黒い十字と銀の月
塗られた姉に花束を〜



一章 Lady of Blood



 ピンポーン。

 朝ごはんを食べ終わり、歯も磨いて弁当も用意して、すっかり学校に行く準備が整った丁度その時、玄関のチャイムが鳴った。

 今の時間はAM8:00ジャスト。

 いつもの時間だ。

「はいはーい」

 荷物を持って駆け足で玄関に向う。

「おはよー」

 ドアを開けると、眩しい朝日を背に受けて外に立つのは隣の綾香ちゃん。

「おはよう」

 ボクも綾香ちゃんに朝の挨拶を返す。

「おじさん、昨日のお昼にウチに挨拶に来たって」

「そうなんだ」

「でも、なんか……女の人連れてたって聞いたけど……ホント?」

 ちょっと、怪訝気に綾香ちゃんが訊いてくる。

「うん」

「おじさんもヤルねぇ……向こうで新しい奥さん、見つけてくるなんて」

 綾香ちゃんが腕を組んで、なんだか感心したように腕を組んで頷いた。

「いや、違うよ」

「……違うの?」

「養女だって」

「養女……? ってことは、新しいお母さんって訳じゃないんだ」

「そりゃそうだよ」



 ―――まだ母さんが亡くなって3年しか経っていないんだから。



「っと、早く行かないと電車来ちゃうよ……あっ」

 急に、綾香ちゃんの目が丸くなった。

「お早うございます」

 後ろから聞こえてきたのは、姉さんの声。

「ハルキくんのご学友の方ですね……初めまして、エストリィと申します」

「えっ? あ、ご、ご丁寧にどうも……」

 深々と頭を下げる姉さんに面食らったのか、綾香ちゃんがしどろもどろになってしまった。

「わ、私は隣の水無月綾香です。こちらこそよろしくお願いします」

 でもすぐに我に返って、深々と頭を下げた。

「まあ、水無月さんのお嬢さんでしたか……昨日、お父様とお伺いさせて頂いたのですよ」

「あ、はい、お父さ……父と母から聞いています」

「そうでしたか、今後ともよろしくお願いします」

「あ、は、はい……」

「綾香お姉ちゃん、おはよう」

 ボク達のやりとりに気づいたのか、冬菜まで玄関先にやってきた。

「あ、ああ……お早う、冬菜ちゃん」

「あのねっ、この人は新しいお姉ちゃんなの」

 と、嬉しそうに冬菜はエストリィ姉さんの腕に抱きついた。

「あ、うん……そうなんだってね」

「えへへ……」

「い、行こう、はるくん」

 不意に、綾香ちゃんに手を引っ張られた。

「わっ?」

「電車の時間に遅れちゃうから……し、失礼します!」

「い、行って来ます」

「行ってらっしゃいませ」

 姉さんの声を背に受けつつ、慌ててスニーカーの踵を踏み潰したまま外に出た。

「……………………」

 綾香ちゃんにグイグイと強引に引っ張られて道まで出る。

「ま、待ってってば」

 綾香ちゃんの1歩はボクの1.5歩程あるので、綾香ちゃんのペースで引っ張られると転びそうになってしまう。

「あ、綾香ちゃんってば」

「え? あ……」

 ようやく気づいたのか、綾香ちゃんの足が止まった。

「ご、ゴメン、はるくん」

「もう、どうしたのさ」

 つま先でトントンと地面を打って、スニーカーをちゃんと履く。

「な、なんでもないよ……」

 と、綾香ちゃんは誤魔化すように、あさっての方向を向いた。

 あきらかに、何か動揺している。

「き、綺麗な人だね」

「え? ああ」

 綾香ちゃんのセリフには主語がなかったが、多分、姉さんの事だろう。

「うん、そうだね」

 長い金色の髪に長い睫、気品漂う顔立ち、落ち着いた物腰。

 でも決して高潔で近寄りがたいって感じじゃなくて、たまに見せる子供っぽい仕草がとても、

(可愛いんだよね……)

「……鼻の下、伸びてるよはるくん」

 綾香ちゃんに、ムッとした表情で睨まれた。

「そ、そんなことないよ」

「ふんだ」

 慌てて首を振るが、綾香ちゃんはプイッとそっぽを向いて早足で先に行ってしまう。

「ま、待ってよ綾香ちゃん!」

 綾香ちゃんが早足になると、ボクは走らないと追いつけない。

「ね、ねぇってば!」

「はるく……の、お姉……は……私……のに」

「何、怒ってんのさ」

 何かブツブツ呟く綾香ちゃんに追いついて横から訊いてみる。

 その刹那、歩みを止めた綾香ちゃんに、

「怒ってなんかないよっ!」

 ギロッと睨まれて、怒鳴られた……。

「え、あ、う……」

 言葉に詰まってしまう。

 怒ってる、なんだか良く分からないけど、凄く怒ってる。

 こんなに綾香ちゃんが激しくボクに対して怒りを露にしたのは、記憶にない。

「……ご、ゴメン」

 でもすぐに綾香ちゃんの顔からキツい雰囲気がなくなった。

「今の私、凄く意地悪だったね……ゴメン」

 そして、あのいつも元気な綾香ちゃんが今にも泣きそうなくらいに寂しそうに俯いてしまった……。



 ―――何故だか、胸がズキンと痛くなる。



「あ、いや、気にしてないから……」

「うん……」

「ほら、早く行こう。電車に遅れちゃうよ」

 ボクは精一杯明るい声を出して、綾香ちゃんの手を取った。

 ……こうやって手を繋ぐのは、何年ぶりだろうか。

「あ……」

「行こう、電車に遅れちゃうよ」

「……うん」





「……で、お前らは朝っぱらから何やってんだ」

 2つ前の駅から乗っていた火嘉が、開口一番呆れ顔でそう言った。

「いや、その……」

 桜ヶ丘に向かう学生をぎゅうぎゅうに詰めてガタンゴトンと田舎の路線をのんびり走る電車の中、ボクと綾香ちゃんの手はいまだに繋がれたままになっていた。

 駅で電車を待っている時にも周りから散々冷やかされたけど、なんとなく離す機会を逃してしまったわけで……。

 なんというか、先に離してしまったりしたら綾香ちゃんに悪いような気がしてしまうわけで……。

「い、いいじゃないっ! な、仲良しなんだから!」

「仲良しって、なあ……」

 火嘉が隣の男子生徒、各務光輝に視線を送る。

「ふむ、ついに一線を越えたか……実に興味深い」

 各務が銀縁眼鏡をクィっと中指で押し上げつつ、薄くセピアがかったレンズの向こう側から紅い瞳でニヤリと笑った。

 彼もまた綾香ちゃんや火嘉と同じく長身なので、この3人に囲まれると、とてもやるせない気分になってしまう……。

「ばっ、ばかなこと言わないでよっ! この白あたまっ!」

「フッ、銀髪と言って欲しいな」

 各務は色素の抜けた白い髪を掻き分けながら不敵に笑う。

 彼は、先天性色素欠乏症―――いわゆるアルビノであり、髪だけでなく肌なんかも透き通るように白い。

 か、本人はその事を他人に指摘されても少しも気にすることはなく、逆に笑いのネタにする程の度量を持っていた。

 そんな彼は科学部に所属して日夜怪しい実験に勤しんでおり、トレードマークなのか、いつもコート代わりに白衣を身に付けていた……。

「あっはっは、水無月が春樹に手ぇ出したら、犯罪だろう?」

 火嘉が腹を抱えて笑い出す。

(……なんで犯罪?)

「た、叩くよっ! 赤いのっ!」

「おお、こえぇ、こえぇ」

 そう言いながら、火嘉が各務の背中に隠れた。

「フム……いたいけな小学生をかどわかすショタ女と言ったところか。実に興味深い」

 各務はそう言って、顎に手を当ててボクと綾香ちゃんを交互に見る。

 まるで、貴重な研究材料を見るかのように……。

「誰がショタ女だっ!」

「各務……小学生はひどいよ」

「風野、今日のお前のラッキーアイテムは赤いランドセルだ」

 各務に、ポンと肩を叩かれた……。

「きっと似合うぞ」

「似合いたくないよ……」

 だいたい赤いランドセルなんて、女の子用じゃないか。

「それと水無月……幼少期に性的ないたずらや性的関係を強要すると、大きな精神的外傷を植え付ける事になってしまうから止めておけ」

「そんな事するかっ!」

「各務……遠回しにボクの悪口も言ってるでしょ?」

 上目遣いに、ジロっと睨みつける。

 各務はいつもボクを子供扱いして笑いのネタにする、ちょっと嫌な癖がある奴だった。

「冗談はともかく……」

 コホンとワザとらしく咳払いをする各務。

 ようやく彼の笑えない冗談が終わ……

「まあ、近親相姦も程々にしておくんだな」

 ……っていなかった。

「なっ……」

「特にお前らはそういうのに疎そうだからな……近親間での妊娠は劣性遺伝病を引き起こす確率が高いという話だ。ちゃんと避妊はしておけよ」

「こ、この……」

 しっかりと繋がれた手を伝って、綾香ちゃんの戦闘力がグングン上がってくるのが分かった。

 ……それはもう、痛いくらいに。

「お前……相変わらず凄い事をサラリと言うなあ」

 流石の火嘉も、ちょっと引いていた。

「外出しは避妊にならないから気を……うっ!?」

 突然、隣で参考書に目を通していた女生徒が各務の頭をスパコーン! と、その本で引っぱたいた。

「朝っぱらから、とんでもない事を大きな声で言ってるんじゃないっ」

 そしてその女生徒―――土屋京子さんが各務を怒鳴りつける。

「むぅ、この私の隙を突くとは……流石は委員長、まあるい眼鏡とおさげは伊達じゃないな」

「関係あるかっ! この白い悪魔!」

 土屋さんは我が2年B組の委員長で、先生から直々に委員長に指名されただけあってかなり真面目な性格でしっかりした女の子だ。

 成績だって優秀で、試験順位は毎回2位をキープしている。

 ちなみに1位を毎回キープしているのは、ボクの目の前で不敵な笑みを浮かべている各務だったり……。

 そのせいか、土屋さんは各務を敵視しているようだった。

「悪魔はいただけないな……白い貴公子とでも呼んで欲しいものだ」



 ……もっとも、この不遜な態度のせいで各務を敵視している人は少なくないのだけど。


「ふぅ……綾香もこんな3バカとは早く縁切った方がいいのに」

 そう言って土屋さんは呆れ顔で首を横に振った。

 ちなみに彼女も他の3人程ではないが、女の子にしては背が高い方だ。



 ……………………………………。



(どうしてボクの周りには、ボクより背の低い人はいないんだろう……)



 ……ちょっと泣きそうになったけど、我慢した。



「はるくんはバカじゃないよ。そっちの赤いのと白いのは正真正銘のバカだけど」

「なにおう」

「フム、私をバカ呼ばわりとは、実に興味深い事だ」

「ふぅん……まあ確かに仲が良いのは認めるけど、こうも見せ付けられるのはねぇ……あれ?」

 土屋さんがいきなり身を屈めてボクの顔を覗き込む。

「な、何?」

 土屋さんはいつも凛とした雰囲気で、眼鏡と黒髪の三つ編みおさげが良く似合う知的な美人だ。

 そんな彼女にじっと見つめられると……

 ……ちょっとドキドキっとしてしまう。

「ほらここ、虫に刺されてるみたい」

「え?」

 土屋さんが指差したのは、ボクの左の首筋辺り。

 手を当ててみると、確かになんだか腫れている感触が2つ。

「ホントだ……あ、はるくん、掻いちゃダメだよ」

「別に痒くはないけど……」

 思い当たる節がない。

 この時期に蚊は居ないだろうし、部屋はこまめに掃除してるし天気のいい日には布団だってちゃんと干しているからダニってわけでもないと思う。

「なんちゅーか、キスマーク?」

「やはり水無月が……実に興味深い」

 火嘉と各務も揃ってボクの首筋に注目する。

「まだ言うか、この紅白バカっ」



 随分縁起の良いバカだった。



「キスマークねぇ……」

 首筋を擦りながら考える。

 誰かがボクの首にキスマーク?

 誰かがボクの首筋に……吸い付いた……?

 ……………………。

 …………………………。

「あ」

 一枚の光景が、ボクの脳裏に浮かび上がる。




 銀色の月の光が差し込む部屋の中。

 金髪の女性が、その綺麗な髪を掻き上げながら薄氷色の瞳でボクを見下ろしている。




 ―――唇を真っ赤に染めて、妖しい笑みを浮かべながら。




「あ、ああ……」

 顔から血の気が引いていくのが、自分でも良く分かった。

 足から力が抜け、思わず綾香ちゃんの腕にしがみつく。

「は、はるくん!? ど、どうしたの!?」

 綾香ちゃんが、慌ててボクが倒れないように支えてくれた。

「お、おい、どうした? 春樹?」

「……貧血か?」

「風野クン……だ、大丈夫?」

 他の3人も不安げな表情でボクの様子を伺う。

「だ、大丈夫……」

 綾香ちゃんの腕に掴まりながらも、なんとか体勢を整える。

「顔、真っ青だよ……ホントに大丈夫? 学校着いたら保健室行こうか?」

「大丈夫、ちょっと目眩がしただけだから」

「桜ヶ丘に着きます、お降りの方は……」

 車内アナウンスが流れると同時に、電車の走るスピードが徐々にゆっくりになっていく。

 ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタン。

 プシューッ。

 ドアが開き、車内の学生達が一斉に降り始める。

「はるくん、歩ける?」

「うん……大丈夫だよ綾香ちゃん」

 もう、綾香ちゃんに掴まらなくても歩けるぐらいにはなっていた。

「それならいいけど……あっ」

「大丈夫、大丈夫だから……」

 ボクが綾香ちゃんから身体を離すと、自然に繋いでいた手も離れてしまう。

「行こう……閉まっちゃうよ」

「あ、うん……」

 何かヒソヒソと話し合う4人を尻目に、ボクは外に出た。





 ―――あれは、夢じゃなかったんだ。








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