ボクたちの選択 3


校舎を回り込んで校門から見えなくなると、圭介は途端に静かになった。
微熱とはいえ、発熱が一週間も続けば、体だって結構だるいはずだ。
しかも、さっきは足をもつれさせてさえいた。
こんな状態で、よくあそこまでアナゴにつっかかっていけるものだ…と、健司はのんびりと思った。
『昔からけーちゃんは負けず嫌いだったしなぁ…』
気に食わないヤツには、絶対に弱味を見せたくない。
小学三年生で初めて会った時から、圭介は小さいなりに男のプライドを持った、子供だった。
いじめっ子の薮本康史にも、いつも散歩で犬の糞の始末をしないニ丁目の芝オヤジ(気の荒い柴犬を飼っていたから)にも、
圭介は負けなかった。
言いたい事を良い、自分の正しいと思う事を通した。
気が優しくて体も小さく、苛められっ子だった健司にとって、そんな圭介は兄貴分であり親友であり、そしてヒーローだった。
圭介のようになりたかった。
圭介のように、強くなりたかった。
今は体も力も圭介よりも大きく強くなったけれど、もっと本質的な所で圭介にはまだまだ敵わないと思っている。
だから、健司は圭介が好きなのだ。
親友として、幼馴染として、そして、同じ男として。
「けーちゃんにも困ったもんだよねぇ…」
由香が小さく溜息を吐きながら、健司の右肩に担がれたままの圭介を見やった。
「…うるせー…」
不機嫌そのもの…といった感じの声で呟きながら、当の本人はぐったりと健司の肩にしがみついている。

「調子悪いんだから、いちいち突っかかってても仕方ないでしょ?余計悪くしちゃうぶんだけ、ソンだよ?」
「あいつはなぁ…あいつは…」
「『絵を馬鹿にした』」
「………そうだ」
由香は、苦も無く圭介を担いで歩く健司と、どちらからともなく顔を見合わせた。
その顔に浮かぶのは「しょうがないね」という、まるでワガママな年下の弟を見る姉と兄の表情だ。
陸上部でそれなりに活躍していた圭介が、ある日突然「高校に行ったら美術部に入る」と言い出した時は、2人とも結構驚いたものだ。
けれど実は2人とも圭介が、身長が伸びない事で陸上競技において行き詰まりを感じている事を知っていたから、
あえて止めようとは思わなかった。
「陸上を続けた方がいいよ」とも、言わなかった。
ずっと、心の奥底に重い石を抱え込んでいるような、そんな思い詰めた顔をしていた圭介が、由香と行った展覧会の日から、
前みたいにまっすぐ前を見るようになり、ずっと明るくなっただけで、2人にはそれで良かったから。


二年生用の昇降口まで来た時、後から来た男子生徒が擦れ違いざま、
「お?今日の獲物か?」
「…別に狩りしたわけじゃないよ」
「食っても食いでは無さそうだしな」
そう言ったのは、…どこからどこまでも「四角い」男だった。
角刈りにした髪に、本当に高校生か真偽を確かめたくなる顔付き。
全体的に、岩を削って肌色に塗ったらこうなりました、といった感じだ。
身長に比べて横幅のある体躯は、一見、太っているのか筋肉なのか判断がつかない。
港町で長靴を履いて歩いていたら、そのまま漁師か魚河岸のオヤジに見られそうな男だった。
「おはよう。伸吾くん」
「おっす川野辺(かわのべ)。相変わらず仲良いな、お前ら」

川野辺というのは由香の苗字だ。
他のクラスメイトは、ちょっと言いにくいこの苗字を縮めて「のべ」とか「かわっち」とか好き勝手呼んでいるが、
伸吾は律儀に「川野辺」と呼ぶ、数少ない人間なのだ。
「仲良いな、じゃないよぉ。さっきは大変だったんだから」
「んだ?またアナゴとやりあったんか?」
「そぉなの。まったくコドモなんだからけーちゃんは」
…男としては、制服を脱いだらきっとたぶんどこからどう見ても子供にしか見えない女の子には、
絶対に言われたくないセリフNo.1に違いない。
「ははは、まあ、圭介だから」
白い歯を見せ、意外に爽やかな笑いを浮かべながら伸吾は何が言いたいのか良くわからない事を言った。
圭介がアナゴと折り合いが悪いのは、クラスの人間なら誰でも知っている事だ。
校門にアナゴがいた時点で、圭介が一悶着起こすだろう事は、登校してきた時点で誰もが想像出来た事に違いない。
「ところで」
不意に伸吾が真面目な顔で、健司に担がれたままの圭介を指差した。
「こいつ、死んでるんじゃないか?」

ぐったりとして動かなくなった圭介を背負い直し、健司はそのまま保健室へ向かった。
当然のように圭介の自称『保護者』であるところの由香も、後を“てとてと”とついて行く。
伸吾には、教室に先生が来たら遅れる理由を伝えてくれるように言って、1Fのトイレの前で別れる。
担任の「はるかちゃん」は、教師2年目の真面目さでもって結構時間に正確なため、きっと今頃なら、
2階の渡り廊下を教室に向かって歩いて来ている頃に違いない。

この学校は、生徒用昇降口から入ったその建物が「教室棟I」で、隣の、職員室や保健室、
図書室などがある「管理・学習交流棟」とは、カッチリ並行に建てられている。
ちなみに圭介達の教室は、「教室棟I」の2階にある2C教室であり、「教室棟I」を真ん中にして
「管理・学習交流棟」とは対称の位置にある「教室棟II」には、視聴覚室や音楽室、美術室などの特別教室がある。

伸吾自身からの申し出で、3人のカバンは、彼がそのまま教室に運んでおいてくれる事になった。
彼は、自分のも合わせて4人分の革カバンと3人分のサブバッグを両手で軽々と持ち、
「お前らも早く来いよ?」
と、階段を一段跳びで駆け上がって行く。
あれで作法室の管理を任されている茶道部の副部長だというのだから、何かが間違ってる気がしないでもない。
「けーちゃん、ねぇ、大丈夫?けーちゃん!」
揺らさないように細心の注意を払いながら、けれど急いで、健司は「管理・学習交流棟」1階の保健室に向かった。
由香が小走りに走りながら背負われた圭介に話し掛けている。
そのたびに圭介は「おー」とか「うー」とか、意味不明の言葉を吐くが、答えるのが面倒臭いとかじゃなく、
まともに答える元気が無いようだった。
「先生!」
保健室の引き戸を開けて中に入ると、保険教諭の空山美智子が、目に何かを入れている最中だった。
「ソラ先生!」
「…もちょっと待ってなー…今、入れちまうからさぁ…ちゃんと濡れてねーといてーんだコレが」
「そんなのは後でいいですから!」
「そんなのとは御挨拶だねぇ…粘膜ん中に硬いモノ入れる時はゆっくりしねーと、傷付けて後がタイヘンなんだよ」
……微妙な“エロトーク”に、由香の顔が茹でダコみたいに真っ赤に染まる。
幼児体型で「のほほん」でも、年相応…それなりの性知識はあるようだ。
外見で人を判断してはいけない。

「あー……入った入った……うぅん…いいねぇ…ぁああぁ…」
コンタクトを目に入れただけでピンク色に染まって見える甘い吐息を吐くのもどうかと思うが、なんとも、彼女のしている格好もスゴかった。
なんと言うか……外見的には、いわゆる「色気」というものが全く無かったのだ。
さっきの吐息からは、まるで正反対の印象だ。
まだ来たばかりなのか、白衣は椅子の背もたれに掛けてある。
そのため、擦り切れた紺のサマーセーターとモスグリーンの綿パンツに包まれた体の線が、
バッチリクッキリ拝見出来るのだけれど、見ていてどうにも嬉しくない。
スレンダーな体躯には余計な肉というものが一切無く、ついでに言えば、
きっと男なら誰でも「女としてあった方がいいかな?いいよね?」と思うバストとかヒップとか、そういう部分の肉も薄いのだ。
きっと、遠目に「男だ」と言われたら、たぶんそのまま信じてしまいそうになるに違いない。
そんなスタイルに紺のサマーセーターとモスグリーンの綿パンツというコーディネイトは、妄想や幻想やその他モロモロ、
青春のリビドー溢れる男子生徒の「保険室のせんせい」という甘い夢を、完膚なきまでに叩き砕いて余りあった。
おまけに、髪はベリィショートとでも言うのか、頭だけ見てるとまるで圭介みたいな髪型だ。
保険教諭のクセに一部分だけ金色に脱色しているのが、妙に目立つ。
一応進学校で、アナゴみたいな生活指導の教師がいる一方、この学校はヘンに教師に対して甘い所がある…と、 圭介も伸吾も、常々ひそかにそう思っていた。
由香だけは
「いいんじゃないかなぁ?ソラ先生、いいひとだもん」
と、相変わらず「ぽややん」な事を言っていたけれど。


美智子の指示で、健司は圭介をベッドに寝かせた。そして、ようやく白衣を着た美智子を心配そうに見る。
「お前らがそんな死にそうな顔してどーするよ?大丈夫だ。こいつは別に死にゃしないよ」
彼女は、圭介をじっと見つめたまま動かない由香の頭に“ぽんぽん”と右手を置いて、健司を見た。
ベッドに寝かせると、圭介はすぐに眠りに落ち、もう寝息を立て始めている。
額や鼻の頭にうっすらと汗が浮かび、なんだか少し苦しそうなのが、由香にはとても気にかかった。
時折ぱくぱくと、水面に顔を出す鯉のように口を開閉するのが、息苦しいのか何かを言いたいのかわからなくて、ひどくもどかしい。
「いや、実はさ、もうそろそろ来る頃じゃないかと思ってたんだ」
圭介の額に手を当てて、それから机の上の物入れの中から体温計を取り出す。
外耳に当てて熱を測るタイプのもので、美智子はそれを慣れた手つきで圭介の耳の中に当てた。
圭介達が入学する前からいるこの保険教諭は、去年の今の時期も、圭介が美術室で倒れた時も、
ここでこうして圭介の具合を見てくれたのだ。
その時、由香から、毎年決まった時期に体調を崩すのだと聞かされている。

「ふ…ん………相変わらず、微熱は続いてんのかい?」
「はい。なんか、もう一週間くらいとか」
「…生理みてーだなオイ」
ニヤリと唇の端を引き上げて、美智子は圭介の首筋に指を当て、続いて瞼を開いて捲り上げたりする。
「咳とか、無いんだろ?」
「はい」
「喉の奥も腫れてる様子は無いしな。もうちょっとココに寝かせといて、起きてまだ気分が悪い時は病院に行かせるんだね。
 モノホンの医者に見せた方がいい」
「はい」
「ホラ、お前らは授業があるんだ。後は私に任せてさっさと行きな」
「で、でもソラ先生」
「お前がすぐそばでそんな情けない顔してたら、良くなるモンも良くならねぇよ。いいから行けってば」
そう言われてしまえば何も言えなくなるのが、健司という人間だ。
圭介から脱がせた制服の上着をハンガーにかけ、健司は何か言いたそうな由香を立たせて、保健室の扉を開いた。
「じゃ…じゃあ先生、後、お願いします。休み時間にまた見に来ますから」
「おう。はよ行け」
6月には健康診断があるから、今は通常業務の他に、そのための書類の整理とか準備とかで、それなりに多忙なはずだ。
このままいても邪魔になりこそすれ、圭介にとっても美智子にとっても役に立たないと思い、
健司と由香は後ろ髪引かれる思いで保健室を後にした。
後に残されたのは、眠りに落ちた圭介と、その横の椅子に腰掛けながら、いつもとは全く違う真剣な眼で圭介を見つめる、保険教諭だけだった。
「まだ、固定してねぇんだな…」
2人以外誰もいない部屋で、美智子が小さく呟いた言葉は、結局、誰にも聞かれる事は無かった。




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