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周囲が異変に気がついたのは翌日の朝だった。
いつもは特に起こさずとも……まあ、事件の次の日はともかく……階下に降りてきて店の仕事を始める雄介が、今日に限って姿も見せない。
そのうちに降りてくるだろう、などと特におやっさんは気にも止めずに仕事していた。以前、起こしに行ったときに何をしても起きない、そんなことがあったせいかもしれない。
「………五代さん遅いわぁ」
ぶう、と膨れながら奈々は二階へと続く階段を睨んでいる。
「かといってうちが起こしにいくわけにはいかへんし………」
「おやっさんが起こしても起きないのを起こせる訳がないっ」
「………おっちゃん、何で自分のことおやっさん言うの」
「いーじゃないの、別に」
そうして叔父と姪が不毛な会話を続けようとしたときに、店の電話が鳴り響いた。
「あいよっ、こちらオリエンタルな味と香り……」
景気よく受話器をとったおやっさんの声が途中で消える。口上を止められて多少残念そうな顔で、それでも相手の話を聞く。
「あ、ゆーすけ?アイツねぇ……何か今日起きてこないんだよねぇ」
おっかしいことにさ、と続ける。
「……え、今から?いや別にいーけど……起きるかなぁ…そうだ、ハンサムさんも耳に息吹き掛けてみる?それでもゆーすけ起きないときあるんだよ………ありゃ?」
「……おっちゃん、切れてるのとちゃう?」
「うーん、何時の間に切れてたのかなぁ」
首を捻りながら、かちゃん、と受話器を置く。
「今からハンサムさん来るって。何かゆーすけと約束してたらしいねぇ」
マメだねぇ、と呟く。
「……えーと、あの普通のハンサムさん?」
「そうそう、冬はコートのハンサムさんの」
本当にこれがハンサムさんって感じでねぇ、と言うおやっさんにふうん、と答えを返しながら奈々はテーブルを拭きに行った。
「じゃ仕方ない、ゆーすけを起こすとしますか」
昨日約束した時間になっても雄介は関東医大病院に来なかった。不審に思った一条が病院の電話を借りてポレポレにかけるとまだ起きてこないとの答え。
前の日に変身した訳でもないのにそれはおかしいと感じた一条は、椿に待っていてくれと頼むと急いで車に乗った。
今日はさすがにほとんどの道路が復旧していて、街は普段通りに機能していた。だがまだ爆発の中心となった辺りはすさまじい様相を醸し出しているらしいが。
とにかく店にはそう時間もかからずにつき、一条はドアを開けようとする……すると何やら店内が騒がしい。
「………?」
不思議に思いながらも、ドアベルを鳴らして中に入った。
「いら………あ、ハンサムさん!」
ぱたぱたと動き回る奈々が一条に気がついて声をあげる。どこか落ち着きがない。
「お早ようございます……あの、五代くんは」
どうされましたか、と続ける間もなく、
「聞いてくださいハンサムさんっ!」
勢い良く近付いてきた奈々に胸ぐらを捕まれた。
「は、はぁ………」
がしがしと揺さ振られながら、一条が戸惑いつつも言う。
しかし次の奈々の一言で一条は更に混乱した。
「五代さんが風邪引いたんですっ!!」
「……………は?」
叫び続ける奈々を何とか落ち着かせ、一条は失礼だろうかと思いながら二階へ上がった。
雄介の部屋、と思われるドアはすぐに分かった……と言うよりも部屋のようなものはそこ一つしかない。
こんこん、とノックすると弱々しくもきちんとした声で返事が返った。
かちゃ、とドアを開ける。
「……五代?」
「……あれ、一条さん…?」
あちゃー、と困ったように笑う雄介がベッドで横になっていた。
「………風邪だと聞いたが……」
ベッド脇に寄って見下ろすと、確かに普段より元気がない。何より、以前彼が風邪にかかったときと似たような雰囲気があった。
「……というか、熱があるっていうか……」
ぼうっとしながら起き上がろうとする雄介を軽く制して、額に手を当てる。
「………熱いな、確かに」
一条の手が冷えていることを差し引いても、熱を持っていることは確かなほどだった。
「あー……気持ちいーですね、手」
「……こら、五代」
もひとつ貸してください、とのばしてくる手を押し止める。
しかしそれをがし、と捕まれた。
……手も、ひどく熱を持っている。
「………今の君が、風邪を引くのは」
「おかしい…ですよね」
雄介は横になったまま器用に首を傾げた。
今の彼、が風邪を始めとする疾病にかかることはまず無い。そのことは彼の主治医自らが太鼓判を押すだろう。何しろ身体に害なす毒素でも入ろうものなら即座にそれに対応して排除しようとする働きが彼に埋まっている石にはあるのだ。
「………動けるか?」
とりあえず椿に診てもらおう、と一条が言うと雄介は首肯いた。
「まぁ、本当に熱しかないですし……」
軽くふらふらするかもしれないですけど。
そう言うと雄介は下から一条を見上げて悪戯っ子のように笑む。
「……抱っこしてくれます?」
「…………出来るわけないだろう」
むす、と一条が言うと、あーあ、と残念そうに雄介は笑った。
「昔の人は60キロ持てないと一人前になれなかったんですよー」
よいしょ、と身体を起こす。
支えてやりながら一条は軽く目を丸くした。
「……60キロなのか、体重?」
「んー、最後に計ったときには確か58でした」
「…………軽いな」
「そーですか?」
あれぇ、と言いながらベッドから降りようとすると、がく、と身体が傾いだ。
「五代!」
「………あ、すみません……」
慌てて一条が抱き留める。
力の入らない身体は異状な程熱かった。
「………急ぐぞ」
「あ、でもちょっと着替えさせてくれます……って」
いきなり視線が高くなり雄介は驚く。
「……警察官の体力を舐めるな」
「あ、あのちょっと本気でしてくれなくてもっ」
下には奈々ちゃんいるしーっ、と焦った声を雄介があげるのに構わず一条は雄介を抱えあげると下に降りていく。
その姿を見て、そんなに悪いんですかぁっ、と泣き崩れそうになる奈々を何とか雄介が宥めて、一条は車に雄介を押し込んで椿の元へと向かった。
+++
「………信じられん」
内科は専門じゃないんだがな、と愚痴をこぼしながらも雄介を診ていた椿だったが、しばらくするとそう呟いて頭を振った。
「何がですかっ!」
不安気に詰め寄る雄介を抑えて、いいから着替えてこい、と追い払うと…椿は一条に向き合う。
「……信じられん」
「……だから、何がだ」
繰り返す友人に苛立ったように一条が言う。
「……石に異状はない、それは昨日確認済みだ」
そうそう、ほかも予想以上のものはなかったぞ、とついでのように付け加える。
「………じゃあ何で風邪を」
「……だから、信じられんと言っている」
ふう、とため息をつく。
そして椿は重々しく口を開いた。
「…………知恵熱だ」
「………………はぁ?」
かなり間の抜けた声をあげる一条に構わずに椿は続ける。
「だから、知恵熱………生後六、七ヵ月になって知恵付いてきた乳幼児が出す熱。………まあ俗には色々と使われているんだが………つまりは」
「……」
「………脳を使いすぎてのオーバーヒート」
そんなところだ、と椿は言った。
原因はないことはない。
金色の力を雄介が得たのは、彼自身「強くなりたい」と願った結果だった。脳からの分泌物質が増えていたことからも、かなりの意志でもってその変化を起こしたことが分かる。
紫、緑、青……そして赤。
増えていくごとに脳の疲労度は増していき、今回の事件で臨界点を越えたのだろう……と椿。
「……だがそれでも信じられん………いや、信じたくはないな」
「…………どういうことだ?」
うめくようにいう椿を、一条は不思議に思って目を向けた。
「それだけ五代が、石よりも優位にあるということじゃないのか?」
「……確かにそれは言える。すぐにでも身体を恢復させようとする石が、まったく歯が立たない……というより何もできないんだからな」
いくら石が身体を恢復させても、その熱の原因……脳がまだ支配されていない。支配されていないから、また熱が体内に回る………
それはつまり彼が生物兵器になっていないという証。
分かっている、と繰り返して椿は大きく息を吐いた。
「…………だが、精神的には相当参っているはずだ」
一条が息を飲む。
「…………信じられない、というのは」
「ああ」
精神的に苦しんで追いやられているのにあの態度。
あの顔で、いつもの笑顔で。
「…………赤が金色の力を得たのは一昨日、そして五代が体調を崩したのが……今日」
こんこん、と椿は机を叩く。
「…………何がきっかけでオーバーヒートしたのか、だなんて考えたくもないな」
無言で一条が首肯いたそのときに、大きな物音が聞こえてきた。
「五代っ!?」
「………す、すみません………」
一条が急いで駆け寄ると、そこには着替えおわった雄介が窓際で倒れていた。
遅れてやってきた椿が、一条の後から病室を覗き込む。
「どうしたんだ、一体………」
今日は物々しい機械を使う診断ではなかったために、雄介は近くの一般病室を借りて着替えていた。
看護婦が置いたのだろう、小さな花瓶を雄介は手にして床に転がっている。
「………」
何となく事情を察した一条はつかつかと雄介に歩み寄ると屈んでその花瓶を受け取り、置かれていただろう窓辺に戻す。
そして雄介を起こすと正面から睨んだ。
「…………君は病人だという自覚があるのか?」
「いやほら、熱だけですし」
「………熱があるだけ、と言って普段どおりに行動しようとしても、判断力は鈍るし体力は続かない」
椿も近寄り、傍のベッドに腰掛ける。
「……つまり、黙って寝てろってことだ」
「でも店手伝わないと………」
「………繰り返させたいか?」
一条は軽く雄介の胸ぐらを掴む。
「あの、」
何か言い掛けた雄介をさえぎって一条は更に力を込める。
「………しかも、君は今窓から逃げようとしただろう」
「…何?」
そのことばに驚いた椿が雄介を見た。
雄介は胸ぐらを掴まれたままどこか二人から視線をずらしつつ頬を掻く。
「………バレました?」
「……ああ」
……雄介は着替えおわって帰ろうとしたが、おそらくこのまま顔を出すと店には戻れないことを勘で察した。彼らの待つ部屋に行かずとも帰れないことは無いが、廊下に出ると看護婦などに目撃される危険性がある。
ふ、と窓に視線をやると青く澄み切った晴れた空。
特技の一つを行使することを思い付き、窓に足をかけるとうまくバランスがとれずに身体が傾ぎ花瓶に触れ、落ちようとするそれを拾おうとして…………
「がたーんっ、て鳴りましたもんねぇ」
「………あのなぁ………」
呆れたようにため息を吐く椿。
同じようにため息を吐きながら、一条は改めて雄介を見る。
「……どこか打ってないか?」
「あ、まあ大丈夫です」
に、と雄介は笑った。
店に速攻帰ろうとする雄介を半ば縛り付けるような形で一条は抑えて、勝手に店に連絡をとる。
心配はいらない、加えて店に風邪引きを持ち込むのも失礼だろうので、今日はこちらで預かって明日帰したい……という旨を伝えると、おやっさんは快く了解した。
「悪いねぇハンサムさん、うちのゆーすけがいっつもお世話になっちゃって」
近ごろちょくちょく泊りに行って困ってるでしょ。
と電話口で笑われる。
……確かに頻繁に泊りに来るようになってはいるので、一条はただ曖昧な返事を返して失礼しますと受話器を下ろした。
そして病院内部の公衆電話から離れて、椿と雄介の待つ診察室へと戻る。
「お、戻ったか」
「……いちじょーさぁん……」
そこでは何やら嬉しげな椿と、悔しげに唇を噛み締めている雄介がいた。
見やると、がし、と合わされた二人の掌が机に。
…何となく何が起きていたのかを一条は察した。
「………腕相撲、か?」
「おお、やっと勝てたぞ、コイツに」
「……病人相手に勝って何が嬉しいんですか」
「悔しかったら早く治せ、このバカ」
「うあ、ヒドイですよそれ」
「バカだからバカと言って何が悪い……普段脳味噌使ってないからそんな熱出すんだ」
ぐ、と雄介に顔を近付けてごつんと額をぶつける。
「痛たっ」
そう言いながらも負けじと額を押しつけようとする雄介の後に回って、一条は肩を引いた。
「………分かったから、行くぞ五代」
「え、俺ここに泊まるんじゃないんですかっ?」
慌てて身を引いた椿が不機嫌そうに言う。
「……熱しかないヤツを置いておくほど寛容じゃないぞ、ここは」
少し痛かったのか、軽く額をさすりながら。
「……んで店に戻っちゃ駄目で……ってことは」
悩む雄介の後ろで、一条が一つ咳払いをする。
それにびく、と肩を波打たせて雄介が振り返ると…
「……………」
「あ、やっぱり…?」
無言で一条は肯定した。
+++
お大事にな、と椿に見送られ、二人は一条の部屋へ行った。
隙があったら逃げ出そうとする雄介を何とか一条は部屋に押し込んで寝かし付ける。
きちんと上掛けもかけると一条は改めて雄介に向き直った。
「………椿から聞いていると思うが……」
「あ、はい……子供の病気で………寝れば治るって」
「………ああ」
要は頭を休ませることが一番。考えるな…と言ってもヒトはそう簡単に思考を止めることは出来ない。
「大丈夫ですって、今度は逃げずに寝てますよ」
「……本当か?」
今日のこれまでの行動を思い出して少々不信そうに雄介を見る。
その視線を受けて一瞬困った雄介は、分かりましたと呟いてこう言った。
「……約束します、一条さん帰ってくるまでここで寝かせてもらってますから」
それを聞いて、一条は安心したように息を吐いた。
「………じゃ、なるべく早く戻る」
「はい……」
そう言って立ち去ろうとした一条を見て、雄介は思わず笑ってしまった。
「……どうかしたか?」
「いや、なんて言うか………」
新婚さんみたいですね。
「い、いちじょうさん俺病人……」
「……だったら黙って寝てろ」
一条は荒々しくドアを閉めて出ていく。
残された雄介は一人悲しく叩かれた頭を撫でていた。
+++
「……乱暴なんだから……」
全くもう、とひとしきり一人で愚痴ると、雄介は身体を丸めてシーツに包まった。
「………」
確かに身体は熱い、けれども何か寒気も走る。
だから何かに触れていないと辛くて仕方が無かった。
「………どうしようか」
規則正しい時計の音以外何も聞こえない部屋で、一人。 逃げ出したいけど逃げ出せない。何故なら一条と約束してしまったから。
あの様子では自分が抜け出したら例え深夜でも街中を捜し回りかねない……それはとても光栄なことではあるけれども、もちろんそんな無茶は一条にして欲しくなかった。
だから彼が帰ってくるまでここにいなければならない。いつ帰ってくるか分からないからどこにも出掛けられない。出来ることなら熱が下がっているとなお良いだろう。
「…うーん」
しかし最後のだけは叶わない希望だということが雄介には分かっていた。
小さく呻いてシーツを握り締めた。
とりあえず眠ってみようと目を閉じる。
規則正しい時計の音が聞こえる。
遠くを走る車の音が聞こえる。
近くを通り過ぎる人の声が聞こえる。
ああここ警察の官舎だったわね、大変よね警察も色々あって。
不祥事不祥事、でも今回のは不祥事って言うのかしら。
さあ、だって悪いのは………
「……俺、です」
ことばが勝手に口をつく。
ざわざわと頭の中で大勢の人が騒ぎ始める。
人の声だけでなく車のクラクション、街頭の音楽、ガラスが一斉に割れる音、爆発音、断末魔。
あたかも初めて緑になったときのような情報の流入に、しかし雄介は混乱することは無い。
耳元でガラスが割れる。
がらがらとものが崩れ落ちてその中から悲鳴が聞こえる。
それは次第に弱くなり消えた瞬間ブレーキの音。
車同士がぶつかり金属が擦れて悲鳴を上げ、漏れたガソリンに火花が散って爆発、人の悲鳴。
ざわざわと歩く人の中から聞こえる叫び。笑い声。
いきなりそれがしん、となってまた悲鳴。泣き声。
大きな声で叫ぶヒト、いきなりそれが途切れて最期に聞こえぬ声で叫んで倒れるのが聞こえる。
哄笑、嘲笑、平和の中の無邪気な笑い声。
それを引き裂くようにクラクション、悲鳴。
雄介は混乱はしない、ひたすらそれを聞き続ける。
「……どうしようか」
聞きながら困ったように呻く。
今度は倒れた人を助け起こした人が倒れた。
「………どうしよう………」
埒が明かない、このままでは眠れないガラスが割れる。
眠りにつける方法を雄介は一つだけ知ってはいた。けれどここで……一条の部屋でそれをやるのは躊躇われる。
ずっと泣き続けるこどもの声、いきなり途切れる。
「………仕方ないかぁ……」
雄介はシーツを顔に押し当てて、身体を丸める。
意識するとすぐに鼻がつん、ときた。
彼には、いつでも泣こうと思えば泣くことができるという特技があった。……泣けるときに泣かないでおけるというのもまた一つ。
「う………」
花火があがって爆発したのが不意に白昼の爆発に変わる。それの代わりに自分の泣き声を。
「………っふ…」
表には声に出さずに、頭の中で泣き続ける。
他の音が全て押し出され、それだけで頭を埋め尽くす……………
その頃にようやく、雄介は眠りについていた。
ただ、夢の中でも泣いていなければすぐに音が聞こえてくるのがこの手段の難点だった。
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