『オレは……半分人間じゃないのか??』
じゃあ、オレはどうなったんだ?
オレって本当に人間なのか?
完全な男から完全な女に変わる人間なんて、この世にいるわけがない。
いや、少なくとも人間では有り得ない。
圭介は、昔見た、自由に姿を変えられるアメーバ状の生物が主人公のアニメを思い出した。
外宇宙探査船を舞台にした海外の宇宙冒険ドラマに出て来る不定形生物を思い出した。
アニメ映画にもなった、旧式の蒸気機関車に似せて造られた星間運行列車を舞台にした漫画に出てくる、不定形生物を思い浮かべた。
果ては、RPGの一番最初のザコ敵で出て来るジェリー状の不定形生物さえ思い浮かべた。
何にでも姿を変えられる不定形生物のモチーフは、ありとあらゆる作品で絶えず使われるありふれた素材なのだ。
「あ〜〜…たぶん今けーちゃんが思い浮かべてるのとは、違うと、思う」
顔面を蒼白にして固まってしまった息子に、母はちょっと冷や汗をかきながら慌てて弁明する。
愛する息子に化け物でも見るように見られたり、自分を化け物だと思い込まれるのだけは嫌だった。
そんな風になったら、自分はもう生きていけない。
「…うーん…そうね…ちょっと違うかな?肉体を構成している組成組織は間違いなくこの星の人間のものよ」
星人と地球人とでは、当然のことながら子供をつくる事は出来ない。
いくら母の今の肉体が、地球人のものを模しているとはいえ、肉体の組成原理がそもそも違うために
卵子は子宮内に排卵出来ても、地球人の精子とは受精しないのだ。
そこで母は、昔、チベットの山奥で現地の人々を相手に行ったように、自分の遺伝因子を組み込む方法を使用した。
しかも今度は、自分の因子と夫の因子を半分づつ組み込んだのだという。
「仲間が協力してくれて、善ちゃんのお母様から卵細胞を頂いたの。これはお義母様自身にも ヒミツなんだけどね」
おいおい。
今度はキャトルミューティレーションですか?
「同じ炭素系生物だったから良かったけれど、珪素生物だったら、ちょっと難しかったと思うの。
もっとも、そもそも珪素生物とは恋には落ちなかったと思うわ。ほら、あの人たちって岩みたいにガンコだから」
…ほら、と言われても困る。
「生物を構成する肉体の組成は、根本的には似たようなものなの。知的生命体は必ずと言っていいくらい、
次の世代に自分の形質を伝える機構を持っているから、地球で「遺伝子」と呼ばれてるマトリクスさえ発見出来れば、
基本的にはどんな生物とだろうと、遺伝因子の変換と再構成で両方の形質を受け継いだ、いわゆる『子供』を作る事は可能なのよ」
「……ええと……」
「…わかんない?」
「全然」
「けーちゃんにはまだちょっと早かったかな?」
意味のわからない言葉の洪水に飲まれて、寝起きの子犬みたいな顔をした息子を見て、母は首をちょっと傾げて苦笑いした。
「つまり…ええと……」
圭介は、すとんと椅子に腰を落とし、すっかり冷たくなったティーカップを両手で持って、ずずず…と冷え切った紅茶を啜った。
そして、たっぷり時間をかけて飲み込み、おずおずと聞く。
「オレは……地球人…なの?」
その問いに、母は初めて辛そうな…痛そうな顔をした。
「けーちゃんはお母さんのこと、嫌い?」
真正面から聞かれた。
正直、まだよくわからない。
母が、この星の人間とほとんど同じ肉体を持っていることはわかった。
けれど、母がもともとはこの星の人間とは違う肉体を持ち、最初に聞いた昔話が実は全部母の事で、
身体は同じにしたけど子供だけは作れなくて、まるで動物実験みたいに自分が『造られた』のだということは、信じたくなかった。
圭介は長いこと、首を縦にも横にも振らずに、じっと紅茶のルビー色した水面を見ていた。
「母さんは………」
一瞬、ためらいがあった。
「母さんは、後悔してないの?」
わからないなりに、色々な意味を込めたつもりだった。
自分がもといた世界に返りたいとは思わないのか?
肉体を地球人と同じにして後悔しなかったのか?
日本で平凡な(?)妻や母や嫁をする事に不満は無いのか?
子供をつくった事を、後悔してないのか?
「けーちゃんは………お父さんのこと、嫌い?」
ゆっくりと、吐息を吐くように紡がれた言葉に、圭介の肩がぴくりと震えた。
「私ね?…どうしても善ちゃんとの子供が欲しかったの」
ほんの少し、気をつけていないとわからないくらいわずかに、母の声は震えていた。
ような気がした。
この星で時々騒がれたりするけど、UFOって、あるわよね?
未確認飛行物体。
あれって星人の宇宙船とか言われてるけど、お母さん、違うと思う。
少なくとも、お母さんの知ってる船とは違うわ。
宇宙の距離ってね、地球の人が思ってるよりもっとずっとずっとずっとずっと遠いの。
ひろぉいの。
望遠鏡とか覗いてるだけじゃ、ぜったいにわからない距離。
何万光年…とか一口に言っても、ピンと来ないでしょ?
ただ待ってるだけじゃ、ぜったいに他の知的生物とは出会えない距離。
それって、タクラマカン砂漠の両端から同時に歩いて、砂漠の真ん中で、生きて、ちゃんと元気に出会うよりも、ずっとずっと“遠い”距離よ?
星間航路をちょっとでも外れたら、そこはもう未開の世界なの。
この星なんて、衛星軌道から砂漠の砂粒を肉眼で見ようとするくらい、『中央』からは“見えない”星。
電磁波や粒子、重力波を捕まえて星を観察したり、宇宙から来る電波を拾って、地球の他にも文明を持つ星が無いか調べたり、
そういうのは、お母さん、有意義だと思うし、知的生物の好奇心の発露としては、至極まっとうな方向だと思うの。
だけど、地球のテクノロジーでわかった事からだけで、全てをわかった気になるのは、この星の人間の悪いクセよね。
電磁波や粒子や重力波、それに次元振動波なんかじゃその存在の有無を特定出来ない天体はたくさんあるし、
思いもよらない方法で星間コミュニケーションを取ってる知的生物だってたくさんいる。
自分達の周りに誰もいないからって、他にはもうだれもいないって断定しちゃったり、逆にほんの少しの痕跡から
過大な期待を寄せてしまうのは、地球の人達が、自分以外の知的生物に出会った事がない辺境の星に住んでいるからよね。
だけど、そんな辺境な星で、お母さんは地球人っていう知的生物と出会い、そして善ちゃんと出会った。
これは、ほんとうに、とっても、とんでもなく、すっごい、ことなの。
宇宙の歴史に比べたら、恒星系の寿命なんてすっごく短い。
偶然に生まれた生物が、偶然に進化して、偶然に知識を高めて他の生物とコミュニケーション出来るまでの時間なんて、ほんの一瞬。
その一瞬が、この宇宙に流れる時間の中で重なる偶然は、それこそ奇跡以外の何ものでもないの。
なのに、私は善ちゃんと出会って、お互いを理解し、愛を感じるまでになった。
運命なんて言葉、軽々しく使えない。
それくらい、すっごいこと、なの。
私は、善ちゃんを愛してる。
たった2つの生物的な性差の見地からなんかじゃなくて、一つの、一個の、生物として、ぜんぶを、愛してる。
だから、2人の形質を受け継いだ、2人の生きた証(あかし)が欲しいって思ったの。
私が善ちゃんを愛してる、善ちゃんが私を愛してるっていう、カタチが。
けーちゃんにとっては地球人かそうじゃないかっていうのは、きっとものすごく大事な事なのよね?
ううん。
大事な事なんだわ。
でも、私にとっては…私と善ちゃんにとっては、けーちゃんが私達2人の子供だって事の方が、
けーちゃん自身が生物的にどうとか言う前に、ものすごく、大事なこと、なの。
母は話終えると、じっと俯いたまま身じろぎもしない息子を見て、静かに目を瞑った。
「けーちゃんは、善ちゃんと私の形質を半分づつ受け継いだ、2人の本当の子供。今まで地球人との間に一度として生まれなかった、
ただ一人の新生児。期待の星。まさしく希望の星。この惑星(ほし)で私達星人にも子孫が残せるかどうかは、
けーちゃんにかかっているって言っても言い過ぎじゃないわ」
長い沈黙があった。
「…他の星人と子供を作ろうとは思わなかったの?他の星人となら、男でも女でも簡単に子供が作れるんでしょ?」
やがてポツリと圭介がつぶやいた言葉が、涼子の胸を刺す。
「思わなかった」
「どうして?」
「私達純血種は、このまま滅ぶべき者達だから」
「どうして?」
「この星に流れ着く前から、ずっとそう決めてたの。それに」
「…それに?」
「善ちゃん以外の『人』の子供なんて、考えられなかったから」
母の声が震えていた。
泣いているのだろうか?俯いている圭介には、それはわからない。
「オヤジも“混じってる”って言ってたよね?オヤジも星人なの?」
「純血種じゃあないわ。遠い遠い昔に、仲間が自分の因子を組み込んで産み出した人達の子孫よ」
「母さんが、チベットでしたみたいに?」
「……………遊び半分にしたわけじゃないの。それだけは、わかって」
母は、この星の人々が愛しくて愛しくて愛しくて、それで彼らとの結びつきが欲しかったのだ。
たとえ、理解しあえなくても。
だからこそ、理解しあえた父に、母は「愛」を強く感じたのだろう。
「オレが男から女になったのは、母さんの形質を受け継いでいるから?」
「…たぶん……ううん。そう。最初に変化が起こったのは、小学校の2年生の5月。夜中に高い熱を出して、何度も性別が変わったの。
事情を知らないお義母様が救急車を呼んでしまって……映画の撮影中でけーちゃんのそばにいられなかった事を、すごく悔やんだわ」
「………病院を替えたのはオヤジだってのは、ホント?」
「本当よ。いろいろ手を尽くして、仲間にも手を貸してもらって、けーちゃんの性別が固定するまで、心配で心配で仕方なかった。
やっと前と同じ男の子に固定化した時は、お母さん、もうこの季節には絶対にけーちゃんから離れないようにしようって思ったの」
5月は、この惑星上の星人達のバイオリズムが、この太陽系の恒星…太陽の影響で最も活性化する時期なのだという。
この星で生きていく事を決めてから、地球の公転周期に支配される形へと肉体を調整した結果なのだと、母は言った。
圭介は、純血の星人と、因子を含んだ地球人との完全なハーフのため、その影響を他の誰よりもハッキリとした形で受けるのかもしれない。
そして、圭介が小学校の時に肉体変換が起こったのは、その時が、彼の初恋の時期と重なっていた。
恋した相手の性別によって、精神が肉体を変化させてしまうのかもしれない。
では、今回は?
女に変化した今回は、いったい誰に『恋』しているのだろうか?
圭介は、考えるとなんだか怖い考えになりそうで、慌ててその思考を振り払った。
「他のことは信じてくれなくてもいいい。けど、これだけは信じて欲しいのは、お母さんがけーちゃんの事を心から愛しているってこと」
「…そんなの…」
「…やっぱり、信じられない?」
圭介は再び黙り込み、意味も無くテーブルの木目を数えた。
昼近くになった窓の外は、太陽の光が燦々(さんさん)と降り注ぎ、洗濯物を干すには絶好の日に思えた。
「…ね、けーちゃんて、テンプラ好きじゃない?」
「へ?」
突然、母がさっきまでとは全く違う調子で言った。
瞬間的な転換に、圭介は思わず顔を上げてしまう。
母の目に涙は無い。
『騙したな?』と思うより先に、自分を正面からじっと見つめる、母の深い色合いの瞳に引き込まれた。
「海老のテンプラ、椎茸、ホタテ、ししとうも好きよね?それにアスパラ。けーちゃん、ちっちゃい時から
『今日はテンプラよ』って言うと、にこぉ…って笑うの。もう、天使みたいに。可愛くて可愛くて、お母さん、
一週間毎日テンプラでも良かったわ。…お父さんに『それはやめとけ』って止められちゃったけど」
あたりまえだ。
「でもね、けーちゃん。ウチで作ったテンプラも、スーパーで買ってきたテンプラも、テンプラはテンプラで、
けーちゃんはどっちも好きだったじゃない?スーパーのはちょっとべっとりしてるけど、
大根おろしたっぷりの天つゆにつけて食べると美味しいって。ね、けーちゃん。
『テンプラが好き』っていうけーちゃんの気持ちには、変わらなかったじゃない?それといっしょ」
「なにが?」
「お母さんが、けーちゃんが、好き。愛してるって気持ち。けーちゃんが、私がお腹を痛めて産んだ子じゃなくても、
けーちゃんはけーちゃん。私の大切な大切な大切な大切な子供なの。善ちゃんと愛し合って産まれた、二人の愛の結晶なの」
今まで、ドラマや漫画の中では何度も目にしたけれど、『愛の結晶』という言葉を、まさか自分が言われるとは思ってもいなかった。
「…母さん…テンプラとこれとは話が」
「愛してるの」
あまりに真摯な眼差しに、口をつぐむ。
「けーちゃんのオシメ替えてあげたのは私だもの。
けーちゃんにミルクあげて、お風呂に入れて、風邪引いた時にお鼻に口つけて詰まっちゃった鼻水吸い出したのは私だもの。
初めて立った時も、初めて歩いた時も、初めて「まま」って言ってくれた時も、側にいたのはいつも私だったもの。
覚えてる?いっちばん初めは、けーちゃん、「おかあさん」じゃなくて「まま」って言ったのよ?
善ちゃんが、最初に口にするには「おかあさん」は難しいだろうって。
私も善ちゃんも、2人の遺伝形質を受け継いでるから、とか、そんな理由だけでけーちゃんを愛してるわけじゃないの。
けーちゃんの全てのためにお母さんは生きてきたし、けーちゃんの全てのためにお母さんは生きてるの。
それは善ちゃんもいっしょ。たとえけーちゃんがお母さんのことを嫌いになっても、それでもきっとお母さんは
けーちゃんのお母さんで、だからお母さんはけーちゃんを愛してる。ううん。愛したいのよ。
それでもけーちゃんがお母さんのこと嫌いで、そばにいて欲しくないなら、お母さんはけーち ゃんのそばからいなくなる。
でも、ずっとずっとずうっと、けーちゃんの事愛してる。それだ けは、きっと……ううん。ぜったいに変わらないわ」