『carezzando』
「……なにがバレンタインのお返しだよ、バカ」
浅倉は隣で幸せそうに口を開けて寝ている伊藤に悪態を
ついた。ホワイトデーだった昨夜、お返しだとクッキーを持っ
てきたまではよかったが、最終的には良いように食べられて
しまったというわけだ。
「……もうっ」
それでも結局幸せだ、なんて思う自分が悔しくて、浅倉は
頬を膨らませた。シャワーでも浴びようとベッドを降り、何気
なく側にある鏡に目をやった時。
「なに、これっ」
浅倉は小さく叫んでまじまじと鏡の中の自分を見つめた。
その肌には、これでもか!というほど紅い痕がつけられてい
る。
「うそだろ、信じらんない……」
確かにしばらく撮影はないし、表に出る仕事もない。だから
といってこれはないんじゃないか。
「も、サイアク……」
そう呟きながら首筋にある紅い痕に指先で触れる。そして
当分消えそうにないなあ、と諦めのようなため息をついた。
「こんな痕のなにが良いんだか」
伊藤は痕をつける時、何故か嬉しそうなのだ。そして確認
するかのようにひとつひとつ指先で辿るのが彼の癖。浅倉
は伊藤がするようにゆっくりとそれを辿った。彼が愛した証
を追うように。
「……っ」
思わずこぼれそうになった吐息を慌てて噛み殺す。伊藤
に愛されたのだと思ううち、自分の指が彼の長い指のよう
に思えて、彼に触れられているような錯覚に陥ったのだ。
「ばかみたい」
そう呟いて服を取るためにベッドを振り返ろうとした時。
「ひゃっ?」
突然背後から抱き締められて体が竦んだ。
「あ、びっくりした……起きてたの?」
「ついさっきね」
抱き締められたままベッドの端に腰掛けて伊藤を振り返
る。
「ボク、シャワー浴びてきたいんだけど?」
「後でね」
「はあ?」
訳が分からないといった顔をする浅倉に伊藤はにっこり
と微笑んだ。
「これ、いいでしょ」
そう言って浅倉の肌に指を滑らせ、紅い痕に触れる。
「よくないよ、バカっ。こんなにつけてくれちゃって……」
「あれぇ?でもさっきちょっと感じてたでしょ?」
その言葉に浅倉の顔が赤く染まる。
「感じてないっ」
「ふーん、そう?」
「もう、離せよっ……ちょっ、やだ、なに触ってんの」
肌を這う手に浅倉は身を捩って抵抗する。
「俺を思い出してたんじゃない?俺がこうするの」
緩やかに、紅い痕を辿られる。そのまま流されそうになっ
て、慌てて首を振る。
「だめ!朝っぱらからサカらないでよね!」
「人聞き悪いなあ。大ちゃんがすごい色っぽい顔してるから
いけないんだよ?」
「なにワケわかんないこと言ってんの!」
浅倉は背後の伊藤をキッと睨んでそう言った。しかしその
まま顎を捕らえられて口づけられる。卑怯だ、と浅倉は内心
思った。彼は知っているのだ、自分が彼のキスには逆らえ
ないことを。
「大ちゃん」
長い口づけの後、伊藤は低く耳元で囁いた。
「……やだ」
「どうして?」
「どうしてって、やだよ、こんな明るいのに」
部屋の中は光を通さない重いカーテンが引かれたままで、
隙間から漏れるもので互いの表情が薄く見える程度だ。そ
れでも浅倉は明るいと言う。
「これくらいでも嫌なの?」
「やだよ!……恥ずかしいもん……」
暗闇なら隠せる。伊藤のちょっとした視線や仕草に頬が熱
くなること、些細な接触にさえ肌が粟立つこと。こんなにも彼
に溺れている醜態なんか、見せたくない。しかし伊藤は小さ
く、ふーん、と言ってから口の端で笑った。
「じゃ、見えなきゃいいんだ?」
「え?」
伊藤は肌に触れていた左手でそっと浅倉の目を覆った。
「これなら見えないでしょ?」
「意味がちが……」
首筋に舌を這わされて抗議の言葉がつなげない。いつもと
は違う感覚に体中が緊張する。
「怖い?」
笑いを含んだ声で囁かれて、浅倉はふるふると首を振った。
「怖くなんかないよっ」
「ふーん、そう?」
「もう、いい加減手、離してよっ」
「やだねー」
伊藤はそう言うと片手で浅倉の目を覆ったまま、もう片方の
手でパジャマの胸元をはだけさせた。
Next→