春にして君を離れ 




光の中で少女達が踊っている。
舞台袖の幕に身を隠して、フランソワーズはこっそりと熱心に舞台を見つめている。
隣で同じように舞台を見ていた少女が、にっこりと笑って小声で言う。

(フランソワーズ、次だね。頑張ろう)
(うん)

出番はもうすぐ。高まる緊張感。
舞台の上から先ほどのダンサー達がはけていくのを合図に、白い衣装に身を包んだ少女たちは順番に光の中へと身を躍らせる。
フランソワーズも所定の位置へ立ち、ポーズをとる。
そして曲に合わせ、優雅に踊りが始まる。
顔に当たるライトが熱い。
この日のために、血のにじむような努力を重ね、ようやくここまできた。
ここが、わたしの居場所。そして戦場。
助けてくれるのは、自分自身の努力で得た「ちから」だけ。
その世界を自分が望んだのだ。

ふと、客席の一番後ろにいる男性に目がすいよせられた。
自分をじっと見ている、あれは、誰?
気をとられたせいか、少し足元がぐらついた。
あわてて体勢を立て直す。
よかった、お客様には気づかれなかったはず。
今は舞台に集中しないと。
笑顔で踊りを続けていく。
と、また足元が滑る。

一体何?
舞台がこんなに濡れているなんて…そんな馬鹿な。
周りに気取られないよう、足元をそっと見る。

…赤い、赤い液体。一面の血の海。
自分の目が信じられず、眩暈がした。
足元だけではなく、赤黒い液体が舞台一面にどんどん広がっていく。
たちこめる生臭いにおい。
気づけば純白だったはずのチュチュですら、じっとりと濡れて真っ赤に染まりはじめている。

(何、これ…)

総毛だって周りを見渡せば、今、舞台にいるのは自分一人。
曲はいつのまにか止み、銃声と爆音に変わっている。
あれほどまぶしかったライトは消え、あたりは漆黒の闇に囲まれている。
客席を埋めていた観客達はもういない。
そして、暗闇の中でも、客席の後ろにいた男がつかつかと自分のほうに向かって歩いてきているのがわかった。
なのに体がすくんで動かない。
目と耳だけが男の動きをトレースしている。

今はもう、あれが誰だかわかる。
黒ずくめの男たち。あの日、わたしを人間界から引き離したものたち。
逃げられないまま腕をつかまれ、舞台から引きずり下ろされる。
そして男は押し殺した声で言った。

「ブラックゴーストからは逃げられんよ。003」

今の私が身にまとっているのは、白いチュチュではなく、赤い戦闘服。
そうだ、わたしはバレリーナのフランソワーズ・アルヌールではもうない。

ゼロゼロナンバーサイボーグ…003。



(!)

未だ早い時刻だというのにベッドから飛び起きた。
心臓が嫌な速度で鼓動をうっている。
冷たい汗で肌がべたついて気持ちが悪い。
窓から入って来る光は、まだ夜が明けたばかりのことを示す色。
その淡い色を眺め、フランソワーズはぼんやりと思った。

(こんな夢を見るなんて、久しぶり)

そっとベッドから抜け出して鏡をのぞきこむと、そこにいるのは真っ青な顔の少女。
指先が冷たい。
(こんな顔色でいたら皆が心配するわ)
シャワーを浴びて嫌な汗を流してしまおう。
誰かに気づかれないようにそっと部屋を出て、風呂場へと向かう。
頭から熱いシャワーを浴びて嫌な汗を流し、身体が温まると気分もだいぶ落ちついてきた。
いったん荷物を置きに部屋に戻ってはみたが、そのままそこにいる気になれず、再び階下へ降りてなんとなくリビングに入っていった。
時計を見ると、まだ6時前。
フランソワーズはソファに座って、明るくなり始めた窓の外をぼんやりと眺めながら、以前のことを思い出していた。

まだブラックゴーストの施設にいた頃。ときおり彼らの中の誰かが夜になるとうなされていることがあった。
その後、彼らが改造された島を脱出したあとも、ふとしたおりにそれぞれが見る悪夢。絶叫と共に飛び起き、我にかえる。
それは彼女に「与えられた」能力を使わなくても、お互いに嫌でも聞こえてしまう、そんな苦痛に満ちた声だった。
望みもしない身体に変えられ、追手との望まぬ戦いに駆り立てられ、定住する地を持てぬ、そのことが彼らを苦しめ続けた。
彼らと関わったことで誘拐されたり住居を破壊されたコズミ博士にこれ以上の迷惑がかからないようにと、彼らは日本を離れ放浪の旅に出た。そして行く先々で待っていた戦い。

ブラックゴーストの追跡がやんだとき、そこで別れてそれぞれの故郷にそのまま戻るという選択肢もあったのだ。
しかし終わりの見えない放浪と戦いの日々に、彼らの心が倦み疲れていたこと。
そのままの心の状態で故郷に帰っても、以前よりさらに悪い状態に陥ってしまうのでは…そんな悲観的な考えに取りつかれていたとき。
誰かがふとつぶやいた、コズミ博士の安否が気遣われ、誰彼と無くもういちど日本に行こうか、という意見にまとまった。

久しぶりのコズミ博士との再会。
破壊されてしまった家も再建されていて、ふたたび日本にやってきた彼らを歓迎してくれた。
はじめて日本に逃れて来た頃と同じ、不思議な共同生活がはじまった。
ようやく手に入れた戦いを離れた人間らしい暮らし。
そして、状況が落ち着くにつれ、皆の顔も徐々に柔らかくなっていった。

彼ら自身の落ちつきを取り戻したところで、それぞれの身の振り方を考え始めた。
そして出た結論は、日本出身のジョー以外、希望するものは故郷へと、故郷へ戻る気の無いものもとりあえず日本から去ることになった。
短い間だが仲間たちと過ごした、この家から出ていく準備をそれぞれがすすめている。

心配していたコズミ博士の生活が落ちついたことを確認すると、まっさきに故郷への帰国を切り出したのはピュンマだった。

自国の独立運動がどうなっているのかが気になる彼は、時間があれば日本で手に入る情報をとにかく捜し歩き、母国の情勢を把握することに必死になっていた。
「皆がまだコズミ博士の手伝いをしているのに悪いんだが…とりあえず、もう追手の心配もなさそうだし。
そうなると故郷の独立運動のことが気になってしかたがないんだ。
本当ならば、皆一緒に日本を発つほうが良いのだろうけれど。」
ごめんよ、まだもう少しコズミ博士の手伝いをしたい気持ちはあるんだけれど、そう残念そうに言い、ピュンマは日本を去っていった。
よかったら遊びにきてくれ、歓迎するよと言い残して。
今ジョーが、以前日本を離れたときに使った潜水艦で、ピュンマをアフリカまで送っていっている。

そのほかのメンバーの出発は再来週に決まった。
あれほど待ち望んでいたふるさとへの帰国。
それなのに、ここを去ることに対して感じる一抹の不安と寂しさはなんだろう。
今までの人生のうちのほんのわずか、でもふしぎな絆で結ばれた仲間との日々。
もし、こんな運命に巻きこまれなければ、出会うことなどなかっただろう人たち。
それと離れることに寂しさを感じるのだろうか?
そして、いまの「彼」の不在をことさら強く感じるのは。

どうしたのかしら?
さっきの夢のせいでまだ動揺しているのかも。
さあ、気分を入れ替えないと。

フランソワーズがリビングの窓を開け放って伸びをしていると、後ろから驚いた声がした。
「誰かと思ったらフランソワーズ!どうしたアルか?ずいぶん早起きネ」
「張大人、おはよう。何か目が覚めちゃって。朝食当番手伝うわ」
「助かるね。今朝はお粥にするつもりだったアルが。フランソワーズは大丈夫だったか?」
「ええ、好きよ」
「あとの人達も大丈夫だったと思うけどね。一応パン食も用意しておくかネ、フランソワーズ?」
「そう…ね」

今ここに住んでいるメンバーを思い浮かべる。
贅沢を言う人達じゃないけれど、選択肢は多い方が良いかもしれない。
「じゃ、私がパン食用に何か卵料理くらい作るわ」
「ありがとね。任せたアルよ」
いつも笑顔の大人につられるように、フランソワーズも自然と笑っている。

日本出身のコズミ博士とジョー、中国出身の張大人のためにご飯の炊き方はようやく覚えた。
おみそしる、という日本のスープはフランス出身の彼女には未だ慣れない味で、おいしいのかはよくわからないけれど。
一緒に生活を共にすることで、他の仲間が好きなものも、お互いに少しづつ理解できるようになってきた。

朝7時を過ぎると、仲間たちが三々五々起きだしてくる。
温かい食事が用意されていることに感謝して、食事を共にする。
朝食の片づけを終えると、今日は外出するという者がほとんどだった。

「じゃあ、家に残るのは私とイワンとグレート?」
「そういうことみたいだな」
フランソワーズの言葉からこの後のことを予想して、グレートはそっと溜息をつく。
用もないのに逃げるために出かけるのは、紳士らしくない。すべての義務を終えてから、我輩はいつものところへ散歩に行こう。


サイボーグにされ、はじめて日本へと逃れてきた頃、皆最初は外に出ることを拒みがちだった。
もちろん追手から逃れてきているのだから、呑気に外を出歩ける気分ではなかったのもある。
再度の日本訪問で、外出しても良いのだとは思っても、なかなか行きづらかった。
「普通の」人間達の中に入っていって、違和感無く過ごせるものなのだろうか?
どこか違うことを感じられてしまうのではないか…という不安もあったのだ。

そんなときにコズミ博士が言った。
「この辺りは田舎じゃし、外国人がめずらしいからちょっと人目をひいとるかもしれんが。君たち何も気にすることは無い。大丈夫じゃよ」

そんな言葉はにわかには信じがたかったけれど。
コズミ博士の人徳もあって、彼の家にいきなり何人もの外国人が住みはじめたことに関しては、とくに変な噂にはなっていないらしかった。
フランソワーズは最初、自分の並の人間とは違う「能力」に気づかれてしまうのではと警戒していたせいか、たまに用があって外に出るときはいつも緊張していた。
そのせいで、近所の方と行き交うときにぎこちなかった挨拶も、何度も顔を合わせるうちお互いに顔を覚え、慣れてくると笑顔が出るようになった。
顔見知りに出会って挨拶すると、向こうもにっこりと笑って挨拶をしてくれた。
そんなささいなことでもたまらなくうれしく、「ふつうの人」の間で暮らしても大丈夫、と背中を押してもらった気持ちになった。

理解できるようになるのは、住んでいる場所についても一緒。
しだいに外出を繰り返すようになった彼らは、コズミ家周辺の短い散歩から、徐々に遠くへと足をのばしていった。そこで見付けたさまざまなことが彼らをリラックスさせていった。

買い物のときいつも前を通る一件の家の、庭の草木がいつも丁寧に手入れされていて、いつ見てもきれいな花が絶えないこと。
その三軒隣の家の飼い犬が、自分たちの顔を覚えてくれて通るたびに尻尾を振ってくれるようになったこと。
たまたま入った店で買ってきた食べものが、ふるさとの味にとてもよく似ていたこと。
散歩の途中のとある場所が、昔見た懐かしい風景を思い出させること。
そんな風に、それぞれが気づいたことを皆に報告しながら、今までの、自分達の存在のための戦いの日々から、ほんのささやかな幸せを感じられる日常をとりもどしたことが、とにかくうれしかった。


残った二人で掃除やこまごまとした家事を終わらせて、時計を見た。
「あ、そろそろイワンのミルクの時間ね」
「もうそんな時間か」

ああ疲れた、とグレートは大げさに伸びをする。
普段一人暮らしのコズミ博士では、いろいろと行き届かないことが多い。人数がいるうちに、とはりきっているフランソワーズに容赦なくこき使われたのだ。
明日は全員で掃除だ。心の中で出かけた連中に毒づく。
とはいえ、散々迷惑をかけたコズミ博士への恩返し、と考えれば、確かにいくら働いても足りないくらいだ。

ゆりかごの中のイワンの様子をみると、さっきまで起きていたはずの赤ん坊はすやすやと眠っていた。
「あら、イワンまた眠っちゃったの?」
あきれ顔のフランソワーズの横から、グレートも籠の中をのぞきこみ
「まったく良く寝る赤ん坊だよな」
「本当ね」
顔を見合わせてくすくすと笑う。
「いいわ、ミルクは起きたら作ってあげましょう。もうお昼だし、すぐに起きるんじゃないかしら」
「そうだな、われわれは先に腹ごしらえといきますか」
あー、よく働いたから腹がへった、と聞こえるように言うグレートの背中に、フランソワーズは笑いながら舌を出す。

昼食をすませると、疲れたと言ってグレートは部屋へ戻っていった。
フランソワーズも本でも読もうかと、リビングの書棚をのぞきこんだとき、玄関のチャイムが鳴った。
博士や他のメンバーにしては、戻ってくるのが早いような。
誰かしら?
ドアの前まで来たフランソワーズは、とっさに「能力」を使ってドアの外を探ろうとして、ためらった。
…もうニ度とこんなちからは要らないと思っていたはずなのに。



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