ボクたちの選択 28


6月9日。

月曜日は雨だった。
もう何が起きても驚かないと思った圭介だったけれど、胸がさらに大きくなっていたのは本気で驚いた。
仰向けに眠っていたからか、苦しくて苦しくて目が覚めたのだ。

今日の夢は今までは一番ひどかった。
あれはない。
あんなのは、絶対に上映禁止にすべきだ。
圭介の中に残ったなけなしの『男の自意識』を、根こそぎ刈り取って燃やして桜の枯れ木に撒いてしまうようなひどい夢だった。
『女の自意識』なんていう花が満開に咲いたら、いったいどう責任を取ってくれるというのか。
あんな場所で、あんな格好で、あんな風にされるなんてのは、圭介の男の部分が許さない。
許さないどころではない。
「やめてくれ〜」と泣きながら跪(ひざまづ)いて、とっときのデザートの杏仁豆腐をすっかり全部残らず献上してしまいそうになるくらいだ。
それでも夢の中の男はあんな事やこんな事や、あまつさえあんな事まで圭介にして、そしてさせて、
それでも満足出来ずあの部分をあんな風にああして……………………思い出すだけで濡れてくる。
『ちーがーうー…』
許せないのは、そんな風に好き勝手されながら、それを圭介が心から喜んでいた事だ。
頬を染めて目を潤ませ、可愛らしい唇をうっすらと開いて恍惚の表情を浮かべていた。
自分であんなポーズやこんなポーズや、いろんなポーズをして男がナニしやすいように腰を動かしただなんて!
ともかく圭介は、今までに無い『大洪水』の状態で目を覚まし、そして今までに無く重苦しい気分で目を覚ましたのだった。
「ううう……」
ずりり…とベッドからずり落ちるように床に手をつき、姿見まで四つん這いで近づく。
手を、足を動かすたびに、胸のところで重量感たっぷりのものが揺れ動いた。
ものすごく嫌な予感がする。
果たしてそこには、
「は…ははは………ぼい〜〜ん……てな……」
黙ってれば「お嬢様」で通りそうなくらい清純っぽい、セミロングで童顔の少女。
そんな少女には到底似合いそうも無い、豊かで重たげな胸が、鏡の向こうで紡錘型にぶらぶらと揺れている。
ここまでくると本気で笑うしかない。
存在そのものがギャグになってしまったような気がして、圭介は乾いた笑いを貼り付ける。
何度も見直しても、自分の細い体から垂れ下がる、みっしりと実の詰まった重たい肉のカタマリは、消える事無くゆらゆらと揺れていた。

重たい。
重たくて、痛い。
肩が凝ってもう首が痛い。
猫背気味になっている事で背筋までもが痛かった。
これはやっぱり異常だ。
おかしい。
なんでこんなデタラメな体になってんだ?
トイレに行ってオシッコとウンチをして、ウォシュレットで綺麗にする間、圭介はずっと前屈みになっていた。
見下ろせば、そこにもお尻がある。
若くて張りのある肌のおっぱいは、触った感じがお尻をもうちょっとやわらかくした感じにそっくりだった。
もっとふにふにとやわらかいかと思ったけれど、意外としっかりとした感じがする。
もっとも、そうでなければきっと“だらーん”と垂れ下がって、「豊か」というより「長い」と
形容した方が適切じゃないかと思えるような姿になってしまっていただろうけれど。
それだけはイヤだなぁ…と、圭介はなんとなく思った。
そもそも、こうなったのはやっぱり星人の……母の遺伝形質の影響なんだろうか?
…というか、だいたいにして星人の肉体的形質って、なんなんだ?
性別を自由に変えられる?
肉体を自由に変えられる?
でも、女になったのだって、こんなでたらめにおっぱいが大きくなったのだって、何も自分で望んだ事なんかじゃない。
ぜったいに。
圭介はそう思う。
たとえそうだとしても、ならばなぜ「男に戻りたい」とか「もとの胸のサイズに戻りたい」とか思っても、
全然、まったく、これっぽっちも元に戻る気配さえ無いのか。
『やっぱり来年まで待たないとダメ…とか?』
それまでこの体で、いったいどうすればいいのか。
『グラビアアイドルでもして金稼いで贅沢三昧〜〜〜…とか…?』
はははは……と力無く笑って、そのあまりに虚しい考えに自分で落胆した。
かつて自分が雑誌のグラビアにしていたように、全国の男達に欲望のいやらしい目で見られるなんて思うと、
それだけでプツプツと全身に鳥肌が立つ。
「さて……ホントに…どうしようかな」
現実逃避はこれくらいにして、そろそろ本腰を入れて問題に対処しなければならない。
そう思いながらも、あと数十分でやってくるだろう由香の反応を思うと、やっぱり果てしなく憂鬱になってしまう圭介だった。


「うわぁ〜〜〜〜〜ぁ〜〜〜………………」
由香の声は尻すぼみに小さくなり、最後には口をぽかんと開けたまま立ち尽くしていた。
金曜日まではAAカップくらいだったのが、月曜には巨乳グラビアアイドルも真っ青の巨大乳(きょだいちち)になってれば誰だって驚く。
「思った通りの反応してくれて、どーも」
皮肉げに口を歪めたセミロングの少女は、胸のところだけぱっつんぱっつんに張り詰めたTシャツを着て玄関先に立ち尽くしていた。
本人も、自分の胸にはずいぶんと手を焼いているようだ。
身長が低くて、体型もほっそりしてるのに、胸だけが何かの冗談みたいに“どかん”と膨らんでいた。
強いて言うならば、まるで
「体全体がおっぱいみたいだよ」 「…それってすげー不気味だな…」
圭介はげんなりして、自分の重たい胸を持ち上げてみた。
持ち上げる…とは言っても、だらんと垂れているわけではないので乳房の下部分に手を当てて寄せ上げる…といった感じだ。
中身のしっかり詰まった乳肉はたっぷりと豊かで、ずしりと重たい。
「……なんか、『にくっ!』って感じ」
「肉…」
由香の言う通りだ。
自分だって、母のあの“無駄に大きい乳”(むだちちと呼んでいる)を見るたびにそう思う。
「けど、どうしたのかなぁ?急に…」
「オレが知るかよ。朝起きたらこんなんなってたんだ」
Tシャツの胸のところだけ、ぱっつんぱっつんで息が苦しい。
かといって、胸をしっかり押さえておかないと揺れてバランスを崩す。
……揺れるとバランスが崩れるくらいの乳…というのもスゴイが、圭介の今の体重が40キロちょっとだった事を思えばわからないでもない。
こんなにでっかい肉のカタマリが、たった2・3日で体の前面に突出してしまっていては、
身体的なバランスそのものが狂うというものだ。
「けーちゃん…猫背になると、もっと辛いと思うよ?」
「あ?……そうかな…」
胸を強調しないように前屈みに、猫背気味で歩いていた圭介は、「よいしょ」とばかりに背筋を伸ばした。
その拍子に、ぶるんと胸のふくらみが自己主張するように揺れる。
圭介は腕を組み、下から支えるようにしてその上に乳房を乗せる。
「あ、こうすると楽だわ」
女になってから、もともと低かった身長が150センチを切り、全体的にほっそりとして、
そのままだと中学生か、下手をすれば小学生にさえ見られかねない圭介だったが、
胸だけがどこかの巨乳タレントから盗んできたかのように大きく盛り上がっている図…というのは、かなりシュールだった。
「けど、ずっと腕を組んでるわけにもいかないでしょ?」
勝手知ったるなんとやら。
クツを脱いでさっさと上がり込んだ由香は、圭介を連れて2階の彼の部屋に入った。
クローゼットを開け、タンスを開け、何か使えないかゴソゴソと探している。
「…うーん…おばさんのブラジャー借りるとか…は?」
「もうやってみた。ホック留めてもブカブカで胸がちっとも固定しねぇ」
「やっぱりアンダーが小さいのかな…」
ぶつぶつ言いながら、由香は包帯を手に取る。
「サラシ……の代わりになるかな?」
「いや、無理だろ」
「……もうっ!自分の事なんだよ?もっと真剣になりなよぉ」
勉強机の前で、椅子に前後逆に座り、椅子の背もたれにでっかい乳房を乗せて
文句ばっかり言ってる幼馴染みに、由香は立ち上がって膨れっ面を見せた。

結局、Tシャツを2枚重ね着するしか手は無く、おまけに制服の丸襟ブラウスのボタンが全然留まらないので、
母の白いブラウスで代用した。
合服のベストも一番下しかボタンが留められず、仕方ないので前は開きっぱなしだ。
登校途中も傘を前傾気味にし、通学用鞄を抱くようにして胸を隠し、教室に行くまで、
通学路でも昇降口でも廊下でも、なんだか擦れ違う人みんなにジロジロ見られている気がして体を小さくするように歩いた。
健司が部活の朝錬で一緒じゃなくて良かった…と、圭介はしみじみ思った。
アイツに朝からヘンな目で見られたら、いくらなんでもすごく傷付いたに違いない…と自分でも思うから。
「けーちゃん…そんな格好してると、ますますヘンに思われるよ?」
「うっせー…人の気も知らないで」
「……私には一生わかりませんよぉー」
「代わってやれるなら代わってやりてーよ…」
「あ、それイヤ」
「…オマエって、時々すげーつめてーのな…」
圭介だってもとは男だったのだから、雑誌のグラビアとかを見て「お、いいチチ!」とか
「こっちの方がでけーよ。いいなぁ揉みてー」とか言っていた事は否定しない。
けれど、自分がこうなってみて初めて、それがいかに無責任で他人事な物言いだったかを痛感する。
いまさらながら「グラビアアイドル(主に巨乳爆乳タレント)の皆さん、ごめんなさい」という気分だ。
もちろん、悔いたからといって、今、この状況を打開出来るわけではないのだけれど。
「ね、それでおばさん、いつ帰ってくるの?」
「…知らねぇ…。どうせまたオヤジと新婚気分で遊んでるんだろーよ。息子一人ほったらかしといて、いい気なもんだよ」
「へへへ…おじさんとおばさん、ラブラブだもんねぇ」
「ラブラブ言うな。キショクわりぃ」
両親がアレでナニな行為をしているなんて想像するのは、まだ男と女のナニを経験した事の無い圭介にとって、ひどく苦痛を感じてしまう。
たとえそこに愛があるのだとしても、なんだかすごく生臭くて不潔に感じてしまうのだ。
だいたいがそもそも、星人の母と地球人の父が、普通の夫婦のようにナニをするものなのだろうか?
母に聞けば、きっと身振り手振りで克明に教えてくれたりするのかもしれないけれど、……というか嬉々として聞かされそうで、
だからこそ今まで一度だって訪ねた事は無かったのである。
「なんでー?…あ、おばさんにこの事伝えなくていいかな?」
「どの事?」
「けーちゃんのおっぱいが“ぶくーっ”てふくらんだこと」
“ぶくーっ”のところで、右手で胸の前を“ぐいんっ”と半円を描いて振って見せる。
何かの映画で、大部屋役者が「ウチのナニが、ナニですから」と言いながらお腹の大きくなった事を
ジェスチェアで示した時のような、そんな動きだった。
「………人の胸をモチか風船みたいにゆーな」
「でも、けーちゃん一人にしてるって事は、よっぽど信用されてるんだねぇ…」
しみじみと言う由香の言葉を聞きながら、圭介は
『本当にそうか?』
と思った。
性が転換した時は、あれだけ心配してくれたのに、それ以後の放任具合はどうだ。
超過保護なところ自体は変わらなくて、相変わらず毎日夜には必ず電話してきて、その日一日あったことを根掘り葉掘り聞かれるものの、
自分からはいつ帰ってくるのか、話す素振りすら見せやしない。
どうにも悔しいから、肉体的な変化は一切母には話していないが、
なんだか、母の手の平の上で躍らされているようで寒気さえ覚える圭介だった。




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