番茶も出花と言うけれど 六ほとほとと襖が叩かれた。 「誰だえ?」 「はてでございます。一寸お邪魔致しやす」 今は飯場風呂場に引っ込んでいるはてと言う大年増で ある。がそれは今の話。初代の頃から河霧の名でこの店 に居り、鶯が一人立ちするまでの間陰になり日向になり 支えてくれた大恩人である。 「河霧の姐さんがあちきの部屋まで来てくれるたぁ珍 しい事もあるもんだ」 「ナニ、月坊の菊門をお前さんが拡げるって話を小耳 に挟んだもんでね」 昔の名を呼ばれた事もあり、砕けた口調でからかうか の様に人の悪い笑いを浮かべる。 「あたしゃお前さんの菊門拡げるには苦労したもんだ。 その点、月坊は文殊尻だから苦労はあるまいよ」 「いつ観なさったんです」 「風呂焚きもやってるのが誰だか忘れたかえ」 「そうでござんした。姐さんにはホントお世話んなっ ちまって」 「ナニ、三界に家無しだった所を先代に救われてぬし 等と知り合ったんだ。こっちこそ灰になるまで面倒見さ せて貰うよ」 「ところで、何用で?」 「それよそれ。年取ると肝心要を忘れちまって困る」 はてが携えてきたのは壱寸には満たぬ太さで長さ五寸 の濡れた紙包みが拾本程。それを火鉢の灰の中にゆるゆ る埋めてゆく。 「その木型は確かに先代から伝わってる由緒正しい拡 げ型だけど、慣れるまでは細くてもちと痛いんだよねェ」 愛しそうに、そしてやや苦い事を思い出したかの様に 眺める。 「月坊は文殊尻だ、とは言ったがこの型でも初めてじ ゃあ痛かろう。丁子の油でぬらぬらさせたとて、最初は 冷たかろうしね」 「姐さん、それを案じて?」 「あたしに取っちゃ月坊は倅同然なんだよ。お前さん 達皆そうだけどね。だからちっとでも楽な方法をさせて やりたいんだよ」 言いつつ最初に埋めた紙包みを灰から出し、紙を剥い てみせる。果たして其処に有ったのは先を丸め、やや指 に似せた様な感じに削った人参であった。 「おぼこの娘さんが最近一人で遊ぶやり方だそうな。 これなら多少柔らかかろうし、冷たく拡げる訳じゃ無い」 鶯の口元についと近づける。 「ああ、いい人肌だ。油ともよく馴染みましょう」 「上手く遣っておやり。兄弟で店を盛り上げるもまた よかろうさ」 「姐さん…心配かけやす」 「実を言うとここで首尾を見届けたいが、月坊もお前 さんだけの方が気が落ち着くだろうしね。何かあったら 言っておくれな。年寄りの見聞きした事なら教えるから さ」 そして、袂から紙の束と紙包みを取り出す。 「用心の通和散と鼻紙だ。しっかりおやり」 席を立とうとしたはての袖をちらと引く。 「どうしたえ?」 「甘えついでにもう一つ。月にどんな草子を読ませた らようございましょう」 「又見繕って紙に書き付けとくよ。とりあえずは枕絵 でも観せておやり」 「お手間かけやす」 「では女将さん、お邪魔しやした」 最後はきちんと飯焚きに戻って退場。 そして、小半時が過ぎて襖が叩かれる。 「姐さん、入りやす」 やや強張った顔つきの月四朗。 「腰湯は、遣って来たろうね?」 「ハイ。下帯もつけてやせん」 「じゃあ、おいでな」 (2003.2.28) 続 |