黒い十字と銀の月
塗られた姉に花束を〜



一章 Lady of Blood



 ピピピッ! ピピピッ! ピピピッ!

「うああああっ!」

 目覚まし時計の音にビックリして、ボクは目を覚ました。

「……ふはぁ」

 むくりと半身を起こし、うるさく鳴り続ける目覚ましを止めた。

 辺りを見回せばボクの心境とは裏腹に、何の代わり映えの無いいつもと変わらぬ6畳のボクの部屋。

 掛け布団もきれいにかけられており、シーツや衣服にも乱れた様子は無い。

「……夢?」

 ……身体がとっても熱い。

 あまりの熱さに、ボクはパジャマ代わりのトレーナーを脱いだ。

 その下に着ていたシャツが汗でぐっしょりになっていて、凄く気持ち悪い。

「それにしても……」

 凄い夢を見てしまった。

 そりゃあ、ボクだって健全で多感な年頃の男の子。

 ベッドの下にえっちな本の1冊や2冊は隠してるわけで……。

 ああいう事に興味がないわけでもないわけで……。


 ―――でも。


 ―――昨日会ったばかりだというのに。


 ―――エストリィ姉さんであんな夢を……。


(ボクって結構、節操なし?)

 ぼんやりと、微かに残っている夢の中の出来事を思い出してみる。

「…………うああああぁ」

 両手で頭を抱え込み、激しく呻いてしまう。

 あの優しく、貞淑なイメージの姉さんにあんな事させるなんて……。

 自己嫌悪。激しく自己嫌悪。

 世界の全ての人に謝ります。ごめんなさい、ごめんなさい。

 夢オチなんてベタな事やってしまってごめんなさい。



 ……………………………………。



「…………はっ!」

 ボクはある事を思い出す。


 ―――えっちな夢を見てしまった朝に決まって起きる現象。


 ボクは慌ててパンツの中に手を入れた。



 ……………………………………。



「…………ホッ」



 安心して胸を撫で下ろす。

 ……今日は大丈夫だった。

(夢精ってのは嫌なものだよ……ホント)

 今日は朝っぱらからパンツをコッソリ手洗いせずに済んだようだ。

「でも、シャツは換えないと……」

 ボクはベッドから起き出す。

「シャワーも浴びようかな」

 ……それにしても。

 何故か今朝はいつもよりも異様に身体がダルかった。

 壁に手をつきつつ、ボクはふらふらとした足取りでバスルームに向かった。





 熱いシャワーを浴び、乾いた下着に着替えてスッキリしたら大分楽になった。

 バスルームからキッチンに向かったボクは、昨夜から磨いだ後水に浸していたお米を炊飯器にセットしてスイッチを入れた。

「お早うございます、ハルキ君」

 味噌汁の材料を取り出そうと冷蔵庫を開けたところで、エストリィ姉さんがキッチンにやってきた。

「あ、お早うございます」

 今日も姉さんが着ているのは、黒系のワンピース。

 もちろん昨日のワンピースとは違い、今日のには左肩口の所に銀の薔薇が刺繍してあり、腰には白いリボンベルトが蝶結びされている。

「お早いのですね」

 とびっきりの笑顔で、姉さんが微笑んだ。

「は、はい……」

 昨夜の夢の出来事を思い出してしまう。

 ……まともに姉さんの顔が見れなくて、つい顔を背けてしまった。

「えっと、朝ごはんを作らないと……」

 誤魔化しついでにボクは冷蔵庫から煮干と昆布、味噌、油揚げ、チルド室からは大根を取り出した。

「ああ、腐った豆のスープを作るのですね?」

 姉さんが、ポンと手を打って閃いた様に言った。

「味噌汁です……」

 流石に食欲を無くすので、その呼び方は勘弁して欲しかった。

「そうでしたね……味噌汁、味噌汁……覚えました!」

 嬉しそうに、姉さんがグッと親指を立てた。

「私も手伝います、何をしたらよろしいでしょうか?」

「そうですね……んじゃ」

 ボクは煮干のパックの口を封していた輪ゴムを外し、姉さんに手渡した。

「20匹ほど、頭とお腹を取ってもらえますか?」

「はい!」

「取ったら、この中に」

 ボクは鍋に水を張り、ガスコンロの上に置いた。

「はい、かしこまりました」

「じゃあ、ボクは……」

 ボクは金ザルに油揚げを入れてお湯の出る蛇口をひねり、油抜きを始めた。

 油抜きの後は、短冊に切ってまた金ザルに入れておく。

「終わりましたよ、ハルキ君」

「それじゃあ」

 ボクはその鍋に昆布を一切れ入れて、火を点けた。

「なるほど、煮干と昆布でブイヨンを取るわけですね」

「はい」

 と、ボクは次の工程に進む。

 大根を使う分だけ切って皮剥き器で皮を剥き、短冊に切る。

「お上手ですね」

 姉さんに、ニッコリ笑顔で褒められた。

「いや、まあ、慣れてますから」

 実のところ、結構包丁捌きには自信があった。

 魚だってちゃんと3枚に下ろせるし、今は面倒だから皮むき器を使ってるけど、やろうと思えば大根の桂剥きだってちゃんとできる。

 リンゴの皮も途切れずに綺麗に剥けるのは、ちょっとした自慢だ。


 ―――でも。


(もっと男らしい事で自慢したいよ……)

 ちょっと泣きそうになったけど、我慢した。

「え? わ、私、何かお気に障る事を申しましたか?」

 しょんぼりしてたら、姉さんが慌ててしまった……。

「あ、いや、何でもないです、あははー」

 とりあえず、笑って誤魔化した。

「ええっと、ついでにアクも取ってもらっていいですか?」

「はい」

「取ったアクは……とりあえずこの中に」

 姉さんが立っているコンロ付近からは流し場には届かないので、空のボウルにアク掬い用のおたまをつけて渡した。

「はい、お任せください!」

 それを受け取った姉さんは、くつくつと沸騰しつつある鍋とにらめっこを始めた。

 それはもう、凄く真剣な表情で。

「……ぷっ」

 つい、その光景が可笑しくなって吹き出してしまった。

「え? わ、私、何か間違いましたか?」

 そんなボクに気づいた姉さんが慌ててしまった。

「あ、いや、何でもないです。笑ったりしてゴメンなさい」

「そうですか……くすっ」

 お互いに顔を見合わせて、笑い合う。



(……なんかいいよね、こういうの)

 ほのぼのしてしまう。

 母さんが生きてる頃は料理なんて全くしなかったけど、少しは手伝ってあげれば良かったかな……。

「おっと」

 鍋のお湯が沸騰する寸前を見計らって、姉さんの横から出汁昆布を引き上げる。

「あとはこのまま煮出すんで、アク取りお願いしますね」

「はいっ」

 鍋は姉さんに任せて、次にボクは冷凍庫からシャケの切り身を取り出し、それをコンロのグリルに乗せて焼き始める。

 今日の朝ごはんの献立は、ご飯に大根と油揚げの味噌汁、そしてシャケの切り身というわけだ。

 ついでにきゅうりの漬物が無くなるまで食べ放題。

 もちろんご飯のお代わりだって無くなるまで食べ放題だ。

(ちっとも食べ放題じゃないか、というツッコミは勘弁してください)

 もっとも、ボクも冬菜も見た目通り小食で、姉さんも昨日の夕食からするとあまり食べる方ではないようだし、おそらくご飯を2杯以上食べるのは父さんだけだろうから、それで十分なわけだけど。

(だから背が伸びないんだ、というツッコミも勘弁して下さい……)



 そんなこんなで朝ごはんの用意が整った頃には父さんが自分で起きて来て、隣のダイニングで新聞を広げていた。

 ダイニングテーブルにできたばかりの朝ごはんを並べていく。

「冬菜を起こしてきますね」

 ここは姉さんに任せて、ボクは冬菜を起こしに向かった。

 冬菜の部屋は二階の奥。

 ボクの部屋の向かい側の部屋だ。

 階段を上がり、冬菜の部屋の前に立ったボクは一応、ノックをする。

「……………………」

 返事はなかった。

 普通なら、ここでドアを叩いて呼べば起きて来るものなんだろうけど……。

 冬菜が相手では、そんなの時間の無駄になるだけなのだ。

 ためらうことなく、ボクはドアを開けて中に入る。

 冬菜の部屋に入ると、まず出迎えてくれるのはぬいぐるみの集団。

 イヌやネコ、クマ、ウサギ、ヒツジなどの動物ものやアニメなどのキャラクターもの、正体不明なものなど、実に多種多様なぬいぐるみ達が畳の上や本棚の上は言うに及ばず、勉強机やパソコンの上などありとあらゆる所に所狭しと並べられている。

 本棚に目を向けると、そこには入院中には本を読むくらいしか楽しみが無かったせいか、小説や少女漫画なんかがぎっしりと並んでいる。

 そういったものに興味の無いボクにはその本棚の本がどんな内容のものかは分からなかったが、綾香ちゃんに言わせると、

(BL系ばっかりだね……)

 らしい。

(BL系って……何?)

 冬菜に聞いても、あーだこーだと誤魔化すばかりだし、綾香ちゃんに聞いたら、

(はるくん……世の中にはね、知らない方がいい事もあるんだよ。うん)

 と、教えてくれなかった。

 ついでにいつものgoo 辞書では、


 検索結果に該当するものが見当たりません。

 キーワードを変更して再度検索をしてみてください。


 ……だから、いまだに謎だった。

 でも今はそんな事を考えている場合じゃない。

 ちょっと大きめのヘタレ顔のカッパのぬいぐるみと、クドい顔の正体不明なぬいぐるみと一緒に川の字になってベッドでスヤスヤと寝息を立てる冬菜の傍に向かう。

 ちなみにこの2体のぬいぐるみは冬菜の1番のお気に入りで、かっぱの方は『かっぱ君』で、正体不明な方は『かわうそ君』という名前らしい。

 これが可愛いと言うのだから、冬菜の可愛いの基準が良く分からなかった……。

「冬菜、朝だよー」

 ちょっと強めに肩を揺らしてみる。

「う、ううん」

 邪魔そうにボクの手を払いつつ、冬菜は寝返り打って背を向ける。

「起きろー」

 もっと強めに揺らしてみる。

「……はみゅー」

 もう1度、寝返りを打ってボクの方に顔を向ける冬菜。

 そしてうっすらと目を開けて、

「あと5分……」

 ……また、目を閉じた。

「こらこらー」

 無理やり半身を起こして、ガクガクと強く肩を揺らす。

「うーっ、まだ敵だって寝てるよー」

「はぁ?」

「後世の歴史家なんて、まだ生まれてもいないよ……ぐぅ」

「訳分んない事言ってないで、さっさと起きろー」

「う……」

 冬菜の目が再び開いた。

「お兄ちゃん、おはよう」

 今度はちゃんと目が覚めたのか、朝の挨拶を返してきた。

「うん、おはよう」

 ボクも冬菜に挨拶を返す。

「ほら、起きたらとっとと制服に着替える!」

「……お兄ちゃん、おはよう」

「朝ごはんできてるから、早く下りてこいよ」

「……お兄ちゃん、おは……よう」

「早くしないと遅刻するぞ」

「……おに……ちゃん、お……は、よう」

「…………寝てるだろ、お前」

「……おに……ちゃ、お……よ…………ぐぅ」



 ……………………………………。



 目を開けたまま、寝言で返事されてしまった。

 どうやら冬菜のねぼすけレベルがアップして、新しいスキルを身に付けたようだった。

「バカ者っ!」

「あいたっ!?」

 ペシンと、冬菜の頭をはたいた。

「あ、あれ? お兄ちゃん?」

 何が起こったのか良く分からない面持ちで、冬菜がボクの顔を見る。

 今度こそ、ちゃんと目が覚めているようだ。

「早く起きろってば」

「うう、眠いよう……」

 冬菜は眠そうに目を擦りながら、のそのそとベッドから下りた。

「早く下りて来いよ……まったく」

 今度こそちゃんと起きているのを確認したボクは、壁に掛けてあるセーラー服に手を伸ばす冬菜を尻目に部屋を出る。

 ついでにボクも制服に着替え、ダイニングルームに向かった。





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