クリスタル・アイズ




ようやくひとつの戦いが終わった。

今回もみんな無事だった――口には出さないが、誰もがほっと安堵する。大きな怪我をした者もいない。しかし一月近くも続いた戦闘はかなり厳しいもので、彼らはギルモア研究所に戻るとそれぞれ自室にこもり久しぶりの安眠を貪った。ただ一人を除いて・・・・・・・。









一夜明けたリビング。

戦いが終わり、それぞれ自室で身体を休めた後は誰ともなく階下に集まってくる。いつものことだ。一人部屋に篭っているとどうしようもなく気が滅入ってくる。見慣れた部屋、暖かなベッド。そんなものに包まれていると、余計に昨日までの自分たちの異常さが際立ってくる。思考も感情もぐるぐると同じところを廻るばかりで、結局は自分を苦しめてしまう。

みんなそのことを良く知っていた。







テーブルでは、ジェット・ジェロニモ・グレート・ピュンマの4人がポーカーをしている。アルベルトとジョーはそれぞれソファで雑誌をめくり、フランソワーズはゆりかごで眠るイワンの側に座り込んで、ぼんやりとその寝顔を眺めていた。キッチンからは夕食の準備をする張々湖の鼻歌が聞こえてくる。



「ツーペア!」

「へっ!おあいにくだな。こっちはフラッシュだ!」

「うげ〜、また負けかい・・!」

「そんなちょろい手で上がろうなんて甘い甘い・・」

騒がしいのは例によってジェットとグレート。ジェロニモとピュンマは黙々とカードをひいている。

「参ったなぁ・・・。我輩の負けは今どのくらいだ?  こう負けがこんじゃやってられないぜ。あ〜あ、オレもフランソワーズみたいに透視能力があればなあ」

大げさに両手を広げて慨嘆するグレートに、フランソワーズがつ、と顔を上げた。



「―――どういう意味?」

その言葉のトーンにいつもの彼女と違うものを感じたジョーは、読んでいた雑誌から思わず顔を上げた。

「ちょちょいのちょいっ、と相手のカードを覗けばぜーったい負けないもんなあ。ギャンブルには便利じゃないの。博士、オレにも透視装置つけといてくれたら良かったのに」

何も気づかないグレートの言葉を聞いているフランソワーズの顔がみるみる蒼ざめていくのがジョーにはわかった。



「―――だったら」

ゆりかごのふちを掴んだ彼女の手が小さく震えている。

「・・・だったらかわってちょうだい!!」

パッと立ち上がると、フランソソワーズはグレートを振り返った。

「何も知らないくせに・・・! 見えることが・・・・見えてしまうことが、どんな気持ちか、知らないくせに・・・!!」

「フランソワーズ?!」

「・・・・!」

涙がぽろっとその大きな瞳からこぼれ落ち、肩に手をかけたジョーを振り払って、彼女は身を翻した。階段を駆け上がる音がし、彼女の部屋のドアがバタン!と閉じられる。

誰も口をきけなかった。









「―――ちょっとばかり無神経だったな」

やがて、アルベルトが雑誌に目を落としたまま冷ややかに言った。

「昨日の今日で・・・・言うようなことじゃないだろう」

「そんな・・・オ、オレ、なんか悪いこと言ったかな・・・」

狼狽するグレートに、

「彼女が自分の能力を嫌っていることは知っているだろう。何だってあんな言い方をするんだ」 

アルベルトは容赦がない。

うなだれるグレートに、ジョーが思わず助け舟を出した。

「でっ、でも、いつもの彼女ならこんなことで・・・」

「―――ああ、そうかもな!」 

バサッと雑誌を閉じて、アルベルトがまっすぐジョーを見据える。

「だが・・・今度の戦いは、彼女にとっちゃかなりキツかったんじゃないか? だいぶ参ってたみたいだが・・・ジョー、お前気づかなかったのか?」

「それは・・・」

「昨夜だって、あの様子じゃ殆ど寝てないぞ、あいつ」





確かに彼女は疲れているようだった。いつもなら戦闘が終わって研究所に戻ると、

『久しぶりの我が家ね。やっぱり落ち着くわ』

と、嬉しそうに花瓶に花を生けたり、みんなの世話を焼いたり、ようやく訪れた平穏を楽しむかのように生き生きとしていたのに。





「今回は少し・・・彼女に頼りすぎたのかもしれない。それに――――」

アルベルトは視線を落とした。

「彼女は・・・力を使うのに、かなりの負担を感じてる―――オレたちよりも」

「?」





しんとしたリビング。みんな黙ってアルベルトを見つめている

「フランソワーズの能力はちょっと特殊だろう。確かに視力と聴力をアップさせてるのは、機械さ。目と耳から得た膨大な情報を瞬時に記憶し解析するための補助脳もある。だが、それを制御してるのは彼女の精神力だ」



ジョーは身じろぎもせずアルベルトの話を聞いている。

「意思の力で、見なきゃいけないもの、聞かなきゃいけないものを、一つ一つ取り出しているんだ。見たくも聞きたくもないものを、いっぱい受け入れながらな・・・。オレたちに伝えているのは、そのごく一部だけさ」 

「・・・・・・・・・・・」

ひとつ息をついてアルベルトは言った。

「彼女の感情は・・・・? 機械化されてるわけじゃない。何かあるたびに一番悲惨なもの・・・恐ろしいもの・・・醜いものを見たり聞いたりしなきゃならん。あんな・・・あんなものをずっと見続けて・・・・・オレだったら気が狂っちまうかもしれない」

みんなは言葉も出なかった。













つい昨日までの戦いは南米のジャングルの中で行われていた。視界の利かない密林での戦闘。

ネオブラックゴーストはその地で甘言を弄して、現地住民に簡単なサイボーグ手術を施し戦闘員としていた。

随所に仕掛けられた罠。操られ脅されて捨て身で向かってくる兵士たち。

誰かが『まるでべトコンと米軍の戦いだな』とぼやいた。



そんな中、フランソワーズは常にレーダーの役割を果たし、みんなに周囲の状況を伝え続けた。そして、NBG団員と現地人サイボーグ兵士、一般住民・・・それらを識別し、罪のない人々が傷つくのを防ごうとしたのも彼女だった。





「――オレたちも多かれ少なかれ、戦うことに痛みを感じている。・・・だが、彼女はその何倍も辛い思いをしてるんじゃないか・・・」 

もっとも――とアルベルトはそこで自嘲気味に笑った。

「戦闘中はそんなこと気に掛けてやれないがな」



―――それが、003としての彼女の役割。あの場面では彼女の能力が必要だった。

でも、本当に・・・? もっとしてやれることが、せめて、辛そうな彼女に掛けてやる言葉があったんじゃないか――――アルベルトはふと、しょげ返っているグレートに気づいた。

オレも偉そうなことは言えないな、と思う。

「――ま、あまり気にするな。きっとタイミングも悪かったんだろ。すぐにいつもの彼女に戻るさ」







少々気まずい空気ながらも、またそれぞれが自分たちの行動に戻った中で、ジョーは一人その場に立ちつくしていた。



あのジャングルの中で―――彼女ははじめひどく動揺した。『あんな小さな子供まで』と、身体の中に自爆装置を付けられた子供たちを見ては顔を覆った。サイボーグ化されるのを拒んだ住民と受け入れた住民の悲惨な抗争に涙をこぼした。



が・・・・いつしか彼女の口数は少なくなり、顔を覆うことも耳を塞ぐこともなくなっていた。ただ一心に見て、聴いて、報告する。その繰り返し。

ジョーはホッとしていた。彼女が落ち着いたことに。冷静に自らの役目を果たしてくれる彼女に安堵し、信頼して、いっそう彼女を頼った。









・・・・・戻ってから、彼女は一度も笑っていない。



今更のようにジョーは気づいた。

かすかに口元を上げて長い睫毛を伏せるそぶりをする・・・それだけ。

いつから笑っていなかった――――?

戦闘中ですら、彼女の笑顔は僕らに束の間の安らぎと勇気を与えてくれるのに。







「ジョー」

唇を噛んでうつむいたきりのジョーに、ジェットが手にしていたカードから顔を上げてイライラと声をかける。

「行ってやれよ」



フランソワーズのもとに行けというジェットの言葉に、ジョーは力なく首を振った。

「僕には・・・・彼女に言ってあげられることは何も・・・・・・・」



彼女の能力をぎりぎりまで利用したのは自分だ。

次の闘いでも、おそらくリーダーとして・・・・009としての自分は、彼女の持てる力すべてを期待してしまうだろう。



そんな僕に、一体何が言える・・・・・?







「――ちっ!」

うなだれたままのジョーに舌打ちして、ジェットがカードを投げ出した。

「俺は降りるぜ。今までの勝ち分ちゃんとツケとけよ」

「勝ち逃げかよ、ジェット」

グレートが恨みがましい視線を向けたが、ジェットは勢いよく椅子から立ち上がると、すれ違いざまにジロリとジョーを睨んでリビングから出ていった。



そんな彼らを、アルベルトは見ないふりをしてしっかり見ている。











―――そりゃ辛いかも知れねえ。だけど・・・。 



ジェットは2階にあがるとすぐにフランソワーズの部屋をノックした。

「おい・・・大丈夫か?」

しんとしたドアの向こうでかすかに身じろぎする気配がし、やがてかすれた声で返事があった。

「―――大丈夫よ。・・・さっきはごめんなさい・・・」

「そんなのはいいさ。それよりちょっと研究所の外に出て来いよ」

「・・・・・・・え?」

「おっと、そうだ! 上着着てこいよ! 早くしねえと日が沈んじまうから、急いでな! 先行ってるぜ」











研究所の前の庭でじっと夕空を見上げていたジェットにピュンマが気づいた。

「ジェット、何やってるんだ? そんなとこで空なんか眺めちゃってサ」

窓から顔を覗かせるピュンマに、ジェットはニヤリと笑ってみせる。

「ふふん――デートのお相手を待ってるのさ」

「デート?!」

そこへ、やや腫れぼったい目をしたフランソワーズが出てきた。素直に上着をはおっていたが、顔にはとまどいの表情が浮かんでいる。

「どうしたの? 一体なにを・・・・」

「ようし、じゃあ行くぜッ!」

「え? あっ?!・・きゃああああああっ・・・・!!!」

 







いきなり彼女を抱きかかえ夕空に向かって飛び立ったジェットを、慌てて外へ出た仲間たちは呆然と見送った。

「あのバカ・・・」

アルベルトが呟き、それからワンテンポ遅れて、普段は滅多に聞けないジョーの怒声があたりにこだました。



「ジェットぉぉっ・・・!!!」


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