シンタローが秘石を持って逃げ出したその前後の数年はマジックにとって地獄のような日々だった。コタローを隔離したことによるシンタローとの確執はどうしても消し去ることができず、手をこまねいているうちにシンタローが失踪したのだ。
追跡した団員がヘリから機関銃でシンタローを撃ったと聞いたときは目の前が真っ赤になった。
ガンマ団ナンバーワンと称されるシンタローといえど秘石眼を持たぬ普通の人間だ。
遮るものもない海のうえで生身を機関銃で撃たれれば生きてはいまい。
シンタローは血の呪縛にかんじがらめになったマジックの心を救ってくれる唯一の光だった。
それなのにその存在を消したというのか。
激怒と絶望が交差する。
報告を受けたあとの数分間の記憶はマジックにはない。
・・・その後、シンタローを撃った団員の姿をみかけることはなかった。
小さい頃のシンタローの姿が脳裏に浮かぶ。
ふたり仲良く野原を駆けて「ぼくパパのこと大好き!」と満面の笑顔を向けたシンタローを抱き上げた。
信じられないほど愛しかった。
気が狂うかもしれないと思うほど幸せだった。
抱きしめて頬を摺り寄せたときに視界に入った小さな耳。
「パパもシンちゃんのこと大好きだよ」
そう囁いて柔らかそうな可愛い耳朶をペロリと舐めると、シンタローはくすぐったいと身を捩って笑いだした。その仕草、笑い声がまた可愛くって、マジックはことあるごとにシンタローの耳に悪戯するようになった。
すっぽりと胸の中におさまる、体温の高い小さな体を抱きしめて眠る。
一緒にお風呂に入って体を洗いっこしたり、こっそりその体を観察して息子の成長を見守った。
十代になったシンタローはそれらを拒否するようになったけど、それでも息子の可愛さは変わらなかった。
反抗期に入ろうが眼魔砲を撃ってこようが、いつまで経っても息子は息子で、何をしても可愛くって仕方がなかった。
そして、十代後半になり幼さが抜けたシンタローは『可愛い』というだけの存在だけではなくなる。
成長と共に強い力と意志を宿すようになった瞳。
有無を言わせず人を惹きつけるなにかを持つシンタローはマジックにとって、カンダタの蜘蛛の糸にも似た、ただひとつの救いになった。
心の救いだけではない。呪われた運命からも解き放してくれるような、ささやかな希望さえ持った。
そんな希望を持たされていることをマジックはシンタローを失うまで気がつかなかった。失ってはじめて、自分がシンタローに依存して縋りついているのだということに気がついたのだ。
もう誰も自分を救えない。自分だけじゃない、弟たちも甥ももうひとりの息子も。
誰もこの呪縛から逃れることは未来永劫ないのだ。
希望の光、愛しい存在。
それを失ってこれからどうやって生きていけというのか。
マジックの頬を涙が流れ落ちた。
頬を優しく滑る指。
涙が拭われるのを感じる。
眠りから覚めたマジックが目をあけると、失ったはずの息子が覗き込んでいた。
「シン・・・タロー?」
霊魂となったシンタローが自分を迎えにきたのだろうか。
ぼんやりした意識の中で思ったままを言葉にした。
「アンタ、なに寝ぼけてるんだよ?」
マズイところを見れたという表情を浮かべたシンタローがさっと手を引っ込めて、乱暴に言った。
耳に直接響く声。
確かな存在感を持つ目の前の若々しい体。
(そうだ。シンタローは帰って来たんだ。あの島で和解して共にここに戻ってきてくれたのだ)
マジックの意識が覚醒する。
シンタローを失ったと思っていた過去を夢みていただけだ。
最愛の息子は今ここに生きて存在している。
「シンちゃん」
存在をしっかりと確認したくて、マジックは手を伸ばしてシンタローの体を引き寄せた。
虚をつかれたのか、シンタローの体は抵抗することなく、マジックの上に倒れこむ。
温かい体、しっかりとした筋肉。そして頬に触れた長い髪。
「お、おいっ」
慌てたようにシンタローが身を起こそうとするが、ガッシリと抱きしめて離さない。
覆いかぶさっている状態のシンタローの首筋に顔を埋めて、慣れ親しんだ香りを思いっきり吸い込んだ。
「はなせよ!」
バタバタ暴れる体に(仕方がない。残念だけど離してあげよう)と思いつつ閉じていた目を開けると、目の前に真っ赤に染まった耳があった。
さっきの夢を思い出して、マジックは久々にその耳朶をペロリと舐める。
深い意味はなかった。
幼い頃のシンタローはこうするとくすぐったがって声をあげて笑っていたから、また笑わそうと思っただけだ。
だが。
「アッ?!」
漏れた声は今まで聞いたことのない、甘さを含んだものだった。
同時に腕の中の体がビクビクと震えるのが伝わってくる。
それを知覚した瞬間、マジックの背筋をぞくぞくとした感覚が貫いた。
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