次の日の朝。
いつもより念入りに学校に行く支度を整えている自分に気付いて、私は苦笑した。
こう言うのを、『女の子らしい』と言うのだろうか。
「おはよう、里佳ちゃん」
菜々といつものように駅まで歩き出す。
「里佳ちゃん、少し元気出たみたいね」
今日はいい天気ね、と言うような、軽い口調だった。
私は驚いて、菜々をまじまじと見た。
菜々が私の不安定な精神状態を察しているとは思わなかった。
思ったことがそのまま顔に出たのか、それも菜々が察したのか、菜々は苦笑した。
「あのねぇ里佳ちゃん。私達、何年の付き合いだと思ってるの?」
少し怒っているようだ。
「・・・ここ2ヶ月くらいおかしかったよね? 生理痛だっていつもよりずっと重そうで、辛そうだった」
歩きながら、菜々は私を見上げた。
「受験のこと?」
「うーん。色々かな。多分受験のことが一番のプレッシャーなんだろうけど、精神状態がおかしかったと言うか・・・」
「昨日の午後も、学校来なかったよね里佳ちゃん。会場でも心ここに非ず、って感じだったって聞いたよ」
「あ・・・うん・・・」
でももう解決したから、と言うと、菜々は私を見つめた。
「本当に?」
「うん、本当」
菜々は優しく笑って、私の腕をポンポン、と叩く真似をした。
「私ってそんなに頼りないかなぁ?」
「え?」
さっきまでの楽しそうな表情から一変して、菜々は悲しそうに俯いた。
「菜々?」
「私はいっつも里佳ちゃんに何でも相談するのに、里佳ちゃんはあまり話してくれなくなったよね」
「そうかな?」
「そうだよ。私未だに里佳ちゃんの志望校知らないし」
悲しさと怒りとが入り交じった表情。
きっと、菜々も不安定なんだろう。
「私もね、別に話したくないから話さないわけじゃないよ」
小さな妹に言い聞かせるように、私はゆっくり言った。
「じゃあ、どうして?」
菜々が私を見上げて、続きを催促する。
「私・・・最近成績落ちてるんだ」
そう呟くように言うと、菜々が目を丸くした。
「結局、ね。大学行って何がしたいのか、はっきりしないの。とりあえず国語とか好きだから、文学部に行こうかな、程度で。
目標がないまま勉強したって意味ないんだけど、決められない。わからない」
菜々が何とも言えない表情で、私を見上げる。
「菜々は中学の時から家政の児童に行きたいって言ってたでしょ? 目標あるのが羨ましいなぁって、思うことあるよ」
「私は、まだ成績が全然足りないけど」
「でも、やりたいことがはっきりしてるから、頑張ろうって気になるでしょう?」
まぁ、そうだけど、と菜々は呟いた。
「私の場合は逆なのよね。と言う感じで、悩んでるわけ」
「でも・・・里佳ちゃん。まだわからないんでしょ? 自分が何をやりたいのか」
おずおずと菜々が口を開く。
「うん、わからない。それはまだ不安」
訳がわからないと言った感じで、菜々は苦笑した。
確かに、何も解決していないのに元気になんてなれるはずがないから。
私は昨日のことを、話すことにした。
「あのね菜々。昨日・・・告白されたの」
「え!? 誰にっ?」
菜々が目を丸くして、私の顔を覗き込む。
興味津々です、と言った表情だ。
「白石くん」
「えーっ!? すごーい里佳ちゃん!」
「何か全部投げ出してしまいたいなとか思ったんだけどね、何もかもが嫌で」
「里佳ちゃん」
「でも必要だと言ってくれる人がいて、救われた」
「私だって里佳ちゃん必要だよ!」
菜々は泣きそうな顔をしていた。
「わかってるよ。私も菜々のこと大好きだし」
頭をポンポンと叩くようにして撫でる。
「でも立ち止まらずにはいられない時って、あるじゃない? そんな時に、また歩き出すきっかけをくれたのが、白石くんなのかなって」
「・・・付き合うの?」
「・・・まだわかんないよ・・・」
彼はとてもいい人だと思うけど、好きかどうかはわからないのだから。
「里佳ちゃんが好きなようにすればいいと思うよ」
「菜々・・・」
「あ、付き合うことになったら教えてねっ」
そう言って菜々が浮かべた笑顔は、何だか恐かった・・・。
「畏まりました」
お昼休み、私は進路指導室に足を運んだ。
普段は結構人がいるのに、今日は珍しく誰もいなかった。
本棚に置いてある大学案内を手にした時、進路指導室のドアが開いた。
「やあ」
入って来たのは夕真くんだった。
「偶然だね」
そう言うと、夕真くんは苦笑した。
「偶然じゃないよ」
「え?」
「階段のところから見てたの、里佳ちゃんがここ入って行くとこ」
夕真くんは私の手にある大学案内にふと目を止めた。
「大学案内?」
「うん・・・夕真くんって何やりたいの?」
ふと思い付いて、そう聞いてみた。
「俺は、建築かな?」
「建築?」
「うん、だから早稲田の理工とか慶應の理工とか・・・まあ色々受けようと思って」
「そう言えば夕真くん、成績いいもんね・・・」
そう言えば学年トップを取ったこともあるって、亜由美ちゃんが言ってたような・・・。
「里佳ちゃんこそ勉強できるでしょ?」
「私はよくて学年20番だもんー。夕真くんと比べたら全然・・・」
今はどんどん成績落ちてるし・・・。
ぱらぱら大学案内をめくりながら、私は心の中でそんなことを考えた。
「里佳ちゃんは? 志望校は?」
あまり聞かれたくない問いだったけど仕方ない。
「・・・まだ未定。とりあえず慶應と早稲田と・・・」
私が口ごもったことを敏感に察したらしく、夕真くんはさっと話題を変えてくれた。
「そっか。そう言えば知ってる? 数学の仁科先生結婚するんだって」
「仁科先生が?」
数学の仁科先生は28歳・・・多分。
わかりやすい授業と生徒側に立ったものの見方で生徒達に人気だ。
男女を問わず人気だと言う意味では、少し果歩ちゃんに似ているかもしれない。
「そりゃ、女の子達が嘆くわ」
苦笑交じりにそう言う。
「そうなの?」
「うん、多分密かに仁科先生のこと好きな人いると思う」
クラスにも何人か、それらしき人がいることに、鈍い私も気付いていた。
「・・・ねえ、夕真くんも何か用があったんじゃないの?」
「だから、俺は里佳ちゃんの姿が見えたから来ただけー」
そう言う時にどんな反応を示せばいいものやら。
黙ってしまうと、夕真くんは苦笑した。
「可愛いね、里佳ちゃん」
「・・・そんなことないよ」
可愛いなんて言われ慣れていないから、はにかむように言われると、反応に困る。
まずは友達から、ってことだったのに、話していると口説かれているみたいだ。
恥ずかしくてたまらない。
「夕真くん・・・私達友達でしょ・・・? 何か私口説かれているみたいで落ち着かない・・・」
そう言うと、夕真くんは目を丸くして、それから笑った。
「俺、女友達でも可愛いなって思ったら可愛いって言うよ?」
「・・・でもっ! 私は言われ慣れてないから・・・」
彼は素直な気持ちを口に出しているだけなのだろう。
それでも、『可愛い』なんて言われたら調子が狂う。
「夕真くん言ってたじゃん! 私の性格は男っぽいって」
「それってあくまで『男っぽい』だけでしょ? 本当は女の子なんだから」
にこやかに言われると、どう返事をすればいいものやら悩む。
「今日一緒に帰らない?」
夕真くんが少し照れたように言う。
余裕であるかのように見せかけて、実は彼も結構いっぱいいっぱいなのかなと、思う。
「今日は菜々と帰る約束してて・・・。ケーキ食べて帰ろうと思ってるの」
「そっか」
「明日なら、大丈夫なんだけど・・・」
がっかりしたような表情を見せた夕真くんに、私は慌てて話しかけた。
「じゃあ明日、ちょっと付き合ってくれない? 姉貴の誕生日プレゼント選ぶの、手伝ってほしいんだ」
「お姉さんって、果歩ちゃん?」
果歩ちゃんの誕生日はもう過ぎたのではないか。
確か保健室に沢山プレゼントがあって、果歩ちゃんが困っていたような記憶がある。
「果歩以外にもう1人いるの。姉貴が」
「3兄弟?」
「そ。男は俺1人だからね。小さい頃は随分いじめられたもんだよ。みそっかすってやつ」
さすがに今はいじめられないけど、と苦笑する。
それはそうだろう。背が180cmを越えた高校生の弟をいじめる社会人なんていないだろうから。
「明日、私掃除当番だから、どこかで待ってて?」
「じゃあ・・・図書室前のテーブルで待ってるよ」
「わかった」
そう頷いた時、予鈴が鳴った。
「じゃあ明日」
「うん」
夕真くんと別れて、教室に戻った。
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