黒い十字と銀の月
塗られた姉に花束を〜



一章 Lady of Blood




 その日、学校での出来事はあまり覚えていない。

 火嘉の誘いも断り、今日もまっすぐ帰宅した。

 今は自室のベッドに横になってぼーっとしている。

 家に帰ってからのボクも上の空だったけど、気がついたら夕食の準備まで済ませていたのはいつもの習慣が為せる業なのだろう。

 夕食の準備、そして後片付けの際には姉さんに手伝って貰っていたけど、一度もまともに顔を見る事はできなかった。

 いろいろ話しかけられていた気がするけど何と言われたか覚えてないし、それに対して何か返した気がするけど何と言ったかは覚えていない。

 ごろん、と横に寝返りを打って 寝転がったまま窓の外に目を向けてみる。

 漆黒の空には雲ひとつないのか、光の粒が無数に輝いていてその中に少しも欠けていない大きな満月がぽっかりと浮かんでいた。

 そういえば昨夜のあの時も、あの月が部屋の中を照らしていて……。

 その中に浮かび上がるように映える金の髪に、薄氷色の瞳。




―――そして、紅く染めた唇。




 コンコン。

「!?」

 不意に響いたノックの音で我に返った。

「は、はい」

 慌てて跳ね起きて、ドアを開ける。

「こんばんは」

 目の前でニコッと微笑んでボクを見つめるのは、

「ね、姉さん」

「お風呂、空きましたよ」

 髪にタオルを当てながら、姉さんがボクの瞳を見つめてニコッと微笑む。


 ―――家に帰ってから、初めて目が合った気がする。


「どうかしましたか?」

 面食らっていると、不思議そうに姉さんがボクの顔を覗き込んだ。

「い、いや……」

 慌てて視線を下に逸らす。

 逸らしたら、今度は姉さんのピンク色のパジャマにプリントされている無数のひよこにつぶらな瞳で睨まれた。

 …………気がした。

「フフッ、このパジャマ、今日お父様に買っていただいたのですよ」

 姉さんはそう言って、クルリと回って見せた。

 ヒヨコは後ろの方までいっぱいだった。

「可愛いと思いませんか?」

 そう言って姉さんが子供っぽく微笑んだ。

「え、あ」

「……やっぱり似合いませんか?」

「え?」

「お父様に、『お前には子供過ぎて似合わない』って散々言われたのですよ……」

 戸惑っていたら、いきなり姉さんが、ズゥンと影を落として寂しそうに俯いてしまった。

 でも確かに大人っぽい美人の姉さんに、このひよこパジャマは似合っていないような気がする。

 やっぱり姉さんには黒を基調としたシックなドレスなんかが似合うんじゃないかと思う。

「ハルキ君も似合わないと思っているのですね……ショックです」

 しょぼーんと、今にも泣きそうな表情で呟く姉さん。

「あ、いや、そんな事ないですよ! とっても似合っていますっ」

 慌てて自分の考えを否定した。

「……本当ですか?」

 疑いの眼差しで見つめられる。

 その澄んだ瞳はボクの中の全てを見通しているような錯覚に陥ってしまう。

「ほ、本当です」

 ボクはさっきまでの考えを記憶の隅に押しやって、肯定した。

「ああ、良かった」

 心底ホッとしたように、姉さんが自分の胸を撫で下ろした。

「私、可愛いものが大好きなのですよ」

 そしてニコリと笑顔になる。




 ――――――反則だ。




 ともすれば近寄りがたい雰囲気すら醸し出すくらい、美人で綺麗で大人びてるのに。




 こんなにも人懐っこくて可愛い笑顔を見せるなんて……。




「でも、私が可愛いものを身に付けると、見る人こぞって似合わないって言うのですよ」

 と、今度は頬をちょっと膨らませて可愛くスネられた。

 その子供っぽい仕草が微笑ましくて、つい、

「…………ぷっ」

 吹き出してしまった。

「あ、今、笑いましたね」

「くっくっく……ご、ゴメンなさい」

 おなかを押さえて必死に笑いを抑えようとするけど、どうしても漏れてしまう。

「……んもう、酷いです」

 いきなり、正面から、ふわりと抱きすくめられる。

「え?」

 ボクの鼻先に、いつも姉さんの胸元で黒く鈍い光を放っている逆さ十字のネックレスが当たる。

「え、あ、な、何を……?」

 そしていつもお風呂場に置いてあるボディシャンプーの香りが、ボクの鼻腔をくすぐった。

「やっと、笑っていただけました」

 姉さんが少しだけ身体を離し、戸惑うボクの顔に自分の顔を近づける。

「今日は帰宅なさってから、ずっと様子がおかしかったから心配していたのですよ」

「え?」

「話しかけても上の空でいらっしゃいましたし、嫌われてしまったのかと思いました……」

「そ、それは……」

 嫌ったりはしていなかったけど、避けていたのは事実。

 昨夜の出来事……。

 あれは本当に起こった事なんだろうか?



 そうだ。



 きっとあれはやっぱり夢だったんだ。

 ボクだって健全で多感な年頃の男の子。

 えっちな夢の一つや二つ、見るに決まってる。

 首筋だって、何かの虫に刺されたんだ。

 きっとそうだ、そうに違いない。


 ―――だって。


 目の前で心底ホッとした表情を見せているこの人が、あんな事をするなんて到底思えない。

 こんなにも、優しくて、繊細で……暖かい人なんだから。

「ゴメン、姉さん。嫌いになんかならないよ」

 ボクも抱きしめようと、姉さんの背中に手を回す。

 その時だった。




「そうですよね……昨日、あんなに睦み合ったのですから」





「――――――!」

 慌てて身体を離して姉さんの顔を直視する。

「どうかしましたか? ……くすっ」

 愕然とするボクを見て、目の前の姉さんがクスリと笑う。

 その笑みに、さっきまでの人懐っこさはすっかり消え失せていた。



 ―――妖艶。



 ……という言葉が真っ先に思いついた。

「ふふっ、どうしたのですか? そんなに驚いて」

 姉さんが一歩前に出て、ボクが後退った分の間を詰める。

 気圧されたボクが、また一歩、後退る。

 そうしてできた空間を、姉さんがまた埋める。

 カチャリと、ドアが静かに閉じられる音と鍵の掛かる音が、息が詰まるほど静かな部屋の中に響いた。

「昨夜のご様子では、忘れていらっしゃるのではないかと思っていましたけど……」

 いきなりぐいっと抱き寄せられ、そのまま横抱きに軽々と抱えられてしまう。

「わわっ!?」

 慌てて、姉さんの首筋にしがみつく。

「フフッ、慌てなくても落としたりはしません。こう見えても私、力は強いのですよ」

「で、でも」

 いくらボクが小柄だからって、姉さんのような華奢で細身の女性に易々と抱えられる重さじゃないはずだ。

「くすっ……慌てた顔も可愛らしい」

 でも当の本人は余裕の表情でボクを抱きかかえたまま、ゆっくりと歩を進める。

「あ、うう……」

 それにしても。

 他に思う事は、山ほどあるだろうに。

 この期に及んでボクが真っ先に思った事といえば……。



(女の人に『お姫様だっこ』されるなんて、普通は逆だよう)



 ボクのコンプレックスは、自分自身が思っているより重症なのかも知れない。



 ……ちょっと泣きそうになったけど、我慢した。



「安心したら、喉が渇いてしまいました」

 ボクの身体が、静かにベッドの上に下ろされる。

「また、飲ませて下さいね」

 続いて、姉さんの身体がボクの上に覆いかぶさってくる。

 あの、妖艶な笑みを浮かべながら。

「な、何を……んっ!?」

 いきなり姉さんの顔がボクの目の前に迫り、その紅い唇が言葉を紡ごうとしたボクの口を塞いだ。

 そして送り込まれてくる姉さんの唾液。

「ん、んっ……っ!?」

 ボクの咥内が、送り込まれた姉さんの分泌液で満たされる。

 たまらず、ボクはそれを嚥下する。




 ――――――ドクン。




 その刹那、ボクの心臓が大きく鼓動する。




 ――――――ドクン。




 ――――――ドクン、ドクン。




 心臓の鼓動が波を打つ度に、ボクの身体の芯から熱っぽいものがどんどん湧き上がってくる。

「……ふぅ」

 姉さんの唇がボクから離れる。

「な、なんで……こんな……っ」

 熱い。

 身体が凄く熱い。

 その熱さのせいなのか、頭がぼぅっとして何も考えられなくなってくる。

「今日は、先にこちらからいただきましょうか」

 再び、姉さんの顔が近づいてきた。

 また、キスされるのだろうか?

 ……と思ったらボクの唇は素通りして、左の首筋にキスをされる。

 キスだけではなく、そのままペロペロとそこを舌で舐められる。

 きっと、こういうのを愛撫って言うんだろうか。




 ―――凄く、気持ちいい。




「では、いただきます」

「――――――!」

 何か、鋭いものがボクの首筋に突き刺さる感覚。

 続いて、そこから何かを吸い出される感覚。

「あ、あっ……ふぁっ!?」

 痛くはない。

 ただ、果てしないくらいの快感がボクの全てを支配する。

 姉さんがボクの首筋から飲んでいるのは、紛れもなく……。


 ボクの血。


 姉さんがコクンと喉を鳴らすたびに、ボクの身体が強烈な快感にピクンと跳ねる。

 その身の毛もよだつような快感にボクの下半身がガチガチに反応してしまう。

「……ふぅ」

 それから喉を3回鳴らしたところで、姉さんの唇がボクの首筋から離れた。

「フフッ……ワインは寝かせた方が美味しいけれど、血は若い方が美味しい」

 ボクの上に馬乗りになったまま、姉さんは口元についた紅いものを手の甲で拭い、それをペロリと舌で舐め取った。

 その時、姉さんの白く輝く4本の牙がボクの眼に映る。

「ね、姉さんは一体……?」

 ようやく、搾り出した言葉がそれだった。

「私? そうですね……吸血鬼、と申し上げたらよいのでしょうか?」

「きゅ、吸血鬼?」

「ええ……人間の生き血を糧としてその生命を繋ぐ闇の眷属」

「そ、そんな事って……」

 吸血鬼なんて、ファンタジーやホラー映画にしか存在しないと思っていた。


 ―――でも。


 目の前で微笑んでいる姉さんの姿。

 痛くはなかったけど、さっき首筋に感じた鋭い感覚。

 そして今もなお、身体の底から湧き出してくる熱いもの。



 ―――これは全て現実。




「そんなに怯えなくてもよろしいですよ」

「え?」

「別に、貴方を贄や屍食鬼などにするつもりはありませんから」

「に、贄? 屍食鬼?」

 聞き慣れない言葉だけど、とても不吉な感じがした。

「ええ、時折、血を飲ませていただければそれで良いのですから」

「血……って」

「ええ、私は人間から生命を分けて戴かないとその身を維持できない罪深い身……」

 少しだけ、姉さんの顔に影が差した。

「じゃ、じゃあ……あれは嘘だったの?」

「え?」

「ずっと独りぼっちで寂しかったって……」

 昨日の夕食の時。

 あの時、姉さんはとても寂しそうな目で家族の暖かさが欲しいと言っていた。

 あの目は、嘘だったのだろうか。

「いいえ」

 姉さんがゆっくりと首を横に振る。

「それも本当……私は自然の理を外れた身。畏怖こそされても、誰も私を愛してくれはしませんでした」

 そう言って、姉さんは瞳に悲しみの色を湛えて俯いた。

「教会の異端狩りに追われ、トランシルヴァニアの古城に身を寄せていた私はそこでアキトシ……お父様に出会ったのです」

「父さん……に?」

「はい。本当は彼を私の贄にするつもりだったのですが……日本という国には教会の勢力が殆ど及んでいないと聞いていました。だから私は彼を利用してこの国に移住する事を思いついたのです」

「利用?」

「ええ。でも彼は私に恐怖する事無く、色々な話をしてくれました。日本の事や家族の事……そのうち私も家族というものに興味を持ち始めたのです」

 再び、姉さんがボクの目を優しく見つめ直す。

「彼には妻として迎え入れて戴こうと思ったのですが、『私には他界したとはいえ、すでに愛する妻が居る』と断られたのですよ……でも『娘としてなら』と了承戴いたのです」

「そうなんだ……」

 父さんは、ちゃんと母さんの事を今でも好きでいてくれているんだ。

 ……良かった。

「お父様からは正体は明かさないようにと申し付けられましたが……我慢できませんでした」

 と、姉さんがぺろっと舌を出して見せた。

「だって、ハルキ君はとても美味しそうでしたから……思ったとおり、とても甘くて、でも凛とした酸味があって、舌触りも滑らかでそれはもう、黄金律の味わいでしたよ」

 そして愛しそうにボクの頬を撫でる。

 今まで、血の味で褒められた事なんて無かったから、どう反応したらいいか分からず戸惑ってしまう。

 でも。

 前に観たホラー映画なんかでは、血を吸われてミイラになってしまうシーンがあったけど……。

「ち、血を吸われ過ぎて……死んだりは、しないの?」

 身体が熱いせいか息が苦しい。

 それを何とか押し切って、息を荒くしながらもボクは姉さんに訊いた。

「え?」

 ボクの問いに姉さんは目を丸くする。

「フフッ……貴方の健康を害する程、飲んだりはしませんよ」

 また、姉さんに頬を優しく撫でられる。

「貴方は私の大事な大事な弟ですし……それに死なせてしまっては、2度と飲めなくなってしまうでしょう? こんなに美味しいのに」

「あ、うぅ……」

「……血を吸ったりするお姉さんはお嫌ですか?」

「え?」

 凄く切なくなるくらい寂しそうな目で、返答に困る事を訊かれてしまった。

「ぼ、ボクは……ううっ……はぁっ」

 身体が灼けるように熱い。

 そしてさっきからボクの下半身が硬く、硬く勃起していた。

 それはもう、異様な程の激痛を放つくらいに。

「うぁ……なんで、こんな……はぁっ」

 息も絶え絶え、気が狂いそうになる。

「ああ、御免なさい。先に鎮めて差し上げますね」

 そう言って、姉さんは自分のパジャマのボタンを外し始める。

「…………?」

「私の唾液には痛覚を麻痺させる効果があるのですよ。だから首を咬まれても痛くなかったでしょう?」

 姉さんがパジャマの上着を脱ぎ捨てると、可愛いパジャマとは対称的に黒く艶かしいレースのブラが、彼女のふくらみを覆っているのが見えた。

「でも、催淫効果もあって、快感だけは普段よりも一層敏感になってしまうのです……それに」

 微笑を浮かべたまま姉さんはその場に立って、下のパジャマを脱ぎ捨てた。

 ブラと対になっているのか、やはり黒いレースのパンティが露わになる。

「私に血を吸われたら、性的な興奮で堪らなくなってしまうのです……放っておいたら気が狂ってしまう程に」

 その対の下着も姉さんは脱ぎ捨てて、一糸纏わぬ肢体をボクの視線の先に晒した。

 そしてゆっくりと膝を折る。

「……舐めて戴けますか?」

 ボクの口元に姉さんの金の茂みを押し付けられる。

 きっとこの姿は、ひどく屈辱的な光景。

 でも、少しも嫌だとは思わなかった。

「は、はい」

 言われるままボクは舌でその茂みを掻き分けて、その奥で紅く、ぬらぬらと光を反射する姉さんの女の部分に触れた。

「あ、んっ」

 その刹那、姉さんの身体がピクンと跳ねて、声が漏れた。

「よく濡らして下さいね。その方がお互い、気持ち良くなれますから」

「は……い」

 ピチャピチャと水音を立てながら、ボクは姉さんのそこに舌を這わせる。

「んっ……もう少し、上の方をお願いします」

 言われた通りに、少し身体を上にずらすと突起みたいなものが舌先に触れる。

「そう、そこです。……はぁっ……そこを舐めて下さい」

「は、はい」

 その突起―――クリトリスと呼ばれる快感器官を重点的に舐めあげる。

「ああっ、そう……凄くいいです……はぁっ」

 姉さんがため息にも似た声を漏らした。

 そこを刺激すればするほど、姉さんの中から粘ついた液が染み出してきて、ボクの唇に纏わりついてくる。

 その潤滑液にも媚薬効果があるのか、それが口の中に入って喉に落ちる度に、またボクの身体が熱を帯びてくる。

 もう、我慢の限界だ。

 ボクの中の黒い何かが、ボクの身体を突き動かした。

「うわあああっ」

「あっ」

 ボクの身体が起き上がって、逆に姉さんを押し倒した。

 そして上に着ていたトレーナーを脱ぎ捨てて、姉さんに覆いかぶさる。

「はぁ……はあっ」

 姉さんの肌とボクの肌とが直に触れ合う。

 姉さんの素肌は絹のように柔らかくて滑らかで、そしてそのまま触れ合っていたら全身の体温を奪われてしまうと錯覚してしまう程に冷たかった。

「くすっ……駄目ですよ? もっと優しく扱って下さい」

 息を荒げるボクの唇に指を当てて、姉さんが優しく微笑んだ。

「それに……1階にはお父様とフユナちゃんが居るのですから、あまり大きな声は出さない方がよろしいですよ?」

「あ……っ」

 一瞬、父さんと冬菜の顔が頭に浮かび、ボクの中の熱が少し逃げた。

「私は悪いお姉さんですね。少し焦らし過ぎました……」

 そう言って悪戯がばれた少女の様に、姉さんは舌をぺろっと出して微笑んだ。



 ―――深窓の姫君の様な気品。

 ―――罪の無い子供の様な無邪気さ。

 ―――男を手玉に取る悪女の様な妖艶さ。



 目の前に居るボクの姉さんになった女性は、それらを全て兼ね揃えていた。




 ――――――反則だ。




 もう、逃れられない。




「大好きですよ、ハルキ君」

「あっ?」

 優しく微笑んだ姉さんの胸の中に誘われた。

 柔らかいその2つのふくらみ越しに、トクントクンと、姉さんの心臓の鼓動が聞こえてくる。



 …………なんだ。



(吸血鬼なんて言ってたけど、ちゃんと血が通ってるんじゃないか)



 その瞬間、ボクの中で湧き上がりつつあった黒いものが霧散した。



 ―――トクン、トクン。



 規則正しく波を打つ姉さんの心臓。

 その音が心地良くボクの中に響く。




「さあ、そろそろ……」

 不意に、姉さんの身体が少し離れる。

「下も、脱いで下さい」

「は、はい」

 言われてボクは、ズボンをトランクスごと引き抜いて全裸になった。

 戒めを開放されたボクの下半身の、今か今かと期待を膨らませた姿が露になる。

「ふふっ、ハルキ君は女の子の様に可愛らしいのに、ここはとても男らしいですね……素敵です」

 ゴクリと、ボクの喉が鳴った。

 ボクだって健全で多感な年頃の男の子。

 綺麗な女の人とセックスしたい、なんて事を思った事もあるわけだけど。



 ……でも。



 ―――なんだかんだ言っても、初めてなわけで……。



「ああ、うう……」

「ハルキ……君?」



(……この後、どうしたらいいの?)



 ついさっきまでは、あんな事やこんな事と、色々な妄想で頭の中が一杯だったのに……。

 土壇場で、ボクの頭の中は真っ白になってしまった。

 落ち着こう、落ち着こうと思えば思うほど、ボクの頭の中は舞い上がってしまって、脳から身体に動けの指令が全く出てこない。

「くすっ……大丈夫ですよ」

「んっ」

 触れるだけの、軽いキス。

「お手伝いしますね」

 姉さんが自分の腰の位置をちょっとずらし、ボクのペニスに手を添えた。

「あ、うっ」

 直接、敏感な部分を触られて、少し声が漏れた。

「んっ、そう、ここです」

 姉さんの導きで、ボクの先端が姉さんの入り口に触れた。

「そのまま……来て下さい」

 言われるがまま、ボクは腰を前に突き出した。

「あ、んっ!」

 姉さんの柔肉を押し開いて、ボクのペニスが膣内に侵入する。

 初めは燃えるように熱いと思った。

 でもそれは間違いで、次の瞬間にはそれは氷の様に冷たい感触だって事に気づいた。




(姉さんの身体って、中まで冷たいんだ……)




「ふふっ……昨晩は私が一方的でしたからね。今日はハルキ君の好きなようにして下さい」

「は、はい」

 一旦、腰を引き、また姉さんの奥まで突き進む。

 本能がそれを何度も繰り返せと命令し、ボクは素直にそれに従った。

「姉さん……す、凄く気持ちいいよ……っ」

 姉さんの膣内は、進めば押し返そうと抵抗し、引けば戻すものかと絡み付いてくる。

 その感触がボクの下半身で強烈な快感に変わって、脳髄を震わせる。

「ああっ、ハルキ君の……とても硬くて大きくて……凄いです」

 姉さんも、うっとりとした表情で目を瞑っている。

「ううっ……く、はぁっ」

 入れる前からすでに暴発寸前だったボクには、その快感に耐えられそうになかった。



(もう、限界……っ!)



 ついにボクは弾け飛んだ。

 ドクンドクンと、ボクのペニスが波を打つ。

「ああっ、熱い……のが、来ていますっ」

「う、あっ」

 力なくボクは姉さんに覆いかぶさり、全体重を彼女に預ける。

「ううっ、ゴメンなさい」

 姉さんの胸に顔を埋めながら、ボクは泣きそうな声を出した。

「えっ? 何故、謝るのです?」

 不思議そうな表情で、姉さんがボクを見つめた。

「だって……今の、絶対早すぎだよね」

 早漏。

 今のボクの頭の中に浮かぶ言葉。

 きっと姉さんもがっかりしてるに違いない。

「そうですね……確かにちょっと早かったかも知れません」

「ああうっ」

 グサリと姉さんの言葉が突き刺さった。



(痛い……痛いよう)



 かなり泣きそうになったけど、我慢した。



「でも、それはハルキ君のせいではありません」

「……えっ?」

 不意に、ぎゅっと両腕で抱きしめられる。

「私が悪いのです」

「……?」

 顔を上げると、姉さんが優しい顔で微笑を返した。

「だって、凄く焦らしてしまいましたから」

 そして、おでこに軽くキスされた。

「でも、ハルキ君」

「は、はいっ」

「……まだ終わっていないのではないですか?」

「え?」

「だって……まだ私の膣内で、大きくなったままですよ」

「…………あ」

 言われて気がついた。

 射精して果てたはずのボクの下半身は、いまだに姉さんの膣内で、その怒張を硬く大きく保っていた。

「ふふっ、昨晩も1回では終わりませんでしたからね……覚えてないみたいですけど、ハルキ君、凄かったのですよ?」

「そ、そうなんですか?」




(何したの? 昨日のボクは……)



 ちっとも覚えていなかった。

「動けますか?」

「は、はい……い、いきます」

 促されて、再びボクはゆっくりと律動を開始する。

 姉さんの蜜とボク自身が放った液に助けられて、ボクは姉さんの膣内を味わいつくそうと奥の奥まで入り込んだ。

「ああっ、届いてます……届いていますよ、ハルキ君っ」

 一番深いところに到達した刹那、姉さんが一際高い声で鳴いた。

 相変わらず、姉さんの膣内はボクをきつく締め付けてくるけど、さっきよりか幾分かは耐えられそうだ。

 クチュリ、クチュリと、いやらしい水音がボクの部屋の中に響く。

 徐々にピッチを上げていくと、その速度に比例して、ボクの快感も上がっていった。

「は、激し……ああっ、す、凄いです」

 そして姉さんのあえぎ声も一緒に大きくなっていく。

 激しく抽送を繰り返しながら、ボクは姉さんの背中に両腕を回して強く抱きしめると、ボクの顔が姉さんのふくよかな胸の谷間に埋もれた。

 相変わらず姉さんの身体は冷たくて、触れたそばからボクの熱がぐんぐんと奪われていく。

 でも、いくら吸収されてもボクの身体は熱を失う事はなく、身体の奥底からこんこんと熱がいくらでも湧き上がってくる。

「ね、姉さん……熱い、身体が熱いよ」

「ええ、ハルキ君の身体……凄く、凄く熱いです……火傷してしまいそうですっ」

 ボクの熱を吸収したせいなのか、さっきまで冷たかった姉さんの膣内が、今はトロトロになりそうなくらい熱くなっていた。

 姉さんも両腕をボクの背中に回し、ボクを強くかき抱く。

「姉さんの胸……柔らかい」

 少しだけ頭を上げて姉さんの谷間から離れたボクは、そのまま左のふくらみの頂点にある、桜色の突起を口に含んだ。

「やっ……はぁんっ……そこよわ……い、です……あんっ!」

 それを舌先で転がしたり甘噛みしたりすると、それに応じて姉さんが高い声を漏らす。

 そのソプラノヴォイスがボクの意識の中で甘く響き、ますますボクの中で紅い炎を燃え上がらせる。

 また、ボクの下半身がジンと痺れてきた。

 限界が近い。

「い、イクよ姉さん……っ」

 終着点に向かう為、さらに腰の動きを早める。

「わ、私も……もう駄目……ですっ」

 激しく、肉と肉とがぶつかり合い、その度にぱつん、ぱつんと官能的な音を立てる。

 そしてついに、背筋に電気みたいなものが走ったと思った直後にボクの男としての欲望の塊が弾け飛んだ。

「く……っ!」

 ビュク、ビュクと、姉さんの胎内に精を放つ。

「ああ、凄い……たくさん、でています」

 姉さんの膣内が、ボクから全ての精を搾り取ろうとしているのか、きつくボクのペニスを締め付けてくる。

「く、はぁ……」

 最後の1滴まで姉さんの胎内に注ぎ込んで、ボクは姉さんの身体から離れる。

 流石に2回も精を放ったせいか、さっきまでは硬く膨張していたボクのペニスは徐々にその勢いを失いつつあった。

 ボクの中で燃え盛っていた炎が消えてしまうのと同時に、ある事に気がついた。



(ボク、中に出しちゃったんだよね……)



 しかも、2回も。



 いくらボクにそういう知識があんまり無いといっても、中に出したりしたら赤ちゃんができてしまう事くらいは知っている。

 ボクはまだ高校生。

 子供なんて育てられるわけがない。



 ……………………………………。



 ……いや、でもボクだって、いくら外見が女の子に見えたって男だ。

 やった事への責任はちゃんと取らないと。

「どうしたのです? 変な顔をなさって」

「わっ!?」

 不意に声を掛けられて、ビックリしてしまう。

 ボクの下で、姉さんが不思議そうな顔をしていた。

「い、いや、だって……ボク、中に出しちゃったから……その」

「……ああ、なるほどですね」

 くすり、と姉さんに笑われてしまう。

「ふふふっ……私は生命を育む事はできません。だからその心配はご無用ですよ」

「そ、そうなんですか?」

「ええ……でも」

「あっ」

 姉さんに優しく、胸の中に誘われる。

「ハルキ君の子供なら、きっと可愛らしい子供でしょうね……ちょっと残念です」



 ―――トクン。



 ―――トクン。



 姉さんの規則正しい鼓動が聞こえてくる。

 なぜかその音を聞いていると、心が安らぐ。

 その心地良さに、ボクは目を閉じた。

 まだボクの熱が残っているのか、姉さんの身体が今はほんのり温かい。

「ふふふっ、お休みになられますか?」

 姉さんはすぐ側にいる筈なのに、なぜかその声は遠くから聞こえてきた。

「う、ん……」

 少しずつ、ボクの意識が暗くなっていく。

 その間に、とても綺麗な歌声が聞こえてきた。

 言葉は分からない、異国の歌。

 でも、意味は分からなくても心が安らぐ歌声。

 そしてボクは闇の中に落ちていった。










 差し込む朝日で、その日は目が覚めた。

 寝ぼけ眼で目覚まし時計を確認すると、そのデジタルの時刻は普段起きる時間より30分も早い時刻を示している。

 と、いうか。

 また、ボクはちゃんと服を着ているし、シーツには少しも乱れはなく、掛け布団も綺麗に掛けられていた。



 ……………………………………。



 やっぱり、あれは……。



(…………夢?)



 ……んなわきゃない。

 むくり、と身を起こしてじっと手を見る。

 まだ、姉さんの柔らかで滑らかな肌の感触が残っている。

 女の人って……。



(やーらかいんだなぁ)



 だめだ。

 病みつきになりそうだ。



 ……なんて考えていたら、またボクの下半身が自分の存在を主張するかのように起立した。

「朝から元気だね、キミは……」

 ズボンをめくって、直接、彼にそう言ってやる。



 朝だから元気なんだよっ!



 ……と言い返された気がした。



(……ごもっともで)



 ……………………………………。



 独り漫才はここまでにして、ボクはのそのそとベッドから降りた。

(そういや昨日、お風呂入ってないや)

 気づいたとたん、自分自身がなんだか汗臭いような気がするから不思議だ。

 それを解消するべく、ボクはバスルームに向かう事にした。

 ……ふらついた足取りで。




「お早うございます」

 シャワーを浴びた後キッチンに行ったら、姉さんがすでに待機していた。

「お、お早うございます」

 なぜか声が裏返った。

 でも当の姉さんは、昨夜の事が無かったかのように屈託の無い笑顔を見せている。

「お手伝いしますね。今日の朝ごはんは何をお作りになられるのですか?」

「え? えっと、味噌汁と……冷蔵庫見てから考えます」

「じゃあ、味噌汁は私に作らせて下さい」

「お願いします」

 冷蔵庫を開けて、昨日と同じ材料を姉さんに渡す。

「姉さんって……吸血鬼、なんだよね」

 渡す時、訊いてみた。

 予想してなかったのか、姉さんはちょっと驚いた表情になった。



 ……何を仰っているのですか、ハルキ君。あれは冗談ですよ?



 と、言ってくれるのを期待していた。



「ええ。そうですよ」

 期待に反して、姉さんはあっさり肯定した。

「それがどうかしましたか?」

 不思議そうな表情で見つめられてしまう。

「あ、いや、だって吸血鬼なのに、普通にごはん食べるのかなーと思って……」

「え? 吸血鬼が普通にごはん食べたら変なのですか?」

 人差し指を顎にあてて、首を傾げられる。

「美味しいものを食べるのは好きですよ?」

「えっと、その……」

 ダメだ……。

 なんだか何を言ってもドツボにハマりそうだ。

「……まあ、確かに糧となるわけではありませんが」

 そう言って姉さんはコンロの上に置きっぱなしだった鍋を手に取った。

「私の糧となるのは人の血や肉、そして精……」

 そして蛇口を捻って鍋に水を汲み始める。

「私は生まれながらの吸血鬼……人の生命を分けて戴かなければその存在を保てない、理から外れた外道の身です」

 鍋に水が溜まる様子を見つめながら、姉さんは暗い影を落とす。

「やっぱり……血を吸ったりするお姉さんはお嫌い、ですよね」

 ボクの顔を見ずに、姉さんは呟くように言った。

 重い空気の中、時間が少し通過した。

 姉さんが持っている鍋から、水が溢れる。

「いけない」

 慌てて、姉さんは水を止め、鍋の余計な水を捨ててからそれをコンロに掛けて火を点けた。

 それを契機に、ボクの時間が動き出した。

 煮干の頭を取りにかかった姉さんを、後ろから抱きしめる。

「ハルキ……君?」

「血なら、いくらでも上げるからっ。だから、そんな悲しい事言わないでよ、姉さん」

「……姉さん、と呼んで戴けるのですね」

「いくらでも呼ぶよ、姉さん! 姉さんの事、好きだからっ」

 姉さんの背中に顔を押し付けて、ボクは強く抱きしめる。

「く、苦しいです、ハルキ君」

「……あ」

 慌ててボクは姉さんから身体を離した。

「ご、ゴメンなさい」

「いえ、いいのです。……良かった。私はここに居てもいいのですね?」

 くるりと姉さんが振り返ってボクをその蒼い瞳で見つめた。

「もちろんだよ!」

 それにボクは力いっぱい答えた。

「でも、ハルキ君の血は暫くお預けですね」

「え?」

「これ以上飲んだら、流石にハルキ君の健康を害してしまいます……回復するのを待たないと」

「そうなんだ……でも、それで足りるの?」

 1日3食ってわけじゃなさそうだけど……昨日、今日ボクから吸ったぐらいで足りるんだろうか?

「ええ。必要最低限であれば、そんなに頻繁に摂取する必要はありません……それに」

「それに?」

 と、尋ねた瞬間、姉さんの表情が妖しいものに変わった。

 ゾクリとするような、悪女の微笑み。

「精の方は毎日でも戴けそうですしね」

「せ、精って」



(やっぱり、アレですか?)



「でも私、精の方は好き嫌いが激しくて……よほど気に入った方でないと摂取する気にはなれないのですよ……」

「……んっ」

 ちゅっと、軽くキスされた。

「ボクのは……美味しかったの?」

 唇が離れた後、ボクは姉さんに訊いてみた。

「ええ、とっても……お父様のも美味しいですが、やはり若い分、ハルキ君の方が生命に溢れていて美味しかったです」

「と、父さんのっ!?」

 今、ガンッ! と、頭を金槌で殴られたような衝撃を受けた。

「ええ。血も、力強い味が素敵でとっても美味しいのですよ」

 ニコニコと、屈託のない笑顔を見せる姉さん。



 ―――つまり。



 父さんとも、あんな事を……。



(やるせない、やるせなさ炸裂だよっ)



 ……ちょっと泣きそうになったけど、我慢した。



「あら? どうしました?」

 当の本人はドコ吹く風だった、

「……なんでもないです」

 泣くのを我慢して、ボクは朝食の準備を行うべく頭の上に?を幾つも飛ばす姉さんを尻目に冷蔵庫を開けた。

 すぐに目に付いたのは、4パック100円だった納豆のパック。

(これにしよう)

 ボクはそれを取り、食器棚からちょっと大き目の器を取ってその中に4パックとも中に空ける。

 そして、箸でぐりぐりとかき混ぜる。

 醤油を入れる前に、よくかき混ぜるのが美味しく食べるコツなのだ。

 醤油を入れて海苔をちらせば、立派な一品料理。

 安くて手軽で栄養価も高い、作り手から見れば、これ程便利な食材は他にない。

 独り暮らしには欠かせない食材というのも頷ける。

 これが嫌いな人の気が知れない。

「な、なんですか……それは……」

「え?」

 不意に声をかけられ、かき混ぜながら姉さんの方を向く。

「これは、なっと……うわっ!?」

 そこで目に入ったのは、口に手を当てたまま、カッと目を見開いた姉さんの姿。

 凄い、形相だった。

 今にもくびり殺されてしまいそうな雰囲気だ。

「ど、どうしたの? 姉さん」

「こっちに向けないでっ!」

「え? え?」

 訳が分からない。

「い、一体どうした……」

「イヤーッ! ち、近づかないでっ!!」

 一歩近づいたとたん、姉さんはその場にしゃがみこんで頭を両手で押さえながら悲鳴を上げた。

「そ、その手に持っているものを……早く捨ててっ!」

「手に持ってるものって……?」

 その手に持っているものを見る。


 どこからどう見ても。



(……ただの納豆だよ?)



「わ、分かったよ」

 でも言われた通り、ボクはそれを台所脇の生ゴミ用の小さめのポリバケツに捨てた。

「蓋も閉めてっ!!」

「は、はいっ」

 ボクが蓋を閉めたのと同時に、姉さんは、ほぅっと安堵の息を漏らした。

「い、今のは何なのですか?」

 しゃがんだまま姉さんは泣きそうな顔……いや、薄っすら涙を浮かべてボクを見た。

「何って……ただの納豆だよ?」

「な、納豆? 納豆って何なのですか?」

「いや、何って言われても……食べ物としか……」

 ……言いようがない。

「食べ物……なんですか……」

 震えながらも姉さんは立ち上がり、そのままフラフラとしたおぼつかない足取りで廊下の方へ向かう。

「きょ、今日の朝食は辞退します……申し訳ありません」

 青ざめた表情で、姉さんは力なく頭を下げた。

「いや、それはいいけど……大丈夫?」

「ええ、暫く休めば……多分」

「お、お大事に」

「ようやくこの前、ニンニクを克服したばかりだと言うのに……ううっ、吐きそう」

 そう呟いて、姉さんは行ってしまった。



 ……吸血鬼は、納豆に弱かった。



(ひょっとして、新発見?)



「どうしたんだ? 一体」

 入れ替わりで、父さんが台所にやってきた。

「エストリィ、今にも死にそうな顔だったが……お前、何かやったのか?」

「な、何もしてないよ! 納豆、かき混ぜただけだよ!」

 それが原因になるなんて、思ってもみなかった。

「納豆? 変なものが苦手なんだな……あの子のあんな顔、初めて見たぞ」

「ボクだってビックリしたよ」

「……まあ、日本人でも苦手な人も居るからな。仕方ないか」

 いや、苦手のレベルを超えてます。お父さん。

「じゃあ、朝飯の用意、頼むな」

 それだけ言って、父さんも隣のダイニングに行ってしまった。




 とりあえず、この日を境に風野家の献立表から納豆が消えた。










 学校には、いつもどおりの時間に着いた。

 HRが始まるまでの空き時間。

 その時間にボクは……。

「珍しいよね、はるくんが宿題忘れるなんて」

 綾香ちゃんから、数学のプリントを見せて貰っていた……。

「ちょっと、色々あって……」

 ボクの席の横に椅子を持ってきて座っている綾香ちゃんに、苦笑いで返す。

 今日の数学は1限目の授業。

 スーパーダッシュで書き写さないといけない。

「しっかし、水無月のが役に立つのかねぇ」

 ボクの正面の席を借りて、一緒に綾香ちゃんのプリントを写している火嘉が手を休めずにそんな事を言った。

「だったら見るな! この、紅のバカ!」



 ……………………………………。



 なんだか、飛行機に乗ってそうなバカだった。



「バカバカ言うな! このホルスタイン女っ」

「ホルっ……セクハラするなっ! 訴えてやるっ! 慰謝料取ってやるっ!」

「うるせぇっ!」

 朝っぱらから、元気な2人だった。

 やいのやいのと言い合う2人をよそに、ボクは綾香ちゃんのプリントを黙々と書き写す。

 相変わらず、綾香ちゃんの字はあまり上手くなかった。

 特に、書き分けが苦手なのか、5と6の判別がしにくいので注意しないといけない。

 でも、ちょっと乱雑ではあるけど力強い字体は、なんだか彼女らしいと思う。


「ふぅ、終わった」

 HRのチャイムが鳴るのと同時に、ボクは綾香ちゃんの宿題を写し終えた。

「ありがとう、綾香ちゃん。助かったよ」

 感謝しながら、プリントを綾香ちゃんに返す。

「なんのなんの、別にいいよー」

 綾香ちゃんがそれを受け取りながら、笑顔を返す。

「まあ、俺も礼ぐらいは言ってやるよ、水無月」

 ボクより一足早く写し終えていた火嘉が、飄々と言ってのけた。

 あれだけ綾香ちゃんと言い合いながらも、ボクより早いんだから不思議だ。

「あんたは貸しイチだっつーのっ!」

 ギロリと、綾香ちゃん火嘉を睨みつけた。

「5つ貯まったら、私とはるくんをディズニーランドにご招待だからねっ」

「高けーよ! つーか、春樹もかよ!」

 火嘉が、三村ツッコミで返した。

「まあ冗談はともかく……はるくん、怠け癖つけたらダメだよ?」

 綾香ちゃんがまた、ギロリと火嘉を睨みつけた。

「でないと、こんなんになっちゃうからね」

「誰がこんなんだ! 誰がっ」

「あはは……」

 ボクは苦笑するしかなかった。

 確かに、火嘉はよく宿題を忘れてくる。

 その度にボクが宿題を見せているわけで……。

 綾香ちゃんと言い合いをしながらも、火嘉がボクより早く写し終えたのは普段写し慣れているせいなのかも知れない。

「白いのがいれば、はるくんの負担も減ったのにねぇ」

 綾香ちゃんが、ふぅと溜息を吐いて首を横に振った。

「白いのって……」

 綾香ちゃんが白いのっていうのは、各務の事だろう。

 ボク達の、このクラスはB組で、各務は隣のA組に居る。

 各務とは同じクラスになった事はない。

 火嘉との繋がりで、親しくなったって感じだ。

「バカ言え。アイツは宿題忘れの常習犯だぜ?」

「え? そうなの?」

 ボクも初めて聞く事だった。

「白いのって、頭いいんでしょ?」

 綾香ちゃんも予想してなかったのか、ちょっと驚いていた。

 各務は学年トップの成績を誇っている。

 そんな彼が宿題を忘れるなんて、考えつかない。

「宿題やってこねーだけじゃなくて、授業中、ノートも取ったりしねぇからな、アイツ」

「え? ノートも?」

「ああ。ノートに書かなくても、見ればそれで覚えるんだとさ……授業で当てられてもソラで答えちまうんだ」

「凄いな……各務」

「まあ、天才ってやつなのかもな」

「でもいくら天才でも、変人って欠点で全部台無しだよね」

 綾香ちゃんが、呆れ顔で溜息を吐いて首を横に振った。

「そ、それは酷いと思うよ、綾香ちゃん……」

 確かに各務は変わってるけど、変人ってのは言いすぎじゃないかと思った。

「だって、白いのって、よく科学部で爆発起こしたり、毒ガス発生させたりで大騒ぎさせてるじゃない」

「ま、まあ……そうだけど」

 綾香ちゃんが言った事は、周知の事実だった……。

「いつか、はるくんが人体実験でもされやしないか、心配だよー」

「いや、流石にそれはないと……」

 ……思う。けど、なんとなく自信がなかった。

「あー、そういやアイツ、お前の為に背を伸ばす薬を造るって言ってたなあ……」

「あう」

 余計なお世話だった。



 でも、あるなら欲しいと思った自分がちょっと悲しかった……。



「ダメだよはるくん。飲んだら逆に縮んじゃうよ、きっと」

「あうう」

 ……確かに各務だったら、わざとそっちの方を造って、何食わぬ顔で騙しそうな気がした。

「あと、胸を小さくする薬も開発中って言ってたぞ、水無月」

「余計なお世話だっ!」

 ガラガラガラッ。

「おはよー」

 不意に教室の引き戸が開き、担任の楠木先生が教室に入ってきた。

「っと」

「んじゃね、はるくん」

 2人も慌てて自分の席に戻った。

「さてっと……」

 ガラガラガラッ。

 と、先生が教卓から教室全体を見渡すのと同時に、今度は教室後方の引き戸が開く音がした。

「しぃちゃーん、どこに置いたらいい?」

 そこから入ってきたのは、同じクラスの……名前をまだ知らない男子生徒が2人。

 それぞれ、机と椅子を手分けして運んできたようだった。

「あー、そこの……うん、そこの隅に置いといてー」

「りょーかーい」

 入り口の列の、丁度開いていた一番後ろにその机と椅子を置いて2人は自分の席に着いた。

「今日は久々にイベントが発生よー」

 なぜか嬉しそうにニコニコする、楠木先生。



 新しい机と椅子……?


(転校生?)


「今日は、このクラスに新しいお友達が編入しまーす」

(いや、小学生じゃないんだから……)


 心の中で、ツッコミを入れる。


「しかも……ここだけの話だけどね……」

 そう言って、楠木先生は教卓から身を乗り出して、ナイショ話をする風に外から見えないよう口の横に手を当てる。

「……美人なのよ」

 オオーッ、と、男子生徒達の歓声が上がった。

「そ・れ・も、並みの美人じゃないのよ。上玉よ、上玉っ」

 オオオーッッ!! と、さらに歓声が上がる。

「マジか、しぃちゃん!?」

「もちろん。私、歳は誤魔化しても、嘘は吐かないわよ」

 どっ、と巻き起こる笑い声。

 不覚にも、ボクもちょっと吹き出してしまった。

「どわっはっはーっ!」

 幾人かが、大笑いしたその刹那。

「そこ!」

 キラリンと、楠木先生の眼が光った!

 そして次の瞬間! 目にも止まらぬ早業で、教卓の上に置いてあったチョーク入れからチョークを取り、次々と投げた。

「うわっ!?」

「痛っ!?」

「だっ!?」

 そのことごとくが、大笑いした男子生徒達の額に命中する。

 狙った生徒は逃さない、楠木先生の必殺技『しぃちゃんアロー』だ。

 命名したのは、本人。

「…………笑いすぎ……くすん、くすん」

 悲しそうに、俯いてしまう楠木先生。

 笑いの為にちょっと身を削り過ぎたらしかった。

「まあ、それはともかくっと」

 ……でも、立ち直りは早かった。

「じゃあ、入っていいわよー」

「失礼致します」

 促されて、引き戸を開けて入ってきたのは、指定のブレザーじゃなくて一昔前風の黒いセーラー服の女子生徒。

 その女子生徒が入ってきた瞬間、教室内の全ての生徒達の時間が止まった。

 流れるように長い金髪と、蒼い瞳。

 そして抜けるように白い肌。

 それらを引き立てるかのように、金の鎖に繋がれた黒い逆さ十字が彼女の胸元で鈍く光っている。



 ……彼女の容姿を言葉で表すのは難しいと思う。

 どんな美辞麗句で飾り立てても、彼女の前には全て霞んでしまいそうだ。



 でも、あえて言うなら―――



 ―――美麗。



 男子生徒ばかりか女子生徒まで、感嘆の溜息を漏らす。

 そんな中、彼女は楠木先生の隣まで来ると、優雅にくるりと振り向く。

「エストリィ・エルジェベト・カザノと申します。どうぞ皆様、宜しくお願い致します」

 そして金管楽器の音色かと思うほど、澄んだ声で彼女は自分の名を呼んで、深々と頭を下げた。

 クラスのみんなが彼女―――ボクの姉さんに魅せられている中、ボクはただ、呆然とする他なかった。





――― 一章完 ―――





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