番茶も出花と言うけれど 壱
「全く、お前さん達にも呆れたもんだねぇ」 朱羅宇の長煙管で容赦なくコンコンと叩かれる。 まだ火をつけて灸の代わりにしないだけましか。 「でもねぇ、兄…じゃなかった、鶯姐さん。俺 だってこうなるとは露とも思わなかったんだ!」 「あちきが言ってるのは過ぎた事じゃないのさ。 さっき聞いた事の始末に呆れてるんだよ。選りによ って…」 「じゃあ姐さんなら、何とか…」 「ならないと思ってそうしたんじゃないのかえ? 自業自得さね」 突っぱねてスパリスパリと不機嫌そうに煙草を吹 かす。 そもそもの事の始めは、末息子の月四朗が全く 色気づかぬと言う事である。陰間茶屋と言う家の 中にあって全く持って面妖な話であるが、これから 何とか端折って記す中身を読んで頂ければ納得も して戴けよう。 陰間茶屋「紗玖羅楼」初代には四人の息子が居た。 上から華壱・酉次・風三郎・月四朗である。が、 初代夫婦は既にこの世の者ではない。月四朗が拾の 時に続け様に去ったのである。時に華壱、弐拾四・ 酉次、弐拾・風三郎、拾五の春であった。 華壱は家業を嫌い、和菓子屋に奉公して其の侭 旦那からの信頼を得て拾八の時既に店を構えて居た。 当然ながら弟達を吾が手に引き取るつもり…で あったが、酉次が其れを拒んだのである。 「兄さんには申し訳ないけど、あちきはこの家業が 気に入ってるんです。暫くは店の姐さん達に切り 盛りをお任せして、一本立ちしてこの子達を養う つもりでござんすから、一度家の敷居を出たお人が とやかく口出ししないで下さいまし!」 酉次、一世一代の啖呵であった。 そもそも華壱は家業を嫌う余りか、弟達から色香を 遠ざけようと身勝手に心を砕いていた。其れこそ 「男女七歳にして席を同じうせず」処ではない。 たまたま酉次は生来この道の水に合っていたのか 自然と男女の道から此方の道へと至り、風三郎も 辛うじて草子など見て男女の道を覚えた。 可哀相なのは月四朗である。先代夫婦は店の切り 盛りで忙しく、酉次も「鶯」の源氏名で店に出、 風三郎も学問所通いで忙しい。哀れ華壱の教え込み 相手となってしまったのである。その結果起きた事と 言うのが…鶯が不機嫌に煙草を吹かす始末となった 訳だ。 「お前さんもお前さんだよ。伊達に鍼医者の看板を 掲げちゃ居るまいに、何が哀しゅうて拾五の男の 付き添いで養生所の門を潜るんだえ?あちきは伯斎 先生から話を聞いた時、顔が其の侭燃えるんじゃァ ないかと思ったよ」 「何時聞いたんです?」 「お前さん達が帰った其の晩だよ。憂さ晴らしに 見えられてさ、其の時に零しておられたよ。『月坊も あれじゃあ幾らなんでも…華さんに意見しようか?』 とも言われてさぁ」 「面目ない」 「まあ、あの子の事だから自分で気を遣った事って のは…無いだろうねぇ」 「壱兄さんがさせませんよ」 「お前さんならさせるのかえ?」 「手解きからだからなぁ…」 深く深く溜息をつく。 風三郎が身体を揺さぶられて起きると、月四朗の 切羽詰った顔があった。起き抜けであると言うのに 随分と白い。 「どうしたい、月」 「風兄、おいら、訳判んない病になっちまった」 言うなり褌を解いてみせる。 「おいおい、何して…」 慌てるのは風三郎である。月四朗、時に拾五。 身体もズンズン大きくなり、春の芽生えを知って 可笑しくは無い頃である。同じ年の若衆とも契りを 持つ身に、幾ら弟と判っていても血は騒ぐ。 慌てる兄の心中、知るや知らずや。見てくれと 言わんばかりに褌を鼻先に差し出す。と其れからは 風三郎も覚えのある匂いと粘りが…。 それから先が大騒動。大事は無いと風三郎が学問の 限り理の限りを尽くして説いても月四朗は聞き入れぬ。 嘆き悲しみ地団太を踏む。『明日をも知れぬ命』 などと騒ぐものだから養生所の先生の言う事なら 聞き入れるだろうと思って、恥を忍んで連れて 行ったものの…。 「あちきが、勤め始める時に一緒に行儀見習で でも引き込むべきだったかねぇ」 「俺も後悔してますよ。草子を転がして置くん だった、ってね」 「まあ、兄さんは竹箆返し食らってるがね。 兄さんとこの雪坊、知ってたね?」 「ええ?」 隣の部屋から響く睦言の声。 「…大したもんだ。雪坊は今年で、ええと…」 「拾参だね。あの歳で京奴をあれだけ泣かせる んだから相当だよ。爪の垢を煎じたかろ?」 「全くねぇ」 出るは溜息ばかりなり。弟の行く末を思い、気の 重くなる兄二人である。 「処でな」 「何です、酉兄さん」 鶯の声色言葉尻が変わったのを見て取って呼び方を 替える。陰間茶屋の女将を勤めると言っても男で あり、月四朗を思う兄でもある。厳しい事を言う 時には男言葉になるのがこの兄の常である。 「お前、鴨鍋を食おうなどとは、思うまいな?」 「鴨鍋?」 「血の巡りの悪い奴だ。月夜の釜抜きを考えちゃ 居るまいな、と訊いているんだ」 「月とちぎ…?滅相も無い!」 「ならば安心もするが」 すっかり冷めてしまった茶を啜る。 「子を孕む心配が無いからと言ってそちらへ走る 話も聞いたんでな。すまん。俺の思い過ごしだ。 スッパリ忘れてくれ!」 「イヤイヤ、あいつについてはそう言う心配をし たくなる兄さんの気持ち、判りますからね」 苦笑いしながらとりなしたものの…そう思わなか った事が、無い訳じゃあ、無い。 (続く)