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仕事から帰ったＢＪを家の前で待ち構えていたのは、見覚えのある男だった。
出来るだけ会いたくない男だ。
いつもなら無視してやるところだが、今回ばかりはそうはいかない。
彼がなぜ来たのかよくわかっているからだ。
「何しにきた。キリコ」
それでも不機嫌に問いかける。
無視しないだけでもありがたく思え、といった態度だ。
そんなＢＪの態度を気にした風もなく、身体をずらし道をあける。
玄関のノブを握ったＢＪは鍵がかかっていることに気がついた。
「・・・ピノコ、いないのか」
小さく呟いて、懐から鍵を取り出し鍵穴に差し込む。
今回の依頼は外国からだった。長く家をあけていたが、今日帰ってくることは電話で伝えてあるから、ご馳走でも作ろうと買い物にでも行っているのだろう。
ＢＪは玄関をあけ、黒い鞄をサイドテーブルに置いてコートを脱いだ。
後ろからキリコが室内に入ってくる気配がする。
今回の患者は元々キリコの患者だった。それを横取りして手術を施したのだ。
嫌味のひとつでも言いたくって訪ねて来たのだろうということは安易に想像できる。
疲れているから本当は相手をしたくはないが、仕事に関することなら無視はしたくない。
ＢＪはリボンをほどき襟元のボタンを数個外して、ソファーにドサッと座った。
やっと我が家に帰ってきたのだと思うと、安心するのと共に疲れが増したような気がして、無意識にふうと大きな溜息が洩れた。
コートを羽織ったままのキリコは少し離れた場所に佇み、そんなＢＪを見つめている。
「なんだ、言いたいことがあるなら言え。そしてさっさと帰れ」
椅子も勧めず、ジロリと睨みあげる。
玄関先で会ったときから無表情だったキリコの顔がニヤリと笑いに歪んだ。
そして。
「エロい」
開口一番の言葉を聞いて、ＢＪは何を言われたか理解できなかった。
「は？」
空耳か、聞き間違いか。
よくわからないまま、間抜けな声が口から洩れた。
「ブラック・ジャック、お前さん、エロ過ぎだ」
隻眼に愉快そうな色を浮かべてキリコが言った。
聞き間違いではなかった。キリコは間違いなく『エロい』と言ったのだ。
「何を・・・言ってるんだ？」
言った言葉は理解できても、言っている意味が理解できない。
ＢＪは眉間に皺を寄せ前に立つ男を上から下まで眺めた。
おかしくなったのか？と思ったのだ。
「リボンを外してシャツを緩めて・・・誘ってるのか？」
思いもしなかった言葉を投げられて思考が止まる。
だが、それは一瞬ですぐにＢＪは怒鳴り返した。
「そんなわけあるか！」
何を言っているんだ、この男は。
キリコの言動を理解できず、ＢＪは少し動揺する。
「手術後とかさ」
「なんだと？」
「長時間の手術で疲れ果てたお前さんがさ、白衣緩めてふうなんて溜息はいてソファーにドサッと座るじゃないか」
「当たり前だろ。疲れてるんだから」
いきなりの話題の転化だが、とりあえず意味不明の話から反れたことに少し安堵したのだが。
「あれがまたエロい」
「はっ？」
話題はまだ続いていた。
「『やつれた貴方もセクシーよ』っていうやつ？」
「ばっ、馬鹿かっ」
ＢＪは立ち上がり、慌てたように怒鳴る。
間違いなくキリコはＢＪのことを『エロい』と称しているのだ。
「自覚しろよ、お前さん襲われても文句言えないぞ」
「手術後で体力失くした男を襲う女がいるかっ」
そんな姿に性的興奮を起こさせる人間がいるとも思えないが、ついつられてまともに返してしまう。
本当に馬鹿馬鹿しい。
男を襲うような女がそう滅多にいるものか。
「違う」
「なにがだ」
「襲うのは男だよ。弱ったお前さんを力ずくで犯すのさ」
口をあけポカンとしたＢＪである。
襲うのは女じゃなく・・・男？
その意味が脳に到達するまで少しばかり時間を要した。
理解した瞬間に絶句する。
「なっ！？」
「クールな天才外科医を無理やり抱くなんてすごい征服感だろうぜ」
「ふ、ふざけるなっ」
何を言い出すのだ、この男は。
精神障害か？それかすっかり脳が腐れているのではないか？
キリコの精神状態を疑い出したＢＪに、妙に冷静な問いかけがされた。
「じゃあ、聞くが今までそういったことは一度もなかったか？」
そういったこと？
この場合、『エロい』ではなく『男に襲われた』ということの方を指しているのだろう。
「・・・・・・あるわけないだろ」
少しの沈黙のあと、ＢＪは低い声で答えた。
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