どう考えても、高校野球の県大会とは思えないのだが、選手たちは緊張してやっている気がする。ただ、フィールドの中に散らばる一人一人の選手を私が丁寧に見たわけではない。むしろ一望した風景としては、あまりにも荒漠とした殺風景が雰囲気として広がっていただけであった。水はけの悪い粘土質の地面の所々に見つけた細かな轍やスパイクの痕(あと)が干からびた心象風景の中の誤植であるとは思えなかった。
男子高校生であろう選手たちは、なにか記号としてはあったのかもしれない。しかし、それは私が怠惰な推測をして、世間の決まりごとの中から引き出してきた無意識の活動のゆえであろう。
私は、むしろ女性の審判が一球投じられる度に、なに言か言う、その声をはっきりと聞いた。女性というより未成年の女の子かもしれなかった。周りに誰がいるのだ。しきりに確認していた。助言を求めた。「そうでしたね、すいません」「ここはストライクでしたよね」「はい、ということは、バッターはアウトです」
私の視点は三塁コーチャーズボックスあたりに移る。女が顔だけ灰色混じりのコバルト色に塗っている。細長く縦に引かれた黄色いラインが両頬のアクセントになっている。ブロンズ像のごとく佇む。そして、顔だけが私の方へ少し回転してきた。それは明らかにダンスパフォーマンスの一部であった。だが、それは彼女の孤立した営みであって、目の前の光景すべてが一種の野外劇であると私に予感させる力はなかった。
曇り空の下、けっして暗くなかった。むしろ乾燥し切った地肌との間でふんわりした光のキャッチボールが行われていた、そんなふうにも云える空しさとのどかさの相補関係であったかもしれない。(1998.6.15)