ミコトが驚いて目を瞬いた次の瞬間、その流れは見えなくなっていた。 何かと見間違えたかとも思ったが、そのようなものは何もない。 かといって気のせいにしてしまうには、あまりにその赤が目に焼き付いていた。 ここしばらく見慣れてしまった………鮮やかな、赤。 ばん、と勢い良く扉が開かれた。 「マナイ様!」 「おお、これはこれは………」 ミコト様、と言いながらマナイと呼ばれた男性が顔を上げる。 そうして丸い目をさらに丸くして、おやおや、と呟いた。 広場から走ってきたために、息を切らしているミコトに驚いたらしい。 まあお座りなされ、と目の前の敷物を指差しながら、彼は腰を上げた。 「久方振りですなぁ……お元気であられましたか」 「え、え……」 素直にその敷物に座って、ミコトは苦笑する。 「おかげさまで。ウエナも元気ですよ」 「それは良かった」 にこ、と彼は口元を弛ませた。 マナイはがさごそと乱雑な棚を漁りはじめる。 中心にある炉には湯のはられた器があり……ミコトは顔を綻ばせた。 しばらくするとミコトに暖かな茶が出される。 立ち上る湯気に顔を撫でられているうちに、どこかで焦っていた心が凪いでいくのをミコトは感じた。 よいしょ、とマナイも腰をおろし、自分の分の茶をずずっと啜り……口を開く。 「………で、どうなされましたかな」 落ち着いた年配者の感を見せ付けるように、微笑んで。 輪の人々は何らかの役目を持っている。 ウエナのように特別な儀式を取り仕切るものから…些末な日常の仕事まで。 その役目が出来る人が少ないほど人々はその役目を負う人を尊敬の眼差しで見るが、それは決して貴賎へとつながらない。 輪のなかにいる人々は斉しく、その中に差は無いと輪の人々は考えているからである。 マナイの役目は泉の管理、そして文字の伝承。 泉の管理とは言っても普段はすることもないので、彼が尊敬されるのはひとえにその文字……つまりは知識の伝承である。 一口、茶を口に含んで潤してから、ミコトは言った。 「……血が川に落ちたとしましょう。どれほどで血はその水にまぎれますか」 「ううむ……」 マナイはミコトの問いに首をひねらせる。 「……量にもよりましょうが………それほど長くは持ちますまい」 「…………でしょうね…………」 ミコトは深くため息をついた。 当たり前のことを聞いているという自覚はあったが、それでもミコトは聞かずにはいられなかった。 何があったのかと説いたげなマナイの目を見て、ミコトは泉で見たもののことを話した。泉を見ていたら赤い流れが見えたこと、見間違いには思えなかったこと、しかし次の瞬間消え去っていまったこと……… そこまで黙って聞いていたマナイは、深いため息をついた。 「奇なことを仰る……………で、ミコトさまは何を知りたいので?」 その問いにミコトはしばし俯き、手に持った器を見つめた。 茶が揺れて輪のように波立つのを見る。 そして、顔を上げてマナイを見て言った。 「………分かりません」 その流れが何だったのかなど、どう考えても分からぬもの。 常識的に考えて血の流れなど水の流れの前ではすぐに消え去るものだから。 ただ、それを見ていたら何やら心が急いてきてしまって。 「まあ………茶が飲みたかっただけかもしれませんね」 ず、と茶を啜って笑うと、目の前でマナイが苦笑した。 next→ novels top 解説5 |