二人でお茶を(ミュラー×フレデリカ)2/3-338さん
二度目は未必の故意だった。
それは、個室に備えられたソファの上で起こった。
その日の午前中に行われた旧自由惑星同盟領の自治を認めるための
権利移譲条約締結を記念し、同日夕刻に開催された、
旧同盟領を代表してイゼルローン共和政府側首脳部と、
銀河帝国側首脳部の面々を列席者の中心とする
皇太后ヒルダが主催した非公式のパーティーの中での出来事だった。
無論フレデリカはパーティーの主賓として招待されていたが、
午前中の条約締結にかかる調印式、続く公式記者会見での緊張がいまだ解れず、
自分が気づかぬうちにいくらか体調を崩していた。
そこに雨が降ってきた。
帝国側が用意してくれた会場へ向かう公用車の中にいたときは
それほど降りはひどくなく、フレデリカが着くまでには止むだろうと思っていた。
しかし、会場に近づくにつれ雨は激しくなり、
窓ガラスを叩くように音を立てている。
公用車は会場の玄関付近までフレデリカを運ぶはずだったが、
予想外の事態が発生した。
フレデリカを乗せていたその車が何の前触れも無く緩やかにスピードを落とし、
会場敷地の入口付近で停止してしまったのだ。
どうやらこの雨で車両運行用の電気系統がショートしてしまったらしい。
それが車両全体の故障に波及したのはフレデリカにも容易に理解できた。
車内端末のテレビ電話機能で緊急用サポート係を呼び出し、事情を訴えた後で
応対に出た係員に会場までの道程を尋ねた。
画面の向こうで何度も頭を下げながら道順を説明し、
代車をすぐに手配してそちらに向かわせると詫びる係員を責めることはせず、
「玄関まではそう遠くは無いのでしょう?
でしたらここでぐずぐずしているよりは走った方がましですわ」
とフレデリカは会場玄関までの道程を、
出来るだけ濡れないように木陰を通りながら走っていった。
玄関に着いたときには、
あれだけ気をつけながら走ってきたフレデリカのドレスは水分を含み、
ずっしりと重くなっていた。
しかし、それ以上にフレデリカの顔は滝に打たれてきたかの如く濡れ、
顎先からボタボタと雫を落としている。
化粧もいくらか雨に流されてしまい、
列席者に挨拶に向かう以前に身支度を整える必要があった。
フレデリカは迷わず化粧室に向かい、
目立たない部分を絞って濡れたドレスをいくらか軽くし、
ハンカチで顔を拭って化粧を直す。
それからまずは自分を招待してくれた皇太后に挨拶すべく、
化粧室を出て、会場の長い廊下を歩き始めた。
絞っていくらか軽くなったとはいえ、
多分に水気を残したままのドレスはフレデリカの身体を冷やす。
しかも顔を拭うだけで役目を果たしてしまった小さめのハンカチのおかげで、
金褐色のセミロングはいまだ毛先から雫を落としていた。
急激にフレデリカの体調が悪化するのは当然だろう。
おぼつかない足取り。ふらつく頭。低迷する思考回路。
なんとかしなくては、とは思ったが、そこは初めて訪れている場所。
いくら記憶力抜群のフレデリカでも、
体調が少し快方に向かうまでの間だけ休息する場所を思いつくことが出来ない。
仕方なくフレデリカは誰かの助けを求めるべく、
右に左に身体を揺らしながら廊下を歩いていた。
そこに近づいてきたのは正装用軍礼服に身を包んだ人物。
後ろにたなびくマントからはその人物が元帥号を持っていることが分かる。
「あ……ナイトハルト…ミュラー……元帥閣下…」
とその人物の名前を呼ぶことはできたが、
続けて挨拶をすることが出来ないくらいフレデリカの足元が揺れる。
瞬時にしてフレデリカのただならぬ様子を察知したミュラーは、
「大丈夫ですか、フラウ・ヤン?」
と慌てて駆け寄る。
と同時にフレデリカの意識が混濁し、ミュラーの前にその身体が倒れこんでくる。
その身を守るようにかき抱き、フレデリカが床に崩れ落ちるのを防いだ。
ミュラーが抱きとめた腕の中の人物の身体が小刻みに震えていて、
着ていたドレスが湿っているのがすぐに分かった。
「……寒い…」
小さく漏らしたつぶやきが、フレデリカの発熱を物語っていた。
これ以上歩くことは困難だろうと判断したミュラーは
「フラウ・ヤン、失礼致します」と声を掛けてその身体を抱き上げ、
本会場からは目立たない位置にある個室のいくつかから、
最も至近にある部屋を選んで中に入り、ソファにフレデリカを横たえた。
「すぐに救護係の女官を呼んで参りますのでここでお待ちください」
とミュラーはその場を急いで立ち去ろうとしたのだが。
自分の手がフレデリカによってしっかりと握られていた。
「…いかないで、あなた…」
意外な言葉にミュラーの動きは制される。
混濁した意識下でフレデリカは、
自分を抱き上げソファに運んだ人物のことを、自分の夫であると錯覚していた。
そのことはミュラーにもすぐに分かったが、
自分を「あなた」と呼ぶ掠れがちなフレデリカの声が、
先日の仮皇宮廊下での時に続いてミュラーの胸の奥を少し焦がした。
「このままではもっと体温が低下し、ご体調を悪化させます。
ドレスをお脱ぎになり乾かした方がよろしいのですが、
ご自分で脱ぐことができますか、フラウ・ヤン?」
とミュラーはフレデリカに問いかけたのだが、
「ん……う……」
と返事が的を得ていない。
再びこの場を離れようとすればまたフレデリカに制止させられるだろうし、
そうかといってこのまま多分に水気を含んだドレスを
着せたままにしておくこともできない。
仕方ない、とミュラーはフレデリカの上体を起こし、
ひどくためらいながらも背中に手を回して、
ドレスのファスナーを下ろし、肩口からフレデリカの腕を抜いた。
ファサ…と上身頃がウエストまで滑り落ち、
下着に包まれた胸の膨らみが否応なしにミュラーの眼を釘付けにする。
(いや、駄目だ! 見てはいけない、見てはいけない…)
とぐっと力を込めて瞼を閉じたが、
瞼の裏側には眩しいほどの美しい肌が焼きついていた。
そのまま顔を背け、フレデリカのドレスを腰から太腿へ下げる。
前は容易に下げることが出来たが、後ろは両足に遮られてうまくいかない。
膝裏を抱え、そのまま胸に近づけて腰を浮かせてから
ドレスを腰椎から脱がせようとした。
「……んっ…」
鼻に掛かった甘い吐息がフレデリカの唇から零れた。
何度か確認のために一瞬だけ眼を開けたものの
要所要所を手探りにて作業を進めたのが災いして、
どうやらミュラーはフレデリカの形良いヒップに触れてしまったらしい。
一気に血流が顔に向かって流れてくるのを感じる。
「も、……も、申し訳ありません!」
と自分の非礼を詫びたものの、それに対するフレデリカの反応は無かった。
これ以上は自分でなんとかして欲しいと願うミュラーだったが、
太腿に引っかかったままの濡れたドレスをそのまま放置することも出来ない。
「フラウ・ヤン、あと少しだけご辛抱ください。本当に申し訳ございません」
と自らに言い聞かせるようにつぶやきながら、
やっとのことでフレデリカのドレスを脱がせることに成功した。
ソファにいる人物に不躾な視線を注がないように後ろを向き、
自分の軍礼服の上着からマントを外して傍らに置く。
それから、礼服のボタンを外してそれを脱ぎ、
眼をつぶってソファに横たわるフレデリカの身体に掛けてやった。
(何かの拍子にマントが滑り落ちてもこれで大丈夫だろう)
それでようやく自分の視線を
まともにフレデリカに向けられるようになったミュラーは、
その上からさらにマントを毛布代わりに掛けた。
やっとフレデリカの身体の震えは収まった。
立ち上がって帽子掛けに掛かっていたハンガーを取り、
脱がせたフレデリカのモスグリーンのドレスを掛けて戻す。
辺りを見回し、部屋の隅で目立たぬように機能していた
小型冷蔵庫の中から水差しを取り出して、
スラックスのポケットからハンカチを出し、それを湿らせた。
ソファの前に戻り、熱に浮かされているフレデリカの額にそれを乗せる。
「…あっ……」
急に冷やされた額にいくらか驚きつつも、それが思いの外心地よかったのだろう。
フレデリカの口からそれ以上の声が上がることはなかった。
続いてミュラーはフレデリカの口が
何か言おうとしていることに気がついた。
口元に耳を近づけ、何を言おうとしているのか注意を払う。
と、荒い息遣いと共に吹きかけられた吐息の熱さが、
別の意味でミュラーの背筋を痺れさせた。
「……み、…水…を……」
やっと聞き取れたフレデリカの要求にはっとなり、
ミュラーは慌ててソファから離れて先ほどの冷蔵庫に向かった。
隣にあった飾り棚の中からコップを取り出し、
水差しから水を注いでソファに戻る。
フレデリカの頭はソファの肘掛に乗せられているため、
口にした飲食物を喉奥に押し込むのは比較的簡単なはずだった。
しかし、ミュラーの支えを借りてコップから水を飲もうとする
フレデリカの意識は朦朧としており、熱のためにずっと荒い息をついたままだ。
このためせっかく口中に入ったと思った水は、
口角から道筋をつけて零れていく。
(今この場に踏み込まれて、この姿を誰かに見られたら
何を言われるか分からないが…止むを得ない)
「失礼致します」
ミュラーはコップの水を自らの口に含み、
フレデリカの柔らかい唇に押し当てた。
そのままフレデリカの口腔にゆっくりと水を注ぎ込む。
「……ん…く…、…んくっ……ぅ」
今度は口角から零れずにきちんと喉奥に収まっていく。
「ぅ………、あなた……もうすこ…、…ん…」
全ての言葉を紡がれる前にミュラーは再び口移しで水を飲ませた。
「っく…、あなた……っぅ…」
押し当てた唇の感触がたまらなく心地よかった。
聞きようによっては悩ましげに聞こえるフレデリカの呼び声が、心をとらえた。
内側から突き上げられてくる衝動が、本能を支配していた。
コップの中の水が全てなくなるまで、
ミュラーはフレデリカに口付けを続けていた。
水がなくなったことに気がつき、
「ありがとう…あなた……」
数刻後に聞こえたフレデリカの言葉によって、ミュラーは自分が役目を果たしたことを知る。
コップを冷蔵庫の上のトレイに戻し、
「フラウ・ヤン、お加減はいかがですか?」と訊ねてみる。
返事が無い。
よく見ればフレデリカはいくらか安心した表情を浮かべたまま、
静かな寝息を立てていた。
(これでようやく女官を呼べる、か…)
そのままずっと彼女を介抱してやりたい気持ちを、
眼を覚ますまでその寝姿を見つめていたい気持ちを、
大きく首を振ることで何とか振り払う。
(…あ、そうだ。前にも言われたことだし)
それを拭うべく使いたかった自分のハンカチは、フレデリカの額に乗っている。
仕方なくミュラーは着ていたドレスシャツの左袖のカフスを外して裏返し、
その部分で自分の唇を拭った。
ドレスに合わせた品の良い色合いの口紅が、カフスの裏側を汚す。
カフスを元に戻し、フレデリカを起こさないように
ミュラーは部屋のドアをそっと開けて外に出た。
結局その後はミュラーが呼んだ女官によってフレデリカは介護され、
大事を取って近くの病院に搬送された。
ミュラー自身が「洗面所に行く」と言って席を離れた時に起こった出来事だったので、
1時間以上経過してから会場に戻った軍礼服の上着を脱いだままのミュラーは
同僚たちからあらぬ疑いをかけられ、冷やかしの眼をもって散々からかわれた。
疑い自体は大したものではなくその日が過ぎれば忘れられる程度のものであったが、
ミュラーは会場を抜け出した1時間あまりの出来事の真実をその胸の奥に秘めたまま、
ただ笑って誤魔化したのだった。
その日フレデリカの身体に掛けてやった軍礼服がミュラーの手元に戻ってくることは無かった。
なぜならフレデリカはほかの仲間と共に、
その翌日には惑星ハイネセンへ帰投する準備に取り掛かっており、
ミュラーの方もその職務ゆえの仕事量に忙殺されてしまい、
互いに会う時間を作ることが出来なかったのだ。
誰かに言付けて返すことも出来ただろうが、
介護に当たった女官本人からフレデリカが事情を聞いてしまえば、
軍礼服を返すことでフレデリカだけでなくミュラーの方にも迷惑がかかることは明白だ。
いらぬ苦労をかけさせたくないという配慮をしてくれたのだろう、
とミュラー自身は好意的な解釈をして、それをそのままにしていた。
官給品である軍服、それも正礼服を紛失したのだから懲罰は免れないだろうと皆は噂したが、
どういう訳かそれについてミュラーが懲罰を受けることは無かった。
ミュラーは元帥号を持つほどの最上級士官であったが、
平民出身であるがゆえの倹約的価値観から、
その身分に似合わないほど小さなマンションの一室に居を構えていた。
独身でそれほど広い居室を必要としなかったし、
なにより付近を警備する憲兵隊によって安全性が確保されていたので
ミュラー自身はそれで充分だと思っていた。
自分で玄関扉を開け、照明を点けて奥の居間へ向かう。
仕事用のアタッシュケースをテーブルに投げ出し、
浴室でその日の疲れを洗い流す。
部屋着に着替え、巡回のハウスキーパーが用意してくれた食事をとり、
明日の準備を整えて寝室に行き、ベッドに身体を横たえる。
翌朝ベッド脇の目覚まし時計の音で眼を覚まし、
別室にて軽く身体を動かしてからもう一度シャワーを浴びる。
着替えて朝食を食べ照明を消し、玄関扉の鍵を掛けて迎えの公用車に乗り込む。
それで充分だった。少なくともそれまでは充分なはずだった。
しかし、その日以来どういうわけかミュラーは自分の家が
やけに寒々しい広さをそこに敷き詰めている気に囚われた。
玄関扉を開けた瞬間や、食事をしている最中のテーブル、
食器を片付けるために使う台所。
「使うか否かは本人の判断次第」として軍の保健省から強制的に支給された、
最低限のトレーニングマシンを置いてある別室。
そこに誰かがいてくれたら…とおぼろげな幻想を感じずにはいられない。
そして、自分がつかの間の夢を見るためのベッドがある寝室。
ベッドはシングルサイズのため自分一人しか寝られないのだが、
そこへ身体を投げ出した瞬間。
それまでのおぼろげな幻想がより強固で確実なものになり、
ミュラーは隣に眠る誰かのことを夢想してしまう。
つい視線は寝室の壁沿いに備え付けられたクロゼットに向かいがちだ。
その中にはあの日ミュラーが着ていた左袖のカフス裏が汚れたドレスシャツが、
ハウスキーパーに見つからないように丁寧に畳んで奥の方に押し込んである。
もし見つかったとしてもシャツのポケットにはカードが入っていて、
「自分にとっての想い出の品であるため、
このシャツを洗濯することの無いように」
伝える旨の文字が書いてあったので、それほど心配はしていなかったが。
その晩もミュラーは明日に備えて眠るべく
ハウスキーパーによって丁寧にメイクされたベッドの縁に腰掛けていた。
しかし、帰宅前のささやかな酒宴の席で、
どう話が転べばそこへ繋がるのか、なぜか女性にまつわる武勇伝を順番に語ることになり、
他人ののろけ話を散々聞かされていた。
その上、ミュラーが語る番になって自分にはそのような話が無いことを話すと、
亡きオスカー・フォン・ロイエンタールがその場にいれば呆れるであろうくらいに
今は女性との逸話に事欠かなくなったフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトに
「いまだ10年近く前の想い人の影を引きずってるのか? あきれた奴だ」
とからかわれたのだ。
おかげでその晩はなかなか寝付けそうに無かった。
(それが原因で女嫌いになったわけではないというのに、ひどい言い様だ!
俺だって機会があれば自分と苦楽を共にできる女性と
一緒になりたい、結婚したいって思っているのに…!)
確かにミュラーは10年ほど前にそう思った女性がいた。
ただ、互いに置かれた環境の悪さと、互いの気持ちのすれ違いが原因で
別れるしかなかったのだ。
自宅に戻るまではなんとか耐えられたが、
自分自身でベッドを温めなければならないさみしさが、ことさら今宵は身に染みた。
そのまま自分を埋め尽くそうとする寂しさに耐えられなくなり、
ミュラーはふらふらと立ち上がっていささか乱暴にクロゼットを開け、
件のドレスシャツを手にした。
前の女性との思い出の品は、当の昔に処分してしまった。
ゆえにミュラーと、ミュラーの心に最も近いところにいる女性を繋ぐものは、
今はそれしか無かった。
それを手にして、カフス裏を彩る口紅の軌跡を見つめていると、
穏やかに微笑むフレデリカの姿が鮮明に頭の中に蘇ってきて、
廊下でぶつかったときのことも思い出す。
そのままベッド端に戻り、手の中で玩んでいると
(あの人は、俺の不注意を咎めなかったな…)
次第にミュラーの気持ちは落ち着きを取り戻す。
しかし、落ち着きを取り戻した後のミュラーは、
それに引きずられる形であの日自分に助けを求めた女性の声を思い出してしまう。
発熱のために途切れがちになった声は、
ひどくミュラーの劣情を誘っているように思えた。
ずくん、と身体の中心が疼き始め、熱を帯びてくる。
(いけない…!)
戒めるつもりで自分に疼きを訴えてくるそれを手で押さえつけた。
が、押さえつけたことでかえって疼きが強くなる。
「……ぅ、…っ……」
(止せっ、…俺はあの人にこんなことを望んでは…)
理性はその衝動に抗おうとしていたが、欲望は勝手に腰をうねらせる。
熱を帯びたものを確実に握ろうとして、その手をぐっと押し付ける。
「……あ……、っ……ぁ」
自然と呼吸は荒くなり、
一層熱を増して勃ち上がってくるものをしっかり握るべく、
寝間着はおろか下着の中にいつの間にか手を延ばしていた。
熱いため息が耳官いっぱいに広がる感覚はまるで「その時」の息遣いのようだったのを、
垣間見たドレスの下の肢体が蠱惑的な肉感に満ちていたのを、覚えている。
「ふ……う…っ、………ん…」
握り締めていたはずのドレスシャツはベッドの上に置き去りにしたまま、
ミュラーの身体はずるずるとベッド縁からずり落ちていた。
手の中の膨らみは先端からぬるぬると粘液を滴らせている。
最後まで残っていたわずかな理性と感情を使い、
(あの人を汚すつもりか、ナイトハルト・ミュラー!
やめろ、止めるんだ!!)
眼を閉じて頭を振り、きつく唇を噛みしめながら
もう片方の手でそれに快感を与えている腕に爪を立てた。
「あっ! く……んっ、う……ぅ…!」
既に遅かった。
後戻りできないところまで本能に身体を支配され、規則性を失った呼吸音が耳に聞こえてくる。
粘液で動きが滑らかになったせいで、
性急に背筋を駆け上がってくる焦燥感を感じる。
「…は…ぅ……、う…く…! ……ふぁ…ぁっ」
びくん、と手の中でそれが大きく脈打ったのと同時に、
心のどこかでそう呼ばれることを望んでいた呼称が、耳の中で何度もこだました。
「あぁぁぁ……ッ!」
ミュラーの手のひらに、醜い欲望の証が弾けた。