越後屋も、今回の事はわざとでは無く、本当の偶然だった為「あっ」と言った口のまま
見上げるように代官を見つめていた
固まったままの二人を見て同僚は
「何だ?知り合いなのか?」
と、怪訝そうな顔をして代官に聞いた
越後屋は
『その通りだが・・・どうせまた“知らぬ顔”するに違いない』
そう思って代官から目線を外し、下を向いた
その越後屋の頭の上で、想像もしなかった言葉が聞こえてきた
「あぁ、そうだ。ちょっと知り合いでね。悪いが今夜はこの人と話がある
お宅にお邪魔するのは止めるよ」
え?!
越後屋の心臓がドクンと大きく脈打った
「そうか、じゃ、おやすみ」
同僚は、あっさりと承諾すると代官に別れを告げた
代官も軽く頭を下げて、同僚を見送った
山川屋の戸口には、越後屋と代官二人だけが残った
「話がある。少し歩かないか?」
信じられない。といった顔で越後屋は代官を見つめた
「私に着いて来なさい」
越後屋の目をまっすぐ見て代官は一際低い声で言った
それは、完全な命令口調だった
越後屋の心臓がまたドクドクと早く脈打った
越後屋を見る静かで冷酷な代官の目付き
その目は、二人が初めて出会い、越後屋を抱いた時の目付きに似ていた
越後屋は一瞬その感覚を思い出し、全身がキュウっと締め付けられ鳥肌がたった
越後屋の返事を聞く間もなく、代官は1人歩き出した
越後屋も、返事する事なく代官の後ろを追いかけた
しばらくして、二人の歩調は一緒になった
隣合わせで、何も語らず黙々と歩く二人
今まで、どんなアピールにも振り無かなかった代官が、自ら声をかけてくるなんて・・・・
一体、何の風の吹き回しだ?
それともからかっているのか?
それとも何か裏があるのか?
いや・・・・どういう理由でもいい・・・
こうして・・もう一度この人の傍にいられる事が出来るのだ・・・
理由なんてどうでもいい・・・・
越後屋は、今の状況をそう考えた
顔は固まったままである。何故なら気を抜いたら嬉しさでニヤケそうになるからだ
嬉しい心を誤魔化すように、懸命に自分を押さえ、代官の左隣を寄り添うように歩いた
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