戻ります

 草原に刻まれた広い道を、自転車が走っていた。
 銀の自転車に跨る旅人の髪が、短く風になびく。
 右腿と腰に下げたパースエイダー(拳銃)が、ひどく似合っていなかった。
「はるか、見えたぞ」
 はるかと呼ばれた旅人が、前方に目を凝らすと、白い城壁が見えた。
「ん……次の国はどんなところだっけ?」
「えっと……なんでも住人がみんな笑顔で、平和な街だとか」
「ふぅん?」
 しばらくして、自転車が呟いた。
「しかし……よりによって、なんで自転車かなぁ……」
「原作だとモトラド(バイク)なのにね」
「いや、そうじゃなくてだな……はぁ、もういいよ」
 自転車の冬弥は諦めのため息をついた。

「あははーーっ、いらっしゃいませ、旅人さん」
 入国管理官は、満面の笑顔で二人を迎えた。
「こちらへは、何日滞在の予定ですかーーっ?」
「原作に従って、三日」
「同じく」
「はい。旅人のはるかさんと、自転車の冬弥さんですね。私、喋る自転車さんは初めて見ました。あははーーっ」
「わたしも」
「俺も喋る自転車になるなんて、思ってもみなかったよ……」
「あははーっ、楽しい方たちですねーっ」
 はるか達は書類に記入すると、城壁に囲まれた国の中へ入っていった。

「あーっ、旅人さんですよーっ!」
「ようこそ、笑顔の一番似合う国へ、あははーーっ」
「宿をお探しでしたら、私どもの鶴来屋までご案内いたしますーっ」
 たちまち笑顔の住人が、はるか達を取り囲んだ。
「……すごい歓迎っぷりだな」
「ん、じゃあ、そこに泊まるね」
「はい。一名と一台様、御案内ーっ、あははーーっ」
 千鶴と名乗った黒髪の女性は、はるかを先導して歩き始めた。
 行き交う人々は一様に笑顔で、はるか達に向かって手を振ったり、会釈したりする。
「平和そうな国ですね」
「ええ。この国の国民は、みんな笑顔なんです。
 いつもニコニコ笑っていれば、ちょっとしたことでケンカになったりしません。
 おかげでこの国では争いも犯罪も少ないし、もちろん美容と健康にもいいんですよーっ」
 笑顔で答える千鶴の前を、二つの影が駆け抜けていく。
「あははーーっ! 待てーーっ、たい焼きドロボウーーっ!」
「あははーーっ! どいてどいてーーっ! うぐぅっ!」
 たい焼き屋の親父と、羽根リュックの少女が、雑踏に消えた。
「……」
「……」
「はるかさんも可愛いんですから、笑顔でいた方がいいですよーっ」
「あの……今の光景は無視ですか?」

 その日の夜。はるかはふと気が向いて、月夜の散歩としゃれ込んだ。
 冬弥を押して公園まで行き、ベンチに座って、冴え冴えとした月光を浴びる。
 昼間の喧噪が嘘のように静かで、ただ虫の音だけが、耳に心地良く響く。
「……なんか、疲れた日だったな」
「ん、あそこまでテンションが高いと、つきあう方が疲れるね」
「歓迎パーティーを開いてくれるのはいいんだけどな」
「あはは。冬弥、なにも食べられなかったね。油でも差そうか? 空気入れる?」
「……うるさい」
 ふくれた冬弥のフレームを撫でて、機嫌をとる。
 その手が不意に止まった。
 虫の音が止んでいる。かわりに遠くから喧噪が聞こえてきた。
 それは草を蹴散らす音に代わり、急速に近づいてくる。
 はるかは右腿のパースエイダーに手をかけた。
 正面の茂みから、人影が飛び出す。
 目と目が合った。
 純粋なまでに黒い少女の瞳が驚きに彩られ、即、険しく細められた。
 少女は木の幹を蹴って高く跳躍し、剣を振りかぶり、はるかに襲いかかる。
 長い髪、鋭い瞳、月をバックに煌めく剣光。一瞬、冬弥はその少女の美しさに見ほれた。
 はるかは素早く後方に飛んだ。
 鋭く振り下ろされた剣先は、ただ、大気だけを切り裂く。
 舞い落ちる木の葉を挟んで、二人の少女が対峙した。
 油断なく剣を構えたまま、少女が問いかけてくる。
「……誰?」
「それはこっちがいいたい……」
「冬弥、静かに」
 ぺし、とサドルを叩いて冬弥を黙らせる。
「事情は知らないけど……」
 はるかはパースエイダーをホルスターから抜き取り、
「私は敵じゃないよ」
 無造作に、草むらに投げ捨てた。
「お、おいはるか……」
「平気」
 はるかはわけもなく微笑んだ。
 少女はそれを見て剣を下ろす。笑顔でこそなかったが、突き刺すような殺意は消えていた。
「私、はるか。こっちは冬弥」
「……舞」
「血が出てるよ」
 舞の左手から、地面に鮮血が垂れている。
 袖の部分が引き裂かれ、元々赤い服が、暗い真紅に染められている。
 はるかは音もなく近づくと、傷口にハンカチを巻き付けた。じわりとハンカチに血がにじむ。
 舞は微かに眉を顰めたが、おとなしくはるかのされるがままになっていた。
「……ありがとう」
「追われているの?」
 舞はこくりと頷く。先ほどからのざわめきは、そのためか。
「じゃ、逃げようか」
「はるか……おまえさぁ」
「平気」
 はるかは繰り返すと、パースエイダーを拾い、冬弥に跨り、手招きした。
 後ろからばっさり、なんて事にならないだろうなと冬弥が危惧していると、
「敵か味方か確認するって事は、敵じゃなければ大丈夫だって事だよ」
 心配性だなぁと言いたげに、そんな解説をする。 
 舞は舞で、やはり警戒の色も見せず、誘われるまま後輪の中央にある突起に足を掛け、はるかの肩に掴まる。
「二人乗りは危険なんだけどな……」
「で、舞ちゃん。どっちに行く?」
 舞が無言で指さした先は、街の中央部。ざわめきがもっとも大きい方角だった。
「あの……そっちから逃げてきたんじゃないのか?」
「追っ手がしつこかったから、ひきつけてまいただけ」
「ん。それじゃ、行こうか」
 はるかは飄々と答え、ペダルをこぎ出した。

「私は……佐祐理を助けたい」
 冬弥の上で、詳しい事情を舞から聞く。
「この国を笑顔で満たすために、佐祐理が犠牲になっている。
 だから、佐祐理を追ってここに来た。さっきは失敗したけど……今度は助ける」
「その子があの建物の中に捕まえられているんだ」
 はるかの視線の先に、小さな城ほどもある館が聳えていた。
「そう」
「ひどい話だな」
 器用に冬弥がため息をついた。
「……ここでいい」
「どうして?」
 はるかは足を止めずに聞き返す。
「これ以上一緒にいると、あなた達も捕まる」
 舞は手を離すと、ふわっと後ろに体を舞わせた。
 慣性力を膝で上手に打ち消しながら着地し、横の路地にさっと飛び込む。
 最後に小さく「さよなら」と、一声残して。
「行っちゃった」
「どうするんだ?」
「助けにいくよ」
「……やっぱりな」
「友達だからね」
「さっき会ったばっかりだろ」
「友情に時間は関係nothingって、えらい人も言っていた」
 冬弥が人間だったら、ここでため息混じりに首を振ったりするのだろうが……そうすると、ハンドルがぶれる。
「いいさ。どうせいつものことだ。行け」
「ん、行くね」
 はるかは行った。

「あははーっ、止まってくださいねーっ!」
 引きつった笑顔の門番を、はるかは無視して突き進む。
 右腿からパースエイダーを引き抜き、閉ざされた扉に向けて、三発。立て続けに撃った。
 鍵を打ち抜かれた扉を蹴散らし、中庭に躍り込む。
 たちまち剣を構えた衛兵が館の中から飛んでくるが、パースエイダーを向けると、
 蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
 その見事な逃げっぷりに、冬弥が感心する。
「銃は剣よりも強しっていうけど……」
「平和な国も、たまには役に立つね」
 はるかは衛兵が開いてくれた玄関から、館の中に乗り込む。
 正面には、どう先回りしたのか、すでに舞が立っていた。
「……来たの」
「うん、来た」
 舞は表情の選択に困ったように目を逸らし、顔をしかめ、最後に小さく微笑んだ。
「助かる」
 その時、吹き抜けの二階で、影が動いた。
 手には狙撃用のパースエイダーを持ち、舞を狙っている。
 銃声が響いた。

 パースエイダーが床に跳ねて、重い音を立てる。その後を追うように、男の体が落ちてきた。
 はるかのパースエイダーから、白煙が上がっていた。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
 舞は礼もそこそこに、床で呻いている男に近づき、首に剣を押し当てた。
「佐祐理はどこ?」
「ち、地下です。そこの扉から……」
 ホールの片隅に、使用人が使うような、小さな扉があった。
「あ、舞ちゃん。さっき舞ちゃんを撃ったのって、ひょっとしてこの人?」
 というのも、舞の傷が銃創であったから言ってみただけのことだったのだが、
「多分」
 本人も覚えているのかどうか、はなはだ心もとなく頷く。
 が、男が否定しなかったところを見ると、どうやら当たりだったようだ。
 はるかは腰の、やや大きめのパースエイダーを引き抜き、銃口を男の額に当てた。
「悪い人には、お仕置きだよね」
 銃声が吹き抜けを駆け上がっていった。

「意外に、気の小さい人だったね」
「あの状況じゃなぁ……」
 男は紙吹雪と万国旗にまみれて気絶していた。
「お仕置き完了。行こうか」
「……こく」
 はるかは腰にパースエイダーを戻し、走り出した舞の後を追った。
 扉の先には、地下へ螺旋階段が続いていた。
 舞はまさに急降下、といった感じで、軽やかに数段抜かしで駆け降りてゆく。
 はるかは冬弥から降りて、押しながら、と言うよりは押さえながら、階段を下る。
 ダンパーのついていない冬弥は、階段でガタガタ跳ねた。
「冬弥、もっとおとなしく」
「ムチャ言うなーっ」
 狭い階段の中で、冬弥の叫びはやたらと反響した。

 舞から大分遅れて、ようやく地下に辿り着いた。
 地下室は、緑色の光で満たされている。その光は、舞の正面にある巨大な水槽のようなものから発せられていた。
 その中央には、裸の女性が浮かんでいる。
「わっ、わっ……」
「冬弥、見ちゃダメ」
 はるかがライトの辺りを押さえる。
「佐祐理……やっぱり、ここにいた」
 佐祐理は水槽の中で、微笑みながら眠っていた。ひどく幸せそうに……安らかに。
「なんなんですか、この部屋?」
「この部屋の装置で、国民がいつも笑顔でいられるような、見えない光を出している……らしい。
 そのエネルギーが、佐祐理」
「笑顔でいられる光?」
「本当に悲しいことや、辛いことがあったときには、笑顔でいられないけど」
 だから、舞はずっと笑顔でいられなかった。
「私もそのうち、あははーっ、って笑っていたのかな?」
「……多分」
 はるかは小首を傾げ、
「なんかいやだね」
「すごくいやだ」
 冬弥は同意した。
 舞は装置をいじって、なんとか開けられないものか、試行錯誤している。
 はるかも適当に機械をつついては見るが、どういう原理の機械だか、さっぱり分からない。
「は、はるか……あれ……」
「ん?」
 傍らの机で、若い男が突っ伏していた。はるかが脈を取るが、反応はなかった。
 息絶えて間もないのか、死後硬直すら始まっていない。
 その手元には、半分ほどに量を減らした小瓶があった。はるかが小瓶を手に取り、悲しげに眺めた。
 彼が残したものは、それだけだった。
「……久瀬だ」
「久瀬?」
「佐祐理の笑顔を側で見たかった、佐祐理の笑顔で世界を満たしたかっただけの、ただそれだけの……悲しい男」
 舞が短く語り出す。
 この街で一番の権力を持つ久瀬が、何度となく佐祐理を求めたこと。それを佐祐理は断り続けたこと。
 そして……病によって、久瀬の命が残り少なくなってしまったこと。
「久瀬は佐祐理を好きだった。だけど、間違ってしまった。心が……壊れてしまったんだと思う。
 想いが届かず、願いを叶える時間もなく、ただ、笑顔だけでも側にあって欲しいと」
 佐祐理に拒まれた久瀬は、佐祐理を捕らえ、その笑顔を自分のものだけにした。
 その笑顔で国中を満たすために、こんな装置を作った。
 自分の命がわずかだと知ってしまった男の、儚い暴挙だった。
 冬弥が呟いた。
「佐祐理さんは……せめて死ぬまでの間だけでも、側にいてあげられなかったのかな……」
「佐祐理は知らない。久瀬はプライドが高いから……」
 同情で愛されるくらいなら、自ら強引に奪い取る方がいいと。
 そんな思いで作り上げられたこの機械は、彼以外には、理解も操作もできないものだった。
 舞はしばし、黙祷するように瞳を閉じ、剣を振りかぶった。
「下がってて」
「え?」
 剣が振り下ろされ、綺麗な音を立ててガラスが割れ、緑色の液体が迸る。
 流れ出てきた佐祐理の体を、舞はしっかりと受け止めた。
 溢れた水は、たちまち足首までの深さになり、刻一刻と水かさを増す。
「逃げる」
「了承」
「……錆びるかも」
 少し自転車としての立場に慣れはじめた冬弥だった。

 四人は再び包囲網を突破して、街全体を望む丘にまで逃げのびた。
 どちらにせよ、久瀬が亡くなった以上、もう舞たちを追っては来ないだろう。
 はるかが旅行鞄からバスタオルを取りだし、佐祐理の体を丁寧に拭く。それから毛布を掛けた。
 舞は自分の膝に佐祐理の頭を乗せ、静かに、目を覚ますのを待ち続ける。
 夜が明ける頃、佐祐理は意識を取り戻した。
「舞……?」
「うん……」
 初めて、舞が笑った。本当に微かに、だけどとても優しい瞳で。
 佐祐理は毛布一枚という恰好に大いに慌てながらも、舞から事情を聞き、目を覚ましたはるか達に頭を下げる。
「はるかさん、それに冬弥さん。どうも、ご迷惑をおかけしました」
「ん……好きでやっただけだから」
「俺ははるかにつきあわされただけだから」
「あはは……。でも、本当に助かりました。舞も、ありがとう」
「……私は、佐祐理の友達だから」
「うん、ありがとう」
 なぜか舞は、佐祐理に突っ込みチョップを入れた。
「あははーーっ。痛いですーーっ」
 夜明けの光が、その笑顔を飾っていた。

「佐祐理ちゃんは、これからどうするの?」
「そうですね。……まずは、久瀬さんのお葬式です。
 なんだかひどい目に遭わされたみたいですけど、私は覚えてませんし」
 はるかの問いに、あっけらかんと、佐祐理は笑って答える。
「私は大変だった」
 舞が不満げに言うが、すぐに、
「でも、久瀬もかわいそうだったと思う。佐祐理をさらったのは許せないけど、許そうと思う」
「舞ちゃん、えらいえらい」
「えらいえらい」
「……子供じゃない」
 そう言いつつも、はるかと佐祐理に頭を撫でられて嬉しそうな舞だった。
「そしてこれからは、国民みんなが本当の笑顔でいられるような国にしたいと思います」
「ん、頑張って」
「はるかさん達も、よかったらこの国に住みませんか? 大歓迎ですよー」
「ん……悪いけど、もっと色々見て回りたいから」
「そうですかー。残念です」
「……じゃあ冬弥だけでも」
 舞が物欲しそうに冬弥を眺める。
「え、俺?」
「ダメ」
 冬弥のかわりに、電光石火ではるかが答えた。
「……どうしても?」
「ダメ」
「おもしろかったのに……喋る自転車」
「あははーーっ、失礼ですよ、舞」
「あの、俺の人権は……?」
 自転車の人権は無視された。というか、存在しない。
「住むのはダメだけど。あと二日、この国にいるから」
「じゃあ、大歓迎パーティーを開きましょう! ねぇっ、舞」
 こくりと舞が頷く。そして、それをきっかけに、こくりと船を漕ぎ始める。
「ん……ちょっと眠いね。徹夜だったから……」
 はるかが大きなあくびをすると、舞も眠そうに目を擦る。
「俺も自転車なのに、なぜか眠い……」
「では、佐祐理はずっと眠ってましたから、今度は佐祐理が眠るみなさんの御世話をしましょう」
「いいの?」
「どーんと任せてください」
 佐祐理がどーんと胸を叩く。
 舞が、佐祐理の揃えられた膝の上に頭を置いたかと思うと、即座に寝息を立て始めた。
 昨晩の張りつめた気配が嘘のような、無防備で、安らいだ寝顔。
 そして、僅かに微笑んでいる舞の寝顔を見届け、はるかもまた、眠りの世界へと落ちていった。


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