涙さえ奪って

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3、悲鳴


 ばぁやさんに、お茶をごちそうになりながら、ここ数日のの行動を面白おかしく話した。
 ンマー、会話は、思いのほか弾んだよ。のことを色々話すだけでよかったから。
 30分もしねェうちにが眠たくなったみてェで、するすると俺の膝に入ってきたかと思ったら、うつらうつらと船をこぐ。
 ンマー、ちびはお昼寝の時間だ。寝ぼけ眼のを、のベッドに運び、もう帰ろうと思ったが、ばぁやさんに引き止められた。

 なんでも、の素性は、W7でも指折りの造船会社ウィルの一人娘だそうだ。
 ンマー、思い出した。ウィル造船会社の社長といったら、半年前に自ら材木の買い付けに行ったきり、帰ってこねェってうわさになっていたな。
『とうさま、かえってくる? 』って、こねェだろうな。
 ンマー、たしか、すげェ美人の奥方が、現在会社を切り盛りしているって話だったか。
 その奥方が、俺に会いたいそうだ。もう帰って来られる頃だから待って欲しい、と頼まれた。
 ンマー、何を言われるのか、俺は憂鬱で仕方ねェ。


、帰ってきたの? 」
「奥さま、おかえりなさいまし。お嬢様は、お昼寝を……」
「あら、お客さま? 」
「はい、うわさのアイシュさんですよ」
「まぁ、あなたがアイシュさんなのね。はじめまして、私は、の母エリノアです。
がお世話になっているそうですね。ありがとうございます」
「はい、トムズワーカーズのアイスバーグといいます。はじめまして! いや、俺、世話なんて……」

 ンマー、うわさにウソはなかった。あれだな、宗教絵画の中から抜け出したような優雅さを持つ人。エリノアさんは、子どもがいるとは思えねェほど、若々しくて、どこを見たらいいのかわからないほど、美しい人だ。情けねェが声が上ずっちまうよ。ンマー、はエリノアさん似だな。

「あの、あの子がご迷惑をおかけして申し訳なく思っています」
「ンマー……」
「家庭の事情で、父親が不在なもので……ふさぎこみがちだったあの子が、最近、楽しそうに話すことといったら、アイスバーグさんとフランキーさん、トムさん、ココロさんのことですわ。トムさんというと、トムズワーカーズの社長さんですわよね? よく知っています」
「はぁ」

 俺はバカみてェに口ごもった。話がまるで見えねェよ。てっきり汚ェものでも見るような眼で追い返されるかと思っていたのに、なんだか知らねェが、歓迎されているように思える。


「ンマー、トムさんとどういう……」
「私は半分だけ魚人の血を引いてるからかしら、トムさんに親しみを感じるの。トムさんのことを悪くいう人もいるけど、私は尊敬しているわ。信頼もしている。海賊王ロジャーの船を作った罪なんて、バカらしい話だと思うの。表立っては言えないけれど。あの日、トムさんの言葉にどれほど多くの人が希望を持ったか、海列車……完成するのを待ってるわ。……あっごめんなさい」
 エリノアさんは感極まったみたいに泣き出した。
 ンマー、涙腺が弱ェっていうのは、遺伝するみてェだ。もよく泣くからな。

「あの、をお願いできませんか?」
「ンマー、お願いってそりゃ」
「トムさんのところに行くようになって、あの子はずいぶん明るくなりました。毎日とはいいません。週に三回、いいえ一回でもいいんです。
あの子が、父親がいなくなったことを乗り越えれるように、手助けしていただけませんか? 」

「ンマー、……俺の一存で決められることじゃないです。俺たちの廃船島造船所を知っていますか? とんでもねェもんがごろごろ転がっていて、とてもじゃねェが五つの子どもの遊び場に適してるとは思えません。それに、俺たちが役に立てるとは思えねェ」
「……ごめんなさい。無理をい……」
 エリノアさんが言い終わらないうちに、屋敷に悲鳴が響いた。それは、寝ぼけたの悲鳴だった。



「ぎゃーっ! とうさま。いっちゃイヤぁーーーーっ!」
っ!」
「お嬢様!」
 泣き叫ぶ小さな体は、どこにそんな力があるのかわからねェほど暴れる。は、なだめようとする母親エリノアの手をはらいのける。俺は、頭が考える前に手が動いていた。
 俺の手は、ベッドからずり落ちそうになった体をすくいあげ、抱き上げた。のあごを肩にのせ、あやすように体が動く。やったことのねェ動作なのにな。の突き出された腕がゆるみ、俺の背を抱くようにまわされ
「とうさま、いっちゃいやぁ。とうさま……とう……さ……」
 むずがるような呟きが消え、寝息が聞こえてきた。
 ンマー、俺を父親と間違えている。俺は十六で、お前のとうさまじゃねェよ。

「ンマー、いつもこんな風に泣くんですか? 」
「ええ。一晩中泣くことも……ありますわ。は父親が大好きでしたから」
 は、ベッドに降ろそうとすると、ひっくひっく泣き出す。俺の背にまわされた手が、ぎゅっとすがりついてくる。
 ンマー、仕方ねェからしばらく抱っこのまま、エリノアさんと話を続けた。

「俺、16ですよ。16の若造が父親の真似事なんかできません」
 そういいながらも、俺は抱っこしたを降ろせない。
「そうね。父親にはなれないわね」
 どこかでみた仕草。それはの見せた腕を組み首をかしげあごに指をあてて考える仕草だった。
 ンマー、の仕草は可愛らしかったが、エリノアさんのはどういったらいいのかわからねェ。どんなお願いも叶えます! って言いたくなるような気にさせる仕草だった。



 長い沈黙の中、の寝息だけが聞こえてくる。
 ンマー、俺は敗北を悟る。手の中にいると目の前にいるエリノアさん、どちらに負けたのかわからねェが。

「わかりました。……の兄貴でよければ、週に1回。俺が休みの日だけ相手をします」
 あきらめたように口に出したら、エリノアさんの顔がほころんだ。
 本当に美しい人の笑顔っていうのは、見るものに衝撃を与えるんだな。ンマー、心臓が跳ね上がっちまって顔が赤くなっちまった。

は来月から学校に通うことになるから、名目はの家庭教師でもいいわね」
「俺、独学ですから……」
「なら、一緒に勉強なさいな」
 ンマー、十六でジュニアスクールからやり直しか? 
 俺は、心底嫌そうな顔をしたらしく、エリノアさんはコロコロ笑った。

「造船技師になるのに、色々な試験を合格していかなくてはならないでしょう。トムさんの教えに間違いはないけれど、それ以上にあなたが努力してもバチはあたらないわ。それに、トムさんから教われないことを学べばよいでしょう」
 ンマー、それは上流社会を学べということなのか。海列車に全てを賭けるつもりの俺にそれが必要になるとは、思えねェから、エリノアさんの提案を半分だけ俺はのむことにした。

 その後、15分ほどして、やっと昼寝からが眼を覚ました。ベッドで寝たはずが、起きたら俺の抱っこだ。きょとんとした無垢な瞳は、俺を優しい気持ちにさせる。

 帰り際、にまた泣かれてしまった。
「ンマー、泣くな。またきてやるからな。泣くな」
「アイシュ、いつくるの? 」
「また、今度の休みにな。きてやるよ」
「ほんと? ほんとに? 」
「ああ、ほんとにな」

 ンマー、しつけェなって、よく罵らなかったな。
 無垢な瞳が俺が帰っちまうことに泣く。俺の言葉ひとつで、泣き顔が笑顔に変わる。
 ンマー、懐かれちまった。なんでだか知らねェが、嬉しいぜ。しつけェのは、とうさまがいなくなったせいだろうな。
 俺は、の悲しみの根っこ深さにやられた。それとともに、エリノアさんにほのかな憧れを抱いた。



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