっとあと少しですよ。その時は私が小説にして出版してみたいですね。うーん、ダオスさんの戦いの場面、格好良く書けるかしら……?」

あの出来事も書きたい、この出来事も……と楽しげに思い出を振り返るを見ていると、思わずダオスもその端正な顔を緩ませずにはいられなかった。彼は理解していたのだ。がこうして故郷に戻った後の未来を盛んに夢想して聞かせるのは、この長く続く孤独な戦いの中でも自分に希望を持たせ続けられるようにという、彼女なりの気遣いなのだということを。そう思うとこみ上がる愛おしさにダオスの腕は自然と彼女の細い腰に伸びて、そのまま抱き寄せてしまう。突然の彼の行動に戸惑ったような、けれど甘い吐息を微かに漏らしながらそれを従順に受け入れるが、また彼は堪らなく好きだった。

「ダオスさんは、あまり小説はお読みになりませんか」
「うむ、そんなことはない。幼い頃はお前のように夢中になって読み耽った物語もあったものだ。そういえば……」

ふと、ダオスの脳裏にもう随分と彼方に忘れていた幼い頃の記憶が呼び起こされた。


******

「おやすみなさいませ、王子」

深い一礼の後、世話役の侍従が部屋を出る。ガチャ、と重い扉が閉まる音をしっかり確認して、少年は音を立てないよう慎重な足つきでゆっくりとベッドを降りた。

「やっとこの前の続きが読める!」

やれ勉強だの、魔術と戦闘の鍛錬だの、時には退屈な儀式だのに追われ、少年の1日はあっという間に就寝の時間を迎えてしまうのが日常だった。それは少年の望みでもなんでもなかったが、仕方のないことだということは理解していた。自身がいずれこのエリュシオンという大国の王になる立場だと、物心ついた頃から両親からも教育係からも侍従からも、彼の周囲を囲むありとあらゆる者から口酸っぱく言い聞かされていたからだ。別に王様になりたくないだとか、そんなことを言うつもりもなかったし、仮にそれを口にすれば両親を大いに悲しませることになってしまうことは子供心に十分解っていた。けれどまだ幼い子どもでしかない彼に必要な、年頃の普通の子どもらしい時間を過ごせる機会はあまりにも少なすぎた。

「えっと……本とランタンと……あっ、お茶も!」

茶色の革素材で仕立てられた愛用の鞄に少年は手早く道具を入れていく。父王がくれたこの革鞄はくたりと柔らかく、手に身体によく馴染んで1番のお気に入りだった。上質な革というだけでなく、長年よく手入れされ大切に扱われてきた所以だろう。夜の間飲みたいからと食事係の侍従にお願いして淹れてもらったボトル入りのお茶を最後に詰めて、薄手の上着を羽織れば準備完了。鞄を斜めがけにして、自室のバルコニーに立つ。窮屈な宮殿の中とは違うカラリと乾いた気持ちの良い夜風が頬を優しく撫ぜ、少年の白く滑らかな輪郭を縁取る柔らかな金の髪が踊るようにふわりと浮いた。

「んん……よいしょ、っと……」

少年は実に慣れた足取りで、豪奢な装飾が惜しみなく施されたバルコニーの柵から身を乗り出す。そしてそのまま器用に壁面のレリーフや鉄製の飾り鋲を利用してするすると壁を降りてゆく。宮殿に網目のように配置された衛兵の目を掻い潜れる場所はここただひとつ。万が一見つかりでもすれば大騒ぎになるだけでなく、口のうるさい教育係からどんな大目玉を食らうか、想像するだけでウンザリする。落っこちないよう慎重に手足を運んでいるうちに、ブーツの先がやっと柔らかな芝に触れた。地面に降りたら、手入れの行き届いた庭園の低木の中に素早く身を潜める。後は身を屈めながら森に向かって進むだけだ。

「やった!今日も上手く抜け出せた!」

無事に森へ辿り着けたなら、もう心配は無用だ。少年――ダオスは鞄の中からランタンを取り出して火を灯す。火の魔術は最近習得したばかりだが、早くも彼は難なく行使できるようになっていた。彼は幼い頃からこの魔法の源であるマナの感応力に秀でており、その潜在能力は宮廷魔術師を以てして"将来はエリュシオンはおろかカーラーンいちの魔術師になり得る"と言わしめるほどだった。炎の灯った明るいランタンで道を照らしながら、ダオスはどんどん森の奥へと足を進める。王妃である母がよく読み聞かせてくれる童話では夜の森は恐ろしいと言うけれど、彼はこの森を恐ろしいと感じたことはただの一度もなかった。たくさんのマナに満ち溢れたこの森はいつだって清らかで美しくて、とても居心地が良い。数多の煌めく星たちが夜空を美しく飾り立て、小道を軽快な足取りでひとりずんずんと進むダオスを優しく見守っていた。

「こんばんは、ノルン!」

森の小道をしばらく進んだ先にある開けた場所が、彼の目的地だ。そしてそこでダオスはいつものように声を掛ける。しかし周囲には人影はおろか動物の気配も感じられない。中央に、森のどの木よりも太く大きく立派な樹が圧倒的な存在感を放っている以外は。

「こんばんは。今宵もお会いしましたね、エリュシオンの王子よ。また隠れて宮殿を……抜け出してきたのですね」

どこからともなく凛とした女性の声が森に響き渡る。すうっと光を帯びたマナの密度が高まって、大樹の根元にひとりの女性が形作られてゆく。彼女こそ声の主であり、この大樹カーラーンを守る番人――ノルンであった。

「だって、本の続きが気になるのに、ちっとも読む時間が無いんだ」
「それは気の毒です。でも……あまり夜更しはいけませんよ」
「うう、わかってるってば」

ダオスは不満そうに血色の良い頬をぷくりと膨らますと、ノルンはそれを愛でるように柔和な笑みを浮かべる。大樹カーラーンはデリス・カーラーンの全ての命の源であるマナを生み出す神聖な存在だ。この偉大な大樹を守り大切に育むこともまたエリュシオン王家の使命なのだと父王は言っていた。正直なところ、そんな大きな使命を理解するにはダオスはまだ幼かった。けれど王家だからどうとか、そんな難しいことはよくわからなくても、ダオスはカーラーンに生きるひとりの民としてこの大樹を愛おしいと思っていたし、魂の故郷に帰ってきたような、そんな気持ちにさせてくれるこの場所が誰よりも大好きだった。

いつものように大樹の根元に腰を下ろしてランタンを置き、読みかけの本を鞄から取り出して開く。父王の書斎から拝借したこの本は冒険の物語。主人公の青年が旅の中で様々な人物と出会い、時に騙され、時に助けられながら成長してゆく物語だ。自分も大きくなったらこんなふうに世界中を冒険してみたいと、読みながら何度も思わせてくれる。ノルンは彼の時間を決して邪魔することはなく、ただ穏やかな眼差しで見守るのみであった。ランタンの炎が時折静かに揺れ、優しく吹く夜風が瑞々しい木の葉を鳴らす心地の良い音だけが辺りに響く。物語に夢中になって、気付けば夜も随分と深い頃合いになってしまっていた。

「……ふふ、その本がお気に入りのようですね」
「うん!お話の続きが気になって、なかなか読むのをやめられないんだ」

ノルンが声を掛けてくるのは、決まって帰る時間が近づいてきた時だ。いつまでもこの憩いの時間をダオスは楽しんでいたかったが、あまり夜更ししていると明日の朝に起きられなくなってしまう。続きを読みたいとはやる心を抑えて、読みかけの頁に繊細な型抜きの装飾が施された金属製の栞を挟む。上部には緑色のリボンが結わえられているから、次もまたすぐに本を開くことができるのだ。

「明日もここで続きを読めたらいいな」
「そうですね。貴方の訪問はいつでも歓迎ですよ」

大樹の番人という、精霊に近しくカーラーン人より高位の存在でありながら、ノルンはダオスのことを特別気に入っていたし、愛おしく思っていた。特殊な"契約"などを用いない限り特定の人物に与することのない存在がそのような振る舞いを見せるのは極めて珍しいことなのだが、当然ダオスはそんなこと知る由もない。

「今日もありがとう、ノルン。また来るね!」
「いつでもお待ちしておりますわ、王子。……それにしても」
「……?」

ランタンを片手にぴょんと木の根を降りて帰路につこうとしていたダオスの前を、珍しくノルンがその身体をふわりと浮かせて寄せる。といっても彼女の身体は濃いマナによって映し出されているだけで実体はなく、触れることはできないのだが。それでもどこか母親を思い起こさせる慈愛に溢れた彼女の眼差しは、今夜はいつになくあたたかく感じられるとダオスは思った。

「貴方が夢中になって本を読む姿は、お父君がまだ貴方くらいの……王子だった頃によく似ていますね。お父君も今宵のような夜に、宮殿を抜け出してはここでその冒険の本を熱心に読んでいましたから」


******


「……ふふ、親子らしいお話ですね。同じように宮殿を抜け出して、同じ場所で同じ本を読んでいたなんて」

くすくすと笑う愛らしいに、つられて顔が綻んでしまう。ダオスは普段からあまり自らのことを語ろうとはしない男だったが、ことの前となると、不思議と昔話も悪くない、とこの頃は思うようになっていた。

「それに、ダオスさんっててっきり政治の本とか戦略論の本とか、そういう難しいものばかり読んでる印象だったので……少し意外でした」
「難しいかどうかはともかく、確かに立場上読まざるを得ないが……その手の本は単純につまらぬ上、もう飽き飽きしている」
「あらあら、ふふ……」

が読みかけの本をベッドサイドのテーブルに置く。ダオスが腕を差し出せば、彼女はいつもしているようにその小さな頭を乗せ、ふたりの身体が身を寄せ合う猫のようにきゅっと密着する。長く苦しい戦いの合間でも、いつだってと過ごす刻はダオスにとって貴重な癒やしの時間であった。

「そうだ、エリュシオンにお戻りになったら、私にもその本を読ませてくださいませんか?小さいダオスさんを夢中にさせた物語がどんなものか、とても気になりますもの」
「ああ、もちろんだ。確かまだ書斎にあったはずだ……きっとお前も気にいるだろう」

こうして、ふたりが大義を果たした後の楽しみが今夜もまたひとつ増えたのであった――


---END---


Good!(お気に召されたら是非…!)

Page Top

e[NȂECir Yahoo yV LINEf[^[Ōz500~`I
z[y[W ̃NWbgJ[h COiq@COsیI COze